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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「御垂訓」

2019-09-11 23:52:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 五

「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」

先の続き・・・

身近な親しい人が正しくないことをされる場合も同じことです。
腹が立ったり嫌な思いをしたり、ひどい時にはカッカときて、
他人の愚かな行為のために自分が心の楽しみを失います。

自分は間違っていないのに、
人が間違ったからといって自分自身の心を苦しめる方が多いのですが、
この時、私たちは次のように思うことです。
「人の愚かなる行為をもって、我が心の楽しみを失うことなかれ」と。

人が愚かなことをした場合、
大半の人はそのことで自分の心を苦しめます。
例えば、電車に乗っていてすごくマナーの悪い人に対して
「ほんとに、ようあんなことができるものだ」と怒っています。

怒るのは自分ですね。マナーの悪い人は他の人なのに、
それを見て怒って自分の心が苦しんでいます。
「人の愚かなる行為をもって我が心の楽しみを失う者は、なお愚かなり」。
他の愚かな行為で夫婦の間でも友情の間でも
心を苦しめることは多いです。
「ほんまにうちの嫁さん、もう何やってるのやなー」と、
自分がしてないのに自分の奥さんのことで怒っていますと、
嫁さんよりも婿さんのほうが愚かになります。



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「御垂訓」

2019-09-11 00:42:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 五

「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」

先の続き・・・

今、この社会を見ましても、
リクルート事件を取り上げて悪口を言っていた政治家が、
自分も内緒で金を貰っていたとかテレビで報じています。

「私たちがいくら魂の修行をさせてもらい、正しく生きても、
世間の奴は悪いことばかりしているから何にもならない。
ましてや政治家が悪いことをしている世では修行する意味がありません」
などと言う人がありますが、しかし、悪いことをし、
間違いを犯す方々は、私たち「法」を学ぶ者から見ますと、
これは泥沼と同じです。

その人たちの姿を私たちの栄養として「あのような事はしないように、
ああいう間違いは犯さないようにしよう。
せめて自分だけでも間違いのないように生きよう」と思って、
そこから学び取っていくことですね。
そして社会の悪に汚れない己自身の法の花を咲かせたらいいのです。
過ちも人の悪も私たちが裁く必要はありません。
これは私たちと神様の問題です。
過ちを犯している人は、過ちを犯している人と神様との問題です。

私たちはそれを学びとして、せめて自分は過ちを犯さないようにしようと、
自分の栄養にしていけばいいのです。
ですから社会の悪もすべて私たちの学びの材料として
受け取らせてもらった時には、腹も立ちませんし、
人を悪く思うこともありません。
ましてや恨みや憎しみは関係のないことです。
その方と神様の関係だと思わせてもらえばいいのですね。


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