東公平著『升田式石田流の時代』 2000年9月発行
今日の記事は、2日前に半分書いて、そのままだったのですが、今日、米長邦雄永世棋聖(日本将棋連盟会長、元名人)の訃報が入ってきました。
大変、驚きました。お悔み申し上げます。
この記事は、ある“米長新手”の話から始まりますが、これは2日前から書いていたことであり、今回の訃報と重なったのは偶然です。
まずはこの将棋から。 田中寅彦‐米長邦雄戦。2001年の対局。
初手より、7六歩、3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5五歩、2四歩、同歩、同飛。
田中寅彦‐米長邦雄 2001年6月
ここで米長邦雄は、「5六歩」。
これが“米長流”。 これほどダイナミックな手が他にあるだろうか。
以下、5六同歩、8八角成、同銀、2二飛。
ここで先手の田中寅彦は、2二飛成と指した。以下、同銀、6八金、6二玉、2八歩、7二玉、6九玉、1四歩、7八玉、1五歩、3八銀、6二金、5五歩、3三桂、5四歩、5五飛と進んで、次の図となる。
ところで、上の図で、2三歩ならどうなるか。これは5二飛、2八飛、5六飛、5八歩、3二金で後手が指しやすい。よって本譜の2二飛成は当然。
また、2二飛成、同銀、5三飛はどうか。これは、5二金右、5四飛成、3三銀、3八金、5七角、4八銀、2四角成となって、先手の竜よりも、後手の馬の働きの方が優れていて後手が良い。これが「米長流の狙い」なのである。
7七銀、5四飛、6六銀、3五歩、9六歩、2四飛、2七銀、3一銀、9五歩、4二銀、4六角、5三銀、3五角、2一飛、5四歩、4四銀、同角、同歩、4三飛
お互いに「飛車角」を持っているので、動きがむつかしい。米長は「5五飛」と打って、歩損を回復した。
そして、こんなふうな面白い将棋になったが―――
投了図
これは129手、田中の勝ち。
米長邦雄は、その翌月の対局、島朗戦で同じ指し方、“米長流”をしかけた。
島‐米長邦雄 2001年7月
田中‐米長戦を知っていた島は、途中まで田中寅彦の指し方を踏襲。
図のように後手米長は、1六歩、同歩、1八歩、同香、1九飛と攻めた。先手はゆったりしてもよいが、後手は「一歩損」だから、どこかで仕掛けたい状況なのだ。
図以下、1七香、1八角、2六飛と受けて、これは先手が受け切っているようだ。以下、3二金、3九金、2九角成、同金、1七飛成、2七歩、5一香、2一角と進んだ。
これは先手のペース。
投了図
島朗の勝ち。 2局とも米長邦雄永世棋聖の敗局になったが、しかし魅力的な戦術である。
この「2二飛」と飛車をぶつけるこの指し方は、「あの名局」を思い出します。
「あの名局」とは?
ここから30年遡って、1971年の名人戦、升田幸三‐大山康晴戦。
升田幸三‐大山康晴 1971年名人戦第3局
“升田式石田流”で湧いたシリーズの第3局。
図から、2四歩、同歩、同飛、8八角成、同銀、2二飛、2三歩、1二飛。
この「1二飛」が升田の用意した手。この将棋があまりに有名になったので、今ではこの「1二飛」という手が、誰もが指す手のようになっている。
図から2六飛、3二金、3六歩、同歩、同銀、2二歩。
この「2二歩」の“合わせの歩”がまたかっこいい。
ここから、2二歩成、同飛、2五歩、4二銀、6八金、5四歩、1六歩、5三角、2八飛、6四角 …(指し手省略)
4六の銀を「3五銀」と引いたこの手が、誰も予測できなかった絶妙手。(すでに94手目である。)
以下、同角、3四金、5七角、2四金、3六歩、2五歩、2九飛、3六飛、4七銀、3七飛成、4九飛、2三金、1三角成、同香、3八歩、3三竜 …
後手升田優勢になるが、大山もすごい。この将棋は、その後もあと100手続くのだ。
投了図
210手、升田の勝ち。
この「名局」は、ぜひ『升田式石田流の時代』の中に収録されている東公平さんの観戦記で読まれることをお奨めします。
さあ、ここで田村康介が登場する。
『早指し王』
中座真‐田村康介 2001年9月
中座真‐田村康介戦。これは、米長邦雄が“米長流”を披露したその3か月後の将棋です。
田村康介(たむらこうすけ)、1976年生まれ、富山県出身、大内延介門下。
上図は、初手から、▲2六歩 △3四歩 ▲7六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛 ▲7八金 △6二玉としたところ。
この「6二玉」が、“田村新手”です。
その前の先手の7八金は、次に「2四歩からの歩交換をするぞ」という手。そこで従来のゴキゲン中飛車の手順は、5五歩、2四歩、同歩、同飛、3二金、2八飛、2三歩というような将棋となります。
それを、田村は「5五歩を突かないで、6二玉と指した」のです。「5五歩を突かないまま」というのが新しかった。
先手が2四歩と行くとどうなるのでしょうか? 実戦で中座真は2四歩と行ったので、それを追ってみましょう。
▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △8八角成 ▲同銀 △2二飛
▲2三歩 △1二飛
つまり、「こういうこと」です。 米長の「角を変えて2二飛」という指し方を見て、田村康介はそれをゴキゲン中飛車に応用したのです。
「升田幸三→ 米長邦雄→ 田村康介」と、角交換して飛車をぶつけるという振り飛車のワザが受け継がれてきたということです。
▲2二角 △3五角
中座さんはここで「2二角」と打ち込んでいきました。
▲2八飛ではいけないのでしょうか? それは、3二金、4八銀、2二歩、同歩成、同飛、2六歩、4二銀で後手十分。
▲2二角に、田村△3五角。
▲2八飛 △5七角成 ▲1一角成 △同飛 ▲2二歩成 △2七歩 ▲同飛 △2六歩
▲同飛 △4四角
いったんは先手成功のように見えるが、後手にも2七歩から飛車を歩でたたいて、△4四角があった。
▲1一と △2六角 ▲5八歩 △4七馬 ▲3八銀 △1四馬 ▲2一と △4二銀 ▲2八香
▲1一と△2六角に、中座は、5八歩だったので、4七馬、3八銀、1四馬となった。後手良し。
▲5八歩で、▲2一となら、4四角とする。そこで3一となら、8八角成、同金、6八銀で先手玉は詰み。なので、4四角に、6六香となるが、以下、4二銀、4八金、5六馬、7七銀、7二銀となって、後手良しである。
△4四角 ▲2二と △2六歩 ▲2一飛 △5二金左 ▲1六歩 △5一飛
中座はと金の活用を図る。
▲5一同飛成 △同銀 ▲2一飛 △2四馬 ▲6六桂 △3五角 ▲2六香 △同 角
▲2三と △4六馬 ▲4七歩 △4五馬 ▲3二と △4四角 ▲7七銀 △7二玉 ▲4一と
△2四馬で、△8八角成から攻めをねらう。▲6六桂と駒を使わせて、△3五角。先手は受けが難しくなった。
△6二銀左 ▲3一飛成 △5三角 ▲3二龍 △6四歩 ▲4六歩 △4四馬
▲3六歩 △6五歩 ▲3七桂 △6六歩 ▲同銀 △2六桂 まで74手で後手の勝ち
△7二玉~△6二銀左で、こんどは田村康介、「受けつぶし」をねらう。攻め駒の足らない先手は、駒を取らせてもらえないと苦しい。田村、△6四歩から、打たせた桂馬を取りに行く。手堅い勝ち方だ。
投了図
△2六桂を見て、先手中座真、投了。74手。
その4日後、再びこの二人は激突しました。竜王戦ランキング戦5組の、昇級者決定の重要な一戦です。そしてまた、“田村式ゴキゲン中飛車”となったのです。
中座真‐田村康介 2001年9月
前回、2四歩からの“決戦”に行って敗れている先手の中座真、今度は慎重な序盤。
すると、田村康介、玉を8二に深く囲って7二銀と美濃囲いにした後、16手目△3五歩。中飛車側は、玉を囲っているので、さらに強い戦い方ができます。
以下、4七銀、5五歩、6八銀、5四飛、3六歩、3四飛、3八飛、3六歩、同銀。
ここで△5六歩。 先手は▲6六歩と角交換拒否。まあここは先手としては激しい戦いはしたくないところ。
逆に後手振り飛車としては「暴れたい」ところ。「△3八歩」と手裏剣を飛ばし、先手中座は▲5五歩。
以下、3四飛、3五歩、6七歩成、同金、8四飛、3八飛、8七飛成…(略)
中座に疑問手も出て、田村がやや優勢に。△7四歩から手をつくる。
7四歩、9七角、7五歩、2四歩、7六歩、8八銀、7七歩成、同桂、7六歩、8七銀、7七歩成、2八飛、8七と、7五角、7四銀(下図)。
飛車を捨て、と金をつくった。
図の7四銀が決め手。
投了図
田村康介の勝ち。
ゴキゲン中飛車の“田村式”、これはまったく画期的な戦術でした。5五歩を突くことを保留することで、3二金と上がることもせず、角も動かさず、なにもしないままなのに、先手からの「2四歩」に備えているのだ!
この“田村式”の発想の元となった“米長流5六歩戦法”は、先に一歩を捨てるので、それが負担になっていた。しかし「ゴキゲン中飛車」と“米長流”をミックスした“田村式ゴキゲン中飛車”ならば、それがないし、先手より先に玉を安全にできるのが大きな利点になります。
しかし、弱点はないのだろうか? 先手の駒組みとタイミングによっては「2四歩」は成立するのではないか?
次は、佐藤康光‐田村康介戦。中座‐田村戦の4か月後。NHK杯の早指し将棋。
佐藤康光‐田村康介 2002年1月
佐藤はここで2四歩といった。以下、同歩、同飛、8八角成、同銀、2二飛、2三歩、1
二飛、2八飛、7二銀、1二飛、5三角。
「5三角」から馬をつくるのが先手佐藤康光のねらい。
この手は田村康介も承知だったが、3二金、7五角成、3三桂、7七桂となって――
佐藤の「7七桂」が好手だった。次に6五桂のねらいであるが、これを防ぐのが難しい。田村は4四角と打ったが、これは苦戦を認めてやむなく打った手。
それならと佐藤は、6五馬。続く2二歩に、5六馬。これまたうまい活用だった。
そしてこのようになった。先手陣には隙がない。しかしこのままでは、3四の金が遊び駒になってますます形勢の差は開く。
ということで、後手田村、5六歩、同歩、6六角から攻めにいった。
投了図
しかし佐藤が軽くいなして、勝利。
という具合に、この将棋は佐藤康光が冴えていました。さすが名人経験者という指し回しです。
しかし佐藤さんは、この“田村式”の序盤を「面白い!」と思ったようで、この時に進行中だった王将戦七番勝負で羽生善治を相手に、「ゴキゲン中飛車田村式」を使うのです。
羽生善治‐佐藤康光 2002年王将戦
図のように佐藤は「6二銀」と早囲いにした。これなら先の佐藤‐田村戦の「5三角」がありません。
今日はここまで。続きはまた。
・飛車先歩交換許容型中飛車の関連記事
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『横歩を取らない男、羽生善治 2』
『鈴木式中飛車(超急戦は回避します)』
『升田式、米長式、田村式』
『“田村式”』
『“ゴキゲン封じ”と、“新ゴキゲン”』
『藤井式中飛車』
今日の記事は、2日前に半分書いて、そのままだったのですが、今日、米長邦雄永世棋聖(日本将棋連盟会長、元名人)の訃報が入ってきました。
大変、驚きました。お悔み申し上げます。
この記事は、ある“米長新手”の話から始まりますが、これは2日前から書いていたことであり、今回の訃報と重なったのは偶然です。
まずはこの将棋から。 田中寅彦‐米長邦雄戦。2001年の対局。
初手より、7六歩、3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5五歩、2四歩、同歩、同飛。
田中寅彦‐米長邦雄 2001年6月
ここで米長邦雄は、「5六歩」。
これが“米長流”。 これほどダイナミックな手が他にあるだろうか。
以下、5六同歩、8八角成、同銀、2二飛。
ここで先手の田中寅彦は、2二飛成と指した。以下、同銀、6八金、6二玉、2八歩、7二玉、6九玉、1四歩、7八玉、1五歩、3八銀、6二金、5五歩、3三桂、5四歩、5五飛と進んで、次の図となる。
ところで、上の図で、2三歩ならどうなるか。これは5二飛、2八飛、5六飛、5八歩、3二金で後手が指しやすい。よって本譜の2二飛成は当然。
また、2二飛成、同銀、5三飛はどうか。これは、5二金右、5四飛成、3三銀、3八金、5七角、4八銀、2四角成となって、先手の竜よりも、後手の馬の働きの方が優れていて後手が良い。これが「米長流の狙い」なのである。
7七銀、5四飛、6六銀、3五歩、9六歩、2四飛、2七銀、3一銀、9五歩、4二銀、4六角、5三銀、3五角、2一飛、5四歩、4四銀、同角、同歩、4三飛
お互いに「飛車角」を持っているので、動きがむつかしい。米長は「5五飛」と打って、歩損を回復した。
そして、こんなふうな面白い将棋になったが―――
投了図
これは129手、田中の勝ち。
米長邦雄は、その翌月の対局、島朗戦で同じ指し方、“米長流”をしかけた。
島‐米長邦雄 2001年7月
田中‐米長戦を知っていた島は、途中まで田中寅彦の指し方を踏襲。
図のように後手米長は、1六歩、同歩、1八歩、同香、1九飛と攻めた。先手はゆったりしてもよいが、後手は「一歩損」だから、どこかで仕掛けたい状況なのだ。
図以下、1七香、1八角、2六飛と受けて、これは先手が受け切っているようだ。以下、3二金、3九金、2九角成、同金、1七飛成、2七歩、5一香、2一角と進んだ。
これは先手のペース。
投了図
島朗の勝ち。 2局とも米長邦雄永世棋聖の敗局になったが、しかし魅力的な戦術である。
この「2二飛」と飛車をぶつけるこの指し方は、「あの名局」を思い出します。
「あの名局」とは?
ここから30年遡って、1971年の名人戦、升田幸三‐大山康晴戦。
升田幸三‐大山康晴 1971年名人戦第3局
“升田式石田流”で湧いたシリーズの第3局。
図から、2四歩、同歩、同飛、8八角成、同銀、2二飛、2三歩、1二飛。
この「1二飛」が升田の用意した手。この将棋があまりに有名になったので、今ではこの「1二飛」という手が、誰もが指す手のようになっている。
図から2六飛、3二金、3六歩、同歩、同銀、2二歩。
この「2二歩」の“合わせの歩”がまたかっこいい。
ここから、2二歩成、同飛、2五歩、4二銀、6八金、5四歩、1六歩、5三角、2八飛、6四角 …(指し手省略)
4六の銀を「3五銀」と引いたこの手が、誰も予測できなかった絶妙手。(すでに94手目である。)
以下、同角、3四金、5七角、2四金、3六歩、2五歩、2九飛、3六飛、4七銀、3七飛成、4九飛、2三金、1三角成、同香、3八歩、3三竜 …
後手升田優勢になるが、大山もすごい。この将棋は、その後もあと100手続くのだ。
投了図
210手、升田の勝ち。
この「名局」は、ぜひ『升田式石田流の時代』の中に収録されている東公平さんの観戦記で読まれることをお奨めします。
さあ、ここで田村康介が登場する。
『早指し王』
中座真‐田村康介 2001年9月
中座真‐田村康介戦。これは、米長邦雄が“米長流”を披露したその3か月後の将棋です。
田村康介(たむらこうすけ)、1976年生まれ、富山県出身、大内延介門下。
上図は、初手から、▲2六歩 △3四歩 ▲7六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛 ▲7八金 △6二玉としたところ。
この「6二玉」が、“田村新手”です。
その前の先手の7八金は、次に「2四歩からの歩交換をするぞ」という手。そこで従来のゴキゲン中飛車の手順は、5五歩、2四歩、同歩、同飛、3二金、2八飛、2三歩というような将棋となります。
それを、田村は「5五歩を突かないで、6二玉と指した」のです。「5五歩を突かないまま」というのが新しかった。
先手が2四歩と行くとどうなるのでしょうか? 実戦で中座真は2四歩と行ったので、それを追ってみましょう。
▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △8八角成 ▲同銀 △2二飛
▲2三歩 △1二飛
つまり、「こういうこと」です。 米長の「角を変えて2二飛」という指し方を見て、田村康介はそれをゴキゲン中飛車に応用したのです。
「升田幸三→ 米長邦雄→ 田村康介」と、角交換して飛車をぶつけるという振り飛車のワザが受け継がれてきたということです。
▲2二角 △3五角
中座さんはここで「2二角」と打ち込んでいきました。
▲2八飛ではいけないのでしょうか? それは、3二金、4八銀、2二歩、同歩成、同飛、2六歩、4二銀で後手十分。
▲2二角に、田村△3五角。
▲2八飛 △5七角成 ▲1一角成 △同飛 ▲2二歩成 △2七歩 ▲同飛 △2六歩
▲同飛 △4四角
いったんは先手成功のように見えるが、後手にも2七歩から飛車を歩でたたいて、△4四角があった。
▲1一と △2六角 ▲5八歩 △4七馬 ▲3八銀 △1四馬 ▲2一と △4二銀 ▲2八香
▲1一と△2六角に、中座は、5八歩だったので、4七馬、3八銀、1四馬となった。後手良し。
▲5八歩で、▲2一となら、4四角とする。そこで3一となら、8八角成、同金、6八銀で先手玉は詰み。なので、4四角に、6六香となるが、以下、4二銀、4八金、5六馬、7七銀、7二銀となって、後手良しである。
△4四角 ▲2二と △2六歩 ▲2一飛 △5二金左 ▲1六歩 △5一飛
中座はと金の活用を図る。
▲5一同飛成 △同銀 ▲2一飛 △2四馬 ▲6六桂 △3五角 ▲2六香 △同 角
▲2三と △4六馬 ▲4七歩 △4五馬 ▲3二と △4四角 ▲7七銀 △7二玉 ▲4一と
△2四馬で、△8八角成から攻めをねらう。▲6六桂と駒を使わせて、△3五角。先手は受けが難しくなった。
△6二銀左 ▲3一飛成 △5三角 ▲3二龍 △6四歩 ▲4六歩 △4四馬
▲3六歩 △6五歩 ▲3七桂 △6六歩 ▲同銀 △2六桂 まで74手で後手の勝ち
△7二玉~△6二銀左で、こんどは田村康介、「受けつぶし」をねらう。攻め駒の足らない先手は、駒を取らせてもらえないと苦しい。田村、△6四歩から、打たせた桂馬を取りに行く。手堅い勝ち方だ。
投了図
△2六桂を見て、先手中座真、投了。74手。
その4日後、再びこの二人は激突しました。竜王戦ランキング戦5組の、昇級者決定の重要な一戦です。そしてまた、“田村式ゴキゲン中飛車”となったのです。
中座真‐田村康介 2001年9月
前回、2四歩からの“決戦”に行って敗れている先手の中座真、今度は慎重な序盤。
すると、田村康介、玉を8二に深く囲って7二銀と美濃囲いにした後、16手目△3五歩。中飛車側は、玉を囲っているので、さらに強い戦い方ができます。
以下、4七銀、5五歩、6八銀、5四飛、3六歩、3四飛、3八飛、3六歩、同銀。
ここで△5六歩。 先手は▲6六歩と角交換拒否。まあここは先手としては激しい戦いはしたくないところ。
逆に後手振り飛車としては「暴れたい」ところ。「△3八歩」と手裏剣を飛ばし、先手中座は▲5五歩。
以下、3四飛、3五歩、6七歩成、同金、8四飛、3八飛、8七飛成…(略)
中座に疑問手も出て、田村がやや優勢に。△7四歩から手をつくる。
7四歩、9七角、7五歩、2四歩、7六歩、8八銀、7七歩成、同桂、7六歩、8七銀、7七歩成、2八飛、8七と、7五角、7四銀(下図)。
飛車を捨て、と金をつくった。
図の7四銀が決め手。
投了図
田村康介の勝ち。
ゴキゲン中飛車の“田村式”、これはまったく画期的な戦術でした。5五歩を突くことを保留することで、3二金と上がることもせず、角も動かさず、なにもしないままなのに、先手からの「2四歩」に備えているのだ!
この“田村式”の発想の元となった“米長流5六歩戦法”は、先に一歩を捨てるので、それが負担になっていた。しかし「ゴキゲン中飛車」と“米長流”をミックスした“田村式ゴキゲン中飛車”ならば、それがないし、先手より先に玉を安全にできるのが大きな利点になります。
しかし、弱点はないのだろうか? 先手の駒組みとタイミングによっては「2四歩」は成立するのではないか?
次は、佐藤康光‐田村康介戦。中座‐田村戦の4か月後。NHK杯の早指し将棋。
佐藤康光‐田村康介 2002年1月
佐藤はここで2四歩といった。以下、同歩、同飛、8八角成、同銀、2二飛、2三歩、1
二飛、2八飛、7二銀、1二飛、5三角。
「5三角」から馬をつくるのが先手佐藤康光のねらい。
この手は田村康介も承知だったが、3二金、7五角成、3三桂、7七桂となって――
佐藤の「7七桂」が好手だった。次に6五桂のねらいであるが、これを防ぐのが難しい。田村は4四角と打ったが、これは苦戦を認めてやむなく打った手。
それならと佐藤は、6五馬。続く2二歩に、5六馬。これまたうまい活用だった。
そしてこのようになった。先手陣には隙がない。しかしこのままでは、3四の金が遊び駒になってますます形勢の差は開く。
ということで、後手田村、5六歩、同歩、6六角から攻めにいった。
投了図
しかし佐藤が軽くいなして、勝利。
という具合に、この将棋は佐藤康光が冴えていました。さすが名人経験者という指し回しです。
しかし佐藤さんは、この“田村式”の序盤を「面白い!」と思ったようで、この時に進行中だった王将戦七番勝負で羽生善治を相手に、「ゴキゲン中飛車田村式」を使うのです。
羽生善治‐佐藤康光 2002年王将戦
図のように佐藤は「6二銀」と早囲いにした。これなら先の佐藤‐田村戦の「5三角」がありません。
今日はここまで。続きはまた。
・飛車先歩交換許容型中飛車の関連記事
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『横歩を取らない男、羽生善治 2』
『鈴木式中飛車(超急戦は回避します)』
『升田式、米長式、田村式』
『“田村式”』
『“ゴキゲン封じ”と、“新ゴキゲン”』
『藤井式中飛車』
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