写真左の『鈴木流相振り飛車』にはお世話になりました。この本は1998年の発行なのですが、その頃僕は「ゴキゲン中飛車」を主に指しておりまして、それで「ゴキゲン」を含む振り飛車党というのは、覚えることが少なくてすむのが便利なのです。矢倉も、角換わり腰掛銀も、横歩取りも覚えなくても指せる。しかも「ゴキゲン」は、多様な四間飛車定跡を無視できる。ただし、100パーセント「ゴキゲン中飛車」ですむかというとそれは無理で、相手も振り飛車をやってきたら――という問題がありました。つまり「相振り飛車」です。これをどうするか。
相振り飛車のときも「中飛車で」という人もいると思いますが、どうも相振りで中飛車はイマイチの印象がありました。見よう見まねで適当に相振りを指してみましたが、どうもコツがわからない。
それで買ったのがこの本『鈴木流相振り飛車』なんですね。この本には、先手の「向かい飛車」と後手の「三間飛車」の戦いが解説されています。それで学んだことは、相振りは「向かい飛車が有力」ということです。
ということで、僕は相手が居飛車なら「ゴキゲン中飛車」、相手が振り飛車の時は「向かい飛車」と決めて指すことにしたのでした。序盤のスタイルが決まると迷いも少なくなり、勝率がアップしました。
1990年代は、振り飛車が、居飛車穴熊の猛威のために絶滅の危機まで危惧されていたような時期で、「振り飛車党」そのものがプロでは減ってきていました。ですから「相振り飛車」を解説した本というのもほとんどなかった。ただ、杉本昌隆の『相振り革命』が1995年に出版されていたのは知っていて、僕はこの本がほしかったのですが1997、8年頃は手に入らなかった。(在庫はあったかもしれないが、本屋に注文するのは面倒だった。出版社とかわからなかったから。)
そんなときに『鈴木流相振り飛車』が出てこれを買いました。タイミングが良かったのです。
その後に僕は矢倉や相掛りを指したくなり、居飛車党に変わったのですが、逆にプロの世界では(藤井システムのブームで)振り飛車党が増えまして、「相振り飛車」の将棋も増え、その戦術も進歩しました。
そうして、ここ数年のうちに、相振り飛車の主流は、「向かい飛車」から、「三間飛車」に変わっているんですね。これがちょっと僕の中では、“驚き”の進化でした。
さて、今日のテーマはしかし、相振り飛車のことではありません。
鈴木大介風味の「ゴキゲン中飛車」についてです。
今日は、1999年の竜王戦七番勝負「藤井猛‐鈴木大介」戦を中心に見ていきます。
その前年1998年に、藤井猛が4―0というスコアで谷川浩司から「竜王位」を奪取、「藤井システム」が天下を取れるほどの威力を持っていることを証明して見せたのでした。これで、プロ・アマ全体に「四間飛車ブーム」が起きました。
そういう中で、「中飛車」は陰に隠れていたわけですが、近藤正和の「ゴキゲン中飛車」を自分なりに消化して血肉としていたのが鈴木大介でした。その鈴木大介が1999年9月、丸山忠久(この年新名人になった。ノストラダムスの予言したアンゴルモアの大王とは丸山忠久のことだったか!)との挑戦権争いに2―1で勝ち、竜王戦の挑戦者となったのです。鈴木大介は当時25歳。大内延介門下です。
鈴木大介の武器は、四間飛車(藤井システムは使わない)と、ゴキゲン中飛車でした。藤井、鈴木ともに振り飛車党でしたので、「相振り飛車」が想定されましたが、このシリーズでは藤井は振り飛車を鈴木に譲り、自分は居飛車で戦いました。
結果は4-1で藤井猛が竜王防衛でしたが、この戦いの中で、第3、5局が「ゴキゲン中飛車」の将棋でした。藤井は、相手の鈴木がこの中飛車も指すことを想定していたので、「7手目5八金右」という新しい手を用意してこの勝負に臨みました。
藤井猛‐鈴木大介 1999年竜王戦第2局
初手より▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩▲2五歩△5二飛▲5八金右でこの図。
この「5八金右」が藤井猛の新手です。
この手では、▲4八銀右、▲2二角成(丸山ワクチンと呼ばれる)、▲7八金がプロによく用いられる指し方で、他に▲2四歩、▲6八金、▲6八玉なども指されたことがある。
「5八金右」の意味は、次に「▲2四歩△同歩▲同飛」と飛車先歩交換に行く準備です。それまでに指されていた「7八金」も同じく「▲2四歩」からの歩交換を目指していますが、「7八金」なら対振り飛車としては損な手(玉の囲いがむつかしくなる)なので、それなら中飛車側としても「飛車先歩交換くらい、まあいいか」という妥協ができた。ところが藤井は「5八金右」からそれをやろうという、これはちょっと欲張った手なのです。
それで上図から△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金と進んで、下図。
1999年の竜王戦第2局では、このように進みました。
12手目「3二金」、これが“鈴木流”です。
今では、12手目は3二金ではなく、5六歩がよく指されるし、定跡書もそれを詳しく解説する。
△5六歩▲同歩△8八角成▲同銀△3三角▲2一飛成△9九角成▲5五桂△4二玉…
これをゴキゲン中飛車の“超急戦”という。
上に書いたように、居飛車側が「5八金右」から「2四歩」という手順は、後手中飛車側からすれば、「許しがたい手順」なわけです。「それは、許さん!」という考えが、5六歩以下の“超急戦”となって表われる。この闘い、先手がいいのか、後手がいいのか、まだわかっていません。定跡も“進化中”です。(ただし最近はあまり見ない。)
ところが、鈴木大介は「3二金」とした。
実はこれ、「“超急戦”にはしません、飛車先交換は許す」という手なのです。
鈴木大介は今でも、「“超急戦”は受けない」と言っています。実は「ゴキゲン」の本家近藤正和も、それから杉本昌隆もやはり「受ける気はない」と公言しています。居飛車が「5八金右」とするのは、“超急戦”をやろうとバリバリに研究して望んでいる公算が高く、そんなのを相手にして研究にはまっては面白くないという考えでしょうか。
まあ、そういうことで、鈴木は「3二金」なのですが、そうすると先手は2四歩からの飛車先歩交換ができ、これは実はあの“森流中飛車”に合流します。
“森流中飛車”
これが“森流中飛車”です。(初手から7六歩、3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5五歩、2四歩、同歩、同飛、3二金、2八飛、5二飛)
ここで先手が5八金右とし、後手が2三歩とすれば、完全に「合流」することになります。
竜王戦第2局は、△3二金以下、▲4八銀△3五歩▲6八玉△6二玉▲2六飛△2三歩▲3六歩と、先手の藤井竜王が機敏に動いていく将棋になったのですが、この戦いの続きは後回しにして、また最後に述べることとします。
まず先に、この期の竜王戦の第5局の将棋から。
鈴木大介‐藤井猛 1999年竜王戦第5局
これは鈴木六段(当時)が先手で、1六歩とした形の先手の「ゴキゲン中飛車」。
対して後手の藤井猛竜王が、やはり藤井新手の「5二金右」です。
第2局では鈴木大介、“超急戦”を受けませんでしたが、この将棋では受けたのです。つまり、図から、5五歩、8六歩、同歩、同飛、5四歩と行ったのです!
5四同歩、2二角成、同銀、7七角、8九飛成、2二角成、5五桂、4八玉、9九竜…
「ゴキゲン中飛車超急戦定跡」は、ここから始まったのです。
しかし、藤井さんの「5二金右」からの“超急戦”は、実は、失敗でした。
藤井9九竜、鈴木2一馬、藤井6七桂成。
なぜ失敗だったかといえば、後手番だったからです。これは「先手番ゴキゲン中飛車」なので、先手は「1六歩」と端歩を突いています。これが大きいのです。藤井の研究準備していた居飛車勝ちの手順が、この端歩のために先手玉がことごとく「詰まない変化」に入ることとなり、藤井は「うかつだった」と反省することになります。6七桂成は、困った藤井竜王の「予定外」の修正手でした。
2一馬、6七桂成、5四飛、5三歩、5六飛と進みます。
さらにこの8八角が、この場で藤井竜王が苦吟してひねり出した手で、好手でした。鈴木大介もこれは読みになかった。この手があるのなら、5六飛では5九飛が正着だった、などと後で結論されました。
この将棋、先手の「1六歩」のために、仕掛けの時から後手が苦しいのです。しかしこの「8八角」の勝負手で、“いい勝負”になってきました。とはいっても、まだ先手やや良しという形勢らしい。
後手藤井の8七歩に、先手鈴木は8九歩。これが「悪手」だったというから、将棋はむつかしいですね。
正着は5五香。これで先手が優勢だったという。以下6四銀、1一馬となって、後手は8八歩成ができない。8八歩成だと、6七歩、7九と、5八飛、同竜、同金左となって、先手は飛車を手にすると8五飛などがあって、後手は挟撃の形になり、これは先手がはっきり勝ちになる。
実戦は、8九歩、3二銀、同馬、同金、4八銀。
この4八銀が敗着で、8六香なら(それでも後手優勢ながらも)まだ戦えたということです。
以下は省略しますが、藤井の勝ち。
これで鈴木大介の挑戦した第12期竜王戦は4-1で藤井猛が防衛となったのでした。
この将棋から、「5八金右」からの「ゴキゲン中飛車超急戦」が一つのジャンルになり、同時に後手番での同様の「超急戦」は“先手ゴキゲン中飛車良し”が結論されたのです。
羽生善治‐鈴木大介 2004年
対羽生善治戦。これが“鈴木式中飛車”。先手の「超急戦」の誘いを、「3二金」でお断りする戦術。
しかしそれなら、先手も飛車先の歩が切れるので、満足の序盤といえる。それを許すのが“鈴木式”。
先手は飛車先の歩が切れて、すんなり「左美濃」に囲えた。
後手は3二金が玉から離れているので、その分を攻撃面でポイントを挙げなければつり合いがとれないが…。
羽生5四歩。後手鈴木は、2四飛、2八歩、5四飛と応じたが、単に5四飛が正着だったという。
というのは、5四飛のあと、3六銀、3七歩、同飛、4六銀、3八飛、6四角、4五銀、2四飛となったのだが、もし先に「単に5四飛」としていたら、2四飛が後手の先手になるので先手は2八歩と受けなければならない。つまり後手は「一手、損をした」ことになる。
2四飛に、羽生は5六銀。3六にいた銀を巧妙に5六銀と、中央に移動した。
図以下、3六歩、同飛、2八飛成、5五歩、5七銀成、同金、2九竜、6五銀、4二角、5四歩。
ここで鈴木5二歩。これが疑問手だったという。2五竜、6六飛、5二歩なら形勢不明。
5二歩に、羽生の指した5五角が絶好だったからで、次に3四歩から桂馬を取っての7四桂がある。
鈴木はそれを、2七竜、3七歩、8四歩として緩和する。これで3四歩は打てなくなった。
しかし3四銀から、羽生は桂馬を取りに行く。
7四桂~8二金が実現して、羽生の勝ち将棋になった。 しかし鈴木も粘る。
投了図
が、やはり及ばず。羽生の勝ち。
この将棋は竜王戦1組の対局で、勝った方が挑戦者決定トーナメントに進めるという一局。これを制した羽生はしかし、この期は挑戦者にはなれませんでした。この年2004年竜王戦の挑戦者になったのは、渡辺明(20歳)。そして、渡辺竜王が誕生した。
さて、“鈴木式中飛車”はこのようになります。結果的に、これは“森流中飛車”と同じもの。
しかしそうすると、この“鈴木式”が通用するなら、“森流中飛車”も通用するということになります。(以前の記事で、「ゴキゲン中飛車と比べるとはっきり損をしている」と、僕は書いたのですが。)
この将棋は先手の羽生さんが勝利しましたが、途中までは後手も戦えていました。しかし、先手の方が金銀三枚で囲えるので戦いやすい印象はあります。
次の例を見てみましょう。
深浦康市‐鈴木大介 2004年
対深浦康市戦。 “鈴木式中飛車”は、“森流中飛車”と同じく、浮き飛車にして戦うことが多いのですが、この将棋では鈴木さんは「一段飛車」を使っています。
これも一理ある指し方で、先手に2筋の歩を切らせたので、飛車を5二から、5一、2一とまわって2筋から逆襲していきます。これはアマチュアにもわかりやすい攻め方ですね。
先手の深浦さんは、やはり「左美濃」に囲っています。
深浦康市が8七銀から「銀冠」にしようとした瞬間をとらえて、鈴木大介は「2七桂」と打ち込みました。以下、7八金、1九桂成、同飛、2七歩成…。
こう進みました。先手の5五飛に、後手5四歩、そこで深浦7五桂。以下、同歩、同飛、5五桂、9二歩成、同香、同香成、同玉、9三歩、8二玉、7四香。
7二玉、9二歩成、7四銀、5五飛、同歩、8一と、同玉、7四桂、9四香、9五桂、5七と、8四桂。
攻めも受けも、なんだかとても、かっこいい。
深浦さんが小駒(飛角以外の駒)で押し切って勝利。
これは銀河戦(ケーブルTVの早指し戦)でした。
解説がないのでよくわかりませんが、後手もどこかで“勝ち味”はあったような気がします。
北浜健介‐鈴木大介 2001年
たまたまですが、鈴木さんの敗局ばかりを紹介しているので、今度は勝局を見てもらいます。2001年の順位戦。対北浜健介戦。
後手の飛車は、「5四→7四→7六→3六」と動き、先手は「2四→5四」と、お互いに“十字飛車”。いま、先手北浜健介が7四歩とここから攻めたところ。
“鈴木式中飛車”で浮き飛車(5四飛)にすると、こういう「空中戦」の展開にもなりやすい。
北浜健介さんは、2003年に27歳で七段に昇段しています。奨励会三段リーグも2期で突破しているし、これはエリート街道を歩くようなスピード出世ですが、なんといっても順位戦の勝ち星の取り方が効率的。2003年のB1組昇級まで、北浜さんの順位戦のトータルの勝敗は53勝37敗で、9年間でで4回も負け越ししているのに、3度も「昇級」しているのですから。
その終盤。北浜は大駒をすべて敵に渡したので、攻めきるしかないが、図で、後手の鈴木が9五桂。これが“詰めろ”なら鈴木の勝ちだが、じつは“詰めろ”になっていない。それで、北浜は8二金、同玉、7三金、9二玉、7四成銀とした。これは“詰めろ”で間違いない。7四成銀はもう149手目だ。
鈴木はどうするのか。
図から8七桂成、同銀、同香成、同玉、8六金、7八玉、8五飛。
8五飛で後手玉の“詰めろ”を防ぐ。
北浜は7五桂。これがやはり“詰めろ”だ。
図から鈴木は、8七金、7九玉、8八金、6八玉、6七歩、同玉、6六歩と攻める。以下、6六同玉、6五歩、5六玉、5五飛、6七玉、6六歩、6八玉、7五飛左。
鈴木は王手の連続で手をつなぎつつ、打った飛車で桂馬を取って“詰めろ”を解除。今度は“詰めろ逃れの詰めろ”になっている。
北浜は8三金。
8三金、同飛、同成銀、同玉、8六飛、8五銀、8八飛。北浜は金を取り除く。
しかし6七銀、7九玉、7八歩。北浜、投了。 後手玉はもう捕まらない。
投了図
183手の熱戦だった。後手鈴木大介の勝ち。
さて、それでは、1999年竜王戦第2局に戻ります。
初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩▲2五歩△5二飛▲5八金右△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金▲4八銀△3五歩▲6八玉△6二玉▲2六飛△2三歩▲3六歩、で次の図。
藤井猛‐鈴木大介 1999年竜王戦第2局
△3六同歩 ▲同飛 △5四飛 ▲3七桂 △2四飛 ▲2五歩 △7四飛
▲9六歩 △7二玉 ▲7八銀 △8二玉 ▲7九玉 △7二銀 ▲5六歩 △7六飛
▲2四歩 △同歩 ▲9七角 △6四歩 ▲4五桂 △4四角 ▲6四角 △5六歩
後手の「△3五歩が早すぎた」と鈴木大介は後で反省することになる。藤井猛の▲2六飛~▲3六歩が好着想で、これがあるなら後手まずいというわけです。△3五歩で、先に2三歩、2八飛、3五歩とすれば藤井のこの構想はなかった。
△7六飛 ▲2四歩 △同歩 ▲9七角 △6四歩 ▲4五桂 △4四角
▲6四角 △5六歩 ▲7七歩 △5七歩成 ▲7六飛 △5八と ▲同金 △6五金
藤井竜王は、3七桂型を実現し、5六歩と、後手の突いた3筋、5筋の位(くらい)を逆用する。この手に藤井は90分考えた。
7六飛という「タテ歩取り」が、“鈴木式中飛車”のねらい筋の一つ。
▲7四飛 △7一角 ▲6六歩
「6五金」が鈴木大介の勝負手。藤井は7四飛。
△7一角では、換えて4二銀なら難しかったらしい。
△6四金 ▲同飛 △6三歩 ▲5四飛 △4二銀 ▲5三歩 △5一歩 ▲8八玉 △3七歩
▲同銀 △3三桂 ▲4六銀 △4五桂 ▲同銀 △4四歩 ▲同銀 △2八角
▲2一飛 △1九角成 ▲1一飛成 △1八馬 ▲5五銀 △3一歩 ▲6九金
▲5三歩で後手の角を封じて先手優勢になった。しかしその後、△3七歩を▲同銀と応じたので、形勢がまたもつれた。▲3七同銀では、2四飛、3八歩成、5七銀でよかった。
鈴木の△4四歩が好手だった。しかし…
この図の一手前の△3一歩が失着で、この後鈴木大介にチャンスはこなかった。
△3一歩に▲6九金と自陣の手入れをしたので、先手は飛車を渡してももう怖くない。
△3一歩では、4三銀が勝負手で、以下2四飛、2三香は悪いながら後手も戦えた。
投了図
119手、先手藤井竜王の勝ち。
いやいや、逆転してないし。
かんたんに僕の調べた範囲では、“鈴木式中飛車”は4勝4敗の5分の星でした。
ということは要するに、工夫次第で“森流中飛車も使える、ということですね。
実は鈴木流の「3二金」以外でも、“超急戦”を回避する手段はあります。先手の5八金右に、5五歩とはしないで「6二玉」、または「9四歩」とする。これでOK。
鈴木大介はそれをあえて「5五歩~3二金」としているわけで、それはつまりこの指し方を気に入って使っているわけです。この中飛車に「勝利の可能性あり」と判断しているということです。
この指し方は鈴木大介の著書『鈴木流豪快中飛車の極意』の第4章に解説されています。
先手:藤井猛
後手:鈴木大介
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲5八金右 △5五歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △3二金
▲4八銀 △3五歩 ▲6八玉 △6二玉 ▲2六飛 △2三歩
▲3六歩 △同 歩 ▲同 飛 △5四飛 ▲3七桂 △2四飛
▲2五歩 △7四飛 ▲9六歩 △7二玉 ▲7八銀 △8二玉
▲7九玉 △7二銀 ▲5六歩 △7六飛 ▲2四歩 △同 歩
▲9七角 △6四歩 ▲4五桂 △4四角 ▲6四角 △5六歩
▲7七歩 △5七歩成 ▲7六飛 △5八と ▲同 金 △6五金
▲7四飛 △7一角 ▲6六歩 △6四金 ▲同 飛 △6三歩
▲5四飛 △4二銀 ▲5三歩 △5一歩 ▲8八玉 △3七歩
▲同 銀 △3三桂 ▲4六銀 △4五桂 ▲同 銀 △4四歩
▲同 銀 △2八角 ▲2一飛 △1九角成 ▲1一飛成 △1八馬
▲5五銀 △3一歩 ▲6九金 △3三銀 ▲3四歩 △4二銀
▲5七香 △4三銀 ▲3三歩成 △同 金 ▲3一龍 △3二金
▲4一龍 △5四銀 ▲同 銀 △3一飛 ▲4六龍 △4一香
▲3五龍 △1七馬 ▲2六歩 △3三歩 ▲5五桂 △2七馬
▲3六歩 △3四歩 ▲同 龍 △3三金 ▲同 龍 △同 飛
▲6三桂成 △同 銀 ▲同銀成 △4七香成 ▲同 金 △6八歩
▲7二香 △6九歩成 ▲7一香成 △同 金 ▲7二銀 △同 金
▲同成銀 △同 玉 ▲6三銀 △同 玉 ▲4五角
まで119手で先手の勝ち
・鈴木大介の登場する過去記事
『早指し王』
『筋肉の棋士』
・飛車先歩交換許容型中飛車の関連記事
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『横歩を取らない男、羽生善治 2』
『鈴木式中飛車(超急戦は回避します)』
『升田式、米長式、田村式』
『“田村式”』
『“ゴキゲン封じ”と、“新ゴキゲン”』
『藤井式中飛車』
相振り飛車のときも「中飛車で」という人もいると思いますが、どうも相振りで中飛車はイマイチの印象がありました。見よう見まねで適当に相振りを指してみましたが、どうもコツがわからない。
それで買ったのがこの本『鈴木流相振り飛車』なんですね。この本には、先手の「向かい飛車」と後手の「三間飛車」の戦いが解説されています。それで学んだことは、相振りは「向かい飛車が有力」ということです。
ということで、僕は相手が居飛車なら「ゴキゲン中飛車」、相手が振り飛車の時は「向かい飛車」と決めて指すことにしたのでした。序盤のスタイルが決まると迷いも少なくなり、勝率がアップしました。
1990年代は、振り飛車が、居飛車穴熊の猛威のために絶滅の危機まで危惧されていたような時期で、「振り飛車党」そのものがプロでは減ってきていました。ですから「相振り飛車」を解説した本というのもほとんどなかった。ただ、杉本昌隆の『相振り革命』が1995年に出版されていたのは知っていて、僕はこの本がほしかったのですが1997、8年頃は手に入らなかった。(在庫はあったかもしれないが、本屋に注文するのは面倒だった。出版社とかわからなかったから。)
そんなときに『鈴木流相振り飛車』が出てこれを買いました。タイミングが良かったのです。
その後に僕は矢倉や相掛りを指したくなり、居飛車党に変わったのですが、逆にプロの世界では(藤井システムのブームで)振り飛車党が増えまして、「相振り飛車」の将棋も増え、その戦術も進歩しました。
そうして、ここ数年のうちに、相振り飛車の主流は、「向かい飛車」から、「三間飛車」に変わっているんですね。これがちょっと僕の中では、“驚き”の進化でした。
さて、今日のテーマはしかし、相振り飛車のことではありません。
鈴木大介風味の「ゴキゲン中飛車」についてです。
今日は、1999年の竜王戦七番勝負「藤井猛‐鈴木大介」戦を中心に見ていきます。
その前年1998年に、藤井猛が4―0というスコアで谷川浩司から「竜王位」を奪取、「藤井システム」が天下を取れるほどの威力を持っていることを証明して見せたのでした。これで、プロ・アマ全体に「四間飛車ブーム」が起きました。
そういう中で、「中飛車」は陰に隠れていたわけですが、近藤正和の「ゴキゲン中飛車」を自分なりに消化して血肉としていたのが鈴木大介でした。その鈴木大介が1999年9月、丸山忠久(この年新名人になった。ノストラダムスの予言したアンゴルモアの大王とは丸山忠久のことだったか!)との挑戦権争いに2―1で勝ち、竜王戦の挑戦者となったのです。鈴木大介は当時25歳。大内延介門下です。
鈴木大介の武器は、四間飛車(藤井システムは使わない)と、ゴキゲン中飛車でした。藤井、鈴木ともに振り飛車党でしたので、「相振り飛車」が想定されましたが、このシリーズでは藤井は振り飛車を鈴木に譲り、自分は居飛車で戦いました。
結果は4-1で藤井猛が竜王防衛でしたが、この戦いの中で、第3、5局が「ゴキゲン中飛車」の将棋でした。藤井は、相手の鈴木がこの中飛車も指すことを想定していたので、「7手目5八金右」という新しい手を用意してこの勝負に臨みました。
藤井猛‐鈴木大介 1999年竜王戦第2局
初手より▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩▲2五歩△5二飛▲5八金右でこの図。
この「5八金右」が藤井猛の新手です。
この手では、▲4八銀右、▲2二角成(丸山ワクチンと呼ばれる)、▲7八金がプロによく用いられる指し方で、他に▲2四歩、▲6八金、▲6八玉なども指されたことがある。
「5八金右」の意味は、次に「▲2四歩△同歩▲同飛」と飛車先歩交換に行く準備です。それまでに指されていた「7八金」も同じく「▲2四歩」からの歩交換を目指していますが、「7八金」なら対振り飛車としては損な手(玉の囲いがむつかしくなる)なので、それなら中飛車側としても「飛車先歩交換くらい、まあいいか」という妥協ができた。ところが藤井は「5八金右」からそれをやろうという、これはちょっと欲張った手なのです。
それで上図から△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金と進んで、下図。
1999年の竜王戦第2局では、このように進みました。
12手目「3二金」、これが“鈴木流”です。
今では、12手目は3二金ではなく、5六歩がよく指されるし、定跡書もそれを詳しく解説する。
△5六歩▲同歩△8八角成▲同銀△3三角▲2一飛成△9九角成▲5五桂△4二玉…
これをゴキゲン中飛車の“超急戦”という。
上に書いたように、居飛車側が「5八金右」から「2四歩」という手順は、後手中飛車側からすれば、「許しがたい手順」なわけです。「それは、許さん!」という考えが、5六歩以下の“超急戦”となって表われる。この闘い、先手がいいのか、後手がいいのか、まだわかっていません。定跡も“進化中”です。(ただし最近はあまり見ない。)
ところが、鈴木大介は「3二金」とした。
実はこれ、「“超急戦”にはしません、飛車先交換は許す」という手なのです。
鈴木大介は今でも、「“超急戦”は受けない」と言っています。実は「ゴキゲン」の本家近藤正和も、それから杉本昌隆もやはり「受ける気はない」と公言しています。居飛車が「5八金右」とするのは、“超急戦”をやろうとバリバリに研究して望んでいる公算が高く、そんなのを相手にして研究にはまっては面白くないという考えでしょうか。
まあ、そういうことで、鈴木は「3二金」なのですが、そうすると先手は2四歩からの飛車先歩交換ができ、これは実はあの“森流中飛車”に合流します。
“森流中飛車”
これが“森流中飛車”です。(初手から7六歩、3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5五歩、2四歩、同歩、同飛、3二金、2八飛、5二飛)
ここで先手が5八金右とし、後手が2三歩とすれば、完全に「合流」することになります。
竜王戦第2局は、△3二金以下、▲4八銀△3五歩▲6八玉△6二玉▲2六飛△2三歩▲3六歩と、先手の藤井竜王が機敏に動いていく将棋になったのですが、この戦いの続きは後回しにして、また最後に述べることとします。
まず先に、この期の竜王戦の第5局の将棋から。
鈴木大介‐藤井猛 1999年竜王戦第5局
これは鈴木六段(当時)が先手で、1六歩とした形の先手の「ゴキゲン中飛車」。
対して後手の藤井猛竜王が、やはり藤井新手の「5二金右」です。
第2局では鈴木大介、“超急戦”を受けませんでしたが、この将棋では受けたのです。つまり、図から、5五歩、8六歩、同歩、同飛、5四歩と行ったのです!
5四同歩、2二角成、同銀、7七角、8九飛成、2二角成、5五桂、4八玉、9九竜…
「ゴキゲン中飛車超急戦定跡」は、ここから始まったのです。
しかし、藤井さんの「5二金右」からの“超急戦”は、実は、失敗でした。
藤井9九竜、鈴木2一馬、藤井6七桂成。
なぜ失敗だったかといえば、後手番だったからです。これは「先手番ゴキゲン中飛車」なので、先手は「1六歩」と端歩を突いています。これが大きいのです。藤井の研究準備していた居飛車勝ちの手順が、この端歩のために先手玉がことごとく「詰まない変化」に入ることとなり、藤井は「うかつだった」と反省することになります。6七桂成は、困った藤井竜王の「予定外」の修正手でした。
2一馬、6七桂成、5四飛、5三歩、5六飛と進みます。
さらにこの8八角が、この場で藤井竜王が苦吟してひねり出した手で、好手でした。鈴木大介もこれは読みになかった。この手があるのなら、5六飛では5九飛が正着だった、などと後で結論されました。
この将棋、先手の「1六歩」のために、仕掛けの時から後手が苦しいのです。しかしこの「8八角」の勝負手で、“いい勝負”になってきました。とはいっても、まだ先手やや良しという形勢らしい。
後手藤井の8七歩に、先手鈴木は8九歩。これが「悪手」だったというから、将棋はむつかしいですね。
正着は5五香。これで先手が優勢だったという。以下6四銀、1一馬となって、後手は8八歩成ができない。8八歩成だと、6七歩、7九と、5八飛、同竜、同金左となって、先手は飛車を手にすると8五飛などがあって、後手は挟撃の形になり、これは先手がはっきり勝ちになる。
実戦は、8九歩、3二銀、同馬、同金、4八銀。
この4八銀が敗着で、8六香なら(それでも後手優勢ながらも)まだ戦えたということです。
以下は省略しますが、藤井の勝ち。
これで鈴木大介の挑戦した第12期竜王戦は4-1で藤井猛が防衛となったのでした。
この将棋から、「5八金右」からの「ゴキゲン中飛車超急戦」が一つのジャンルになり、同時に後手番での同様の「超急戦」は“先手ゴキゲン中飛車良し”が結論されたのです。
羽生善治‐鈴木大介 2004年
対羽生善治戦。これが“鈴木式中飛車”。先手の「超急戦」の誘いを、「3二金」でお断りする戦術。
しかしそれなら、先手も飛車先の歩が切れるので、満足の序盤といえる。それを許すのが“鈴木式”。
先手は飛車先の歩が切れて、すんなり「左美濃」に囲えた。
後手は3二金が玉から離れているので、その分を攻撃面でポイントを挙げなければつり合いがとれないが…。
羽生5四歩。後手鈴木は、2四飛、2八歩、5四飛と応じたが、単に5四飛が正着だったという。
というのは、5四飛のあと、3六銀、3七歩、同飛、4六銀、3八飛、6四角、4五銀、2四飛となったのだが、もし先に「単に5四飛」としていたら、2四飛が後手の先手になるので先手は2八歩と受けなければならない。つまり後手は「一手、損をした」ことになる。
2四飛に、羽生は5六銀。3六にいた銀を巧妙に5六銀と、中央に移動した。
図以下、3六歩、同飛、2八飛成、5五歩、5七銀成、同金、2九竜、6五銀、4二角、5四歩。
ここで鈴木5二歩。これが疑問手だったという。2五竜、6六飛、5二歩なら形勢不明。
5二歩に、羽生の指した5五角が絶好だったからで、次に3四歩から桂馬を取っての7四桂がある。
鈴木はそれを、2七竜、3七歩、8四歩として緩和する。これで3四歩は打てなくなった。
しかし3四銀から、羽生は桂馬を取りに行く。
7四桂~8二金が実現して、羽生の勝ち将棋になった。 しかし鈴木も粘る。
投了図
が、やはり及ばず。羽生の勝ち。
この将棋は竜王戦1組の対局で、勝った方が挑戦者決定トーナメントに進めるという一局。これを制した羽生はしかし、この期は挑戦者にはなれませんでした。この年2004年竜王戦の挑戦者になったのは、渡辺明(20歳)。そして、渡辺竜王が誕生した。
さて、“鈴木式中飛車”はこのようになります。結果的に、これは“森流中飛車”と同じもの。
しかしそうすると、この“鈴木式”が通用するなら、“森流中飛車”も通用するということになります。(以前の記事で、「ゴキゲン中飛車と比べるとはっきり損をしている」と、僕は書いたのですが。)
この将棋は先手の羽生さんが勝利しましたが、途中までは後手も戦えていました。しかし、先手の方が金銀三枚で囲えるので戦いやすい印象はあります。
次の例を見てみましょう。
深浦康市‐鈴木大介 2004年
対深浦康市戦。 “鈴木式中飛車”は、“森流中飛車”と同じく、浮き飛車にして戦うことが多いのですが、この将棋では鈴木さんは「一段飛車」を使っています。
これも一理ある指し方で、先手に2筋の歩を切らせたので、飛車を5二から、5一、2一とまわって2筋から逆襲していきます。これはアマチュアにもわかりやすい攻め方ですね。
先手の深浦さんは、やはり「左美濃」に囲っています。
深浦康市が8七銀から「銀冠」にしようとした瞬間をとらえて、鈴木大介は「2七桂」と打ち込みました。以下、7八金、1九桂成、同飛、2七歩成…。
こう進みました。先手の5五飛に、後手5四歩、そこで深浦7五桂。以下、同歩、同飛、5五桂、9二歩成、同香、同香成、同玉、9三歩、8二玉、7四香。
7二玉、9二歩成、7四銀、5五飛、同歩、8一と、同玉、7四桂、9四香、9五桂、5七と、8四桂。
攻めも受けも、なんだかとても、かっこいい。
深浦さんが小駒(飛角以外の駒)で押し切って勝利。
これは銀河戦(ケーブルTVの早指し戦)でした。
解説がないのでよくわかりませんが、後手もどこかで“勝ち味”はあったような気がします。
北浜健介‐鈴木大介 2001年
たまたまですが、鈴木さんの敗局ばかりを紹介しているので、今度は勝局を見てもらいます。2001年の順位戦。対北浜健介戦。
後手の飛車は、「5四→7四→7六→3六」と動き、先手は「2四→5四」と、お互いに“十字飛車”。いま、先手北浜健介が7四歩とここから攻めたところ。
“鈴木式中飛車”で浮き飛車(5四飛)にすると、こういう「空中戦」の展開にもなりやすい。
北浜健介さんは、2003年に27歳で七段に昇段しています。奨励会三段リーグも2期で突破しているし、これはエリート街道を歩くようなスピード出世ですが、なんといっても順位戦の勝ち星の取り方が効率的。2003年のB1組昇級まで、北浜さんの順位戦のトータルの勝敗は53勝37敗で、9年間でで4回も負け越ししているのに、3度も「昇級」しているのですから。
その終盤。北浜は大駒をすべて敵に渡したので、攻めきるしかないが、図で、後手の鈴木が9五桂。これが“詰めろ”なら鈴木の勝ちだが、じつは“詰めろ”になっていない。それで、北浜は8二金、同玉、7三金、9二玉、7四成銀とした。これは“詰めろ”で間違いない。7四成銀はもう149手目だ。
鈴木はどうするのか。
図から8七桂成、同銀、同香成、同玉、8六金、7八玉、8五飛。
8五飛で後手玉の“詰めろ”を防ぐ。
北浜は7五桂。これがやはり“詰めろ”だ。
図から鈴木は、8七金、7九玉、8八金、6八玉、6七歩、同玉、6六歩と攻める。以下、6六同玉、6五歩、5六玉、5五飛、6七玉、6六歩、6八玉、7五飛左。
鈴木は王手の連続で手をつなぎつつ、打った飛車で桂馬を取って“詰めろ”を解除。今度は“詰めろ逃れの詰めろ”になっている。
北浜は8三金。
8三金、同飛、同成銀、同玉、8六飛、8五銀、8八飛。北浜は金を取り除く。
しかし6七銀、7九玉、7八歩。北浜、投了。 後手玉はもう捕まらない。
投了図
183手の熱戦だった。後手鈴木大介の勝ち。
さて、それでは、1999年竜王戦第2局に戻ります。
初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩▲2五歩△5二飛▲5八金右△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金▲4八銀△3五歩▲6八玉△6二玉▲2六飛△2三歩▲3六歩、で次の図。
藤井猛‐鈴木大介 1999年竜王戦第2局
△3六同歩 ▲同飛 △5四飛 ▲3七桂 △2四飛 ▲2五歩 △7四飛
▲9六歩 △7二玉 ▲7八銀 △8二玉 ▲7九玉 △7二銀 ▲5六歩 △7六飛
▲2四歩 △同歩 ▲9七角 △6四歩 ▲4五桂 △4四角 ▲6四角 △5六歩
後手の「△3五歩が早すぎた」と鈴木大介は後で反省することになる。藤井猛の▲2六飛~▲3六歩が好着想で、これがあるなら後手まずいというわけです。△3五歩で、先に2三歩、2八飛、3五歩とすれば藤井のこの構想はなかった。
△7六飛 ▲2四歩 △同歩 ▲9七角 △6四歩 ▲4五桂 △4四角
▲6四角 △5六歩 ▲7七歩 △5七歩成 ▲7六飛 △5八と ▲同金 △6五金
藤井竜王は、3七桂型を実現し、5六歩と、後手の突いた3筋、5筋の位(くらい)を逆用する。この手に藤井は90分考えた。
7六飛という「タテ歩取り」が、“鈴木式中飛車”のねらい筋の一つ。
▲7四飛 △7一角 ▲6六歩
「6五金」が鈴木大介の勝負手。藤井は7四飛。
△7一角では、換えて4二銀なら難しかったらしい。
△6四金 ▲同飛 △6三歩 ▲5四飛 △4二銀 ▲5三歩 △5一歩 ▲8八玉 △3七歩
▲同銀 △3三桂 ▲4六銀 △4五桂 ▲同銀 △4四歩 ▲同銀 △2八角
▲2一飛 △1九角成 ▲1一飛成 △1八馬 ▲5五銀 △3一歩 ▲6九金
▲5三歩で後手の角を封じて先手優勢になった。しかしその後、△3七歩を▲同銀と応じたので、形勢がまたもつれた。▲3七同銀では、2四飛、3八歩成、5七銀でよかった。
鈴木の△4四歩が好手だった。しかし…
この図の一手前の△3一歩が失着で、この後鈴木大介にチャンスはこなかった。
△3一歩に▲6九金と自陣の手入れをしたので、先手は飛車を渡してももう怖くない。
△3一歩では、4三銀が勝負手で、以下2四飛、2三香は悪いながら後手も戦えた。
投了図
119手、先手藤井竜王の勝ち。
いやいや、逆転してないし。
かんたんに僕の調べた範囲では、“鈴木式中飛車”は4勝4敗の5分の星でした。
ということは要するに、工夫次第で“森流中飛車も使える、ということですね。
実は鈴木流の「3二金」以外でも、“超急戦”を回避する手段はあります。先手の5八金右に、5五歩とはしないで「6二玉」、または「9四歩」とする。これでOK。
鈴木大介はそれをあえて「5五歩~3二金」としているわけで、それはつまりこの指し方を気に入って使っているわけです。この中飛車に「勝利の可能性あり」と判断しているということです。
この指し方は鈴木大介の著書『鈴木流豪快中飛車の極意』の第4章に解説されています。
先手:藤井猛
後手:鈴木大介
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲5八金右 △5五歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △3二金
▲4八銀 △3五歩 ▲6八玉 △6二玉 ▲2六飛 △2三歩
▲3六歩 △同 歩 ▲同 飛 △5四飛 ▲3七桂 △2四飛
▲2五歩 △7四飛 ▲9六歩 △7二玉 ▲7八銀 △8二玉
▲7九玉 △7二銀 ▲5六歩 △7六飛 ▲2四歩 △同 歩
▲9七角 △6四歩 ▲4五桂 △4四角 ▲6四角 △5六歩
▲7七歩 △5七歩成 ▲7六飛 △5八と ▲同 金 △6五金
▲7四飛 △7一角 ▲6六歩 △6四金 ▲同 飛 △6三歩
▲5四飛 △4二銀 ▲5三歩 △5一歩 ▲8八玉 △3七歩
▲同 銀 △3三桂 ▲4六銀 △4五桂 ▲同 銀 △4四歩
▲同 銀 △2八角 ▲2一飛 △1九角成 ▲1一飛成 △1八馬
▲5五銀 △3一歩 ▲6九金 △3三銀 ▲3四歩 △4二銀
▲5七香 △4三銀 ▲3三歩成 △同 金 ▲3一龍 △3二金
▲4一龍 △5四銀 ▲同 銀 △3一飛 ▲4六龍 △4一香
▲3五龍 △1七馬 ▲2六歩 △3三歩 ▲5五桂 △2七馬
▲3六歩 △3四歩 ▲同 龍 △3三金 ▲同 龍 △同 飛
▲6三桂成 △同 銀 ▲同銀成 △4七香成 ▲同 金 △6八歩
▲7二香 △6九歩成 ▲7一香成 △同 金 ▲7二銀 △同 金
▲同成銀 △同 玉 ▲6三銀 △同 玉 ▲4五角
まで119手で先手の勝ち
・鈴木大介の登場する過去記事
『早指し王』
『筋肉の棋士』
・飛車先歩交換許容型中飛車の関連記事
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『横歩を取らない男、羽生善治 2』
『鈴木式中飛車(超急戦は回避します)』
『升田式、米長式、田村式』
『“田村式”』
『“ゴキゲン封じ”と、“新ゴキゲン”』
『藤井式中飛車』
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