はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

クレイジーキャッツ

2008年10月26日 | おんがく
 歌・植木等、コーラス・ハナ肇とクレイジーキャッツ
   『アッと驚く為五郎

 これが、僕が初めて買ったシングルレコードです。


 ハナ肇とクレイジーキャッツ
   メンバーは、
   ハナ肇、植木等、谷啓、犬塚弘、安田伸、石橋エータロー、桜井センリ


 僕の父はどういう人かとひと言でいえば、「壊れかけのラジオ大好き!」という人。
 父は、東京に出張がある時に必ず立ち寄る場所がありました。それが、秋葉原です。ですから、僕は、東京になど行った事もない子供時代から「秋葉原」とい地名を知っておりました。父は、「電気部品」が大好きなのです。今でも『ラジオライフ』という雑誌を隅々まで読んでいます。もちろん若い時はラジオは作っていましたし、真空管のテレビなら修理できます。アマチュア無線もできます。東京出張など数年に一度でしたから、ここがチャンスと秋葉原へ行くのです。秋葉原電気街を歩いて、雑誌でしか見たことのない電気部品、雑誌でさえ見たことのないような電気部品を探して、ウキウキわくわくするのです。
 「壊れかけの電化製品」は大好物。 どこが悪いかよっしゃワシが治して進ぜよう。
 そんな人ですから、オーディオ関係もとくいです。僕の父は、直径20センチ以上もあるリール(それだけつまり旧式であるということ)のリール式テープレコーダーを持っていましたし、レコードプレーヤーもありました。星飛雄馬の父一徹がちゃぶ台ひっくりかえしていたあの時代ですよ。(もちろん僕ん家にもまるいちゃぶ台はありました。) 僕は一人でテープレコーダー(これは小型のやつでしたが)で遊んでいて、そのテープを切ってしまったことがあります。だまってそのままこっそり元の位置にそのテレコを返したのですが、その後何事も起こらずふしぎだなあ、と思っていて、もっと後になってそのテープレコーダーをまた使ってみたら、切れたはずのテープがつながっていてビックリでした。さらに後で知りましたが、切れたテープをきれいにつなぐ技術があるんですね。(ただし接合部は完全には元に戻らない)
 レコードプレーヤーは2つありました。そのうちの1つは父が作ったものでした。もちろんレコードも沢山ありました。ただし、ほとんどは演歌でした。彼のオーディオ好きは、7、8割は、(ソフトよりも)ハード面にその興味の比重があったわけです。 「浪曲」が好きでしたから、浪曲師から歌手になった三波春夫が特に好みだったようです。もしもウチにビートルズのアルバムが1つでも置いてあったなら、あるいは僕のそれからの音楽的生活は、今より華やかなものにふくらんだような気がするのですが。
 父母が子供向けに用意したレコードもいっぱいありました。童謡『おさるのかごや』『七つの子』などです。僕はたっぷりそれを聴きましたが、小学生になってさらに段々と成長してきた息子娘に聞かせるには、それらのレコードの歌は幼すぎると、父は思ったかもしれません。(僕はなにも不満に思っていなかったのですが。音楽に鈍感なんですね。) でも父は、何を子供たちに買って聞かせたらよいかまったくわからなかったのだと思います。 

 その父がある日、「好きなレコードを買ってやる。自分らで買ってこい。」と言ったのです。
 僕と妹は、母にお金をもらって、レコードを買いに行きました。僕の田舎には、電気器具などを売っている雑貨屋があって、そこでレコードも売っていました。しかしそういう店ですから、レコードの品数は少なく、選ぶものも限られます。その中から好きなものを選ぶのです。
 妹は、ピンキーとキラーズ恋の季節』を選びました。当時大ヒット中の曲でした。(わ~すれられないの~ あ~のひとがすきよ~♪)
 そして僕は、『アッと驚く為五郎』。


 僕は今日まで、この曲を歌っていたのはハナ肇だと思っていましたが、それはカン違いで、歌っていたのは(『スーダラ節』でもお馴染みの)植木等でしたね。「アッと驚く、タメゴ~ロオ~、なに!」とハナ肇がなんども叫ぶし、ジャケットも「為五郎」であるハナ肇が中心なので、そう思い込んだのでしょうね。このレコード、あるいは田舎の実家にまだあるかもしれません。

 子供時代の懐かしいものや、おもしろいギャグや、そういうものをいちいち採り上げていてはキリがない。ですから、この「僕が初めて買ったレコード」の話も書く予定ではなかったのですが、「クレイジーキャッツ」→「猫」ということに気づいて、急遽採り上げました。僕が初めて買ってもらった本が『びりっかすのこねこ』で、初めて買った漫画単行本がニャンコ先生のでてくる『いなかっぺ大将』、そしてここに「クレイジーキャッツ」…。僕の子供時代に、これほどまで「猫」との関わりがあったとは… ブログをやっていなかったら気づかなかったことです。
 「クレイジーキャッツ」から、子どもの僕は英語の「クレイジー」と「キャット」を知りました。


 ハナ肇(はじめ)は、調べてみると、豊島区長崎の生まれなんですって。これは以前書いたことがあるけど、トキワ荘があって、もっと前(ハナ肇が生まれた大戦前)には「池袋モンパルナス」と呼ばれ、芸術家が集まった地域。
 クレイジーキャッツのメンバーとと僕の父とは、ほぼ同世代になります。


 『アッと驚く為五郎』の「為五郎」は、TVの中のキャラですが、その頃アメリカを中心に世界で流行っていた「ヒッピー」をイメージしたものですね。 戦争いやだ、平和がいいよ、愛だよ、働きたくねえよ、なあみんな…、てな感じ。
 今の僕はこの「為五郎」の格好から、「広島太郎」を連想するのです。
 「広島太郎」というのは、広島市にいた人なら皆知っている昔いた人物で、いまの言葉でいえばホームレスなのですが、身体に色々なもの(腕時計とかぬいぐるみとか紐とか)を身に着けて鮮やかな衣装の目立つ人で、本通りという広島の中心部をよく歩いていましたから、それでたいていの人は知っていました。今はいないので伝説のようになっていますが、伝説ではなく実際にいた人物です。僕が印象に残っているのは、映画館でこれから映画が始まるという時に、からんからんと紐に空き缶をつけて身体にぶら下げたものも鳴らしながら、彼、広島太郎氏が入って来たことです。あの映画は何だったか、思い出せません。
 「広島太郎」のあの格好は、今になって思えば、あれは、シャーマンの特徴を具えていますね。シャーマンって身体に金属をジャラジャラと巻きつけるんですって。ヘビメタの人の金属趣味も同じようなルーツではないでしょうか。卑弥呼やアマノウズメも金属じゃらじゃらさせて踊ったのでは? 広島太郎氏、なにを考えてああいうふうに生きていたのでしょうか。だれか調査して本にしてくれないものか。
 「広島太郎はしんでしまった」ということになっていたらしいのですが、また最近では「それはウソ、ほんとうは生きている」という話もあるそうです。


 クレイジーキャッツのメンバーの谷啓(たにけい)は「ガチョーン」のギャグで有名ですが、彼は大の猫好きでもあるようです。
 ところで、僕が買った初めてのレコードアルバムはといえば、これが、所ジョージなのです。それが何だったか手元にないのではっきりしないのですが、たぶん、『ホング・コングの逆襲』だったと思います。 (実家に帰った時にさがしてみよう。)

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