写真は『将棋世界』1997年11月号の表紙。近藤正和の講座『コン太ちゃんのゴキゲン中飛車』の新連載が始まった号。またこの表紙には「羽生善治王座の藤井システム炸裂」とあります。1997年は、「対居飛車穴熊の藤井システム」と「近藤流ゴキゲン中飛車」が世に出た年と考えてよいでしょう。
今回は「1988年 羽生善治五段vs森けい二九段」戦を見ていきますが、書きたいことが多くなったので2回に分けることにしました。
初手より ▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5五歩 ▲2四歩 △同歩
▲同飛 △3二金 ▲2八飛
△5二飛 ▲4八銀 △6二玉 ▲6八玉 △5六歩
これは1988年8月31日の対局。つまり森けい二九段は谷川浩司王位と王位戦を闘っている最中でした。この月の15日に王位戦第4局があり、谷川王位が先手で「3四飛」と‘横歩’を取って、結果、後手の森さんが勝ちました。その棋譜の内容はすでにお伝えしました。(『森vs谷川 1988王位戦の横歩取り』)
それを面白いと思ったか、森けい二は羽生善治との戦いでも、同じ将棋を仕掛けました。古くからある「後手5五歩位取り」を森好みにアレンジした中飛車です。
ところが、羽生善治(当時17歳)は、‘横歩’を取らなかったのです!
森さんは、王位戦の谷川戦以降、この「5筋位取り中飛車」をよく採用しています。そして森さんに刺激を受けたか、例の“平野流”を使ったことのある木村嘉孝もそれに続いています。
以下に、僕の集めた棋譜をまとめてみます。
(サ)1988年8月15日王位戦 谷川浩司‐森けい二戦 横歩を取って3六飛
(シ)8月31日 羽生善治‐森けい二戦 横歩取らず ←本局
(ス)9月9日 小林健二‐森けい二戦 横歩取らず
(セ)9月28日 関 浩 ‐森けい二戦 横歩取らず
(ソ)10月5日 中川大輔‐木村嘉孝戦 横歩取らず
(タ)10月20日 田中寅彦‐森けい二戦 横歩取らず
(チ)10月25日 堀口弘治‐木村嘉孝戦 横歩取らず
(ツ)12月19日 森内俊之‐森けい二戦 横歩を取って2四飛 → “平野流” → 5八金右(森内新手)
(テ)1989年1月18日 田丸昇‐羽生善治 横歩取らず
(ト)1月20日 高橋道雄‐森けい二戦 横歩取らず
(ナ)8月8王位戦 谷川浩司‐森けい二戦 横歩を取って2四飛 → “平野流” → 5八金右
(ニ)1991年6月3日 東和夫‐森けい二戦 横歩取らず
(ヌ)9月27日 桐山清澄‐森けい二戦 横歩取らず
(ネ)12月2日 高橋道雄‐森けい二戦 横歩取らず
このように、この型のプロの実戦では、‘横歩’を取らないことの方が多い、というのが事実なのです。
谷川さんが2度‘横歩’を取った王位戦(サ)(ナ)は、「気合」で取ったのであり、森内さんが森戦(ツ)で‘横歩’を取ったのは、おそらくはしっかりその準備をして臨んだのだと推察されます。
このように、プロはこの型では、「‘横歩’を取らない」のが主流。僕がこの型の将棋を調べてみた感じでも、‘横歩’を取らないほうが先手は優勢に進めやすい、という感触です。この戦型はほとんどプロの出す本では触れていないので、アマチュアの人は「‘横歩’を取って先手良し」と思い込んでいる気がします。(もっとも、『升田将棋選集』の中で升田幸三も「横歩を取って先手良し」と言っていますが。)
さて、「羽生‐森」戦の続きを見ましょう。
上図から、 △5二飛 ▲4八銀 △6二玉 ▲6八玉 △5六歩 と進みました。
▲5六同歩 △同飛 ▲5七銀 △5四飛 ▲6六銀
12手目の「5二飛」が“森流”。 「なんだ普通の手じゃねえか」と思うかもしれないが、これが新しいのです。
そもそも後手が「中飛車」にするなら、6手目に5二飛とする。これが今でいう「ゴキゲン中飛車」であり、その中飛車はこの当時も(流行ってはいないが)、ありました。
(後日注; ここは間違っています。初手より7六歩、3四歩、2六歩、5二飛のゴキゲン中飛車オープニングを指したものは1988年のこの時点ではまだ史上一人もおらず、初めてそれを指したのは富沢幹雄で1991年。それを面白いと思ったか木下浩一が採用して指し始めたのがゴキゲン中飛車の原型の始まり。まだプロになっていない近藤正和はこの頃は居飛車を指していた。なのでこの時は森さんの指していた7六歩、3四歩、2六歩、5五歩しか、前例としてはなかった)
元々はこの後手の指し方(6手目5五歩)は、後手が「5五歩位取り居飛車」をめざしたもので、その形で5二飛とまわるのは、ちょっと“亜流”の指し方だった。だいたいは先手から「位の奪還」をされないように用心のためか、あるいは応急的に5二飛としていた。
だから本局のように、先手が2八飛(11手目)と、‘横歩’を取らないでおとなしく飛車を引くのなら、後手は2三歩と打って、それから6二銀~5三銀というのが本来のこの戦法の指し方だった。
しかし、“森流”は「5二飛」。 先手が「横歩取らず」でも、「中飛車」で行く。
「ゴキゲン中飛車」との違いは? 先手に飛車先の歩を交換させているということ。(それは、損なのでは…? そうね、でもそれが“森流中飛車”。)
後手森けい二は「△5六歩▲同歩△同飛」とします。
これがまた新感覚。
「ゴキゲン中飛車」の前身「5筋位取り中飛車」は、「5五歩の位(くらい)」をしっかり守るという考えがありました。ところが森九段は、そういう古い考えにとらわれず、△5六歩と歩交換。
△2三歩 ▲7八玉 △3五歩
その結果、こうなりました。ただし森九段は「△5六歩はやりすぎ。銀を使わせて損だった」と局後に言っています。先手羽生五段の対応が機敏だったのです。
▲6八銀 △1四歩 ▲3八金
森けい二の「3五歩」。 5筋の位(くらい)にこだわらず、石田流をめざす。
羽生善治の「3八金」。 なぜ3八金なのか。それは、後手の狙っている2四飛に2七金と対応するため。せっかく2筋の歩を交換したのに、2五歩とは打ちたくないのです。
森さんの「3五歩」と、羽生さんの「3八金」。これ、どこかで見たことがありませんか? そう、「ゴキゲン中飛車」にこういう変化がありましたね!
というわけで、ここで「羽生‐森」戦の棋譜はストップし、ここから「ゴキゲン中飛車」の発展について確認していきたいと思います。
羽生善治‐室岡克彦 1988年
この将棋の対局日は1988年8月26日。つまり「羽生‐森」戦の5日前です。つまりこの図のように、羽生さんも「5筋位取り中飛車」を使っていたということです。
図は、今先手の6六歩に、後手が7二飛として、ここから6五歩、7五歩、同歩、6五歩、5四歩、同歩、6五銀、7五飛、5四銀、同銀、同飛、1五歩と全面戦争となり、結局激しい攻め合いを羽生が制しました。この時点で7連勝、次の対局が森けい二でした。
これは(確認のため何度も書きますが)1988年の対局。
それで、「ゴキゲン男」近藤正和がプロデビューするのは1996年10月です。近藤さんはそれ以前からこの5筋位取り中飛車を使っていましたが、しかし1988年の時点ではまだのようです。
で、1997年『将棋世界』11月号で『ゴキゲン中飛車』と命名され、その戦法の講座が始まります。
「ゴキゲン中飛車」の命名者は当時『将棋世界』編集長だった大崎善生氏。大崎善生さんの自慢は、「羽生善治」の名前と自分の名前とが、漢字二文字まで同じということ。たしかにそれは凄いわ。
さて、この当時、なかなか定跡も覚えられず、将棋に勝てなかった僕(筆者)も、この講座で「ゴキゲン中飛車」を覚え、まあまあ勝てるようになりました。この戦法は、相手が相振飛車にしてこない限りは、確実に中飛車がさせるというのが良かったのです。ほかの定跡は覚えなくてすむ。そしてこの時期はまだこの戦法がメジャーではなかったため、相手の対策もぬるかった。
加賀屋浩美アマ‐近藤正和戦 1996年
近藤さんのプロデビュー戦(たぶんこれだと思います)はこんな将棋。5筋位取りの中飛車で、穴熊です。
近藤さんはこの“近藤式中飛車”でよく勝っていましたが、それで「自分もやってみよう」と続く棋士はまだほとんどいませんでした。(ただ鈴木大介がこの頃から時々ためしていた。)
大きな理由は、この時期に生まれた四間飛車での「対居飛車穴熊、藤井システム」に注目が集まりつつあったからです。1998年に藤井猛は谷川浩司を4-0で下して「新竜王」となります。「ゴキゲン中飛車」を誰もかれもが指すようになるのは、「藤井システム」に限界が見えてきた2003年頃からです。
しかし、近藤正和と対戦する棋士は「ゴキゲン中飛車」の対策を考えなければなりません。いくつかの対策が生まれ、発展しました。
その一つが居飛車側の「7八金」(後手なら3二金)。
近藤正和‐堀口弘治戦 1997年
この将棋は先手の近藤さんが1六歩として1手パスのようにして、先手の「ゴキゲン中飛車」になっています。
いま、後手の堀口さんが「3二金」としたところ。これが「ゴキゲン対策」の1つ。
この戦術は、僕の印象では、アマチュアはほとんどこうは指してこない。でも、プロではわりと人気のある指し方です。プロでこれを最初に指したのは堀口弘治なのでしょうか。(あるいはもっと前からこの対策はあったか。) はっきりわからないけど、僕の知っている範囲ではこの対局が最初です。堀口弘治さんは、棋士としては地味だけど、意欲的な新手が多い印象です。(角換わり腰掛銀の「2六飛」とか)
この「3二金」(先手なら「7八金」)という「ゴキゲン対策」の意味は、「飛車先の歩を切らせてもらう」という意味です。つまり、3二金、5五歩、8六歩、同歩、同飛、7八金、8二飛、8七歩という展開。もし「3二金」と上がっていないと、8六同飛の時に、5四歩、同歩、2二角成、同銀、7七角が両取りになるので、後手は8六歩からの歩交換はできない。それが左の金を上がっておくと可能になる。
そして、その「3二金」への、近藤流の対策が図の「7五歩」。
この「7五歩」(後手の場合は「3五歩」になる)こそ、「5筋位取り中飛車」から、「近藤流ゴキゲン中飛車」への進化の象徴という気がします。5筋の位を取っておいて、浮き飛車にするという発想が新しい。
指し手の棋譜は省略しますが、こうなりました。図から、8五歩、3六飛、7四歩、3四飛、7三桂、7九金、2四角、6四飛。「空中戦法」も顔負けの自由自在な飛車の動きです。
この将棋は近藤正和の勝ち。
追記: 後日調べたところ、対ゴキゲン中飛車の7手目7八金(後手の場合は8手目3二金)の作戦は、郷田真隆が1996年に指した(田村康介戦、NHK杯)が最初のようです。
佐藤康光‐近藤正和 1997年
佐藤康光、A級棋士との対戦です。佐藤八段(当時)は「7八金~2四歩」の対策を選びました。そして、後手近藤が5四飛と飛車を浮いた手に対して、佐藤の「3八金」。これが“佐藤の新手”として知られています。この対局は佐藤勝ち。
後手の狙う「2四飛」の飛車のぶっつけに対して、2五歩は歩を使わされてくやしいので、「2七金」を用意した手。
――――あれ、どこかでこれ、もう説明しましたよね? (上で)
羽生善治‐森けい二戦 1988年
そう、「羽生‐森」戦です。
「ゴキゲン中飛車」の「3五歩」から「5四飛」という構想。それに対応する“佐藤新手”の「3八金」。
これ、すべて「羽生‐森」戦の中に先駆けとして出現していたのです。1988年に。近藤正和のプロデビューより、8年早く。
このように、古くからある「居飛車5五歩位取り横歩取らせ」の戦術は、「横歩取らせ中飛車」となり、さらには「ゴキゲン中飛車」とリンクしているというということを、ここに書いておこうと思いました。
1988年のこの「羽生‐森」戦は、時代を5~10年先取りした将棋だったのです。
清水市代‐里見香奈 2007年
「ゴキゲン中飛車」のこの戦型をみるとこの将棋を思い出す。2007年倉敷藤花戦挑戦者決定戦。
里見香奈の初タイトルは2008年の倉敷藤花ですので、この時はまだ「無冠」の里見香奈女流初段。里見さんが今のように女流NO.1になる原動力となった戦法は「ゴキゲン中飛車」でしょう。しかし元々は里見さんの得意戦法は「ノーマル中飛車」(ふつうの昔ながらの中飛車のこと)だったのです。それで、この時期に里見さんは「ゴキゲン中飛車」を主力戦法へと変えようとしていました。
図は、先手の清水市代さんが、やはり「7八金~2四歩」という作戦、そして、佐藤康光流の「3八金」から「2七金」と出て、さらに一歩前進して「2六金」と出たところ。対して、里見初段は3五歩を守る意味か、4四角。
この手が大ポカ。これは恥ずかしい! 次の「2五金」で、飛車が死んでしまった。
プロでも「ポカ(うっかりミス)」はあるものですが、こういうミスはプロでは珍しいと思います。僕らのレベルでは「よくあること」ですけれど。まあ、「ポカも大棋士の勲章」とも言いますし。(言ったっけ?)
里見香奈は森けい二門下です。中飛車の得意な森さんの弟子が中飛車でタイトルを取ったというのは微笑ましい。奨励会もがんばれ~。女流棋士は20歳を超えた頃になぜかほとんど成長が止まっている気がします。里見さんがここからさらに強くなるか、僕は注目しています。
今回の記事を書くために『将棋世界』1997年11月号をひっぱり出してきたわけですけど、たまたまですがこの中に次の写真の記事がありました。
『師と弟子の物語 平野広吉先生の思い出』六段所司和晴、田辺忠幸
僕は、「おおっ、“平野流”の平野さんか!」と自分内で一瞬盛り上がりましたが、よく考えると、これは人違いでした。“平野流”の平野氏は平野信助で青森出身大崎熊雄門下、千葉松戸市出身の平野広吉氏とは別人でした。別人ではありますが、折角なので、この本の中から平野広吉のエピソードを一つ書いておきます。
平野広吉の弟子は、所司和晴、岡崎洋、川上猛。平野さんの師匠が故・斎藤銀次郎。
所司和晴「斎藤八段のお墓参りに一度連れて行って下さいました。そしてしみじみと『いつかは自分の系統から名人を出したい。この気持ちを引き継いで後進を導いてくれ』と言われました。私はこの言葉を肝に銘じてます。」
所司さんのこの発言は1997年のものですから、15年前です。いま、渡辺明(竜王戦9連覇!!)という、次世代の名人に限りなく近い存在が、所司門下で大きく育っていますね。
最後は、本線から、かなり脱線してしまいました。
「羽生善治‐森けい二」戦の棋譜の続きは、次回に。 熱戦になりました。
・次回記事→ 『横歩を取らない男、羽生善治 2』
・森けい二の中飛車関連記事
『森vs谷川 1988王位戦の横歩取り』
『平野流(真部流)』
『2012.12.2記事補足(加藤‐真部戦の解説)』
『森内新手、5八金右』
『谷川vs森 ふたたびの横歩取り 1989王位戦』
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『戦術は伝播する 「5筋位取り」のプチ・ブーム』
今回は「1988年 羽生善治五段vs森けい二九段」戦を見ていきますが、書きたいことが多くなったので2回に分けることにしました。
初手より ▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5五歩 ▲2四歩 △同歩
▲同飛 △3二金 ▲2八飛
△5二飛 ▲4八銀 △6二玉 ▲6八玉 △5六歩
これは1988年8月31日の対局。つまり森けい二九段は谷川浩司王位と王位戦を闘っている最中でした。この月の15日に王位戦第4局があり、谷川王位が先手で「3四飛」と‘横歩’を取って、結果、後手の森さんが勝ちました。その棋譜の内容はすでにお伝えしました。(『森vs谷川 1988王位戦の横歩取り』)
それを面白いと思ったか、森けい二は羽生善治との戦いでも、同じ将棋を仕掛けました。古くからある「後手5五歩位取り」を森好みにアレンジした中飛車です。
ところが、羽生善治(当時17歳)は、‘横歩’を取らなかったのです!
森さんは、王位戦の谷川戦以降、この「5筋位取り中飛車」をよく採用しています。そして森さんに刺激を受けたか、例の“平野流”を使ったことのある木村嘉孝もそれに続いています。
以下に、僕の集めた棋譜をまとめてみます。
(サ)1988年8月15日王位戦 谷川浩司‐森けい二戦 横歩を取って3六飛
(シ)8月31日 羽生善治‐森けい二戦 横歩取らず ←本局
(ス)9月9日 小林健二‐森けい二戦 横歩取らず
(セ)9月28日 関 浩 ‐森けい二戦 横歩取らず
(ソ)10月5日 中川大輔‐木村嘉孝戦 横歩取らず
(タ)10月20日 田中寅彦‐森けい二戦 横歩取らず
(チ)10月25日 堀口弘治‐木村嘉孝戦 横歩取らず
(ツ)12月19日 森内俊之‐森けい二戦 横歩を取って2四飛 → “平野流” → 5八金右(森内新手)
(テ)1989年1月18日 田丸昇‐羽生善治 横歩取らず
(ト)1月20日 高橋道雄‐森けい二戦 横歩取らず
(ナ)8月8王位戦 谷川浩司‐森けい二戦 横歩を取って2四飛 → “平野流” → 5八金右
(ニ)1991年6月3日 東和夫‐森けい二戦 横歩取らず
(ヌ)9月27日 桐山清澄‐森けい二戦 横歩取らず
(ネ)12月2日 高橋道雄‐森けい二戦 横歩取らず
このように、この型のプロの実戦では、‘横歩’を取らないことの方が多い、というのが事実なのです。
谷川さんが2度‘横歩’を取った王位戦(サ)(ナ)は、「気合」で取ったのであり、森内さんが森戦(ツ)で‘横歩’を取ったのは、おそらくはしっかりその準備をして臨んだのだと推察されます。
このように、プロはこの型では、「‘横歩’を取らない」のが主流。僕がこの型の将棋を調べてみた感じでも、‘横歩’を取らないほうが先手は優勢に進めやすい、という感触です。この戦型はほとんどプロの出す本では触れていないので、アマチュアの人は「‘横歩’を取って先手良し」と思い込んでいる気がします。(もっとも、『升田将棋選集』の中で升田幸三も「横歩を取って先手良し」と言っていますが。)
さて、「羽生‐森」戦の続きを見ましょう。
上図から、 △5二飛 ▲4八銀 △6二玉 ▲6八玉 △5六歩 と進みました。
▲5六同歩 △同飛 ▲5七銀 △5四飛 ▲6六銀
12手目の「5二飛」が“森流”。 「なんだ普通の手じゃねえか」と思うかもしれないが、これが新しいのです。
そもそも後手が「中飛車」にするなら、6手目に5二飛とする。これが今でいう「ゴキゲン中飛車」であり、その中飛車はこの当時も(流行ってはいないが)、ありました。
(後日注; ここは間違っています。初手より7六歩、3四歩、2六歩、5二飛のゴキゲン中飛車オープニングを指したものは1988年のこの時点ではまだ史上一人もおらず、初めてそれを指したのは富沢幹雄で1991年。それを面白いと思ったか木下浩一が採用して指し始めたのがゴキゲン中飛車の原型の始まり。まだプロになっていない近藤正和はこの頃は居飛車を指していた。なのでこの時は森さんの指していた7六歩、3四歩、2六歩、5五歩しか、前例としてはなかった)
元々はこの後手の指し方(6手目5五歩)は、後手が「5五歩位取り居飛車」をめざしたもので、その形で5二飛とまわるのは、ちょっと“亜流”の指し方だった。だいたいは先手から「位の奪還」をされないように用心のためか、あるいは応急的に5二飛としていた。
だから本局のように、先手が2八飛(11手目)と、‘横歩’を取らないでおとなしく飛車を引くのなら、後手は2三歩と打って、それから6二銀~5三銀というのが本来のこの戦法の指し方だった。
しかし、“森流”は「5二飛」。 先手が「横歩取らず」でも、「中飛車」で行く。
「ゴキゲン中飛車」との違いは? 先手に飛車先の歩を交換させているということ。(それは、損なのでは…? そうね、でもそれが“森流中飛車”。)
後手森けい二は「△5六歩▲同歩△同飛」とします。
これがまた新感覚。
「ゴキゲン中飛車」の前身「5筋位取り中飛車」は、「5五歩の位(くらい)」をしっかり守るという考えがありました。ところが森九段は、そういう古い考えにとらわれず、△5六歩と歩交換。
△2三歩 ▲7八玉 △3五歩
その結果、こうなりました。ただし森九段は「△5六歩はやりすぎ。銀を使わせて損だった」と局後に言っています。先手羽生五段の対応が機敏だったのです。
▲6八銀 △1四歩 ▲3八金
森けい二の「3五歩」。 5筋の位(くらい)にこだわらず、石田流をめざす。
羽生善治の「3八金」。 なぜ3八金なのか。それは、後手の狙っている2四飛に2七金と対応するため。せっかく2筋の歩を交換したのに、2五歩とは打ちたくないのです。
森さんの「3五歩」と、羽生さんの「3八金」。これ、どこかで見たことがありませんか? そう、「ゴキゲン中飛車」にこういう変化がありましたね!
というわけで、ここで「羽生‐森」戦の棋譜はストップし、ここから「ゴキゲン中飛車」の発展について確認していきたいと思います。
羽生善治‐室岡克彦 1988年
この将棋の対局日は1988年8月26日。つまり「羽生‐森」戦の5日前です。つまりこの図のように、羽生さんも「5筋位取り中飛車」を使っていたということです。
図は、今先手の6六歩に、後手が7二飛として、ここから6五歩、7五歩、同歩、6五歩、5四歩、同歩、6五銀、7五飛、5四銀、同銀、同飛、1五歩と全面戦争となり、結局激しい攻め合いを羽生が制しました。この時点で7連勝、次の対局が森けい二でした。
これは(確認のため何度も書きますが)1988年の対局。
それで、「ゴキゲン男」近藤正和がプロデビューするのは1996年10月です。近藤さんはそれ以前からこの5筋位取り中飛車を使っていましたが、しかし1988年の時点ではまだのようです。
で、1997年『将棋世界』11月号で『ゴキゲン中飛車』と命名され、その戦法の講座が始まります。
「ゴキゲン中飛車」の命名者は当時『将棋世界』編集長だった大崎善生氏。大崎善生さんの自慢は、「羽生善治」の名前と自分の名前とが、漢字二文字まで同じということ。たしかにそれは凄いわ。
さて、この当時、なかなか定跡も覚えられず、将棋に勝てなかった僕(筆者)も、この講座で「ゴキゲン中飛車」を覚え、まあまあ勝てるようになりました。この戦法は、相手が相振飛車にしてこない限りは、確実に中飛車がさせるというのが良かったのです。ほかの定跡は覚えなくてすむ。そしてこの時期はまだこの戦法がメジャーではなかったため、相手の対策もぬるかった。
加賀屋浩美アマ‐近藤正和戦 1996年
近藤さんのプロデビュー戦(たぶんこれだと思います)はこんな将棋。5筋位取りの中飛車で、穴熊です。
近藤さんはこの“近藤式中飛車”でよく勝っていましたが、それで「自分もやってみよう」と続く棋士はまだほとんどいませんでした。(ただ鈴木大介がこの頃から時々ためしていた。)
大きな理由は、この時期に生まれた四間飛車での「対居飛車穴熊、藤井システム」に注目が集まりつつあったからです。1998年に藤井猛は谷川浩司を4-0で下して「新竜王」となります。「ゴキゲン中飛車」を誰もかれもが指すようになるのは、「藤井システム」に限界が見えてきた2003年頃からです。
しかし、近藤正和と対戦する棋士は「ゴキゲン中飛車」の対策を考えなければなりません。いくつかの対策が生まれ、発展しました。
その一つが居飛車側の「7八金」(後手なら3二金)。
近藤正和‐堀口弘治戦 1997年
この将棋は先手の近藤さんが1六歩として1手パスのようにして、先手の「ゴキゲン中飛車」になっています。
いま、後手の堀口さんが「3二金」としたところ。これが「ゴキゲン対策」の1つ。
この戦術は、僕の印象では、アマチュアはほとんどこうは指してこない。でも、プロではわりと人気のある指し方です。プロでこれを最初に指したのは堀口弘治なのでしょうか。(あるいはもっと前からこの対策はあったか。) はっきりわからないけど、僕の知っている範囲ではこの対局が最初です。堀口弘治さんは、棋士としては地味だけど、意欲的な新手が多い印象です。(角換わり腰掛銀の「2六飛」とか)
この「3二金」(先手なら「7八金」)という「ゴキゲン対策」の意味は、「飛車先の歩を切らせてもらう」という意味です。つまり、3二金、5五歩、8六歩、同歩、同飛、7八金、8二飛、8七歩という展開。もし「3二金」と上がっていないと、8六同飛の時に、5四歩、同歩、2二角成、同銀、7七角が両取りになるので、後手は8六歩からの歩交換はできない。それが左の金を上がっておくと可能になる。
そして、その「3二金」への、近藤流の対策が図の「7五歩」。
この「7五歩」(後手の場合は「3五歩」になる)こそ、「5筋位取り中飛車」から、「近藤流ゴキゲン中飛車」への進化の象徴という気がします。5筋の位を取っておいて、浮き飛車にするという発想が新しい。
指し手の棋譜は省略しますが、こうなりました。図から、8五歩、3六飛、7四歩、3四飛、7三桂、7九金、2四角、6四飛。「空中戦法」も顔負けの自由自在な飛車の動きです。
この将棋は近藤正和の勝ち。
追記: 後日調べたところ、対ゴキゲン中飛車の7手目7八金(後手の場合は8手目3二金)の作戦は、郷田真隆が1996年に指した(田村康介戦、NHK杯)が最初のようです。
佐藤康光‐近藤正和 1997年
佐藤康光、A級棋士との対戦です。佐藤八段(当時)は「7八金~2四歩」の対策を選びました。そして、後手近藤が5四飛と飛車を浮いた手に対して、佐藤の「3八金」。これが“佐藤の新手”として知られています。この対局は佐藤勝ち。
後手の狙う「2四飛」の飛車のぶっつけに対して、2五歩は歩を使わされてくやしいので、「2七金」を用意した手。
――――あれ、どこかでこれ、もう説明しましたよね? (上で)
羽生善治‐森けい二戦 1988年
そう、「羽生‐森」戦です。
「ゴキゲン中飛車」の「3五歩」から「5四飛」という構想。それに対応する“佐藤新手”の「3八金」。
これ、すべて「羽生‐森」戦の中に先駆けとして出現していたのです。1988年に。近藤正和のプロデビューより、8年早く。
このように、古くからある「居飛車5五歩位取り横歩取らせ」の戦術は、「横歩取らせ中飛車」となり、さらには「ゴキゲン中飛車」とリンクしているというということを、ここに書いておこうと思いました。
1988年のこの「羽生‐森」戦は、時代を5~10年先取りした将棋だったのです。
清水市代‐里見香奈 2007年
「ゴキゲン中飛車」のこの戦型をみるとこの将棋を思い出す。2007年倉敷藤花戦挑戦者決定戦。
里見香奈の初タイトルは2008年の倉敷藤花ですので、この時はまだ「無冠」の里見香奈女流初段。里見さんが今のように女流NO.1になる原動力となった戦法は「ゴキゲン中飛車」でしょう。しかし元々は里見さんの得意戦法は「ノーマル中飛車」(ふつうの昔ながらの中飛車のこと)だったのです。それで、この時期に里見さんは「ゴキゲン中飛車」を主力戦法へと変えようとしていました。
図は、先手の清水市代さんが、やはり「7八金~2四歩」という作戦、そして、佐藤康光流の「3八金」から「2七金」と出て、さらに一歩前進して「2六金」と出たところ。対して、里見初段は3五歩を守る意味か、4四角。
この手が大ポカ。これは恥ずかしい! 次の「2五金」で、飛車が死んでしまった。
プロでも「ポカ(うっかりミス)」はあるものですが、こういうミスはプロでは珍しいと思います。僕らのレベルでは「よくあること」ですけれど。まあ、「ポカも大棋士の勲章」とも言いますし。(言ったっけ?)
里見香奈は森けい二門下です。中飛車の得意な森さんの弟子が中飛車でタイトルを取ったというのは微笑ましい。奨励会もがんばれ~。女流棋士は20歳を超えた頃になぜかほとんど成長が止まっている気がします。里見さんがここからさらに強くなるか、僕は注目しています。
今回の記事を書くために『将棋世界』1997年11月号をひっぱり出してきたわけですけど、たまたまですがこの中に次の写真の記事がありました。
『師と弟子の物語 平野広吉先生の思い出』六段所司和晴、田辺忠幸
僕は、「おおっ、“平野流”の平野さんか!」と自分内で一瞬盛り上がりましたが、よく考えると、これは人違いでした。“平野流”の平野氏は平野信助で青森出身大崎熊雄門下、千葉松戸市出身の平野広吉氏とは別人でした。別人ではありますが、折角なので、この本の中から平野広吉のエピソードを一つ書いておきます。
平野広吉の弟子は、所司和晴、岡崎洋、川上猛。平野さんの師匠が故・斎藤銀次郎。
所司和晴「斎藤八段のお墓参りに一度連れて行って下さいました。そしてしみじみと『いつかは自分の系統から名人を出したい。この気持ちを引き継いで後進を導いてくれ』と言われました。私はこの言葉を肝に銘じてます。」
所司さんのこの発言は1997年のものですから、15年前です。いま、渡辺明(竜王戦9連覇!!)という、次世代の名人に限りなく近い存在が、所司門下で大きく育っていますね。
最後は、本線から、かなり脱線してしまいました。
「羽生善治‐森けい二」戦の棋譜の続きは、次回に。 熱戦になりました。
・次回記事→ 『横歩を取らない男、羽生善治 2』
・森けい二の中飛車関連記事
『森vs谷川 1988王位戦の横歩取り』
『平野流(真部流)』
『2012.12.2記事補足(加藤‐真部戦の解説)』
『森内新手、5八金右』
『谷川vs森 ふたたびの横歩取り 1989王位戦』
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『戦術は伝播する 「5筋位取り」のプチ・ブーム』
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