1988年夏にに何があったか。ソウル五輪があったんですね。
僕自身はこの時期、新聞もテレビも一切見ない、メディア報道はラジオだけの生活でした。なので、オリンピックの印象も映像の記憶はなし。将棋の雑誌も読んでいませんでした。
この記事、「ソ連がサッカーで優勝」というのが、なんか“異次元の話”のようで不思議ですね。ソビエト連邦の消滅まであと3年。
9月は千代の富士が全勝優勝で39連勝を達成。さてクイズです。千代の富士の連勝記録はいくつまで伸びたでしょう? 答えは本日のこの記事の最後で。
さて、本題。 「1988年 羽生善治五段vs森けい二九段」戦の続きです。
初手より▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩▲2五歩△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金として、 「‘横歩’を取るならどうぞ」と誘ったのが後手の森けい二。しかし先手の羽生善治は‘横歩’を取らずに2八飛と引いて、このような将棋になりました。
△4二銀 ▲4六歩 △7二玉 ▲9六歩 △9四歩 ▲4七金 △2四飛
森のねらう2四飛に、先手羽生が歩を打たないですませる2七金を用意した。なので森は2四飛としない。後手が2四飛としないのに、2七金は「馬鹿みたい」だし、かといってずっと「3八金」のままでも働きがない。なので結局先手は、4六歩から4七金と活用した。そこで後手は2四飛。
▲2五歩 △3四飛 ▲5五歩 △8二玉 ▲6五銀 △7二銀 ▲5六銀 △1五歩
▲6六歩 △5三銀 ▲6五歩 △5四歩
飛車交換はできないので、先手は2五歩。
このあたりを見ると、後手が気分がいい。
しかし先手の主張は、5筋、6筋の「位(くらい)」だ。 後手からの攻めの手段がなければ、先手が自然に「優勢」となる。
▲5四同歩 △8八角成 ▲同玉 △5四飛 ▲5五歩 △3四飛 ▲7七銀 △3三桂
▲7八金 △3九角
“たたかい”を起こさねばならない後手は、5四歩から、強引に角交換を求める。
その角を森は「3九角」と打った。
▲6八飛 △2四歩 ▲8六角 △6二銀 ▲7五歩 △8四歩 ▲3八飛 △8五歩
▲9七角 △9五歩 ▲同歩 △1七角成
▲6八飛に、角を成るのかと思ったら、森は、△2四歩。
ならばと、羽生は8六角、6二銀、7五歩。次に3八飛で、森の打った「角」を捕獲してしまおうという手だ。
森にもその対策はあって、△8四歩。羽生の角を獲りにいく手。
▲1七同香 △9六歩 ▲1二歩
森は1七角成と角を捨ててから、9六歩。
羽生は、1二歩。森はこの手を軽視していた。森が1七角成としなければ、1二歩はなかった。ただ、この手で羽生の残り時間は30分になった。(持ち時間は各3時間)
△1二同香 ▲2一角 △2二金 ▲4三角成 △8四飛 ▲5四歩 △5二歩 ▲7四歩 △9七歩成
▲同香 △7四飛 ▲6八飛 △1六歩 ▲6四歩 △同歩 ▲6五歩 △同歩
▲同銀 △8四飛 ▲5六金 △1七歩成 ▲6四歩 △4七角 ▲6六金 △2九角成
▲7五金 △3九馬
羽生優勢。しかし差はわずか。後手が駒得である。
この将棋は、森と羽生の2度目の対戦で、その1度目の対戦では森が勝っているのである。羽生に勝った森は、後で「金星を挙げた」と素直に喜んでいたそうだ。羽生17歳、森42歳。
また、この対局まで羽生は7連勝中。一方の森は、この年は好調で王位戦の挑戦者になっていた(そして王位奪取)。しかし前年度は不調で、A級を陥落している。
▲7六銀引 △7四香 ▲8四金 △同馬 ▲5三歩成 △7六香 ▲同銀 △6七歩
▲同飛 △6六歩 ▲7七飛 △5三銀 ▲6三歩成 △同銀 ▲7五銀
ちょっと苦しいと自覚している後手の森、▲7六銀引に、 △7四香。勝負手。
△7五同馬 ▲同飛 △8四銀 ▲7七飛 △5四銀打 ▲6二歩
羽生の7五銀はどうだったか。森は7五同馬と馬を切って、8四銀~5四銀打。この粘りがよかった。
△7二金 ▲3四馬 △6五銀 ▲4一飛 △7六桂 ▲9八玉 △9六歩
▲同香 △9七歩 ▲同桂 △9四歩
羽生の▲6二歩が失着だった。正着は単に3四馬だった。
「6二歩」はほぼ一手パスに等しかった。後で4一飛に、森は△7六桂と攻めたが、こうなってみると「6二歩」はなんの意味もなしていない。
▲9八玉に、△9六歩、同香、9七歩、同桂、9四歩と攻める森。
▲4三馬 △5四銀直 ▲8三香 △同玉 ▲5四馬 △同銀上 ▲8一飛成
△8二金打 ▲9一龍 △9五歩 ▲同香 △7四玉
形勢が入れ替わった。羽生も▲8三香から馬を切って、森の玉に迫る。
▲7五歩 △同銀 ▲4二角 △6四角 ▲同角成 △同玉 ▲3一角 △5三香
▲2二角成 △9六歩
しかし「△7四玉」。 「これで負けないと思った」と、森。
▲9四龍 △7四歩 ▲8四香 △同銀 ▲同龍 △7五角
▲9四龍から羽生はせまるが、△7五角という返し技があった。
▲同龍 △同歩 ▲8六歩 △9七歩成 ▲同飛 △9六歩 ▲同飛 △6七歩成
▲3三馬 △7八と まで168手で後手森の勝ち
「参りました」と羽生。投了を告げた。
「終盤の魔術師」森けい二の逆転勝ち。 羽生の連勝を7で止めた。
投了図
この将棋は朝日の「全日本プロトーナメント」の1988年8月31日の対局。
この後森けい二は翌月に谷川王位から「王位」のタイトルを奪取(4-3)。
さらに「全日本プロトーナメント」の次の相手の関浩にまたしても“森流中飛車”を仕掛け、やはり関も羽生と同じように「‘横歩’取らず」の対応をとり、関の勝ち将棋となりましたが、これまた「終盤の魔術師」の念力で逆転してしまうのです。
関浩‐森けい二 1988年
こんな将棋になり、この後、関は5六歩から厚みを築いた。
図の137手目6二飛と打った手が失着。5二金寄でいっぺんに逆転して森の勝ち。6二飛では、6一飛と打つか、6五金打ならば先手が勝ちだった。
森さんはこの「全日本プロトーナメント」をさらに勝ち進み、そして12月19日の森内俊之との対戦となりました。その将棋はすでにお伝えしました。(森内俊之‐森けい二戦)
どうも森けい二の「5五歩位取り中飛車」は、(王位戦の谷川浩司のように)相手が‘横歩’を取ってくれるとそこそこ面白い戦いになるのですが、本局の羽生善治のように、「横歩を取らない」場合がどうも困るようです。羽生さんには「終盤の魔術」で勝ちましたが、この戦法は「横歩を取らない」という対応で、後手は優勢を築くのが難しくなるようです。
森けい二はこの“森流中飛車”を1991年まで時折指し、しかしその後92年以降は、同じ力戦系中飛車でも7六歩、3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5二飛の、現代でも「ゴキゲン中飛車」に用いられているオープニングに戻して指しています。(“森流中飛車”は6手目5五歩とする)
ちょっと面白いのは、次の事実です。実はこの羽生‐森戦の約5か月後、羽生さんがこの“森流中飛車”を採用しているのです。平成元年の対局です。
田丸昇‐羽生善治 1989年
それはこんな将棋になりました。これを見ると、後手もそんなに悪くない、という気もしますが。
しかし、後手が「ゴキゲン中飛車」だった時の場合と比較すると、「後手が損をしている」とはっきりわかります。後手が「ゴキゲン中飛車」の場合、先手が飛車先の歩交換をするためには、先手には「7八金」の一手が必要手となります。その後、後手は3五歩~5四飛~2四飛として、先手に2五歩を打たせて「ウシシ」と喜ぶわけですが、そのとき、先手玉は「囲い」をどうするかが難しい。ところがこの“森流中飛車”の場合は、先手に「7八金」の一手が必要ではないため、この将棋の先手の田丸さんのように、すっきり「左美濃」に囲うことができるのです。
それならば、後手としては、最初から「ゴキゲン中飛車」を指した方が得、ということになりますね。
ただし、この将棋は後手の羽生さんが勝ちました。
千代の富士の連勝は、11月の九州場所の14日目まで続き、「53」連勝まで伸ばしました。
さて、では、止めた力士は誰でしょう? 答えは、自分で調べてね。
・森けい二の中飛車関連記事
『森vs谷川 1988王位戦の横歩取り』
『平野流(真部流)』
『2012.12.2記事補足(加藤‐真部戦の解説)』
『森内新手、5八金右』
『谷川vs森 ふたたびの横歩取り 1989王位戦』
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『横歩を取らない男、羽生善治 2』
『戦術は伝播する 「5筋位取り」のプチ・ブーム』
僕自身はこの時期、新聞もテレビも一切見ない、メディア報道はラジオだけの生活でした。なので、オリンピックの印象も映像の記憶はなし。将棋の雑誌も読んでいませんでした。
この記事、「ソ連がサッカーで優勝」というのが、なんか“異次元の話”のようで不思議ですね。ソビエト連邦の消滅まであと3年。
9月は千代の富士が全勝優勝で39連勝を達成。さてクイズです。千代の富士の連勝記録はいくつまで伸びたでしょう? 答えは本日のこの記事の最後で。
さて、本題。 「1988年 羽生善治五段vs森けい二九段」戦の続きです。
初手より▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩▲2五歩△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金として、 「‘横歩’を取るならどうぞ」と誘ったのが後手の森けい二。しかし先手の羽生善治は‘横歩’を取らずに2八飛と引いて、このような将棋になりました。
△4二銀 ▲4六歩 △7二玉 ▲9六歩 △9四歩 ▲4七金 △2四飛
森のねらう2四飛に、先手羽生が歩を打たないですませる2七金を用意した。なので森は2四飛としない。後手が2四飛としないのに、2七金は「馬鹿みたい」だし、かといってずっと「3八金」のままでも働きがない。なので結局先手は、4六歩から4七金と活用した。そこで後手は2四飛。
▲2五歩 △3四飛 ▲5五歩 △8二玉 ▲6五銀 △7二銀 ▲5六銀 △1五歩
▲6六歩 △5三銀 ▲6五歩 △5四歩
飛車交換はできないので、先手は2五歩。
このあたりを見ると、後手が気分がいい。
しかし先手の主張は、5筋、6筋の「位(くらい)」だ。 後手からの攻めの手段がなければ、先手が自然に「優勢」となる。
▲5四同歩 △8八角成 ▲同玉 △5四飛 ▲5五歩 △3四飛 ▲7七銀 △3三桂
▲7八金 △3九角
“たたかい”を起こさねばならない後手は、5四歩から、強引に角交換を求める。
その角を森は「3九角」と打った。
▲6八飛 △2四歩 ▲8六角 △6二銀 ▲7五歩 △8四歩 ▲3八飛 △8五歩
▲9七角 △9五歩 ▲同歩 △1七角成
▲6八飛に、角を成るのかと思ったら、森は、△2四歩。
ならばと、羽生は8六角、6二銀、7五歩。次に3八飛で、森の打った「角」を捕獲してしまおうという手だ。
森にもその対策はあって、△8四歩。羽生の角を獲りにいく手。
▲1七同香 △9六歩 ▲1二歩
森は1七角成と角を捨ててから、9六歩。
羽生は、1二歩。森はこの手を軽視していた。森が1七角成としなければ、1二歩はなかった。ただ、この手で羽生の残り時間は30分になった。(持ち時間は各3時間)
△1二同香 ▲2一角 △2二金 ▲4三角成 △8四飛 ▲5四歩 △5二歩 ▲7四歩 △9七歩成
▲同香 △7四飛 ▲6八飛 △1六歩 ▲6四歩 △同歩 ▲6五歩 △同歩
▲同銀 △8四飛 ▲5六金 △1七歩成 ▲6四歩 △4七角 ▲6六金 △2九角成
▲7五金 △3九馬
羽生優勢。しかし差はわずか。後手が駒得である。
この将棋は、森と羽生の2度目の対戦で、その1度目の対戦では森が勝っているのである。羽生に勝った森は、後で「金星を挙げた」と素直に喜んでいたそうだ。羽生17歳、森42歳。
また、この対局まで羽生は7連勝中。一方の森は、この年は好調で王位戦の挑戦者になっていた(そして王位奪取)。しかし前年度は不調で、A級を陥落している。
▲7六銀引 △7四香 ▲8四金 △同馬 ▲5三歩成 △7六香 ▲同銀 △6七歩
▲同飛 △6六歩 ▲7七飛 △5三銀 ▲6三歩成 △同銀 ▲7五銀
ちょっと苦しいと自覚している後手の森、▲7六銀引に、 △7四香。勝負手。
△7五同馬 ▲同飛 △8四銀 ▲7七飛 △5四銀打 ▲6二歩
羽生の7五銀はどうだったか。森は7五同馬と馬を切って、8四銀~5四銀打。この粘りがよかった。
△7二金 ▲3四馬 △6五銀 ▲4一飛 △7六桂 ▲9八玉 △9六歩
▲同香 △9七歩 ▲同桂 △9四歩
羽生の▲6二歩が失着だった。正着は単に3四馬だった。
「6二歩」はほぼ一手パスに等しかった。後で4一飛に、森は△7六桂と攻めたが、こうなってみると「6二歩」はなんの意味もなしていない。
▲9八玉に、△9六歩、同香、9七歩、同桂、9四歩と攻める森。
▲4三馬 △5四銀直 ▲8三香 △同玉 ▲5四馬 △同銀上 ▲8一飛成
△8二金打 ▲9一龍 △9五歩 ▲同香 △7四玉
形勢が入れ替わった。羽生も▲8三香から馬を切って、森の玉に迫る。
▲7五歩 △同銀 ▲4二角 △6四角 ▲同角成 △同玉 ▲3一角 △5三香
▲2二角成 △9六歩
しかし「△7四玉」。 「これで負けないと思った」と、森。
▲9四龍 △7四歩 ▲8四香 △同銀 ▲同龍 △7五角
▲9四龍から羽生はせまるが、△7五角という返し技があった。
▲同龍 △同歩 ▲8六歩 △9七歩成 ▲同飛 △9六歩 ▲同飛 △6七歩成
▲3三馬 △7八と まで168手で後手森の勝ち
「参りました」と羽生。投了を告げた。
「終盤の魔術師」森けい二の逆転勝ち。 羽生の連勝を7で止めた。
投了図
この将棋は朝日の「全日本プロトーナメント」の1988年8月31日の対局。
この後森けい二は翌月に谷川王位から「王位」のタイトルを奪取(4-3)。
さらに「全日本プロトーナメント」の次の相手の関浩にまたしても“森流中飛車”を仕掛け、やはり関も羽生と同じように「‘横歩’取らず」の対応をとり、関の勝ち将棋となりましたが、これまた「終盤の魔術師」の念力で逆転してしまうのです。
関浩‐森けい二 1988年
こんな将棋になり、この後、関は5六歩から厚みを築いた。
図の137手目6二飛と打った手が失着。5二金寄でいっぺんに逆転して森の勝ち。6二飛では、6一飛と打つか、6五金打ならば先手が勝ちだった。
森さんはこの「全日本プロトーナメント」をさらに勝ち進み、そして12月19日の森内俊之との対戦となりました。その将棋はすでにお伝えしました。(森内俊之‐森けい二戦)
どうも森けい二の「5五歩位取り中飛車」は、(王位戦の谷川浩司のように)相手が‘横歩’を取ってくれるとそこそこ面白い戦いになるのですが、本局の羽生善治のように、「横歩を取らない」場合がどうも困るようです。羽生さんには「終盤の魔術」で勝ちましたが、この戦法は「横歩を取らない」という対応で、後手は優勢を築くのが難しくなるようです。
森けい二はこの“森流中飛車”を1991年まで時折指し、しかしその後92年以降は、同じ力戦系中飛車でも7六歩、3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5二飛の、現代でも「ゴキゲン中飛車」に用いられているオープニングに戻して指しています。(“森流中飛車”は6手目5五歩とする)
ちょっと面白いのは、次の事実です。実はこの羽生‐森戦の約5か月後、羽生さんがこの“森流中飛車”を採用しているのです。平成元年の対局です。
田丸昇‐羽生善治 1989年
それはこんな将棋になりました。これを見ると、後手もそんなに悪くない、という気もしますが。
しかし、後手が「ゴキゲン中飛車」だった時の場合と比較すると、「後手が損をしている」とはっきりわかります。後手が「ゴキゲン中飛車」の場合、先手が飛車先の歩交換をするためには、先手には「7八金」の一手が必要手となります。その後、後手は3五歩~5四飛~2四飛として、先手に2五歩を打たせて「ウシシ」と喜ぶわけですが、そのとき、先手玉は「囲い」をどうするかが難しい。ところがこの“森流中飛車”の場合は、先手に「7八金」の一手が必要ではないため、この将棋の先手の田丸さんのように、すっきり「左美濃」に囲うことができるのです。
それならば、後手としては、最初から「ゴキゲン中飛車」を指した方が得、ということになりますね。
ただし、この将棋は後手の羽生さんが勝ちました。
千代の富士の連勝は、11月の九州場所の14日目まで続き、「53」連勝まで伸ばしました。
さて、では、止めた力士は誰でしょう? 答えは、自分で調べてね。
・森けい二の中飛車関連記事
『森vs谷川 1988王位戦の横歩取り』
『平野流(真部流)』
『2012.12.2記事補足(加藤‐真部戦の解説)』
『森内新手、5八金右』
『谷川vs森 ふたたびの横歩取り 1989王位戦』
『横歩を取らない男、羽生善治 1』
『横歩を取らない男、羽生善治 2』
『戦術は伝播する 「5筋位取り」のプチ・ブーム』
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