はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

アオウミガメ

2008年01月08日 | はなし
 ウミガメってシッポあったけ、なかったっけ? 僕は山育ちなもんで川のカメならわかるけど…。テキトーに描いてみました。

 『浦島太郎はどこへいったのか』(高橋大輔著)という本を読んだのですが、いろいろと面白いことが発見できました。その一部を紹介します。

 いちばん古い浦島太郎の物語は『丹後国風土記』にあって、この話では「亀=乙姫」で、玉手箱は出てくるんですが、「箱を開けたらおじいさんに」というオチはなし。まあそんなところからはじまり、著者の高橋さんは「浦島太郎の実像」を探す旅に出るという、そんな内容の本です。
 いちばん古い、といってもそれは「文字にした物語として」であって、実際はもっともっと古いのでしょうが。

 高橋さんは、「日本ウミガメ協議会」ってのがあることを知り、その会長さんに会いに大阪市枚方市へ行く…。その会長さんの名前が「亀崎」さん(笑)。

 鹿児島県日置市には「ウミガメ保護監視委員」というのがいるらしい。
 「四国や沖縄ではウミガメは食料、みんな食べていたね。けど、鹿児島では聞いたこともない。習慣がないんだな、カメの肉を食べるという。それでもウミガメの卵は食べていたねえ」
 鹿児島ではウミガメは特別な存在で、漁の定置網にウミガメがかかると縁起がたいへんいいとされ、カメに酒を飲ませたそうです。

 亀卜(きぼく)という神事があります。亀の甲羅を焼いて占う(神様のコトバをもらう)儀式です。奈良時代は朝廷の公式行事だったという。高橋さんは、亀卜の盛んに行われていたのは九州の対馬一帯であることをつきとめ、さらに対馬の南端雷神社で「サンゾーロー祭り」として今も亀卜神事が行われていると知り、行ってみます。
 目の前で亀卜の儀式が始まりました。亀卜の伝統を受け継ぐのは岩佐氏。岩佐氏は亀甲を焼いてそのあと筆を手に半紙にむかい、一気に言葉を書きだしました。次から次へと神のご託宣は筆からあふれ出て、並べられた半紙で足の踏み場もないほどになります。占いの内容は、政治、経済、天候… それだけに収まらず、ファッション、スポーツ、流行色にまで及んでいるという。その年に流行る色は「ベージュ・紺」、流行るレジャーは「スキー・ダンス・占い」、ファッションのキーワードは「知的・シンプル」。
 そして、流行る服は「タートルネック」。 「亀を追っかけてここまでやってきたらタートルネックかよ!」高橋さん、笑いをこらえる。

 「新年、新年、改まって候(そうろう)。 あれひきみるとナムチョウ、これひきみるとナムチョウ、ただ白銀黄金と見え渡って候」
 「おお、さん候(サンゾーロー)」
 「前の河原の石の固さと、賀茂川の石の固さと、見え渡って候」
 「おお、サンゾーロー、そのことにて候」

 亀卜は、他には、新しい天皇が即位する時の大嘗祭で行われるのだそうだ。


 さて、20年前の僕の体験から。
 夏、与論島の浜辺でボーッとしていた時です。浜辺には10人ほどの人がいました。
 浜辺の監視係がスピーカで「ただいまウミガメが孵化しました。ぜひごらんください。ただいまウミガメの…」と伝え始めた。「ウミガメ?」と思って僕も人が集まっているところに行って見た。
 ちいさな、ちいさな、たくさんの(200匹以上と思われる)カメの子が、一生懸命に海のほうをめざして走っている。大きさは人間の親ゆびくらい。「きゃーかわいい」と歓声があがる。とにかくひたすら、走っている。わずか5メートルほどの距離だが、彼らは必死だ。

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 これがその時の写真。
 浜辺にうちあげられた珊瑚のカケラの中に、小さなウミガメたちがいるのがわかります? もう少しで、海です!!
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