先日、友人に誘われ紅葉を見に、岐阜県・関から美濃へドライブへと出かけた。
関市と言ってもお目当ては、旧板取村にある通称「モネの池」と呼ばれる「名もなき池」。
地元の小さな祠がある氏神様の前にある、本当に小さな池なのだが、水が湧き出ている為なのか?透明度がとても高く、地元の方が植えられたと言われる蓮が、モネの絵画を思わせると話題になっていた池だ。
晩秋とは思えない暖かさで、思いのほか多くの人が見学に来ていた。
駐車場には、観光バスなども停まっており、一時期ほどの話題ではないにせよ、小さな名もない池に多くの人が集まり、新しい観光名所となっているようだった。
「モネの池」を楽しんだ後、向かった先は美濃市の「うだつの上がる町並み」だった。
「うだつが上がる」と言うことばそのものは、出世する、羽振りが良くなるなど、生活が良くなることを指すということは知ってはいたが、その由来となった「卯建」がどのようなものなのか知らなかった。
実際の町並みを歩いてみると、江戸時代の本陣や明治初期の豪商の家、造り酒屋など、古い町並みの中に今でもそこで生活をしている人たちの暮らしが感じられ、ほのぼのとした気分になった。
そして、このような町並みを観光資源としてPRをしているにもかかわらず、観光地としてはあまり知られていないことに残念な思いがした。
だからと言って、京都の有名観光名所のように国内外からの観光客でごった返すような状況も、このような小さな地方都市の一地域では、魅力が半減してしまうことは目に見えているような気がした。
観光というか「インバウンド」を期待して、地域の活性化に取り組む地方自治体は多い。
残念ながら、その成果は期待ほどではないような気がしている。
その理由は、何故なのか?と考えると、既に成功した自治体を真似ているからではないだろうか?
あるいは、京都のような観光名所は無いので、観光をキーワードとした地域の活性化などはできない、と諦めている部分があるのでは?
先日、日経新聞のWEBサイトに、大阪ガス・エネルギー文化研究所の池永寛明さんが「最終的に残るまちは『地域文化』をもったまち」という、コラムを書いている。
「インバウンド」とは、直接関係は無いのだが「地域文化」を持っているまちというのは、様々な意味で「地域の核」となるモノを持っている、と言えると思う。
美濃市の「うだつのあがる町並み」には、江戸時代~明治にかけての卯建がある家が残っているだけではない。
その町で暮らしている人たちの生活文化というものも、十二分に感じさせるモノがある。
そのような場所に、「爆買い」を目的とした観光客を誘致することは難しし、そぐわない。
「どのような人たちに観光に来てもらいたいのか?」という、ことを考えた観光客誘致をする必要があるはずだ。
「観光客を選別する」という意味ではない。
「どのような人たちが、自分たちの町の文化を理解してもらいやすいのか?」ということを、考えた観光誘致のプランが必要だ、ということなのだ。
マーケティングでいうところの、「ターゲットを絞る」ということだ。
実際、「モネの池」から「うだつの上がる町並み」までのドライブでは、針葉樹の緑と紅葉の美しいコントラストに映える山並みを見ることができた。
春になれば、板取川沿いに植えてある桜並木が美しく、多くの人の目を楽しませるだろう。
そのような自然の美しさの中に育まれた地域の文化をPRするのであれば、一時期的な話題となる観光客ではないと思うし、その地域独特の文化に触れ、何かしら感じることができた観光客は、リピート客として再びその町を訪れるのではないだろうか?なぜなら「文化」とは通り一遍で終わるものではない、と思うからだ。