浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「独り言」より。

2016-01-22 00:10:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第五章 心の曇りをとるための反省


    幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる


先の続き・・・

行きたい、行きたいと思うのです。
ところが、そこへどうしても行けない。
稲束を渡す役目をしなかったら叱られますから、その場から逃げることができないのです。
これと同じようにどうすることもできないことが、十代であれば十代においてあり、
あるいは二十代であれば二十代で、同じようにしがらみの中で涙を流しながら、
精一杯生きている己の姿をみせられ、心の底に焼き付けられました。
あまりにも哀れな自分の姿を短い間に全部見せていただきました。
思わず「かわいそうだったなあ」と、自分に対して涙がとめどなく流れてきて、
こういう厳しい中でよく頑張って生きてきたなあという思いが溢れてきました。
そして、その時にやっとこう思いました。

「反省みたいなもの、できてもできなくてもいい。心に法灯みたいなもの、
いただいてもいただかなくてもいい。
そんなものは関係ない。
とにかく私自身を赦してあげよう。
これほど精一杯生きた己自身に対して赦しを与えてあげよう。
己にやさしく人に厳しいという生き方なら法に背くけれど、
そうではなかったのだ。
もう法も何もない。

とにかく、私は私自身を赦すことだ」と思って、自分を赦そうと決めました。
「あなたはこの厳しい人生でつらい中、苦しい中をよく頑張りましたね。
私はあなたのすべてを赦させていただきます」と、
泣きながら心の中で自らに向かって語りかけていたのでした。
ところが、この時です。
心がフワッと軽くなったのです。
心が広がって、光り輝く自分をその時自覚しました。
自分を赦した時、どれほど自分が楽かということを悟らせていただいたのです。
肉体の五官の感覚が完全に消えてしまいました。

意識ははっきりしていますが、頭、手、足、胴はどこにもなく、何も感じないのです。
肉体はなく、ただ自分が胸のあたりを中心として光り輝いているのです。
こんなことは生まれて初めての体験ですから、
「あら、私の体がなくなってしまった。私はどこかへ行ってしまった」と思いました。
身が軽いというようなものとはまったく違います。
完全に肉体の感覚が消えてしまいました。
まさに肉体の五官の感覚の消滅です。
私は自分がどこかへ行ってしまったらえらいことだと思いましたから、
顔、頭、胸、手足をしっかりつかんで確認しました。
すると、やっぱり感じがあることが確かめられました。
全身を探り、「ああ、やっぱりついていて」と思ったのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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