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現在のAI技術の限界?

2024-04-24 22:03:25 | アラカルト

Huffpostに面白い記事があった。
Huffpost:AIがつくった映画の予告動画に酷評続出「シーンごとに顔が違う」「想像以上に悪い」(動画) 

何かと話題になっているAI技術だが、まだまだ途上の技術ということなのかもしれない。
これまで映画で使われていたCGは、人や物体の動きをコンピュータ―でデータ化し、それをアニメーション等にすることで、「自然な動きや表情」を再現することができた。
それに対して、この記事を読む限りではAIは、まだまだその域には達していないようだ、という印象を持った。

特に、「シーンごとに顔が違う」という点はAIならではの問題なのでは?という気がしたのだ。
この予告動画をどのような工程でつくっていったのか、不明だし、そもそも私自身、CGやAIについて詳しいわけではないので、誤解をしている部分があると思うのだが、AIは与えられた条件を基に表情をつくっていく為に、登場人物の存在よりも与えられた条件で、つくりあげていったのでは?と、想像するのだ。

人物のビジュアル表現は、基となる人がどのような場面で、どのような表情をするのか?ということが重要になる。
基本となるのは、ベースとなる人物の顔だ。
それだけではなく、顔の表情そのものは数多くある。
「オノマトペ」と言われる、物事を音で表す言語が多い日本人の場合、より細かな顔の表情があるのでは?と、考えている。
何故なら、日本の伝統芸能の一つである「能」を見ればわかると思うのだが、演者となる人は面をつけている。
面そのものに、表情があるわけではない。
しかし演者となる人は、その面の見せ方一つで「喜怒哀楽」を表現することができるのだ。
それほど「人の表情」は、微妙である、ということでもある。
単にデータ化した感情の言葉をAIに教えるだけでは、その機微にとんだ表情を表すことは、まだまだ難しい、ということなのだと思う。

そのように考えると、映画等の人物表現については、AIの利用はまだまだのような気がする。
何より、「映画を見たい」と思い、映画館やNetflixのような映画配信サイトと契約をして、自宅で見る「動機」を考える必要がある。
いくら「予告動画」と言えども、鑑賞する人に興味を持ってもらわなくては、実際の行動へと移ってはいかない。
むしろ「予告動画=プロモーションムービー」だと考えれば、その見せ方一つひとつが重要になってくる。
「AIでつくった予告動画」という話題性だけでは、人の気持ちは動かない。
動かないどころか、落胆し興味を失ってしまえば、本編を見たい!という動機に結び付けることは難しくなる。

今現在のAIの技術は、ここまでである、という確認ができたことは良いことだし、これから改善・進歩の余地はあるはずだ。
ただ、言語化できない(=データ化できない)人の心の機微を表すのは、AIが得意とするところではないような気がする。



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