熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

S.L.シャーク著「中国 危うい超大国」・・・日中関係の本質(そのニ)

2008年05月09日 | 政治・経済・社会
   何故、中国人が日本を嫌うのか、原点は、1894年から1895年にかけて戦った日清戦争での敗北だと言う。
   中国は、何千年にもわたって、アジアの支配的大国として君臨し、文化的、経済的、軍事的な優位に拠って、周辺諸国から尊敬を集めていた。
   ところが、一足先に西洋に学んで近代化していた格下として見下してきた日本に負けると言う屈辱を舐めさせられたのである。
   敗北の屈辱に輪をかけたのは、下関講和条約において自国領であった台湾を奪われ、更に、朝鮮の宗主国の地位を失うきっかけとなったことである。
   今日の台湾問題の元凶は、この時の日本であって、中国人は、中国を分割し、台湾を植民地として取り上げた日本を断じて許せないのである。
   中国人は、「台湾分離阻止戦争」で、日本人侵略者を相手に血みどろの戦闘を戦いあらゆる手段を用いて祖国の領土の一体性を維持しようと強い意思と愛国心で戦った。2004年に改定された歴史教科書では、この日清戦争における清の敗戦と台湾の中国からの分離を以前よりもっと明確に関連付けたと言う。
 
   更に、第一次世界大戦で、イギリス側について参戦した日本は、中華民国政府に対して、山東省の鉄道敷設権と駐兵権など敗戦国ドイツが持っていた中国利権を引き継ぐと言う21ヶ条の要求を突きつけベルサイユ条約で認められた。
   中国全土で激しい反日デモが発生し、この時の五.四運動が、中国のナショナリズムの同義語として定着した。
   
   決定的に深い傷跡を残したのは、1930年代と40年代の大々的な中国への侵略と占領で、日本軍は中国東部と満州を占領し、中華人民共和国の推計で、1931年から45年までの抗日戦争で死亡した中国人は3500万人にのぼると言う。
   中国人であれば、ほぼ全家族が何らかの形で人的被害を被っていると言われ、アメリカ南部の人々が南北戦争と戦後の苦しみを子孫に語り伝えたように、中国人も、抗日戦争での苦しみや英雄的な戦いぶりを子供や孫に聞かせた。江沢民も叔父が日本軍に殺されている。

   以上は、中立的な筈のシャーク教授の日中関係に関する叙述の一部の纏めであるが、少なくとも、19世紀の末から1945年の終戦まで、中国の歴史において、日本の不幸な対中政策が如何に大きな影を落とし、中国の歴史を歪めて来たかが分かる。
   この厳粛な歴史的事実を日本人が、如何に肝に銘じて理解をしているかと言うことが大切で、この認識が不足している故に靖国問題が物議を醸しているのである。

   昨日の本ブログで触れた中国の反日プロパガンダが、その後、逆に、日本人の反中国感情を呼び起こして、中国でも、行き過ぎた反日デモの拡大を許せば、国内の安定が危うくなり、中国の国益にとって重要な日本との友好が損なわれるとの懸念が台頭し始めた。
   中国が敵対的な姿勢を取る所為で、日本は自衛隊の軍事力や活動範囲を拡大し、憲法第9条を改正する動きが加速されてきたことを意識し始めたのである。
   中国にとっても、シャーク教授が示唆しているが、「客観的に見れば、中国の長期の国益にとって最良なのは、日本との小競り合いをすることではなく、歴史問題を脇において、日本との良好な関係を築くこと」である筈なのである。

   今回の胡錦濤主席の早稲田大学の講演では、日本の円借款が中国の近代化に積極的な役割を果たしたとして謝意を表するなどこれまでには考えられなかったような日本との協調関係において極めて前向きの発言がなされたが、これは、これまで日本との関係を改善すべく努力して来た中国政府の外交部亜洲司の考え方が前面に押し出された結果ではないかと思っている。
   先に、中国の教育とマスコミなどの対日偏向情報知識が、中国人の対日感情を大きくスキューしていることに触れたが、胡主席の今回の早稲田大学講演が、全中国に生中継された意義は極めて大きなエポックメイキングな出来事であったと思っている。
   
コメント
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