熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

團菊祭五月大歌舞伎・・・白波五人男

2008年05月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   午後の部は、通し狂言「青砥稿花紅彩画 白波五人男」であったが、白波五人男に、これだけ役者が揃うと、舞台に重みが出てきて面白い。
   菊五郎は、決定版とも言うべき最も秀でた弁天小僧役者と言うべきであろうし、團十郎の盗賊の親分然とした豪快な日本駄右衛門、悪餓鬼でコミカルな左團次の南郷力丸、白井権八風の美少年盗賊の時蔵の赤星十三郎、どこかニヒルで知的な忠信狐風の三津五郎の忠信利平、など、夫々に持ち味を上手く出していて、本来、それほど意味のある世界ではない白波ものを、魅せる舞台にしている。

   夫々違った紫の地色の染めの衣装で一本差し、駒下駄を履いて「志ら浪」と大書した番傘を差す白波五人男が並んで登場し、まず花道の華やかな出で、そして、追っ手に追われて稲瀬川の土手で、五人が勢揃いするのだが、
   この視覚と台詞を最高に盛上げた演出は、流石に歌舞伎ならではの世界で、七五調の軽快なリズムの名乗りは、聞いているだけでも楽しい。
   尤も、考えるまでもなく、盗賊が、自分の故事来歴を語って大見得を切るのなどは、物語としても、全く他愛のないナンセンスなのだが、このナンセンスを芸にまで高めているところにこの舞台の味がある。

   雪の下浜松屋の場で、番頭たちに知らないと言われて、弁天小僧が、「知らざあ言ってきかせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種はつきねえ七里ガ浜。・・・」と、全身に彫り込んだ桜の刺青をひけらかして格好をつけて啖呵を切るのなどは、正にナンセンスの極みだが、江戸の観客達は、これを見て粋で格好よいと喝采を浴びせた。アウトローの世界にも、男の意気地として光り輝いている人間としての美しさがあることを感じているからである。
   そして、その舞台を昇華することによって、芸を磨き上げて、感動的なシーンを現出し、観客の目に焼くつくような決定的な舞台を作り上げてきたのである。この「知らざあ言って聞かせやしょう。」と言う啖呵を聞きたくて、観客は劇場へ足を運ぶ。ベートーヴェンの「運命」を聴くのと同じ気持ちで。

   この極悪人とも言うべき白波たちも、浜松屋の蔵前の場で、取り違えた子供の消息が分かり、浜松屋の跡取り息子宗之助(海老蔵)が、日本駄右衛門の実子であり、弁天小僧が浜松屋の主人幸兵衛(東蔵)の実子であることが分かり、夫々の白波が、浜松屋の父子に面目ないと謝る所などは、アウトローであることを認める正気の部分が綯交ぜに出ているところだが、真人間に返ってくれと言われて、それを蹴って男伊達に返るところが面白い。
   こんなに上手く話が展開する訳がないのだが、うまく辻褄を合わせて話をまとめて、西洋の舞台の場合には、アウトローはアウトローで終わるのが普通のところを、日本の場合には、庶民のヒーローや憧れに似た人物に成り代わらせてしまう、ここの所が日本人の独特の美意識なのであろうか。

   この歌舞伎で、一番丁寧に描かれていて興味深い人物は、弁天小僧で、瑞々しい若殿か、美しいお姫様か、と思ったら、一気に変身して、元のヤクザな盗賊弁天小僧にはや代わりして客を笑いにまく。他の役どころが殆ど単純で一本調子なので、この鮮やかな早変化の妙が傑出していて素晴らしい。
   勘三郎の弁天小僧を観ていないので何とも言えないが、老いても益々錦絵のように美しくて、そして、どすの利いた声音で迫力満点の菊五郎の弁天小僧は、正に魅せる役者で、他の名優達と比べても、その上手さは群を抜いている。
   
   白波の他の4人の素晴らしさは当然だが、千寿姫姫の梅枝、幸兵衛の東蔵、鳶頭清次の梅玉は適役で、一寸、イメージが違った感じはするが、宋之助の海老蔵など、夫々によい味を出していた。
   青砥左衛門藤綱の富十郎は、最後のシメとしての一寸出だが、風格と迫力と言い流石であった。これも、一寸出だが、柵の田之助の存在感も、久しぶりに楽しめた。
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