熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

中国が世界を巻き込むグローバリゼーションの凄さ

2008年05月13日 | 政治・経済・社会
   中国の世界経済へのインパクトについては衆知の事実としても、中国人なり、中国企業の日本でのプレゼンスが、比較的大人しいので、日本企業の中国進出や日本における中国製品が目立つ程度だが、
   欧米では、昔から産業の中心として繁栄を極めていた工業都市が、瞬く間に中国人の進出と産業移転、製品模倣などによって壊滅状態に追い込まれてしまった例が続出している。

   長い間積読であったジェイムズ・キングの「中国が世界をメチャクチャにする」を読んで、中国のグローバリゼーションへの衝撃が、正に、シュンペーターのイノベーション理論を地で行く革命的インパクトであることを改めて認識した。
   この本のタイトルは、「CHINA SHAKES THE WORLD」であるから、中国が世界を振り動かす、揺さぶる、よろめかせる、かき回すと言ったニュアンスなのであろうが、眠っていた筈の中国が、ヒットラーの電撃作戦よろしく、瞬く間に世界のあっちこっちで、それも、あらゆる分野で、制覇し始めたということを、中国の大学を出たファイナンシャル・タイムズの元北京支局長が、世界中を回って、欧米人の眼からレポートしているのだから、理論も迫力も類書を凌駕している。

   冒頭から、200年にわたって兵器や戦艦の装甲版を製造しドイツ国家に貢献してきたルール工業地帯のティッセンクルップ社のドルトムントの不死鳥と呼ばれた製鉄工場が、技芸団よろしく命綱も着けずに高層足場に駆け上がった中国人に解体されて、船に乗せて運ばれ、揚子江の河口で解かれて、内陸で組み立てられて鉄鋼生産が行われた様子を伝えている。

   業界でも比類ないデザイナーとイタリア・ファッションの真髄とも言うべき豪華なクライアントを抱えていたイタリアの織物業の聖地とも呼ぶべき700年の歴史を持つプラートさえ、中国の軍門に下ってしまっている様子を見て、ヨーロッパのメーカーが束になっても勝てないとなると、ヨーロッパの製造業の将来はどうなるのか、と著者は問う。
   最初は、不法移民としてプラートに入ってきた温洲からの中国人出稼ぎ労働者が、低賃金で繊維業の雑役から働いて、一人また一人と独立して行き、次から次へと温洲企業が独立して行って、イタリア人の元ボス達を廃業に追い込んで行った。
   100年以上も歴史を誇るイタリア人の名門企業の数社などは、最初は、衣料製造の1工程だけ中国に外注していたのだが、今やほぼ全工程を海外に移して風前のともし火だと言う。紡績、製織、裁断、縫製が温洲に移されるごとに、プラートの中国人経営者の方がイタリア人経営者より上手く対応するので勝負にならない。
   
   ジヴァンシー、イヴ・サンローラン、シャネルect.等有名ブランドも、今では、高級ファッションを手頃な価格で提供しようと、中国に大規模にアウトソーシングを行っており、また、ロンドンのサヴィル・ローの仕立て店のでも一軒はこんな店があり、アウトソーシングしてブランド価値を弱める危険を冒すべきかジレンマに立っていると言う。イタリアやイギリスの卓越した職人が作り上げているから高級ブランドである筈なのである。
   ところが、アウトソーシングには、必ず、品質確保の為の重要な技術やノウハウが流出する心配があり、経営危機に陥ったイタリア企業のデザイン工房を買い取るなどして、中国の高級品へのデザイン力の向上は著しいと言う。
   尤も、絹織物は元々中国が本家本元であったのが、550年に、ユスティニアヌス帝が、古代ペルシャの聖者に命じて、密かに蚕の卵と桑をコンスタンチノープルに持ち帰らせたのであるから、中国人にとっては、里帰りであって疚しいことでもなんでもないと言うことであろうか。

   余談だが、チェコのプラハで、素晴らしい陶磁器の人形の置物を見つけて買いたくなったのだが、Made in Chinaと刻印されていたので止めた。
   しかし、考えてみれば、陶磁器は中国が本場であり良質である筈だから、買うべきであったと、後で後悔したしたことがある。

   グローバリゼーションの拡大の為、中国企業によって駆逐されてゆく外国企業のケースのほんの序の口を示しただけだが、日本に置き換えて考えた場合、本格的な自由化によって、中国から、ヒト、モノ、カネが自由に入って来れば、日本経済社会に与える影響は、非常に大きい。
   今、日本で、地方の疲弊や地域格差の問題が深刻な問題を提起しているが、要素価格平準化定理を持ち出すまでもなく、日本の経済、特に、中国企業と競争せざるを得ない産業においては、従業員の所得は、中国人並みに著しく低下せざるを得なくなる筈である。

   私の言いたいのは、この中国力の台頭によるグローバリゼーションの前には、野党が主張する最低賃金の引き上げなど、無意味であり、むしろ自縄自縛になると言うことである。
   格差の解消は勿論、経済の活性化のためには、日本経済社会の構造改革を推し進めて、イノベーションに邁進して生産性をアップすることが必須であり、更に、日本人労働者の教育訓練により、中国人労働者より質と生産力を上げる以外に方策はない。
   市場原理主義の経済が嫌であろうとなかろうと、現に、世界はこの法則で機能しており、経済のグローバリゼーションは、情け容赦なく惰眠を貪る日本を直撃する。この厳粛な事実を認識しない限り、日本経済の明日は暗い。

(追記) 椿は、岩根絞。
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新橋演舞場:五月大歌舞伎・・・吉右衛門と福助の「東海道四谷怪談」

2008年05月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   鶴屋南北の「東海道四谷怪談」だが、まだ、歌舞伎の舞台を観たことがなかったので、中村吉右衛門一座(?)が演じている新橋演舞場に出かけた。
   忠臣蔵外伝と言うことで、当初は、忠臣蔵と入れ子になって延々と演じられていたようだが、登場人物も、浅野(塩冶)と吉良(高)の家来が登場していて話は錯綜していて分かり難いものの結構面白い。
   忠臣蔵は冬に、四谷怪談は夏に演じられるのが恒例のようだが、歌舞伎座の團菊祭の向こうを張っての意欲的な舞台で迫力があって楽しませてもらった。

   塩冶の家来である民谷伊右衛門(吉右衛門)とその妻お岩(福助)が主人公の舞台で、通し狂言だが、お岩の妹お袖が主人公となる第4幕は省略されている。
   いずれにしろ、江戸時代には、忠臣蔵と入れ子状態で上演されていたと云うから、丸々二日がかりの舞台ではなかったかと思うと気の遠くなるような話である。
   登場人物が多くて話が何重にも錯綜しているので、当時は、話の筋よりも、奇想天外な舞台展開が客に受けたのであろう。
   シェイクスピアもメインだけではなく、必ず、サブの物語が入り組んでいるが、大体、2~3時間の舞台なので、かなりすっきりしているので、鶴屋南北など当時の戯作者の頭の回転と言うか話作りの器用さに驚かざるを得ない。

   ところで、この四谷怪談だが、モラルも正義感も責任感もかけらさえない伊右衛門と言う無頼漢を主人公にして、不幸な武士の娘でその妻お岩の悲劇が展開されるのだが、直接に、伊右衛門が、お岩に毒薬を飲ませて殺害するわけでもないので、お岩の怨霊のターゲットが、高家の家臣伊藤喜兵衛(由次郎)であり伊右衛門であるのが面白い。
   このような裏話でも、浅野と吉良の対決と仇討ちが脈打っているのである。
   隣に住む伊藤家が、赤貧洗うが如しの傘ハリ生活をしている伊右衛門たちに何くれと世話をしてくれるので感謝しているのだが、この伊藤家が、その孫娘が伊右衛門にゾッコン惚れ込んだので、娶らすために、妻のお岩の産後の肥立ちに効くと言って、飲むと面体が醜くなる毒薬をのませて、夫婦仲を壊そうとする。
   それを知らないお岩が、感謝感激して、伊藤家の方に向かって三拝九拝して飲んだ薬が効いて、顔が爛れ黒髪が抜け落ちて、惨憺たる形相に変わり果てる。
   その時、何も知らずに佐藤家に来ていて、そのからくりを聞いた伊右衛門は、高家仕官を交換条件に孫娘を娶ることを約束する。帰途、これを実行するために、按摩宅悦(歌六)にお岩との不倫駆け落ちを命令するが、お岩が口説かれて怒って争そう途中にそれて柱に刺した小刀に、自ら、化粧して伊藤家へ向かおうとした時誤って首を刺して絶命する。

   お岩は、実に健気で子供思いだが、如何せん、貧乏生活と乳飲み子を抱えての産後の疲労で瀕死の状態だが、伊右衛門と添うているのは、塩冶の家来としての父の仇討ちを成功させたい一念のみ。
   ところが、その父も殺され、夫の伊右衛門は、愛情も労わりもなく、生まれた子供さえ疎んじて、小遣い銭欲しさに、質草にお岩の着物を取り上げ子供のための蚊帳まではずして出て行く理不尽さ。武士の娘の誇りも捨てて、醜い醜態を曝しながらも伊藤家へ抗議に向かおうとする断末魔が哀れである。
   福助は、このお岩の心の動き、葛藤を実に丁寧に噛み締めながら演じていて、心憎いほど上手い。
   顔が爛れていながらも気付かずに健気に振舞う女のたしなみ、見せ場の「髪梳き」の場の鬼気迫る演技など秀逸で、女の命とも言うべき黒髪まで抜け落ち正気を失って彷徨う姿の哀れさ、初役で歌右衛門の芸を思い出しながら演じたというが、流石に成駒屋である。

   一方の伊右衛門だが、塩冶の御用金を横領し、追っかけまわして娶ったお岩の父親まで殺害し、お岩に毒を飲ませて醜くしたと聞いても怒りもせず、代わりに敵方への仕官を条件に結婚を約束するなど、忠義の志など露程もなく、無頼漢も極まれリと言う悪徳浪人武士。
   多少救われるのは、親に連れ戻されたお岩を取り戻そうと親に頼んだことと、伊藤に孫娘を貰ってくれと言われて自分には妻があると答えた位だが、禄を離れた浪人の悲惨さを描くにしても、何故、このような不埒な男を塩冶がわの人物として登場させたのか、いくら外伝と言っても、鶴屋南北の意図が理解出来ない。

   伊右衛門の人間像を描くのは非常に難しいと思うが、この役に関する限り、私には、吉右衛門のイメージがどうしても、伊右衛門には向かないような気がする。
   ある意味では、風格があり過ぎて、親分然とした雰囲気が、随所に見え隠れしていて、人の風上にも置けないような伊右衛門の品性下劣さが見えてこないのである。
   それに、伊右衛門自身、元々モラル意識に乏しい男としても、人間の弱さゆえに経緯上悪事がまとわりついてきたと言う劇展開なので、あくどさについても表現が中途半端となって、怪談としての凄さは、お岩一点に集中した感じで、吉右衛門の存在感が薄くなり、狂言回しに終わっていたような気がして、吉右衛門本来の芸の素晴らしさを堪能出来なかったのが心残りであった。

   お岩妹お袖の芝雀、その夫佐藤与茂七の染五郎、按摩宅悦の歌六、直助権兵衛の段四郎は、非常に適役で、夫々に興味深い舞台を見せて楽しませてくれた。

   ところで、東京江戸博物館に、この四谷怪談の舞台のからくりを見せるための模型があって、「提灯抜け」、「仏壇抜け」、「戸板返し」などの仕掛けが舞台裏も含めて良く見えて面白いのだが、知っていると興味が半減してしまうマイナスもある。

(追記) 写真は、新橋演舞場のホーム・ページから借用。
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竹中平蔵×幸田真音著『ニッポン経済の「ここ」が危ない!』

2008年05月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   3時間で早わかり、最新版・わかりやすい経済教室と銘打った竹中教授と幸田さんの経済四方山対談集「ニッポン経済の「ここ」が危ない!」を読んで見たが、結構、経済のカレント・トピックスに関するユニークな提言がなされていて面白かった。
   脚注に、専門用語などの解説が併記されていて文藝春秋も気を使っているのだが、それに、いくら易しく語られていても、かなりの経済学の知識がないと二人の考え方が十分に理解出来ないのは、他の経済学書と同じ事ではある。
   冒頭の第1章 構造改革、是か非か の論点を私なりに掻い摘むと次のようになる。

   ”これだけ政治や行政が問題だらけでも、日本人に危機感が欠如しているのは、日本が恵まれており、これだけの生活が維持できるからで、それが日本の強さ。
   基本的に日本経済の最大の特徴は、デュアル・エコノミー・二重経済で、トヨタ、パナソニックのような世界に冠たる企業と、まったく国際競争力のない企業とが並存して内部移転が行われていること。
   少子高齢化、厖大な財政赤字など、日本は課題先進国で、日本人が持っている上質な文化やライフスタイルを世界に示せば、日本のプレゼンスは増す。しかし、各国は厳しいグローバル競争に打ち勝つ為に政策面で努力しているので、政策後進国になる心配がある。

   地方の疲弊や格差の拡大の原因は、「改革の影」ではなく「グローバル化の影」である。農村が農業の厳しいグローバル競争に負けた結果であって、日本の農業が立ち行く為の構造改革の推進が必須で、そのための政府の政策マーケティングにミスがあった。
   戦略は細部に宿るので、「パッション」を持った新・政策新人類と呼ぶべき能力のある政治家の誕生が望まれる。
   多くの国民が願っているのは、自民党の抵抗勢力を切り、民主党の組合勢力を切った、両方から飛び出した人々による政界再編成で、岡田さんや前原さん、安倍さんを支えた塩崎さんや菅さんなどが顔になる内閣が出来ると良い。
   
   イギリス経済の復活は、サッチャーの労働市場の開放にあった。
   しかし、日本は、正規雇用者の特権階級的な利益を守ってきた裁判所の判例に問題があり、更に、労働組合が力を持っていて、これらに保護されてきた正規雇用者による搾取が、固定費を増大させ、労働問題の歪みのしわ寄せを非正規雇用者に押しつけている。
   オランダは、雇用者全員を正規雇用にして、企業年金や厚生年金など年金制度に入れた。
   ところが、日本では、今日の制度によって既得利権を享受してきた既得権益者の要である族議員と官僚が、政治力を持っていて、執拗に改革に反対していて、年金や労働問題の解決は至難のわざとなっている。”

   この見解は、殆ど竹中教授の考え方であるが、小泉内閣の大臣当時、叩かれていたわりには、至極真っ当な理論のように思えるのは、時代が変わった所為なのであろうが、長い間に制度疲労してしまった日本の経済社会の改革が如何に難しいかを物語っていて興味深い。
   戦後経済社会の成長と拡大発展の過程で築き上げられて来た政治経済社会システムが、低成長でグローバリズムが主体となった新しい時代に対応できなくなって、むしろ、阻害抵抗要因となってしまっているにも拘らず、それを、改革出来ない悲劇的なジレンマである。
   竹中教授の経済理論は、サプライサイドの市場経済原理に立つ自由競争優位を説く考え方であるから、当然、改革革新が旨となるので、いきおい経済社会批判が厳しさを増すが、疲弊し低迷を続けている現在の日本においては、ある意味では最も必要な経済社会システムへのアプローチである。

   巨大な国債を抱えて財政赤字に苦しむ国家が、これまでには結構存在したのだが、どの国も、何の手を打つことなくもなかったにも拘わらず、解消していると言う話は、経済成長によって、多くの経済社会問題の解決を図るべきだとする竹中教授の理論的根拠を与えているようで面白い。
   厖大な国債を返済し財政赤字を解消する為には、強大な財政黒字を長い年月続けなくてはならないが、そんなことは無理で、然るべき率での経済成長を実現して、プライマリーバランスをゼロに近づけるべく赤字を減らして行けば、自然と財政赤字は改善する、と言うことで、第一次世界大戦後に厖大な国債を抱えていたイギリスが、成功裏に処理している。

   これは、毎年給料が上がっていたので、高い金利で厖大な住宅資金の融資を受けて家を買ったにも拘わらず、持ち家を確保出来た団塊の世代の経験と良く似ているようで面白いが、問題は、成長エンジンが止まってしまって、少子高齢化が進んでいる八方塞の日本が如何に経済成長を実現出来るのかと言うことであろう。
   幸田さんの指摘も非常に面白いが、次の機会に譲りたい。

   
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国立劇場文楽公演:悲しくも美しい感動的な「狐と笛吹き」

2008年05月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今昔物語の中から題材を取って、北條秀司がラジオ・ドラマとして書き、その後、歌右衛門の為に歌舞伎に書き下ろした儚い悲恋を描いた「狐と笛吹き」の非常に美しい、詩情豊かな舞台が、半蔵門の国立劇場の文楽で演じられている。
   2年前の中村松江の襲名披露公演で、梅玉の春方と福助のともねで演じられた感動的な舞台を思い出す。
   相思相愛の狐と笛吹きの異界の恋ゆえに、契ると死んでしまうと言う悲しい動物譚なのだが、歌舞伎では、春方の願いを受け入れて契った狐のともねが、故郷への道・琵琶湖への森の中で狐に返って死んでいて、後を追って来た春方が亡骸を抱きしめて湖に身を沈めると言う話になっているのだが、
   文楽では、娘の身を案じる母を登場させて琵琶湖へ連れ帰ろうとするのだが、最期に母を振り切って、後を追って来た春方と共に死出の旅に発つと言う話に変えている。
   
   宝塚歌劇団で、「ベルサイユのばら」などを演出した同劇団の特別顧問の植田紳爾氏の新演出で、絵のように美しい舞台が繰り広げられている。
   上手に豊かな竹林、下手にやや開けた野の向こうに山並みが続き赤い柱の塔が遠望できる、そんな京都の鄙びた森の中にある笛吹きの瀟洒な住居が舞台なのだが、満開の桜の木の下から忽然とかさねが現れるところから舞台が展開する。
   春のおぼろ、夏の月、秋の落ち葉、それぞれの四季の美しい変化を、木々の移ろいや照明を変化させながら詩情豊かに移り行く舞台を背景に、二人の恋が深まって行く。
   春から秋まで、この舞台で劇が演じられているのだが、抜き差しならなくなってしまった二人の恋を案じた母が訪ねて来て、琵琶湖へ連れ帰る冬の巻の道行から一挙に舞台が転換し、雪深い山道になり、最期は、鈍く光る湖面を下に見下ろせる険しい雪の山道に変わる。
   雪の降り頻る中を手に手を取って高みに登って行く幕切れは、一幅の豪華な絵巻ものであり、歌舞伎よりも宝塚の舞台の方に近い感じの感動的な舞台である。
   
   
   宮廷の笛吹き春方(玉女)に助けられた琵琶湖の狐が、恩返しの為に、子狐に亡き妻まろやに生き写しの娘ともね(和生)に身を変えさせて、寂しく暮らしている春方を慰めさせると言う設定だが、春方の最愛の妻への思いがともね狐への恋に変わり、愛されるともねが春方の愛情に応えるのも必然である。
   しかし、ともねとしてではなく妻まろやの代理として愛されていることに耐えられなくなって、ともねは、まろやの遺品の琴を焼き捨ててしまう。
   これを知った春方は、益々、ともねを愛するのだが、所詮は男と女の愛。大嘗祭の笛師への推挙が絶望的となった春方は自暴自棄になってともねを求める。
   ともねも春方に応えたい一心である。最期には春方と結ばれるのだが、現実的な歌舞伎と余韻を残す文楽の結末の差が興味深い。

   ところで、この純愛の行方を兄と妹のように清くと言う表現で通しているが、プラトニック・ラブと言う設定ゆえに感動的なのかも知れない。
   尤も、プラトニック・ラブと言うのは、肉体関係のない男女の純愛だと言う印象が強いが、そうではなく、プラトンの「饗宴」に出てくるのだが、当時のギリシャでは普通であった大人の男が抱く少年への男同士の愛であって、意味が全く違う。
   プラトンの話は、多少高尚な意味合いがあるのだが、要するに、織田信長が森蘭丸を愛したような類の愛がプラトンの愛であって、春方とともねの愛は、もっと精神性の高い愛なのである。
   しかし、果たして、春方とともねのような愛が、現代人にはすんなりと理解出来るのかどうかかは別の話であろう。

   この物語は、床本の台詞が現代口語で書かれているので、非常にストレートで、どきりとするところがあり面白い。
   それに、音曲も語りも、古典の浄瑠璃とは随分違って全般的に印象やニュアンスがモダンになっていて、音楽性が豊かになっていている感じで、非常に楽しめる。
   文字久大夫や咲甫大夫、清介などの浄瑠璃と三味線の華やかで華麗な輝き、そして、呂勢大夫の語りと清治の三味線、清志郎の琴の何とも表現の出来ないような激しくも情感に満ちた繊細な美しさは筆舌に尽くし難い。
   その意味では、歌舞伎と同じで、このような新しい試みの文楽の舞台がどんどん増えて行くことを願いたいと思う。

   ところで、玉女の春方と和生のともねだが、人形の遣い方や仕草・表情などは、やはり、文楽本来の様式など約束事に従った形だが、随所に、新しい試みなどが取り入れられていて非常に新鮮な感じがして楽しませてもらった。
   玉男と簔助の舞台が、近松門左衛門の心中ものなどの素晴らしい男と女の世界を演出して一世を風靡して来たが、今回の玉女と和生の男女の世界は、正に、これからの文楽において決定版ともなるべき予感を色濃く滲ませた絶品、かつ、正に、感動的な舞台であった。
   
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S.L.シャーク著「中国 危うい超大国」・・・日中関係の本質(そのニ)

2008年05月09日 | 政治・経済・社会
   何故、中国人が日本を嫌うのか、原点は、1894年から1895年にかけて戦った日清戦争での敗北だと言う。
   中国は、何千年にもわたって、アジアの支配的大国として君臨し、文化的、経済的、軍事的な優位に拠って、周辺諸国から尊敬を集めていた。
   ところが、一足先に西洋に学んで近代化していた格下として見下してきた日本に負けると言う屈辱を舐めさせられたのである。
   敗北の屈辱に輪をかけたのは、下関講和条約において自国領であった台湾を奪われ、更に、朝鮮の宗主国の地位を失うきっかけとなったことである。
   今日の台湾問題の元凶は、この時の日本であって、中国人は、中国を分割し、台湾を植民地として取り上げた日本を断じて許せないのである。
   中国人は、「台湾分離阻止戦争」で、日本人侵略者を相手に血みどろの戦闘を戦いあらゆる手段を用いて祖国の領土の一体性を維持しようと強い意思と愛国心で戦った。2004年に改定された歴史教科書では、この日清戦争における清の敗戦と台湾の中国からの分離を以前よりもっと明確に関連付けたと言う。
 
   更に、第一次世界大戦で、イギリス側について参戦した日本は、中華民国政府に対して、山東省の鉄道敷設権と駐兵権など敗戦国ドイツが持っていた中国利権を引き継ぐと言う21ヶ条の要求を突きつけベルサイユ条約で認められた。
   中国全土で激しい反日デモが発生し、この時の五.四運動が、中国のナショナリズムの同義語として定着した。
   
   決定的に深い傷跡を残したのは、1930年代と40年代の大々的な中国への侵略と占領で、日本軍は中国東部と満州を占領し、中華人民共和国の推計で、1931年から45年までの抗日戦争で死亡した中国人は3500万人にのぼると言う。
   中国人であれば、ほぼ全家族が何らかの形で人的被害を被っていると言われ、アメリカ南部の人々が南北戦争と戦後の苦しみを子孫に語り伝えたように、中国人も、抗日戦争での苦しみや英雄的な戦いぶりを子供や孫に聞かせた。江沢民も叔父が日本軍に殺されている。

   以上は、中立的な筈のシャーク教授の日中関係に関する叙述の一部の纏めであるが、少なくとも、19世紀の末から1945年の終戦まで、中国の歴史において、日本の不幸な対中政策が如何に大きな影を落とし、中国の歴史を歪めて来たかが分かる。
   この厳粛な歴史的事実を日本人が、如何に肝に銘じて理解をしているかと言うことが大切で、この認識が不足している故に靖国問題が物議を醸しているのである。

   昨日の本ブログで触れた中国の反日プロパガンダが、その後、逆に、日本人の反中国感情を呼び起こして、中国でも、行き過ぎた反日デモの拡大を許せば、国内の安定が危うくなり、中国の国益にとって重要な日本との友好が損なわれるとの懸念が台頭し始めた。
   中国が敵対的な姿勢を取る所為で、日本は自衛隊の軍事力や活動範囲を拡大し、憲法第9条を改正する動きが加速されてきたことを意識し始めたのである。
   中国にとっても、シャーク教授が示唆しているが、「客観的に見れば、中国の長期の国益にとって最良なのは、日本との小競り合いをすることではなく、歴史問題を脇において、日本との良好な関係を築くこと」である筈なのである。

   今回の胡錦濤主席の早稲田大学の講演では、日本の円借款が中国の近代化に積極的な役割を果たしたとして謝意を表するなどこれまでには考えられなかったような日本との協調関係において極めて前向きの発言がなされたが、これは、これまで日本との関係を改善すべく努力して来た中国政府の外交部亜洲司の考え方が前面に押し出された結果ではないかと思っている。
   先に、中国の教育とマスコミなどの対日偏向情報知識が、中国人の対日感情を大きくスキューしていることに触れたが、胡主席の今回の早稲田大学講演が、全中国に生中継された意義は極めて大きなエポックメイキングな出来事であったと思っている。
   
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S.L.シャーク著「中国 危うい超大国」・・・日中問題の本質(その一)

2008年05月08日 | 政治・経済・社会
   胡錦濤主席の訪日で、日中間の雪解けムードが高まっている。
   素晴らしいことだと思っているが、日中間に横たわっている根本的な問題が果たして本当に解決へ向かって進むのかのかどうか知りたくて、最近出版されたスーザン・L・シャーク著「中国 危うい超大国 China - Fragile Supperpower」を読んでみた。
   これまで、比較的多くの中国関係の書物を読んできたが、日本人でも中国人でもないアメリカ人の、そして、中国のエキスパートとも言うべき中国政治を専門とするシャーク教授の、まず、比較的客観的な中国論が、最も参考になると思ったからである。
   流石に、シャーク教授で、特に、中国が、最大の外交問題の鬼門としているアメリカ、日本、台湾との関係に焦点を当てて、歴史的な視点のみならず、政治経済、それに、中国人の国民性や思想・思考の深淵まで掘り下げて、現代中国論を詳細に展開しており、450ページに及ぶ大著の内70ページ以上も、第6章「日本――中国が怒ると、結果はいつも大いなる災いだ」に割いて、日中関係を論じていて、非常に示唆に富んだ貴重なレポートで参考になった。
   (以下において、私なりにピックアップして論点を紹介することとしたい。)

   中国の一般大衆の関心を集める外交問題は、解決されるべき実務問題ではなく、譲ることの出来ない原則上の問題として理念先行型の扱いを受ける。
   すなわち、日本が犯した歴史的な数々に対して償うべきだと言う原則、台湾が受け入れるべき「一つの中国」と言う原則、それにアメリカの覇権主義に対抗すべきだと言う原則で、日本、台湾、アメリカに対して取るべき態度については、中国人の間には強烈なコンセンサスが出来上がっている。
   中国が舐めた屈辱の世紀が終焉を迎えるためには、日本が戦時中の非道徳な行為について心からの謝罪を述べ、台湾が中国本土に統一され、アメリカが中国を対等の超大国として遇するようにならなくてはならないと言うことで、対日関係や対米関係、台湾問題に対する徹底的な愛国主義教育で培われたナショナリズムが共産主義に取って代わり、このナショナリズムこそが、中国人の健全な自己主張なのである。

   ところで、この三つの外交問題の中でも、中国の指導者が、扱いが難しく、国益と権力維持の間でバランスを取るのに苦労している問題は対日関係で、日本問題に関する限り中国人は理性的には成れず、中国政府にとって世論が意味を持つのは、実は、日中関係だけである。
   中国共産党の支配を正当化しているのは、日中戦争における中国の勝利で、それまで50年間続いた日本の残酷で屈辱的な圧制を払いのけたと言うのが中華人民共和国の建国神話なのである。
   したがって、天安門事件以降も、国民の共産党への支持を維持するために、愛国主義プロパガンダを熱心に活用し、特に、かっての日本の侵略行為が共産党支配の歴史的根拠とされ、中国の指導者は、日本を上手く使って、強いリーダーシップを演出したり、扱いにくい国内問題から世間の注目をそらし、国民の支持を動員する為に徹底的に反日運動を利用した。

   中国の指導者は、一般中国人の反感を駆り立てる相手として、日本は、アメリカや台湾より安全だと考えていた。
   アメリカとの正面衝突は、中国としても是非とも避けたいし、台湾との軍事衝突も、そのままでは米中戦争に繋がるが、日本は、大国と言っても二流で経済面では中国に依存しており日本からの武力行使も有り得ないので、反日感情を煽って中国人の不満をガス抜きするのには、コストがゼロの良策だと言うのである。

   自信のない指導者ほどこの傾向が強く、反日ナショナリズムに徹底的に火をつけて愛国主義教育を行ったのは江沢民で、1995年の第二次世界大戦終戦の50周年記念行事で、中国の対日勝利を記念する公式行事の内17行事に、中国指導者を伴って出席する熱心さで、中国国内で反日感情が高まることを放置し、時には自らの言動で後押しさえしていたので、この時日中関係が最悪の事態に陥った。丁度、中国が世界の反対を押し切って原爆実験をした時である。
   (尤も、強力な指導者であった毛沢東や小平などは、日本を問題にしなかったし、小平などは、訪日して日本の驚異的な経済発展に刺激されて、益々、中国の発展の為の指針としたし、胡耀邦のように、日本との友好関係を維持するために積極的だった指導者も居た。)

   反日感情は反米感情に比べて、年齢、性別、所得には関係なく、どんな中国人も日本が嫌いで徹底しているのだが、意識調査の回答者で日本人に会ったことがないと答えたのが80%近くあり、知っている日本人は小泉純一郎、東条英機、山本五十六等というお粗末さで、日本人に対する意見は、新聞、テレビ、インターネットを通じて形成されたものだと言うのである。
   ところが、ウエブ上で意見を発表する時には、米中関係でも中台関係でも、愛国主義的な建前から逸脱した発言をすべきでないと言うのが建前だが、日本の場合には、必ず自分がどれほど日本を嫌っているかと言うことから始めないと、ウエブサイトの管理者に削除されてしまうと言う。
   それに、マスコミは、日本関連で事件やニュースが飛び込むと喜び勇んで反日キャンペーンを張って、聴衆が喜ぶような記事を徹底的に報道し続けると言うのである。
   日本の教科書の記述が問題となり、歴史認識が焦点となっているのだが、江沢民時代の徹底的な日本に対する偏向教育の影響や、いまだに、共産党政府が、マスコミは勿論、中国国民の教育や情報通信に関して、知識情報を検閲したり管理している中国において、正しく民意が反映されるのかどうかは大いに疑問である。

   ところで、今回の胡錦濤の訪日は、10年ぶりの中国元首の訪日だと言うことだが、前の江沢民の訪日とは、人物が異なっているのみならず、日中の国際社会における位置づけも全く変わっており、それ以上に、思想やグローバル化した経済社会や政治環境が激変しており、あらためて新しい視点から考える必要があるが、しかし、歴史的な意義は非常に大きい。
   我々日本人の意識の中には、中国の歴史と文化・文明に対して、一種の畏敬と尊敬の念が色濃く残っていて、少なくとも、今日の中国人が日本人に抱くような対中感情は殆どなく、和魂洋才と言うが、この和魂の中にも中国文化の影響が残っており、日中の歴史的文化的連帯は極めて強い。
   結局、日中関係の正常化は、日中国民の自由で自然な交流を重ねることによって、もっともっとお互いに理解し合って、時間による解決を待つ以外にないような気がしている。
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夏の装いをし始めたわが庭

2008年05月07日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   私の庭も、春の花が終わって、雰囲気ががらりと変わってしまった。
   まだ、崑崙黒や羽衣や天賜などの椿は残っているが、牡丹は花も散って、春の球根植物も殆ど葉だけになってしまった。
   今咲いているのは、山吹、コデマリ、それに、皐月や久留米ツツジやアザレヤなどのツツジ類で、薔薇や芍薬の蕾が膨らみ始めてきた。
   それに、クレマチスも急に蔓を伸ばし始めて小さな蕾が頭を出してきた。今年、黄色いクレマチスを植えたのだが、果たして咲くであろうか。
   下草では、紫蘭が赤紫の花を咲かせているが、薮蘭は、密集した新しい葉が出てきたので花の準備に入ったのであろう。

   ところで、この口絵写真のスズランのような小さな白い花は、ブルーベリーの花である。
   たわわに花を付けているが、大きなヒヨドリが来て食べているのでどれくらい残るのか分からないが、秋には結構豊かに実がなり鳥たちが嬉々として啄ばむ。
   何故か、大きなクマンバチが来て小さな花を彷徨っているが、こんなに小さな花でも蜜の材料に成るのであろうか。
   今年ラズベリーを2本、側に植えたのだが、これも、小鳥たちの餌になればと思っている。

   実の成る木と言えば、イチジクとビワの木に、小さな実が付き始めた。
   昨年剪定しすぎて咲かなかった柚子は、白い小さな花を付けているが、今年植えたプチマルと言う金柑は小さいので花が咲かないかも知れない。

   とにかく、小さな庭に沢山の花木を植えているので、四季の変化を楽しめるのは良いが、木が混んで庭がうるさくなり、観賞用の庭には程遠い。
   先日も、大きく成らない様に黒松の青葉摘みを試みたのだが、初夏の庭は、植物の生育が早いので、余程気を入れて手入れをしないと勝手気ままに荒れ放題に成ってしまう。
   ところで、朝顔は、昨年は、前年の種が生育して自然に花が咲いたのだが、今年は、新しい花の種を、ぼつぼつ蒔こうと思っている。

   今、庭を彩っている草花は、ミヤコワスレである。
   淡い青紫と赤紫の清楚な花だが、中々、風情があって詩情を誘う。
   この庭を造った時に植えた花が、毎年自然に咲き続けているのだが、紫色の可憐なすみれと共に、わが庭には貴重な自然に咲く花である。
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大気汚染の為に昆虫が花を探せなくなっている

2008年05月06日 | 地球温暖化・環境問題
   花の受粉の為には、蜂などの昆虫が花の匂いを嗅ぎ分けて花を訪れることが必要だが、大気汚染の為に、それが妨げられていると言うヴァージニア大学の研究の結果を、ワシントン・ポストが報じている。
   この研究は、広範な穀物に影響を与えている今日の受粉危機を解明する手がかりを示唆している。科学者達が、米国をはじめ他国においても、ミツバチや熊蜂が何故多く死んでいるのかを究明しているのだが、発電所や自動車の排気ガスが、昆虫死滅の引き金を引いているらしいと言う結論が見えてくると言うのである。

   科学者達は、既に、花から発散される匂い成分である炭化水素分子が、オゾンや汚染空気などに接触すると破壊されると言うことを発見している。
   また、以前には、花の匂いが4000フィートくらい伝播していたが、今日、特に、ロサンゼルスやヒューストンなどの公害の酷い地域では、650~1000フィートくらいしか遠くへとどかなくなっている。
   その上に、空気汚染の為に最大90%もの香りが殺がれてしまっていて、眼の悪い蜂などは花に辿り着けない。
   その結果、昆虫達は食に有りつけなくて死んでしまい、植物は受粉出来なくなって、結実しなくなってしまっていると言うのである。

   果物などの結実危機や昆虫の死などについて、実際に起こっていて問題となっていること自体知らなかったので、この記事を読んでショックであった。
   人間の環境破壊によるエコシステムの崩壊が、こんな形で、小動物たちの生命を脅かし、とどのつまりは、自分達の生活も、食糧危機と言う形で首を絞めることになっているのである。
   風が吹けば、桶屋が儲かる、と言う喩えが何処までも尾を引いて追いかけてくるのが、自然界の摂理、エコシステムの本質なのだが、
   北極海の氷がどんどん溶けて行って、海氷に辿り着けなくなり餌のアザラシを捕れなくなって、死滅に向かっているホッキョクグマを思い出して切なくなってきた。

   エコシステムは、偉大な創造主の世界であった筈だが、とうとう、思い上がった人間が、禁断の木の実に手を触れて壊し始めたが、摩訶不思議な神の創造であるエコシステムの謎を人間は知らないし、どのように作用しているのかさえも分からない。
   人間たちは、僅かな知識で得た厳粛な科学的な事実さえ信じることなく、寒苦鳥のように明日に備えることなく暢気に生きているのだが、何も言わずにせっせと蜜を求めて飛び回る昆虫や鳥の健気さに頭が下がる。
   今日は、何となく小鳥の鳴き声が澄んで聞えるような感じで聞いていたが、気の所為でもなさそうである。
   
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ガレとジャポニスム・・・サントリー美術館

2008年05月05日 | 展覧会・展示会
   アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家エミール・ガレの展覧会が、サントリー美術館で開かれているので先週休暇前に出かけた。
   ガレの展覧会は、日本でも何度も開かれ出かけており、ヨーロッパ在住中にも美術館やあっちこっちで随分見ているので、目新しくはないのだが、今回は、ジャポニスムとの関係をテーマにした展覧会なので興味を持って出かけた。

   ガレが日本に来たと言うことは聞かないので、ガレの日本体験は、ヨーロッパ芸術界を風靡した一連のジャポニスムの影響やパリの万国博など日本芸術との接触が主なのであろうが、この展覧会を見る限り葛飾北斎の「北斎漫画」などからイメージを得た動植物の図案や、当時、ナンシー水利専門学校に留学していた高島北海との交流等から得た影響が強いように思えた。
   北斎漫画の図案を殆どそのまま転用して、イメージを膨らませて独自のガラス作品を作り上げているのなどは非常に面白いが、更に、日本的な発想とイメージを活用しながらヨーロッパ的な美意識を加味したデザインに展開するなど興味深い作品も多くて楽しませてもらった。
   日本人のように、四季の変化や自然の営みが非常に繊細で微妙な環境に生きている民族にとっては、野の蝶や昆虫、或いは、野の花などに興味を持ってその姿を描く心境は良く分かるのだが、フランス人のガレが、それにインスピレーションを得て蛙や鯉、バッタなどをガラスの器に芸術として封じ込めているのには、その技術以上に感心せざるを得ない。

   ところで、今回のメインテーマは、ジャポニスムの中でも、蜻蛉をモチーフにした多くの色々なガレの作品で、会場最期のコーナーにセットされた「脚付杯蜻蛉」(この口絵写真・美術館のホームページから借用)が、その芸術の頂点を示している。
   白っぽく濁ったガラス地に一匹の蜻蛉がやや斜め下に向かって翅を広げて飛んでいる姿で、焦げ茶色を基調とした図柄に緑色の一対の眼が淡い光に浮かび上がって輝いているのが印象的である。
   黒い尻尾のカーブはデザイン的なデフォルメだが、4枚の翅の描き方は非常に写実的で、網状に浮き上がっている翅の骨など生身の蜻蛉を見ている感じである。
   ガレの作品は、自然光でもビックリするほど美しい作品が沢山あるが、このようにクロっぽい素材で複雑な細工を施された作品は、照明によって意図的に視覚を楽しませてくれるような工夫やセッティングが大切である。
   
   ところで、蜻蛉だが、カゲロウと言うと何となく名前の由来である陽炎のイメージで詩的で儚い印象が強いが、空中で静止してホバーリングしている時などは風に吹かれてたゆたう感じがするが、いくらか細い蜻蛉でも飛ぶ時は、非常に俊敏で目も止まらぬ早業である。
   私など、トンボと言う雰囲気で捉えているが、確かにやごから成虫になって飛び始めると交尾すればすぐに死んでしまうものもあるようだが、水中などでは命が長く、昔トンボなど7年も生きていると言うから犬並みの命である。

   ところで、クリスチャン・ディオールやカルティエ、ティファニーなどの古い宝飾品の展示会などに出かけると、デザインやイメージが、古代のエジプトやメソポタミア、或いは、古代インドやペルシャあたりの作品から取られて非常にユニークな作品が生み出されているのに気付くことが結構多い。
   やはり、芸術の世界でも、絶対と言って良いほど、正真正銘のオリジナリティの作品はなく、どこか、過去の作品や経験から得たイメージなりアイディアの集積であったり発展であるようで面白い。
   ガレを見ながら、そんなことを思っていた。
   
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M.グラッドウェル著「第1感」・・・最初の2秒の直感が正しい

2008年05月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   役人や政治家になれそうなヘアスタイルを変えて髪を伸ばしてアフロヘアになったら、急にスピード違反で捕まったりレイプ犯と間違えられたり警官に追いかかられるようになった。
   警官が犯人だと思い込んだ理由は、肌の色でも身長や体重でも年齢でもなく、ただ、アフロヘアだけだと分かって、何故、第一印象がこれほど強烈なのか興味を持ち、この本「第1感 blink The Power of Thinking Without Thinking」を書いたと言うのが、著者マルコム・グラッドウェルの弁であるが、とにかく、面白いし参考になる。

   blinkと言うタイトルが示すように、一瞬のきらめき、ちらつきと言うか、まばたきするする瞬間が、人間の思考や行動を決定すると言う重要な事実を、「輪切り」と言う概念で捉えて、人生の悲喜劇を巻き起こす「第1感」について、色々な方面から実例を引きながら科学的な色付けを交えて論じている。
   「輪切り」とは、様々な状況や行動のパターンを、ごく断片的な観察から読み取って瞬間的かつ無意識のうちに認識する能力で、この輪切りの能力は、素晴らしき無意識の世界の一部に過ぎないのだが、瞬間的な認知であるので、厄介な問題も引き起こす。
   
   私は、昔から、「一目ぼれ」と言うか、直覚の愛について興味を持っており、かなり正確な愛情認識だと思っているのだが、これについては触れていない。
   ところで、欧米では比較的普通だったが、最近、日本のオーケストラにも、女性音楽家が多数登場するようになり、以前のようにヴァイオリン・パートと言った次元ではなく、金管木管は勿論のこと、打楽器まで女性奏者が進出するようになったので興味を感じていたが、、最期のエピローグで、その理由を面白い逸話で語っており面白かった。

   1980年、ミュンヘン・フィルのトロンボーンのオーディションで、オーケストラ関係者の息子が参加していたので、公平を期すために仕切り越しに行われた。
   音楽監督のセルジュ・チェルビダッケは、感激して「欲しいのはこの演奏者だ!」と言って順番を待っていた残りを全部返したが、出て来た女性奏者アビー・コナントを見て落胆し「勘弁してくれ。トロンボーン・ソロは、男性に吹いてもらいたいんだ」と言った。
   コナントは、仕方なく裁判所に訴えたが、女性奏者に対する偏見と先入観を覆して、実際に採用され男性奏者と同じ給料を支払われたのは、14年後だったと言う。

   そのほか、ウィーン・フィルのオーディションで、素晴らしい演奏者が日本人だったので審査員が唖然とした話や、メトロポリタン歌劇場やワシントン・ナショナル交響楽団の仕切りなしオーディションによる変化など面白いケースを披露している。
   仕切りが一般的になってきたこの30年間で、アメリカでの一流オーケストラの女性楽団員の数は5倍に増えたと言う。
   人の演奏を判断する時の、純粋で強烈な第一印象と思っていたものが無残に崩れたことに、クラシック音楽の世界は気付いたのである。
   その結果、大改革をすることなく、女性奏者を加えただけで一挙にオーケストラの水準が上がったと言うのだが、先入観と偏見に引き摺られて、第1感を軽視した付けは大きかったということかも知れない。

   カラヤンが、女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーをベルリン・フィルの楽団員にしようとして楽団と争ったのも、ウィーン・フィルが女性奏者を楽団員に採用し始めたのも、実は、そんなに昔の話でもなかったことを思い出した。
   小澤征爾をキックアウトしたことのあるNHK交響楽団には、他の楽団と比べて女性奏者が少ないのは、やはり、第1感に抵抗を示すDNAが強い所為であるためであろうか。
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鎌倉散策・・・鶴岡八幡宮の牡丹苑、国宝展

2008年05月01日 | 生活随想・趣味
   鶴岡八幡宮のぼたん庭園が美しいと言うので、参道を真っ直ぐに朱の鮮やかな鳥居とその奥の本宮を目指して歩いた。
   皐月やツツジが鮮やかだが、周りから覆いかぶさる桜並木は新緑でむんむんしているが、桜の季節には、素晴らしい花のトンネルが続いていたのであろう。
   大鳥居を、盛りが過ぎて哀れになった八重桜が伸びる池畔を右折れすると、すぐに、ぼたん庭園の表門が見える。

   鎌倉時代の八幡宮だが、この庭園は、創建800年を記念して昭和55年に開園した全く新しい庭園で、神池・源氏池に面した回遊式日本庭園だが、広々としたオープンな雰囲気が中々素晴らしい。
   第一印象は、どうしても、こじんまりして狭い空間に設えられた上野の東照宮のぼたん苑と比較するので、そんな感じがするのだが、関西の石光寺や長谷寺のような全くオープンなぼたん園とは違って、あくまで、伝統的な日本庭園の中のぼたん庭園なので、その分、庭園として鑑賞出来る楽しみがある。
   景石や御簾垣、杉苔などがぼたんと調和して素晴らしいが、バックを少しづつ盛上げて起伏をつけた景観が奥行きを演出していて、鬱蒼とした背後の森と良く調和している。
   木々を渡りながら啼き続けるウグイスの声が爽やかで気持ちが良い。
   約100品種、1000株のぼたんが植えられていると言うのであるから、花のバリエーションも豊かで楽しめるが、黄色やクロの勝ったぼたんは少ない。

   冬のぼたんの藁囲いは風情があって良いのだが、春ぼたんの白い傘はどうしても目障りで邪魔になるので、少し屈み加減で腰を低くして下から見上げるようにする方が良い。
   ぼたんは、やはり中国の花で、獅子とぼたんは中国の極彩色の装飾に良く調和していると思うのだが、日本に渡来してから既に1000年以上経っていて、もう、日本の花に生り切ってしまっている感じである。
   ところが、小輪で一重のワビスケ椿や東洋蘭のようなワビサビに通じる日本趣味から行くとどうしてもハレの花と言う感じで、普通の日本人の生活には中々馴染まないような気がする。
   私の庭にも、ぼたんが何株かあって、今、4株が豪華に花を咲かせているが、どこか余所行きである。

   庭園内に、中国の蘇州から庭師が来て太湖石を使って作庭した中国式の「湖石の庭」がある。(口絵写真は、その一角)
   太湖石は、複雑な形をした石灰岩で出来た太湖の湖底から掘り出させた奇岩で、中国の名園に行くと必ず見られる名石だが、最近では天然記念物で国外持ち出し禁止となっているようだが、この太湖石を鏤めた石組みの庭園にぼたんが植えられていて花を咲かせている。
   私が見た北京や上海や蘇州での太湖石の庭園には、花があしらわれていなかったので、何となく新鮮な感じがしたが、美しいと言う感じではなかった。
   これが、中国式のぼたん庭園だとすると、日本でのぼたん鑑賞法は大分日本的に変わって来ているのだなあと思った。

   ぼたん園が、池に面してオープンになったところに赤い毛氈を敷いた床机が置かれていて、広い池を隔てた対岸のたわわに花房をつけた美しい藤棚が見晴かせて気持ちが良い。
   その背後の山の緑が、さ緑、黄緑、濃緑と新緑の装いで、実に爽やかで光り輝いていて、ウグイスの鳴き声を楽しみながら小休止していた。

   この庭園にある唯一の出店である柚子柿を売っているオバサンと暫く話をしていた。
   今年は入園者が少なくて商売が上がったりである。ここは入園料の500円が高くて、建長寺はもっと大きなぼたん園で300円なので勝負にならないと言う。
   確かに、八幡宮の本宮の方は、観光客や遠足の子供たちで一杯だが、ぼたん庭園の客は殆ど居ない。
   それに、入園して来ても殆どの人は、花など関心がなく素通りして行くだけだと言う。
   私のように、ぼたんを見たくて来る客は目的を持って来るのだが、ついでに見に来たと言う客は、ハイチーズで記念写真を撮ればそれで済むのかも知れない。
   人が見る見ないに拘わらず、静かに咲いて、自然の創造主に生きる喜びを感謝している素晴らしいぼたんの花を見ていると、感動さえ覚える。勿体ないような気がするのは気のせいかも知れない。

   その後、八幡宮の境内にある鎌倉国宝館に行き、「鎌倉の至宝展」を鑑賞した。
   鎌倉にある国宝や重要文化財などが展示されており、何故か仏像には特別なものがなかったが、国宝の建長寺の蘭渓道隆の肖像や墨蹟、頼朝が後白河法皇から下賜された「籬菊螺鈿蒔絵硯箱」など興味深い作品を見ることが出来た。
   ここも、何故か、入館者はちらほらで非常に少ない。
   美術鑑賞には、絶対に人込みを避けるべきで、東京での特別展など大変な人出となる。
   入館者の少なくなる閉館間際に出かけたり、世界の名画名品などの特別展は、これまで殆ど現地の美術館などで鑑賞済みなので行かないことにするなど自衛策を取っているが、地方の博物館や美術館は、そんな心配がなくじっくりと鑑賞出来るのが良い。
   

   
   

   
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