昨日のTwitterでのトレンドワードに、「#病院の待合室」がランクインしたという話題があった。
他にも「#中日ドラゴンズ(または#中日)」というワードも上がっていたようだ。
理由は、ご存じの通り昨日の朝、米国のマイアミで行われたWBCの優勝決定戦だ。
「病院の待合室」というのは、来院した患者さんや付き添い家族の方々が、待合室に置かれているテレビがWBCの試合中継を流していたため、診察が終わった患者さんたちが帰ることなく、試合中継を見守りその状況は、テレビ放送の黎明期の「街角テレビ」でのプロレス中継以上の盛り上がりだったことからtweetされたものだった。
もう一つの「中日ドラゴンズ(または中日)」というのは、WBCの開幕前に行われた練習試合で日本代表チームが唯一負けた対戦相手が、中日ドラゴンズであったため、「もしかしたら、日本代表を負かした中日ドラゴンズは世界一?」ということで、tweetされたということのようだ。
試合結果については、ご存じの通りで3‐2で日本が優勝。
優勝だけでも、凄いことなのに、WBCが始まってからどんどん「にわか野球ファン」が増えていった。
その状況は、昨年のサッカーW杯以上の盛り上がりを見せたのでは?という、印象を持っている。
というのも、WBC開催期間中、Twitterの話題の多くがWBCになっていたからだ。
tweetされている方を見ると、大活躍をした大谷翔平選手の親世代の女性たちが、とても多かった。
彼女たちは「にわかだけど…」と前振りをし、WBCのtweetをしていたのが印象的だった。
「例えミーハーと呼ばれても、一生懸命にプレーをする選手たちに声援を送りたくなる」というのが、彼女たちの弁だ。
おそらくこれほど日頃野球に興味がない(であろう)50代以上の女性たちを、惹きつけたというのはある意味エポックメイキング的な社会現象だったのでは?という印象を持っている。
彼女たちを夢中にさせたのは、試合展開だけではなく真摯に野球に取り組む選手たちの姿だった(ようだ)。
それは日本だけではなく、対戦相手の選手たちの姿も同じように感じ、日本を応援していても対戦相手国の選手たちにも、同様の声援を送るということでもあったようだ。
「#病院の待合室」のtweetの中には、「病院にきているけど、選手たちの活躍する姿を見て免疫力が上がった気がする」という内容もあったようだ。
勝敗の結果、優勝という結果だったからというよりも、選手たちの野球に対する紳士な姿を見て「恋をした」ような心境だったのかもしれない。
この「恋をしたような気分」ということは、とても大事でこのような気持ちが泣ければ「ファン」にはならない。
例えにわかファンであっても、WBCの試合中継を見ている間は、ある種の「幸福感」を得ているからだ。
もし、予選の試合で大敗するようなコトがあれば、これほどの盛り上がりはなかっただろうし、にわかファンとなる50代以上のの女性たちを獲得することはできなかっただろう。
ただ、予選で敗退していれば、その「がっかり感」は「失望」となり、今後の野球人気にも影響を与える事になったかもしれない。
例えそのような状況であっても、様々なスポーツがテレビ中継され、その中継を見る人がいれば社会にとってプラスとなる何かを与えているのでは?と、考えている。
プラスとなる何か、というのは社会に「応援をする」という、能動的な行動を起こすことで起きるものだ。
それがスポーツという限定であっても、能動的行動は社会を動かす力となる。
時には「連帯感」のようなものを生むこともあるだろう。
その「連帯感」が、他者を排除するようになってしまえば問題だが、スポーツの場合排除よりも他者の受け入れという行動に繋がっているように感じる。
スポーツが社会に与えるものは何か?と考えた時、ある種の社会的幸福感や能動的連帯感のような気がする。
それを実感させてくれたのが、昨日のWBCの試合だったのではないだろうか。