日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

エイベックスとJASRAC・・・「音楽配信」が与える影響

2015-10-17 21:37:33 | ビジネス

昨日、エイベックスが日本著作権協会から脱退した、というニュースがあった。
朝日新聞:エイベックスがJASRAC一部離脱 10万曲移行へ

JASRACという、一般的に聞きなれない?と思われる団体だが、音楽業界ではガリバー的音楽の著作を取り扱う団体。
身近なところでは、カラオケなどを利用した時に1曲あたりに対して「著作料」を支払っている、支払い先がこのJASRACだ。
もちろん、利用する側が直接支払っているわけではないので、あまり意識をしたことはないはずだが、JASRACの大きな収入源となっている
CDなどを購入した時、CDジャケットの一番下あたりに小さく「JASRAC」の文字を、見つけるコトができるはずだ。
この文字がある、ということはJASRACがレコード会社や作詞・作曲・演奏家やアーティストに、適正な著作料を支払う管理をしている、ということを指している。もちろん管理をするだけではなく、管理料としての手数料ももらっている、ということになる。
そしてこの音楽の著作権管理という点においては、ほぼ独占状態であったのがJASRACだ。

そのJASRACからエイベックスが一部離脱する背景には、何があるのだろう?と考えてみると、一つはJASRAC側の手数料?が高額である、ということだと思う。
エイベックスと契約をしている人気アーティストが多いコトを考えれば、人気アーティストが多ければ多いほど、JASRCACに支払われる額が大きくなる。
だがそれよりも、むしろ「ネットなどでの音楽配信」の影響があるのでは?という、気がしている。

ご存じのとおり、音楽や動画のネット配信サービスを行う企業が、ここ1,2年で増えてきている。
動画配信のyoutubeやニコニコ動画だけではなく、AmazonやAppleもこのサービスへの参入を決めている。
今や「音楽を聞いたり・動画を見たりする」方法は、以前のようなCDやテレビ、DVDではなく「ネット配信→ダウンロード」になってきている。
とすれば、エイベックスのようなアーティストのマネージメントだけではなく、音楽管理をしている企業にとっては、自社で音楽や動画を配信し、管理したほうが様々な面でメリットがある。
そう考えれば、音楽業界でもそれなりの力を付けてきたエイベックス側が、JASRAC側に支払うお金が惜しいと思うのも当然かもしれない。

もう一つ、考える必要があるのがいわゆる「Youtber」と呼ばれる、アマチュアとプロの中間のような人たちの存在だ。
音楽配信の分野でも、メジャーではないがネット上で固定のファンがいる、というアマチュアとプロの中間のような人たちがいる。
彼らがオリジナルの楽曲を発表した場合、その著作権などの保護をかんがえると今のJASRACでは、対応しきれない。
そのような人たちの著作権などを保護する、という意味でもエイベックスは事業として取り込むコトを考えているのでは?という気がしている。

「ネット配信」そのものは、今や当たり前のサービスとなってきている。
だが、そこに関わる様々な問題と権利、権利に伴う利益管理などは、整備されているとは言い切れない。
だからこそ、エイベックスはJASRACに先手を打つ形で、一部離脱をしたのではないだろうか?



 


「ドローン」を使う発想が違う

2015-10-15 19:34:52 | ビジネス

ブログでマーケティングについての情報発信をしていらっしゃる、大西宏さんの「マーケティングエッセンス」の今日、ドローンについて書いていらっしゃった。

大西宏のマーケティングエッセンス: 「ドローンで農薬散布とか大阪にリニアって時代逆光じゃないの」

ドローンだけを取り上げていらっしゃるわけではないが、「ドローンの使い方」となるとビジネス使用としては農薬散布か空中撮影という程度で終わっているのが、日本の現状かもしれない。
一方、米国のAmazonなどはドローンを使って、商品の配達に使うということを言っている。
個人的には、住宅地に無数のドローンが飛び交う光景は見たくはないのだが、場所が変わればとても有効な方法かもしれない。
というのも先日、FM番組を聞いていたら「海外でのドローンの活用」という話を聞いたからだ。

例えば、Amazonのように「物を運ぶためにドローンを使う」と考えたとき、お届け先が離島や災害などで「陸の孤島」と化した場所であれば、とても有効な配達手段となる。
特に緊急性の高い医薬品などは、船や陸送で届けるよりもずっと早く目的地に届けるコトができる。
空中撮影にしても、日本のような「趣味の延長」のような使い方ではなく、山深い地域での送電線や鉄塔の定期検査など、人を派遣する前にドローンで空撮をし、危険個所を把握してから人を派遣する、という方法などが、海外でのドローンの使い方としての主流となっている、という話だった。

もちろん「薬剤散布」という使い方も、十分あるとは思う。
ただ、大西さんが指摘されている通り、「薬剤散布」というのは今でも無人ヘリコプターなどで行っている。
何もドローンで、やる必要はない。
むしろドローンの特化すべき点を、十分活用する必要がある、というのが、海外で言われているという。
その「特化すべき点」というのは、ドローンの飛行高度だという。

航空機と違い、ドローンは雲の上を飛ぶことはできない。
だからと言って、「薬剤散布」をする無人ヘリコプターよりも、高い高度で飛ぶことができる。
震災などの状況を把握する際、飛行機での航空撮影よりも低い高度で撮影することができるので、状況を把握しやすい、というメリットがある。
もちろんGPSなどを搭載すれば、遠隔操作も可能となるので二次災害などの危険がある地域での状況把握などは、特化できるメリットだろう。
何より、航空機を飛ばすよりも短時間で現地に行くことができる。
しばらく前に、ドローン2台を使って2本のファイバーを撚り上げる、という動画をyoutubeで見たコトがある。
どうやらコンピューター制御で動かしているようなのだが、もしこのようなコンピュータープログラムとGPSを組み合わせれば、危険性の高い山間部での送電線修理(というのだろうか?)も、人に頼ることなく作業ができるようになるかもしれない。

マーケティングでは「商品特化」ということを指摘するコトがあるが、まさに「ドローン」という道具は、利用目的を考える前に、その特性・特化できる点を洗い出して、利用するコトを考えることが市場を広げていくコトになるような気がする。



住宅に対する考えが変わってきたのか?

2015-10-14 22:42:49 | ライフスタイル

横浜の高層マンションに施工不良が見つかった、というニュースが新聞各紙で取り上げられてる。
産経新聞(Yahoo!トピックス):施工不良大型マンション 虚偽データ使い工事か 横浜市が建築法違反で調査

このマンションを建設したのが、三井不動産系の建築会社だったということもあり、問題になったマンションだけにとどまらないのでは?という、気がしている。
実際我が家の近くでも、三井不動産系のマンションが建築中だ。
このような問題が発覚する前は、相当好調な販売ができていたと思うのだが、今週末からは厳しくなるかもしれない。

このような報道が出ると、決まって今現在住んでいらっしゃる方の「声」というものが、報道される。
欠陥マンションだとは知らずに、30年ローンを組んで購入された方にとっては、それこそ「住む場所を失う」だけではなく「失っても残るローン」に苦しめられる、という不安と心配が起きるのは当然のコトだろう。
そのような「住民の声」というのはよくわかるのだが、そのような「声」だけではないことに、やや驚いている。

毎日新聞(Yahoo!トピックス):<施工不良マンション>「知っていたら買わなかった」住民怒り

見出しだけを見ると、分譲で購入した住民の怒りということがよくわかるのだが、記事を読み進めていると「住む」という目的以外に、マンションを購入したのだな~ということに気が付く。
それが「資産価値」という言葉や「風評被害」という言葉から、感じ取るコトができる。

確かに「住宅購入」というのは、「住宅」という「資産」を購入するコトなのだが、「自分の終の棲家」という感覚が強かった昔であれば「住むところが無くなる」という不安を口にするコトはあっても、「資産価値」という言葉はあまり出るコトはなかったと思う。
もちろん「相続」という場面では出るとは思うが、「相続」ということを考えるのはそれなりの年齢になってからだろう。

ということは、マンションなどは「不動産」でありながら、「流動的資産」という意識に社会が変わりつつあるのでは?という気がしたのだ。
その考えを強くしたのは「風評被害」という言だった。
ご存じのように「風評被害」という言葉が使われる場面というのは、「その対象となる商品が流通し・売買される」ということが前提になっている。
「売買される」コトが前提にあるので、「評判が落ちる噂=風評被害」に対して懸念が起きるのだ。

今回問題になったマンションに対して、三井不動産をはじめ施工を担当した三井建設などが、どのように対応するのか、注目していく必要があるが、同時にこのニュースは「マンション」という「不動産」が、今や「流動資産」になりつつある、ということを教えているような気がする。


スポーツジムは高齢者の社交場?

2015-10-13 20:17:05 | ビジネス

昨日の「体育の日」の新聞に、「スポーツジムは高齢者の社交場」という内容の見出しがあった。
朝日新聞:高齢者、ジムが社交場

この記事を読むだけではなく、最近新聞の折り込みなどで見かける新しいスポーツジムの料金プランなどを見ても「シニアプラン」という、料金プランを設定しているところが多いコトに気が付く。
いわゆる「シニアプラン」の対象者となっているのは、団塊の世代が中心で「後期高齢者」は、基本的に対象としていないのでは?という気がする。

スポーツジムが「シニアプラン」に力を入れるのには、それなりの理由があるはずだ。
その一つが、施設利用者の利用時間の均一化だろう。
サラリーパーソンを中心としてしまうと、どうしても利用時間は「夜」になってしまう。
昼間利用できるのは、専業主婦か学生くらいだろう。
でなければ、「お子さんの習い事」としてのスポーツ教室ではないだろうか?
とすれば、利用時間の偏りをなくし、どの時間帯もコンスタントに利用してもらうことを考えれば、比較的時間と経済的ゆとりがある、団塊の世代をユーザーとして考えるのは、当然だと思う。
何より、団塊の世代の方たちは健康志向も強く、経済的余裕もある。
だからと言って、現役世代並みのスポーツをするのが目的ではなく、「健康維持」とか「ロコモティブ症候群予防」などが目的だろう。

といっても、このような傾向が顕著に表れているのは、都市部なのだと思う。
地方に行くと「スポーツジム」そのものが少なく、高齢者が出かけるにはちょっと無理があるような気がするからだ。
というよりも、このような地域では「スポーツジム=若い人が利用するもの」という、考えを持っている高齢者が多いという気がしている。

しかし、上述した通り「ロコモティブ症候群予防(兼「認知症予防」)」という視点で考えると、地方だからこそ「高齢者向けのジム」が必要だと思う。
幸い、廃校になった小・中学校、あるいは、撤退をし建物だけが残っているスーパー跡地などがあり、改めて施設を建設しなくても改装をするだけで、スポーツジムとして活用できる。
「ロコモティブ症候群予防」などを「健康投資(あるいは「予防投資」)」という視点で考えれば、自治体が民間と共同で事業を行っても問題ないのでは?と、考えられる。
もちろん「敬老会」主体となっている「グランドゴルフのサークル」などとも連携をするコトで、「グランドゴルフ」に参加していない高齢者も、運動をする機会となれば「社交場」となるはずだ。

もう一つこのような施設が地域の中にできると、社交場というだけではなく「相談所」としての役割も果たすコトができる。
「健康に関する相談」だけではなく、「くらしのよろず相談」、世間話を通じての高齢者の「生活状態把握」なども期待できるのではないだろうか?
何より「健康投資」によって、「医療費削減」に結びつけるコトが、できるのではないだろうか。


「管理下にはあるが、制御はできない」ということか・・・

2015-10-12 19:49:45 | 徒然

東日本大震災が起きてから4年が経つというのに、全く先が見えないのが「東京電力福島第一原子力発電所」だ。
そして時間の経過と共に「放射能」という言葉の怖いイメージは残っているのに、事故そのものの記憶は薄れつつあるように感じる。
それは「強制避難地域」に指定されていた地域が、次々と解除されるようになってきたことで「事故そのものは、収束に向かいつつあるのかな?」という、印象を受けるからかもしれない。
しかし、現実は違うようだ。

今朝のYahoo!のトピックスに「フクシマ事故」により、強制避難地域に指定された県や市が、東京電力を相手取り訴訟を起こす、というニュースが取り上げられていた。
他にも「放射能で汚染された土」の仮処分場として提供していた地権者が、期限の3年が過ぎようとしても全く進展がないことに怒っている、というニュースもあった。
毎日新聞:福島第1原発事故 東電と6県1市係争 損害賠償など
産経新聞:地権者不満「約束は守れ」廃棄物袋劣化 漏洩に懸念、心理的にも圧迫

このようなニュースを聞き思い出すのは、安倍さんが2020年の東京オリンピック開催に向けてのプレゼンテーションの時、「原発事故に関しては、アンダーコントロールされている」と、国際舞台で言い切った言葉だ。
このプレゼンテーションの時ですら、「アンダーコントロールなどされていない」という、ツッコミが全国各地で巻き起こったという気がしている。
よくよく考えてみると、安倍さんの言った「アンダー(=管理下)にある」という点は、間違ってはいなかった、という気がしている。
言い換えれば「管理下にはあるが、制御はできていない」ということなのだ。

そもそも「汚染水」が増え続けている理由というのは、地下水がどんどん建屋に流れ込んでいるため、だと言われている。
建屋の真下に地下水が湧き出ているのであれば、地下水を止めることは難しいとは思うのだが、「流入している」というのであれば、水脈に沿って汚染されていない地下水を汲み上げるとか近隣の川につなげる、という方法もあるのでは?と、素人考えで思ってしまうのだ。
「汚染土壌」についても、これまで様々な研究施設などが「分解方法」を試みている。
そのような研究所と一緒になって、なぜ早い処理法を考えないのか不思議だった。

しかし、「管理下」という点だけで考えると、「汚染水や汚染土壌の処理」が進んでいなくても、問題はない。
というのも今日、新しく経産相になられた林幹雄氏が、福島第1原子力発電所を視察した、というニュースがあったからだ。
穿った見方だと思うが、林さんがいかれたコトで「政府の管理下にある」という、アピールだけはしっかりできたのではないだろうか?
政府にとって大切なことは、「制御」ではなく「管理下にある」、ということが大切なのだと思う。
だからこそ、打つ手打つ手が失敗をしても、積極的に様々な意見を聞くことなく、税金を投入するコトができているのだ、という気がしている。


基礎研究から応用へと結びつかない現実

2015-10-11 22:45:11 | アラカルト

昨日まで名古屋で、「日本癌学会学術総会」が開催されていた。
最後となった昨日は、「市民を交えてのフォーラム」ということで、出かけてきた。

このようなフォーラムや公開講座などに行くたびに考えさせらえることなのだが、日本の医学基礎研究というのは、世界でもトップクラスだが、応用となると世界から随分遅れをとっているということだ。
「基礎研究が、トップクラス」ということは、素晴らしいコトではあるのだが、応用(=医薬・治療)に関して遅れをとっている、という現実はとても残念な気がする。

例えば、現在一部の肺がんの患者さんの治療で使われている抗がん剤などは、日本の医療関係者と製薬企業が研究・開発したにも関わらず、治験を行ったのは韓国。
乳がんの抗がん剤の一つである「エルブリン(商品名「ハラヴェン」)」は、日本の製薬会社・エーザイが相模湾から採取した「クロイソカイメン」から抽出した成分を使った「生まれも育ちも日本」という薬だ。
しかし、世界で一番最初に承認されたのは、日本ではなく米国。
日本の承認は、米国の承認から約2年遅れだった。
この「エルブリン」のような抗がん剤だけではなく、自然由来の成分から医薬品を創るというのは、世界的に注目されており、日本はこの分野ではトップクラスだと言われている。

「基礎研究」という点だけでいえば、それこそノーベル賞も視野に入るほどの研究成果が出ているのに、なぜ応用研究では、遅れをとってしまうのか?というと、そこには根深い「医療不信」があるようだ。
まず高度な医療を必要とする病気の場合、説明をしてくれる医師の言葉が、専門用語が多すぎて理解できない。
その段階で、「先生にお任せします」となってしまうのだが、新聞などで、大学病院や名の通った病院などでの「医療事故」の報道を目にすると、とたんに患者は「あの大学病院や有名病院でも医療事故が起きるなら、自分の場合も・・・任せて大丈夫なのだろうか?」と不安になってしまう。。
それに加え、話題の新薬として登場した薬で亡くなった方がいる、という報道を見ると、「やはり、新薬は怖い」と思ってしまっても仕方のないことだと思う。
「つらくない・黒白はっきり効果を謳っている」民間療法などの広告や「医療否定」を謳うベストセラー本が、それに輪をかける結果になっているのではないだろうか?

とすれば、何が必要なのだろう?
フォーラムの時にも感じたことなのだが、「医療者と患者や患者家族が一緒になって新しい医療を創る」という、社会的雰囲気というか、文化が必要なのでは?という気がする。
「治験」というと、いまだに「人体実験」を思い浮かべる人が、いらっしゃるように感じる。
しかしその「治験」が実施されない限り、新薬が市場に出ることはない。
また、現在の治療に行き詰った患者にとって、「治験」は自分の未来を託すコトができるチャンスでもある。
それだけではなく、製薬企業から支援を受け新薬の研究・開発をすることは「賄賂などの温床」という見方がされがちだが、「創薬」そのものの事業は「産学協同」でなくては進むことができない事業である、という認識もまだまだ低い(というべきか)ような気がしている。
実際、今回ノーベル賞を受賞された木村先生は米国の製薬企業と一緒になって、受賞対象となった薬を創っている。

「医学・医療」という分野は、これまで生活者と遠いところで研究・開発が進められてきたが、今後この分野で日本が世界をリードするような応用研究をするためには、生活者自身が日ごろから「患者力」を身につけ、患者側も医療に参加し50対50の関係づくりなのでは?という、気がしながら帰ってきた。


20年後、30年後、日本人ノーベル賞受賞者を輩出するためには、何が必要なのだろう?

2015-10-09 19:03:41 | アラカルト

今年のノーベル賞は、日本人受賞者のニュースから始まった。
生理学・医学賞を受賞した木村博士の功績は、アフリカや中南米などの地域における「人の命」とかかわるようなモノであった。
一方、翌日物理学賞を受賞した梶田博士の研究は、宇宙という壮大な空間の中から「重さ」を求める、という私たちのくらしと、どう結びつくのかわからないが、ロマンスを感じさせるものだった。

2000年代に入ってから、「日本人がノーベル賞を受賞する」ということが、ある意味「大きな驚き」ではなくなりつつあるような気がする。
それほど、ノーベル賞を自然科学の分野で受賞される方が、増えてきているのだ。
このことはもちろん、喜ばしいコトだと思う。
ただ、ノーベル賞そのものが10年以上前の研究に対して評価されるコトが多いことを考えると、今後20年、30年先も日本人がノーベル賞を受賞し続けることができるのだろうか?と、不安になった。

というのも、2000年代に入ってからノーベル賞を受賞された方々の経歴を拝見すると、かつてのような「東大VS京大」という、一部の偏差値が高い大学出身の方々だけではなくなりつつあるからだ。
今回受賞された木村博士は、山梨大出身。その後、東京教育大学の聴講生となり、北里大学の研究室へと進まれている。
梶田博士にしても、出身大学は埼玉大学。その後東京大学大学院へと進まれた、経歴を持っている。
いわば「エリートコースから外れた」人材だったのだ。
しかし、今の「お受験事情」などを見ると、「とにかく有名大学へ進学」という傾向が、年々強くなってきているような気がする。
それが、いわゆる「受験テクニック」はあるが、その後の勉強意欲と結びついているのだろうか?という、気がするのだ。

大学の勉強というのは、高校までの勉強とは違い、自分で「勉強の楽しさ・意義を発見する」勉強だと思う。
その中から、自分がやりたい研究へと進む学生、社会に出てチャレンジをしていく学生など、様々な「生き方」を見つけるのだと思う。
ところが、「就活」に明け暮れていては、そのような勉強をしているような時間は、限られてしまうのではないだろうか?

もう一つは、木村先生が研究資金を得るため米国の製薬会社の協力を得たような、システムが日本にはできていない、という点もある。
「産学協同」という言葉は、随分使われているような気がするのだが、なかなか実績が上がってこないような気がしている。
「企業は利益を求めるためにある」のではなく「まず、社会に貢献するためにある」のではないだろうか?
「社会に貢献し、イノベーションを起こすコトで、利益を上げるコトができる」という、発想にはなかなかならないと感じるコトが多い。
実際、木村先生と協力し、薬を研究・開発した企業は、動物での治療で十分利益を上げるコトができたので、人への利用を無償としWHOに提供している。その結果として多くの人が病気から逃れるコトができ、ノーベル賞にもつながった。
梶田博士の研究成果を導いたのは「スーパーカミオカンデ」という施設で、その装置を造ったのは浜松ホトニクスという地方の企業。
そのような企業が、(特に地方で)増えてこない限り20年、30年後も日本人研究者がノーベル賞を受賞し続ける、ということは難しいような気がする。

日本人研究者が、ノーベル賞を受賞する機会が増えるコトは、とても喜ばしいコトだが、今から20年、30年後も今と同様に日本人研究者がノーベル賞や世界的権威があり、社会的意義のある賞を受賞し続けるための準備をするのは、今なのではないだろうか?という、気がしている。




「一億総活躍・・・」って、何するの?

2015-10-07 14:08:19 | アラカルト

今日午前中に、内閣総辞職をし午後新しい閣僚が正式に発表される予定になっている。
その中で注目?されるのが「一億総活躍相」というポスト。
既に、就任される方は決まっていらっしゃるようだが、この「一億総活躍」というの一体何を目的としたモノなのだろう?
読売新聞:「一億相活躍相」仕事あいまい・・・他閣僚と重複

他の閣僚=省庁と重複するなら、何も新設する必要はないと思うのだが、今までの「縦割り行政」を変える、ということだろうか?
おそらく、ここ10年以上はこの「縦割り行政の弊害」ということが、再三指摘されてきたと思う。
それが解消されないので、このようなイマイチ意味不明なポストを新設する、ということだろうか?
ただその一方で「二重行政」という問題も、度々指摘をされてきた。
指摘される「二重行政」の多くは、国と地方自治体との間で重複する仕事があるため、国から地方自治体へと仕事を移す、ということだったと思う。
省庁間で、重複する仕事があるということはあるとは思うのだが、それを解消する目的で新設されるのだろうか?

安倍さんは「(いろいろな人が)活躍する社会」とか「(人が)輝く社会」という言葉がお好きなようだが、なんとなく言葉が上滑りしているような気がしてならない。
なぜなら、安倍さんの思考が「頑張れば認められる」とか「やる気があればできる」的、精神論の成功者を目指せ!と言っているような気がするからだ。
本当に「様々な人が活躍できる社会」、「人が輝く社会」というのは、そんな精神論で何とかなるようなコトではないと思うからだ。

例えば、心身的な社会的ハンディを持った人達が、その能力を十分に発揮できるような社会制度になっているのだろうか?
シングルマザーの平均所得の低さは、本人の努力では解消できない部分のほうが大きい。
「がん」などの大病を経験した現役世代の方などは、病気を理由に仕事を辞めざる得ない状況にあり、一旦病気で離職してしまうと、職場復帰そのものが難しいという現実がある。
もっと極端なコトを言えば、「寝たきり」で自ら意思決定をすることもできず、高栄養剤と人工呼吸器で生きながらえている人は、輝いている人なのか?

安倍さんのお好きな「人が輝く社会」とか「(いろいろな人が)活躍できる社会」というのは、社会制度だけではなく、企業や社会の偏見(というべきか?)などにも大きくかかわっていくことなのだ。
それを一つの大臣職を創ったからと言って、変わるわけではない。

石破さんの「地方創生」にしても、現実には地域の人たちが「何とかしなくては!」という、強い思いがある地域では、新しいビジネスが動き始めているだけで、そこに国が積極的に関与しているとすれば「交付金」を出している、ということなのでは?(むしろ、そのほうが「地方創生」になっているかもしれないが)

その点を、安倍さんはどう考えているのだろう?


文科省の「文系縮小化」は、日本にとってマイナスだと思う

2015-10-06 12:42:07 | アラカルト

今週から「ノーベルウィーク」が始まっている。
月曜日は、生理学・医学賞の発表があった。
今年は、北里大学の大村智特別栄誉教授が他2名の方とともに受賞された。
日本人受賞者が2年連続、というのも素晴らしいコトだと思う。

昨年物理学賞で受賞をされた赤崎先生と天野先生、サンタバーバラ大の中村先生の3人が受賞されたのは「青色LED」に対してだった。
この「青色LED」の研究・開発によって、名古屋大学は相当額の特許料を得ている。
それと同じように、今回受賞した大村先生の研究もまた、膨大な額のロイヤルティーを北里大学へもたらしていたという。
日経新聞:寄生虫駆除薬でロイヤルティー収入2500億円

会員向けの記事のため、全文を読むコトはできないが、2500億円というロイヤルティー収入額を聞いただけでも、その研究による社会的貢献が大きかった、ということがわかる。

その研究をロイヤルティー収入とするためには、研究者だけの努力ではどうにもならない部分があるはずだ。
例えば、国際特許を取得するための知識や方法、事業化するための資金集め・・・と、研究以外のサポートがなくては、このロイヤルティーを生み出すことはできなかったと思うし、社会的貢献をするコトができなかったと思う。

今年春、文科省が「国立大学の文系縮小化」ということを打ち出した。
このことに対して、国立大学では文系縮小を検討する傾向が、すでにみられるという。
その背景にあるのは「社会に役立つ実学(=理化学・医学ということらしい)に力を入れ、経済成長の基盤とする」という政府の考えがあるようだ。
本当にそれが成長基盤となるのだろうか?

国際的な特許を取得するためには、どのような知識や経験が必要なのか?
大学が事業化するためには、どのような人材が必要なのか?
何より、文献を読み・翻訳する力(または、情報を発信力)のある人材を、どう育成するのか?
ということを考えると、決して「文系」と言われる分野の力が不要というわけではない、ということがわかる。
一人の人間が、オールマイティになんでもこなすコトができれば、問題はないかもしれないが、様々な分野の人が集まるコトで生まれる効果というものもある。
むしろ、まったく知らない分野の人達が集まるコトで起きるシナジー効果は、多角的な発想を研究に与えるコトになるのではないだろうか?

実際、今回受賞をされた大村先生は、研究のかたわら出身地の山梨・韮崎で美術館や温泉施設を建てる社会活動もしていらっしゃる。
美術に対しても、それなりのご興味と造詣をお持ちなのだろう。
そのような多面的な人材をつくっていく上でも、文系縮小化という文科省の方針は、いかがなものだろう?


「マイナンバー」は、届くのか?

2015-10-05 20:33:32 | 徒然

FMを聞いていたら、「今日からマイナンバーの通知が始まります」と、言っていた。
「簡易書留郵便」で届けられ、不在の場合は「不在票」が入れられる、ということになっている。
そもそも届けられる住所が、現在住民票がある住所ということらしい。
ということは、単身赴任中のサラリーマンや学生で住民票を移していない方は、前の住所に届くということになる。
この場合、家族がまだ受け取るコトができるので、問題は少ないと思うのだが、転居してしまっている場合は「転送不要」ということのようなので、転居先には届けられずに戻されるということになってしまう。
また、高齢者で住民票は移していないが、施設などに入居している場合も、受け取るコトが難しそうだ。

何より「不在票」そのものを見る人が、どれだけいるのだろう?という、疑問がある。
というのも、昨今様々なチラシのポスティングがされ、「また、チラシか・・・」といって、いっしょに捨てられる可能性もある。
1週間の留め置き期間があるとしても、その1週間で連絡をする人がどれだけいるのか?という、疑問もある。
というのも、一部では地域によっては最大25%くらい受け取るコトができない人がいるのでは?という、予測もあるからだ。
25%というと、1/4の人が受け取れない、という数字だ。
都市部になればなるほど、この「受け取れない数値」は増えるだろう。
特に単身者世帯が多い都市部では、25%で済むかどうか・・・?という、疑問すらある。

もう一つこの「マイナンバー」の問題点は、上述した通り「住民票がある住所」に送られる、という点だ。
実際、住んでいないのに住民票がある、ということだけで送られるとなると、この通知を基に企業などへ提出する場合、どのように確認をすればよいのか?ということになる。
「住民票と現住所が違う」という場合を、想定している制度なのだろうか?という、次の疑問がわいてくるのだ。
「今お住まいの住所に、住民票を移してください」キャンペーンをしたところで、「住民票を移すメリットとデメリット」を考え、移すことをしていない方も多いのではないだろうか?

なんとなくだが、この制度そのものが「机上で考えられた制度」という気がしている。
確かに税制の運用などでは、メリットが高いと思うのだが、その前で躓いているような気がするのだ。
「通知が届かなくては、意味がない」ということだ。
今日から、11月末までに国民すべてに届く予定(政府は「つもり」)の「マイナンバー通知」、果たして本当にどれだけの人が受け取るコトができるのだろう?
1/4の人が受け取れない制度では、あまり意味がないような気がするのだが・・・。