三菱UFJR&Cの中谷巌理事長が、堺市の日本経済活性化シンポジウムで、「日本経済の大局観~地域と環境の視点から~」と言う演題で公演を行った。
西欧の大量消費型ではない、日本本来の良さを生かして、心から楽しめる自然と共存共栄した豊かな地域社会を作ろうと言うことだが、日本のユニーク性については、ハンチントンの文明の衝突を引き合いに出しながら、独自の理論を展開した。
この論点については、このブログの昨年8月23日に詳細に論述しているので省略するが、冒頭、最近識者の間で蔓延している日本悲観論について、間違いであると指摘したことに関連して、考えてみたい。
日本の一人当たりのGDPが世界で第18位に下がってしまったと言う発表について、これは、1ドルの交換レートが160円で計算されたところに問題がある。
20年前と比べて購買力平価では、1ドル70円くらいであり、仮に、これで計算すると世界第3位で、現在の交換レート103円で計算すると、7~8位となる。
したがって、18位は交換レートの所為でこうなったので、日本が一挙に没落したのではない。
それに、上位は、アイルランドやルクセンブルグなどの小国で、主要国では依然トップクラスである、と言う。
この点については、特にユーロやポンドの異常高を反映していて交換レートの関係で、正しく評価されていない旨、先にこのブログでも論じているし、中谷理事長の主張は正しいと思うが、いくら計算根拠を説明して力んでみても、バブル崩壊後、15年以上もの間の長いデフレ不況に呻吟し、殆ど経済成長から見放されて来たことを考えれば、日本経済が、異常に活力を失って疲弊してしまっていることは、紛れも無い事実である。
悲観する必要も、卑下する必要もないとは思うが、日本が普通の国に近付いてしまったことは事実なので、今となっては、経済社会や政治体制などの制度疲労を認めて、新生日本を目指して敢然と立ち上がる以外に道はない。
この視点から噛み付いたのが、大田大臣の「日本経済は、もはや一流ではなくなった」と言う発言で、大臣が口が裂けても言うべき言葉ではないと言う。
ここで、中谷理事長は、欧米などの階級社会と、エリート教育をしてこなかった日本の平民平等社会との違いについて論じ、エリート社会の欧米では、エリートである筈の日本の大臣が言うのだから正しいと信じるので、日本の経済は見込みがないと思って株を売ったので暴落したのだと苦言を呈する。
欧米のトップ・クラスの高等教育は、完全に将来社会をリードするエリートを育成する為の教育を目的にしており、ノブレスオブリージェなどの倫理観や使命感を含めて社会を背負って立つ能力と素質を磨く使命を背負っている。
しかし、日本の場合には、戦前ならいざ知らず、今日では、東大と言っても、エリート教育などされていないであろうし、まず、教授も学生もエリートだという認識が希薄であろうし、また、そんな意識をおくびにも出せば、国民の顰蹙を買う。
エリートを育てていない、そんな意識もない、それに、欧米のエリートと比べて勉強もロクスッポしていない日本のビジネスマンやトップが、欧米のエリートと対しているのだから、低く見られるのも当然だと、中谷教授は言う。
小林陽太郎氏の言う日本の企業トップには、リベラル・アーツの教養が不足していると言う理論の、それ以前の問題なのである。
ところで、中国だが、この国は、科挙の伝統のある階級社会を反映しており、ティエリー・ウォルトンの「中国の仮面資本主義」を見ると、中国のニュー・リーダーは、フランスの超エリート校エコール・ポリテクニークに匹敵する北京の清華大学で、徹底的に専門的なエリート教育を受けて、共産党員として非の打ちどころのない指導者となるのだと言う。
胡錦濤主席しかり、温家宝首相しかりである。
私自身は、日本の教育システムを、やや、エリート教育重視の方向に持って行くべきだとは思うが、みんな平等と言う日本の美意識は日本独自の歴史的民族的文化的な背景を背負っており、軽々に、結論を出すべきだとは思わない。
中谷教授が、日本のユニーク性として示した
①一国一文明で12000年継続
②縄文時代10000年、自然との共生
③柔軟な宗教観(多神教的でキリスト教が入らない風土)
④権威と権力の分離、中空構造
⑤日本人の「当事者意識」の強さ
これらの特質総てが、一神教で自然をねじ伏せて生きて来た欧米流の階級社会・エリート構造を排除する要因ともなっているような気がするし、集団指導制で、コンセンサスを重視する社会には、中々溶け込みにくい考え方でもある。
ただし、グローバル化して地球が一つになってしまった現代、世界の大勢に伍して堂々と渡り合える国際級トップクラスのリーダーが求められている今日、今のような、お粗末な状態では悲しい限りなので、わが日本に、志の高い卓越したリーダーを育てることは緊急必須の重要事項であることは間違いない。
マッカーサーが、日本人のアイデンティティを抹殺するために、歴史と地理と道徳教育を禁止したというが、いまだに日本の教育は、この残滓を引き摺っている。
私は、アメリカでMBA教育も受けたし、随分世界を歩いて来たが、日本の、そして、日本人の素晴らしさを十分認識しており、日本人であることを誇りに思っているし、その思いを前面に出して外国人と付き合ってきた。幸せであった。
西欧の大量消費型ではない、日本本来の良さを生かして、心から楽しめる自然と共存共栄した豊かな地域社会を作ろうと言うことだが、日本のユニーク性については、ハンチントンの文明の衝突を引き合いに出しながら、独自の理論を展開した。
この論点については、このブログの昨年8月23日に詳細に論述しているので省略するが、冒頭、最近識者の間で蔓延している日本悲観論について、間違いであると指摘したことに関連して、考えてみたい。
日本の一人当たりのGDPが世界で第18位に下がってしまったと言う発表について、これは、1ドルの交換レートが160円で計算されたところに問題がある。
20年前と比べて購買力平価では、1ドル70円くらいであり、仮に、これで計算すると世界第3位で、現在の交換レート103円で計算すると、7~8位となる。
したがって、18位は交換レートの所為でこうなったので、日本が一挙に没落したのではない。
それに、上位は、アイルランドやルクセンブルグなどの小国で、主要国では依然トップクラスである、と言う。
この点については、特にユーロやポンドの異常高を反映していて交換レートの関係で、正しく評価されていない旨、先にこのブログでも論じているし、中谷理事長の主張は正しいと思うが、いくら計算根拠を説明して力んでみても、バブル崩壊後、15年以上もの間の長いデフレ不況に呻吟し、殆ど経済成長から見放されて来たことを考えれば、日本経済が、異常に活力を失って疲弊してしまっていることは、紛れも無い事実である。
悲観する必要も、卑下する必要もないとは思うが、日本が普通の国に近付いてしまったことは事実なので、今となっては、経済社会や政治体制などの制度疲労を認めて、新生日本を目指して敢然と立ち上がる以外に道はない。
この視点から噛み付いたのが、大田大臣の「日本経済は、もはや一流ではなくなった」と言う発言で、大臣が口が裂けても言うべき言葉ではないと言う。
ここで、中谷理事長は、欧米などの階級社会と、エリート教育をしてこなかった日本の平民平等社会との違いについて論じ、エリート社会の欧米では、エリートである筈の日本の大臣が言うのだから正しいと信じるので、日本の経済は見込みがないと思って株を売ったので暴落したのだと苦言を呈する。
欧米のトップ・クラスの高等教育は、完全に将来社会をリードするエリートを育成する為の教育を目的にしており、ノブレスオブリージェなどの倫理観や使命感を含めて社会を背負って立つ能力と素質を磨く使命を背負っている。
しかし、日本の場合には、戦前ならいざ知らず、今日では、東大と言っても、エリート教育などされていないであろうし、まず、教授も学生もエリートだという認識が希薄であろうし、また、そんな意識をおくびにも出せば、国民の顰蹙を買う。
エリートを育てていない、そんな意識もない、それに、欧米のエリートと比べて勉強もロクスッポしていない日本のビジネスマンやトップが、欧米のエリートと対しているのだから、低く見られるのも当然だと、中谷教授は言う。
小林陽太郎氏の言う日本の企業トップには、リベラル・アーツの教養が不足していると言う理論の、それ以前の問題なのである。
ところで、中国だが、この国は、科挙の伝統のある階級社会を反映しており、ティエリー・ウォルトンの「中国の仮面資本主義」を見ると、中国のニュー・リーダーは、フランスの超エリート校エコール・ポリテクニークに匹敵する北京の清華大学で、徹底的に専門的なエリート教育を受けて、共産党員として非の打ちどころのない指導者となるのだと言う。
胡錦濤主席しかり、温家宝首相しかりである。
私自身は、日本の教育システムを、やや、エリート教育重視の方向に持って行くべきだとは思うが、みんな平等と言う日本の美意識は日本独自の歴史的民族的文化的な背景を背負っており、軽々に、結論を出すべきだとは思わない。
中谷教授が、日本のユニーク性として示した
①一国一文明で12000年継続
②縄文時代10000年、自然との共生
③柔軟な宗教観(多神教的でキリスト教が入らない風土)
④権威と権力の分離、中空構造
⑤日本人の「当事者意識」の強さ
これらの特質総てが、一神教で自然をねじ伏せて生きて来た欧米流の階級社会・エリート構造を排除する要因ともなっているような気がするし、集団指導制で、コンセンサスを重視する社会には、中々溶け込みにくい考え方でもある。
ただし、グローバル化して地球が一つになってしまった現代、世界の大勢に伍して堂々と渡り合える国際級トップクラスのリーダーが求められている今日、今のような、お粗末な状態では悲しい限りなので、わが日本に、志の高い卓越したリーダーを育てることは緊急必須の重要事項であることは間違いない。
マッカーサーが、日本人のアイデンティティを抹殺するために、歴史と地理と道徳教育を禁止したというが、いまだに日本の教育は、この残滓を引き摺っている。
私は、アメリカでMBA教育も受けたし、随分世界を歩いて来たが、日本の、そして、日本人の素晴らしさを十分認識しており、日本人であることを誇りに思っているし、その思いを前面に出して外国人と付き合ってきた。幸せであった。