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年を取る事、認知力の低下は悪いことなのか?

2023-02-13 11:26:41 | 老親介護

先週、昨年手術をした父の経過検診のために、実家に帰省していた。
独居生活も20年弱となり、90歳を超えても独居生活ができているのは、比較的健康的であった事と認知力の低下が少なかったからだ。
しかし、90歳を超えたくらいから、ちょっとした怪我が増え、病名がはっきりとつかない入院や認知力の低下が顕著になってきた。
昨年暮れには、入院先の病院から「体が人生のエンドロールの最後に近づいていると、考えてください」と、言われた。
覚悟をしていたとはいえ、やはりそれなりのショックはあった。

しかし、考えてみると「人生100年時代」と言われても、「認知力も低下せず、健康的な自立した生活が送れている100歳」という方は、どれほどいらっしゃるのだろう?
そもそも「認知力に低下」が悪いことなのだろうか?という、気もしてきたのだ。
確かに、同じことを1日に何度も話し、「わかった?」と確認をしても、数時間後には同じ事を聞き返してくる、ということは介護をしている側としては苦痛だ。
わずか数日の事であっても、「さっき話したばかりなのに、なぜ?確認したよね?」という気持ちになってしまう。
それを毎日のようにしているご家族や、介護士さんたちの苦労は計り知れないものだろう。

それでも実家の父が独居生活が維持できているのは、ご近所力のなせる業だと思っている。
幸い、徘徊などはなく、食事なども自分で用意ができることも大きい。
とはいえ、ご近所にばかり頼るわけにはいかない、という現実を突きつけられている、というのが現状だ。
と同時に、以前参加した「認知力」をテーマにした大学の公開講座でご一緒された方の言葉を思いだすのだ。

その方は、お年を召された上品なご婦人だった。
隣には、お孫さんくらいの若い女性が付き添っている。
ニコニコと「飴、いかが?」と言って、テーブルの近くに座る人に分けている姿は、「気前の良い人なのかな?」という印象だったのだが、隣にいる女性が誰彼構わず声をかける婦人に、「ちょっとやめましょうか?」と声をかけるので、「あれ?」と思ったのだ。
その後、講座が始まり講師の方が「テーブルを囲んで、講座内容について話し合ってください」と言われた時、付き添いの女性の「ちょっとやめましょうか?」という言葉の意味が分かったのだ。

ご婦人は「軽度の認知症」という方だったようで、「認知症と診断され悲しかった。自分のこれまでの人生と存在を否定されたような気がした」と、吐露されたのだ。
「認知症」と言っても、「物事すべてが分からなくなっているわけではない」ということ。
「認知症だから」そのモノを否定することは、その人自身を否定する事になるということだけではなく、認知症になった人自身がそのことを少なからず分かっている、あるいは感じている、ということをそのご婦人は訴えていたのだ。

それから10年近くの時間が経過し、自分の父がそのような状況になっている現実を考えた時、どう接すれば良いのか?ということを改めて考えてしまうのだ。
「自分のことは自分でやらせる」ということは、簡単だ。
逆に「なんでもやってあげる」ということも、簡単だろう。
だが、「その人らしさ=自分らしさ」ということを考えた時、個人の父が「自分が自分らしく暮らしている」という実感を与えながら、過ごすための環境づくりの方が大切なのでは?という、気がしている。

子どもが成長するような「成長曲線」ではなく、老化するということは「直線的な右肩下がり」だ。
しかも「個」が確立している。
だからこそ、老親介護の難しさを実感し、次回は「環境づくり」がテーマだと思いながら帰ってきた。



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