気の向くまま日記

広島の気功整体師の日常から~
日常の生活のなかで感じたこと
日々の写真、食べ歩きなど気の向くまま綴っています。

今に生きる!あるいは事件が起こるわけ

2023年10月17日 | ヒーリング講座

絶好の晴天!

 
女人禁制の門をくぐっていざ行かん!

あれっ!?
前の記事で見たよなフレーズ・・・

そう、「北海道旅行記その5」で書いた神威岬編の冒頭です。



岬の左右はシャコタンブルー♪

そして、振り返れば・・・

じつはこの時、大変な事件が起きていたのです。

「北海道旅行記その5」に書いたのは表のストーリーで、
同時に裏のストーリー展開が始まっていたのでした。

ふと腰に手をやった時、、、

携帯がないっ!
 
一瞬、シャコタンブルーどころでなく真っ青になりました。

以前の記事にも書きましたが私はガラケーを使っていまして、仕事の電話メールはほとんどガラケーでやり、スマホはプライベートな小型モバイルパソコンとして使っています。そして携帯はいつもベルトに通すかたちのホルダーに入れているのですが、、ないのです。



こんな窮地に陥った時、人間の頭脳は凄いスピードでいろんなことを考えるものですね。

過去を時系列でスキャンします。
ここに来る前に車から降りたのは、1時間半前の「ふきだし公園」
その前は車の中でメール対応をしたので、なくしたのはふきだし公園以降。
ふきだし公園を出る前にトイレに入って(大)をした。
その時にズボンをおろしたので、そこで落としたに違いない・・・
それにしても遠い旅先で携帯落とすなんて最悪・・・
 
さて、どうするか?

1.すぐ取りに引き返す。
2.往復3時間かかるのでここに戻るのは無理
3.この絶景を見た後、公園管理事務所に連絡を取るか?
4.落とした携帯はあきらめて、小樽まで行ったらドコモはあるだろうから手続して新しいものを買うか?
5.この絶景を見た後、ふきだし公園に戻り、積丹半島をショートカットして小樽に向かえば1時間半のロスですむかも?

などなど、文字で書けば時間がかかったようですが、ほんの一瞬で頭の中をグルグルとするのです。



せっかくの絶好の天気のシャコタンブルーがこんな景色になるところでした。

次の瞬間、ハッと我に返りました。

「今、この瞬間には、なんの問題もない」

目の前にはシャコタンブルーが戻りました。



いろいろ悩んで考えていることは、すべて頭の中だけにあること。

悩み、考えはいったん棚上げして、今目の前にあることに集中し、楽しもう!



風に吹かれてしゃこたんブルーを十分に楽しみ堪能して駐車場が近づいてきたとき強く念じました。

「どこで落としたのせよ、車の中に戻ってこい!」

途中で話せば奥さんが気になって楽しめなくなると思いだまっていましたが、車に近づきながら奥さんにはじめて打ち明けました。
「もしかしたら携帯落としたかもしれん」
「ええっ!?」

そしてドアを開けると・・・
シートの上に携帯は座ってましたとさ(笑)
 
これでストーリーはメデタシメデタシというところなんですが、
話の内容は、
最高の楽しみの中に、最悪の落とし穴は待っていて、それを大事件にするかどうかは自分の心構えであり生き方そのものだということを練習問題として試されたのだと思っています。
 
事件は現場ではなく、頭の中で起きていたのです。

今この瞬間だけに生きれば何の問題もない

頭の中にある過去への後悔、未来への不安、これにより思考がグルグル回って不安を拡大再生産して目の前の「今」が見えなくなる。

今回、私が旅行中最も期待していた場所で、最高の条件の景色の中で、
「この問題が解けますか~?」
と天からのお試し、練習問題が来たのでしょう。
 
結果的には
「なぁ~んだ、車の中に落としてただけじゃん」
ということですが、私はこう思ってるんですよ。

本当はふきだし公園のトイレに落とした、

私が不安に混乱して「今」を楽しめず途中で帰ってきたら1時間半かけて戻らなければならなかった。 
 
私が「今を楽しむ」に集中し神威岬観光をやりとげ試験に合格したプレゼントとして
100kmの距離を超え瞬間移動テレポーテーションして携帯は車のシートの上に戻ってきたとさハハハハハ
 
 

MOMOYOさんの動画より

2021年08月20日 | ヒーリング講座

私のところに来られる方で少し意識の高い、あるいは目覚めの方向に向いている方に、いつもいつも繰り返しお話ししていることがあります。

目の前に起こっている現実は自分が創っているものであること。

客観的現実というものは存在せず、起こっていることを見て判断している自分がいるだけ。

起こっていることに「いい」も「悪い」もなくただ起こっている。

たくさん意識やスピリチュアルについて勉強してこられた方は「そんなこと知ってます」、と言うかもしれません。しかし「知識」として知っていてもその人の現実が変わらない、あるいは同じことの繰り返しばかりしているとしたら、その知識はノートにメモして頭の中の本棚にしまいこんであるにすぎないのです。

目の前に起こっている「現実」と見える(じつは幻想)は、スピリットである自分の位置から、ただ起こっていることをジャッジなく観察する状態になるための練習問題ともいえます。

「知識」はデータをダウンロードしただけの状態で、それを自分のものとしてインストールして使えるようにするためには繰り返し、繰り返し、判断ジャッジしている自分を見破る練習、訓練が必要です。

MOMOYOさんの最新の動画で私が言いたいようなことをタイムリーに、非常にわかりやすく伝えてくださっていたので紹介します。

ネガティブな私に起きているコト

 


なぜ苦しいの?

2021年07月16日 | ヒーリング講座

目の前ではコロナだ、ワ〇チンだ、オリンピックだ、それに日々の仕事だ、人付き合いだ、生活だ、なんだかんだ雑多なことが起きています。生きているということはそれらに対応していくということですが、その対応は「自我」というAIのようなものが、ほとんどオートマチックに無意識的にやってくれるので、うまく対応するだけで日々が過ぎ去っているのであれば、魂の成長はまったくありません。

人間の意識、というものは自我を超えたところにあるので、その意識の地点から自我がやっていることを観察し、自我のパターンを見破り、対応している事柄ではなくその時に自分の内側で何が起こっているのか、何を感じているのかを見つめる必要があります。

もし、苦しい感情があるとしたら、目の前の人や出来事によって苦しめられている、としか普通は思えないのですが、意識の位置からその苦しんでいる自分を俯瞰して見ると、自分が自分を苦しめている、としか言いようがないことが見えてきます。

「なんで苦しいの?」って言ったって、自分で自分の首を絞めているから当然苦しいのです。

「どうやったら楽になれるの?」と人に聞くよりも先に、自分の首を絞めている自分の手を離せばいいだけなんです。

自分で絞めている、ということがわかれば簡単なのですが、見えるものは自分以外の外側なので、どうしても他者に、あるいは目の前の出来事に苦しめられているとしか思えない。

それで外側の人や状況を何とかしようとする・・・

そして、どうにもならないどころか、状況はドンドン悪い方向へ進んでいく・・・

自我の位置から見るとそうなのですが、これを意識を超える位置から見ると
「悪い」ということもないことがわかります。

苦しい極限までいかないと「気づき」は起こらないので、苦しむことも悪いことではないからです。
苦しいことが起こるのは、そのことによって自分の内側に気づき、気づくことによって自分自身の呪縛から解放されるための練習問題、天からのプレゼントであるともいえます。

この練習問題をやり続けることで本当の成長につながっていくのだと思います。






桜の葉が色づいてきました

2020年11月04日 | ヒーリング講座

今朝は今シーズン一番の冷え込み、我が家のベランダにある温度計は4℃でした。
先日桜の開花の記事を書いたばかりなのに、こんどは紅葉ですがこれが本当の季節感ですね(笑)

まず、お知らせですが今週末の土日のお休みが諸般の事情により逆になります。
11/7(土)が普通休みのところ営業日となり
11/8(日)がお休みとなりますので、週末予約をお考えの方はご注意ください。


今日11/4はアメリカ大統領選挙開票日ですね。日本のマスコミはこぞって悪意のトランプ報道をやっていますから、日本国民の大多数はそれに洗脳されていると思います。
 
私はトランプさんが正義の味方だとか、救世主、ヒーローなどとはちっとも思いませんが、彼がこれまでの闇の勢力(ディープステート、カバール)に対してやってきた仕事に関しては日本ではまったく報道されていません。
 
しかし今はインターネットの時代。ネットを調べれば膨大な情報があります。その中から真偽を取捨選択するのが大変ではありますが・・・
 
私が感じるに、トランプさんは見た通り傲慢で無礼で人間的には好きではありませんが、巨悪に対抗するには相当な悪(ワル)でないとできないのだと思います。
 
毒をもって毒を制した後の世界・・・
これに期待したいと思います。
 
悪を正義の味方が倒しただけでは、またその正義の味方が支配者となり、それが闇に堕ちていくのが今までの二極化した世界の定め。それでは何も変わりません。
 
一説には30年まえに飛行機事故で死亡したとされているジョンFケネディ元大統領の息子は実際には生きていて、別人に成りすましてトランプさんと一緒に仕事をしていてトランプ後に姿を現すという話もあります。
 
そうだったらいいな、という期待感はありますが、JFKジュニアに限らず、ヒーローを待ち望む、ということはどういうことなのか?ということを今一度ゆっくりと考えてみる必要があります。
 
自分以外のものに期待するということは、「自分にはチカラがない」ということを無意識のうちに自分の潜在意識の奥深くに染み込ましていくことであると思います。
 
今回、世界が変わる、地球が変わる、次元が変わる・・・ということは
自分自身の意識が変わることであると思います。
自分自身の中にこそ、本当のチカラがあることを認識する必要があります。
 
悪対正義、闇対光の戦いはどこまでいっても終わりはありません。
その二極性を超え、どちらも受け入れ、闇であって光であり、闇でもなく光でもない
二極を統合した意識。
一枚の紙でたとえると、表と裏はどちらもないと一枚の紙として存在できない。
二極を超え、全体になること。
 
その意識になった人たちが創る世界は何が起こっていようとも、それでいいのだ!という世界。
旧来の「悪」が存在しようとも、なんの関わり合いにもならない、そういう世界に移行するのだと思います。





花はどこへ行った?

2017年05月18日 | ヒーリング講座

今日はたわいのない妄想話

若い人は知らないかな?この名曲

ピーター・ポール&マリー(PPM)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)

ついさっきまで目の前にあったものが行方不明になる、なんて経験ありませんか?
花はどこへいった・・・ならぬ、ハサミはどこへ行った?の巻

先日、私に起こったことは・・・

施術に使う大きめのフェイスペーパーを二つに切ろうと、治療ベッドの上にペーパーとハサミを用意して
さあ、切ろう!としたその時に、空気の入れ替えで開け放していた玄関の風鈴が、風で激しく鳴りました。

先に玄関を閉めておこうと、立ち上がり、玄関を閉めて戻ってくると、
あれっ!?ハサミが無い!?

歩いて往復、25歩

時間にして20秒(再現して計測しました)

ハサミを手に持って玄関まで移動したんだろうか?と移動経路で手に持ったものを置きそうな場所をくまなく捜索するも

無い・・・

よ~く思い返してみました。

ハサミを手にしてペーパーを切ろうとしたところまでは覚えている
その直後、風で開け放した玄関の風鈴が鳴った
玄関に向かうとき、ハサミをどうしたのかはまったく記憶にない
自分の意識は玄関を閉めることだけに向かっていた
玄関を閉める目的を完了し、元の場所に戻ると、ハサミが見当たらなかった

目の前の現実は自分の意識(あるいは記憶)の投影であるから、物質、物体というものは自分の意識から外れた時に存在しなくなるものなのか?

現代物理学でも、その人が意識した時にその物体、現象は現れ、意識しないときはすべての物体、現象はカオス状態であるといいます。

ホ・オポノポノでは目の前の現象は、すべてその人の潜在意識にある記憶の繰り返しの再生である、といいます。
自分が見ているものは、自分だけの世界であり、自分に100%責任があるととらえます。

ハサミに対し自分の意識が向かなくなった瞬間に、それは存在するともしないともわからないカオスの状態になり、自分の世界から消えてしまったのだろうか?

しばらくの捜索と思考の時間の後、もうあきらめてほかのことをした後に、違うハサミで切ろうと現場に戻ると

なんとっ!!

探すのをやめたとき♪見つかることもよくある話で♪(by井上揚水)

ペーパーの下からハサミは出てきたのでした。。。

状況から考えて、風が吹いたのでペーパーが飛ばないように上にハサミを置くことはあっても、わざわざペーパーの下にハサミを入れてその場を立つということは考えられないのですが・・・

普通に言えば、単なる思い違いということに過ぎないのですが、じつはハサミはいったん非物質化して別空間に瞬間移動してまたテレポーテションして戻ってきたのではないかと、どうも納得のいかない私なのです。

すると今朝起きた時、奥さんが「無い、無い」と騒いでいます・・・

昨夜使ったばかりの焼き海苔を入れたタッパーが無い!

そう、私も昨日夕食でそのタッパーから焼き海苔を出して食べて記憶があります。
一緒になって、台所のすみずみを探したが無い、もしかしてバッグの中?ごみ箱の中?冷蔵庫から洗濯機から風呂場、トイレの中も、考えられるところ、考えられないようなところまで探したが、無い。

焼き海苔を入れたタッパーごとこれまた消滅?

最近、潜在意識のクリーニンング、記憶の消去に励んでいるため、いろんな物体まで消去してしまうのか?

焼き海苔タッパーは今だ見つからず、
海苔=糊(のり)

記憶と物質(現実)を接着して貼り付けている糊(のり)が消滅して、現実が記憶に縛られなくなる、という象徴的出来事なのか?

妄想はつづく・・・


フォーカスしない・・・

2016年05月12日 | ヒーリング講座

最近私の中に繰り返し出てくる言葉があります。

「フォーカスしない」

フォーカスとは「焦点を合わせる」という意味で写真ではピントを合わせるとも言います。

一枚の小さな葉っぱに焦点を合わせて撮るとこんな感じです。

もう少し引いて撮るとこんな感じで植物のだいたいの感じがわかります。

もっと引くと全景が現れて、その後ろ、周りの植物もあるのがわかります。

パンフォーカスといって(厳密にではないですが)、一点ではなく全体にピントがほぼ合っている状態です。

私たちの日常生活の中で、何か一つの事柄に焦点を当てた時、人間の癖として、その事柄をズームレンズで最大倍率にしてそこだけを見てしまいます。

その事柄はよく見えるようで、じつは周りが見えません。

”そこ”を何とかしようとしても小さな範囲の中で堂々巡りをくりかえし、どこにも出られず、状況は前にもまして悪くなります。

フォーカスしない、ということは焦点をボカす、ということではなく特定の一点にピントを合わせず全体を見て全体を受け取るということだと思います。

 


スプーン曲げ

2015年11月02日 | ヒーリング講座

ヒーリング講座は最近あまり記事にしないのですが、希望者がおられたらマンツーマンあるいは少人数でやっています。先日は30代男性の方が受講されました。その中で私の体験談として、15年くらい前に突然スプーン曲げができるようになった事をお話ししたのですが、受講した翌日に彼から「できました!」と写メがきました。

すごいですね!
スプーンだけでなくフォークまでも!(笑)

勘違いしないでもらいたいのですが、私の講座ではスプーン曲げができるように教えている訳ではないんですよ。ただ、人間はこんなこともできる可能性がある、ということを体験談としてお話ししているだけですが、彼は本当に素直に受け入れてやってみてくれたようです。

「素直さ」が一番ですね!
ところで、私はもうスプーン曲げをすることはありません。
理由は・・・私のところに来てくださった方にはお伝えしています。

 


未来(過去)の自分に出会った!?

2014年07月15日 | ヒーリング講座

ヒーリング講座は最近あまり記事にしませんが、希望の方がおられるときにポツリポツリとやっています。受講される方の中には不思議な体験をされている方が多いのですが、最近来られた方で、とびきりハッキリとした不思議体験談を紹介します。

B子さん(仮名)40歳が、16歳と19歳の時に起こった出来事です。

当時高校生のB子さんは友人と二人で自転車に乗って下校中でした。友人とおしゃべりをしながらゆっくりと走っていたのですが、道の進行方向からジッと自分を見つめている視線を感じました。

その見つめている人を見た瞬間、
「あっ!自分だ!・・・」
と直感で分かったのですが、とっさに思考がはたらき、
「そんなバカなことはない、思い過ごし・・・」
と自分に言い聞かせ、その人から逃げるように道を左折し、後ろも見ないで大急ぎで自転車をこぎ、その場から立ち去ったのでした。

でもその光景はB子さんの脳裏にしっかりと焼き付き離れることはありませんでした。
「あれは、たしかに自分だった・・・それも少しお姉さんになった自分・・・」
ということは何年か先に、同じ光景を見るのかもしれない・・・

それから3年の月日がたち、女子大生になっていたB子さんが同じ道を歩いていた時に”それ”は起こりました。

歩いている進行方向の先から自転車の女子高生二人連れがやってきます。
そのひとりは”自分”

ジッと見つめました。
まぎれもない、あの時の”自分”

高校生の自分は、大学生の自分の視線を避けるように道を曲がり去っていきました。

***************

以上、B 子さんの体験談ですが、これは時間と空間の性質を表しているんですね。
時間とは過去から未来に一直線に流れているものではない・・・
今、現在にアクセスしたとき、そこは無時間の永遠の空間となる・・・

 


光と影その2「好事、魔、多し」

2013年09月18日 | ヒーリング講座

台風が去ったあとは朝晩が急に涼しくというか、朝は20℃を切るようになって、少し前とは10℃も差があるので寒いくらいです。

9月2日の記事お月様の光と影を読んでの反響が何人かの方からありました。私のブログは食べ歩き記事を楽しみに見てくださる方も多いのですが、たまにはヒーリング講座のカテゴリーでそちら系統のことも書いていこうと思います。

前回の記事に書いた「どちらかの立場から反対側を受け入れるのではなく、両方の立場を超えたどちらでもない位置から、両方同時に受け取ることで、”全体”という視点、ワンネスの位置」というのは日本語の意味としてはわかっても、これをほんとうに理解する、ということはじつに難しいのです。

人間は頭の思考で考えて記憶するのですが、それは脳の中に知識が増えるだけで、それだけでは、その人は変わらないのです。たくさんのスピリチュアル系の本を読んでも変われません。ほんとうに理解した、ということはイコール変容を意味します。つまり、変容が伴っていなければ、理解した、とは言えないということです。

「いいお話でした。ありがとうございました」
というのは、まったくその人は変わってないということです。
まずは知識として記憶することはいいのですが、自分のこととして受け止めた場合、それに伴う体験が起きます。
そして自分自身の体験によって

「あっそうか!!」

と気づき、腹に落ちる・・・
という状態になって初めて、その人の中で変容が起こり、知識がその人のものになって使うことができるようになります。

「光と影のどちらが、いい、でも、わるい、でもない」という日本語は誰でも理解できますが、実際に自分の生活の現実になった場合、目の前に「影」がやってくるとどうしますか?

たいていの人が即座に否定すると思います(笑)
ご存知と思いますが、ことわざに「好事、魔、多し」というのがあります。
良い事には、じゃまが入りやすい、という意味ですが、たとえば仕事などで非常にうまくいっている状況、特にとんでもなく良い状態であればあるほど突然、それをひっくりかえしかねないほどのトラブルが発生する、ということです。

これは時系列的にみると、良いことがあってその後、悪いことが起きた、というように見えますが、本当の位置から見ると、じつは「同時」なんですよ。
本当の位置から言えば、良い、も、悪い、もないのですが、説明の便宜上良い悪いを使いますけど、すごく良い、を作ると同時に同じだけ、すごく悪い、が発生しているのです。

「好事」と「魔」とは同時に一枚の紙の「表」と「裏」のように存在している、ということです。
ですから、「魔」を否定して「好事」ばかりやろうとしてもそうはいかない、ということです。
両方、受け入れるしかないのです。

「好事」が体験したいから「魔」がやってきたのですよ。

「魔」がいらない、と拒絶すれば「好事」も無い、のです。

このことを本当に理解できれば、どちらも「あっそうなんですか~」ということです。

「魔」をなんとかしようとしている、あなた。
なんとかしようともがけばもがくほど深みにはまります。

物事の状況が動くのはタイミングがあります。
まずは今の状況を嫌わないで「ジッと見る」どうこうしようとしないで受け入れる。
そしてタイミングを「待つ」ということだと思います。

 


2013年9月2日お月様の光と影

2013年09月02日 | ヒーリング講座

雨が続いて朝晩が急に涼しくなりました。昼間はまだ蒸し暑いものの、猛暑は終わり季節は移っていくようですね。

 2013年も9月になりました。最近私の頭の中にチラチラするのは『統合』という言葉です。

お月様もまんまる満月の時だけではないですね。半月、三日月と刻々と形を変えます。月という天体が形を変えてるのではないことは、みんな知っていると思いますが(笑)地球が太陽の光をさえぎって、影になった部分が動いているわけで、本体が変わるのではなく、光と影で形が変化しているのです。

先日来られた方が言いました。
「自分の闇(影)の部分がイヤでそれを消し去って、光に包まれたい・・・」

三日月は光と影があるから、ああいう形ができるんですね。お月様が影を嫌ったら、三日月はありえないんです。光と影はお互いに相手を否定して反対、対立しているのではなく、お互いにそれがなければ存在できない、お互いを補い合うものとして、セットで存在しているわけです。

闇を嫌って、光の方向に行こうとすると、自分がもがいて進んだだけ、じつは闇も大きくなるのです。

光を”良い”ものとして、自分が良い人になればなるだけ、”悪い”人を目の前に見ることになります。

そして”良い”ということは自分の中で”あたりまえ”なこととして無自覚に存在しているので、自分がそれを”良い”としていることさえ気づけないのです・・・

光(良い)の立場から、闇(悪い)こと(人)を受け入れる、ということは絶対に無理です。
なぜなら、すでにジャッジして反対側を嫌っているのですから

統合とは、どちらかの立場から反対側を受け入れるのではなく、両方の立場を超えたどちらでもない位置から、両方同時に受け取ることで、”全体”という視点、ワンネスの位置ともいえます。