はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

fantasy

2006年09月11日 | はなし
 先月の河合隼雄さんについての稿の中で、ひとはみな自分の中にはファンタジーを持っている、と書きました。それについてもう少し触れてみます。

 ここでいうファンタジーとは、「こころの中の世界」ってことですが、よく少年や若者が犯罪を起こしたときの「心の闇」などと表現されることがありますが、あれも「ファンタジー」。たのしい世界ではなく、むしろ、くるしいことがたくさんつまっています。だから、たいてい、ひとは「自分のファンタジー」にうっかり入り込まないように気をつけています。この中に入るとね、社会生活が難しくなるんですよ。特にオトナは大変です。だから入らないように気をつけているのですが、リストラで仕事がなくなったり病気したりして、それをきっかけにファンタジーの入り口を見つけたりするわけです。恋愛がきっかけになるのもよくあること。
 「ファンタジー」ってのは、娯楽として読んでるぶんには「他人ごと」だから楽しいことだけ味わっておけばいい。つまらなかったら「暗い話は嫌いだ」とでも言ってやめればよい。でも、自分が物語の主人公として入るとなると、これは、その世界の「くるしみ」を全部背負うことになるんです。そしてやめることはできないからつらい。「宝物を探す」なんてね、話を聞くのは面白いけど、やるとなったら大変ですよ。あるかないかわからないものを探すんだから。あるかないかわからない場所を旅して。フツウに働いて給料もらうほうがラクですよ、確実だもん。褒めてもらえるしネ。
 コンピュータ・ゲームだとすぐに「敵」が現れてくれるから楽しくていい。ところが現実の「ファンタジー」では99%以上の時間はなにも起こらずただ「苦しい」だけ。ひたすら「待つ」か、ひたすら「歩く」だけ。
 そうした「苦しみを背負う主人公」をやりつつ、同時に「社会」で生活するために働かなければならない。だから(とくにオトナは)大変なんです。理解はしてもらえないですしね。
 つまり、「社会で働く私」と「ファンタジーの主人公である私」という2つの「こころの軸」が存在するわけです。「こころの軸」が2つあると、体力的にも、心的にも、ガタガタになるわけですね。2つの軸を行ったり来たり…。

 まあそんなわけで僕はずっと「体力がないんです」と言ってきたし、やっと食べるだけしか働いていない。いい大人なのに。これってスゴイ言い訳ですね。まあ、言い訳を必要とする相手もいないわけですが。とにかく、時間と体力を消費します。
 ほんとうは10代の心も身体も柔らかい時期にやっておくべきだったんです。(そうすれば3年とか5年で終わったと思う。)やるべきことをほうっておくとどんどん心身が硬くなって時間がかかる。僕は10年かあるいは20年くらいやっています。(つまりまともに社会参加できない。端っこで生きています。)
 でもあと1、2年で終わるような気がしています。(おかげさまで!)
 このまえの「しにたいガス」もファンタジーの「敵」なのですね。でもね、ものは考えようで、「敵」が現れたってことは「宝探しのヒントがちかくにあるよ」というサインなんです。「しにたい」と思うのはツライけど、死ぬわけじゃない。「おれのファンタジー」いよいよ最終章突入、かな? 宝はちかいぞ!
 まあ、がんばります。

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