一昨日の「生き方もセンスが必要?」のエントリにコメントを下さった、ひろさん、兵庫県の・・・さんありがとうございました。
「靖国」の問題は、様々な受け止め方があると思います。
ただ、「政治の具」や「外交カード」という使われ方は、靖国神社に祀られている人たちと遺族の方々にとっては、不本意だと思います。
祀り方を含め、考える時期にきていると考えるべきでしょう。
亀田興毅選手の試合については、毎日のように新しい話題を提供しているようで・・・。
ますます、ネガティブイなメージが付いてしまったようです。
スポーツとしてのボクシングファンとしては、面白くないことばかりだと思います。
「浪速の闘拳」という言葉を聞いたとき、「浪速の闘犬」という漢字を思い浮かべてしまった私などは、もう一度日本以外の中立的な所(もちろん、テレビ局なども利害関係が無い)で、再試合をして決着をつけるのが、ベストだという気がしますが・・・。
今日の朝刊の国際頁に小さく「イヌイットも冷房」といった内容の記事が掲載されていた。
マーケティングを勉強したことのある人なら、「イヌイットに冷蔵庫を売る」というテーマを、出された経験があるのではないだろうか?
これは、「顧客利益(=ベネフィティング)を発見する」為の演習問題として、出されている。
イヌイットの住む極寒地では、冷蔵保存するための冷蔵庫は必要ない。と一瞬思ってしまうが、「野菜などを新鮮な状態で保存するため」、「すぐに調理できる状態で保存するため」の需要がある、というのが一つの回答としてあげられている。
しかし、この記事を読むと「イヌイットにクーラーを売る」というのは、「暑さ解消のため」という私たちと同じ利益となってしまったようだ。
その要因は、地球温暖化。
これまで「地球温暖化」は、(私たちの)生活の変化によって加速度的に進んだ。ということになっていた。
原因:「生活の変化」→結果:「地球温暖化」だったはずなのだ。
ところが今回の場合は、原因:「地球温暖化」→結果:「生活の変化」ということになる。
ある人にとっては快適な生活が、他の人にとっては不快な生活へと変化させてしまっている。
そこには、国境やイデオロギー、宗教や人種などは関係ないことにも気付かされる。
手遅れにならないために、何が必要なのだろう?
都市計画という大きな問題から、一個人の生活スタイルという個人的な問題にまで及ぶ、大きくそして難しい宿題のような気がする。
「靖国」の問題は、様々な受け止め方があると思います。
ただ、「政治の具」や「外交カード」という使われ方は、靖国神社に祀られている人たちと遺族の方々にとっては、不本意だと思います。
祀り方を含め、考える時期にきていると考えるべきでしょう。
亀田興毅選手の試合については、毎日のように新しい話題を提供しているようで・・・。
ますます、ネガティブイなメージが付いてしまったようです。
スポーツとしてのボクシングファンとしては、面白くないことばかりだと思います。
「浪速の闘拳」という言葉を聞いたとき、「浪速の闘犬」という漢字を思い浮かべてしまった私などは、もう一度日本以外の中立的な所(もちろん、テレビ局なども利害関係が無い)で、再試合をして決着をつけるのが、ベストだという気がしますが・・・。
今日の朝刊の国際頁に小さく「イヌイットも冷房」といった内容の記事が掲載されていた。
マーケティングを勉強したことのある人なら、「イヌイットに冷蔵庫を売る」というテーマを、出された経験があるのではないだろうか?
これは、「顧客利益(=ベネフィティング)を発見する」為の演習問題として、出されている。
イヌイットの住む極寒地では、冷蔵保存するための冷蔵庫は必要ない。と一瞬思ってしまうが、「野菜などを新鮮な状態で保存するため」、「すぐに調理できる状態で保存するため」の需要がある、というのが一つの回答としてあげられている。
しかし、この記事を読むと「イヌイットにクーラーを売る」というのは、「暑さ解消のため」という私たちと同じ利益となってしまったようだ。
その要因は、地球温暖化。
これまで「地球温暖化」は、(私たちの)生活の変化によって加速度的に進んだ。ということになっていた。
原因:「生活の変化」→結果:「地球温暖化」だったはずなのだ。
ところが今回の場合は、原因:「地球温暖化」→結果:「生活の変化」ということになる。
ある人にとっては快適な生活が、他の人にとっては不快な生活へと変化させてしまっている。
そこには、国境やイデオロギー、宗教や人種などは関係ないことにも気付かされる。
手遅れにならないために、何が必要なのだろう?
都市計画という大きな問題から、一個人の生活スタイルという個人的な問題にまで及ぶ、大きくそして難しい宿題のような気がする。