今朝、新聞の新刊欄を見ていたら、広告関係雑誌の新号案内があった。
広告会議:ファンに共感される企業の振る舞い「推し活」とマーケティング
見出しとして使われている「推し活」とは、ここ2,3年の間で頻繁に聞かれるようになった言葉の一つだ。
特定のモノ・コトのファンであり、そのモノ・コトに対して積極的な消費活動を行うだけではなく、周囲に対して推奨をする、という一連の活動のことを指している。
企業にとっては、「自主的な宣伝広告隊」のような存在でもある。
もちろん、このような「積極的な推し活」をする人ばかりでない。
一人、コッソリとモノ・コトを購入し足り参加したりしている、という人達も少なからずいる。
かつての「オタク文化」の中に、このような「推し活」の素因となるモノがあった、というとわかりやすいのかもしれない。
「オタク文化」というと、かつては「根暗」という言葉が枕詞のようについていたが、今の「推し活」は実に堂々としたもので、その分野も「漫画や地下アイドル」と限定されているわけではない。
これらのことを読んでみて、ある種の既視感のようなものを感じた方も数多くいらっしゃるのでは、無いだろうか?
私もこの見出しを読んだとき思い出したのは、10年以上前に発刊された新書「『応援したくなる企業』の時代」を思い出したからだ。
おそらく、拙ブログでも「社会コミュニティーと企業の関係」というテーマで、同様のことを書いてきたと思う。
言葉は変われど、本質となるところは変わっていない、ということでもあるのだ。
大切なことは「多くの人から応援をしてもらえる=推してもらえる」ということであり、それはモノづくり企業に限ったことではなく、社会活動をしているあらゆる団体・個人に関係してくることである、という点だ。
それだけではなく、マーケティングの経験が長い方であれば、「インテマシーロック(オン)」という言葉を思いだされる方もいるのでは?と、思っている。
日用品の中でも消耗品と呼ばれる洗剤やせっけんなど、いろいろなブランドの商品を購入するのに、いつの間にか「定番品」と呼ばれる商品を購入している、という経験はないだろうか?
「結局この商品が自分に一番ぴったりくる」というような商品のことだ。
このような「定番品」を選ぶ過程の中には、単純に「好き」というだけではなく、その商品にまつわる様々な経験や思い出のようなものが含まれており、むしろ「好き」の前にそのような経験や思い出に左右されている、と言われることを指している。
何故それが「応援したくなる=推し活」に結びつくのか?と言えば、経験や思い出といった「目に見えない関係性」がある事で、自然とその商品を購入という形で応援=推している、ということになるからだ。
新しく知った「推し」であっても、「推し」に至る過程で何があったのか?ということを、知る必要がある、ということなのだと思う。
単純に「流行りだから」とか「話題だから」という、理由ではない「何か」がそこにはあるはずなのだ。
その一例が「クラウドファンディング」だろう。
まだ見ぬ商品、手に取ったこともない商品に対して、金額云々ではなく「応援したい」という気持ちで資金を提供するからだ。
そして「応援したくなる=推し」の範囲は、商品などの具体的なモノからカタチの無いモノへと広がりを見せている。
それが「推し」ということになるのかもしれない。