腕から指先のしびれということで通って来られている男性、病院の見立てでは頸椎で神経圧迫が起きているのだろう、ということで手術を受けられた後に当院に来られました。
「しびれ」、というのは「痛み」よりも改善がむつかしいというのが、私の経験的なところです。
手術後も結果は全く変化がなく、私のところに来られたのですが、
施術の度に、何かしら軽くなり、良くなった手ごたえというものが、私の感覚としてはあるのですが、かんじんの主訴である「指先のしびれ」は10回以上の施術をしたにもかかわらず、本人の感覚では変化がない。
変化がないのにもかかわらず、何度も通ってきてくれたのは本人の、「可能性があることはなんでもやってなにがなんでも直してみせる」という強い意志と、彼が私との会話の中で今までの人生哲学と違うものを吸収することに興味を持たれたからのようです。
高校時代まで野球部で体育会的スパルタ教育の中で育ち、営業マンになってからも、一世を風靡した「地獄の特訓」などにも参加してトップの成績を取り、常にトップセールスを続け、驚いたことに一時期ウツになり、抗うつ剤を飲みながらもトップの成績を続けたという・・・・
そんな彼の人生の哲学は「死ぬ気でやればなんでもできる。できないのは、やる気がないだけ!」
その考え方、人生哲学が間違っているわけではないと思います。人生の特に若い時期に「本気ででやる!」というのは必要なことだと思います。ただ、人生は同じことの連続ではなく、転換点というものがやってくる・・・
彼は「やる!」という能動的、男性的行動のエネルギーは十分使い、その学びはもういい、という地点にたどり着いたのでしょう。今度はその対極の学びの時期に入ったのです。
「自分がどうがんばっても、どうにもならない」
次の学びは、
「受け入れる」「おまかせする」「運命に身をゆだねる」といった受動的、女性的エネルギーの学びです。
「いったん、あきらめ切る」
あきらめるというと、否定的消極的な感じがするかもしれませんが、言葉を換えれば
「どうであれ、積極的に、自分に起きた運命を、無条件で受け入れる」ということです。
そのことが、頭の理解、知識としての理解ではなく
自分の人生体験のなかで「あっ!!ほんとにそうだぁ~~!!」と腹に落ちたとき
病気として起こっている症状は意味をなさなくなり、「卒業」ということになるのでしょう。
私としても彼を通じて同じ学びをさせていただいているのだと思います。