goo blog サービス終了のお知らせ 

浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「思いの中に生きる」より。

2016-03-27 00:14:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「思いの中に生きる」より


          亡くなった方に対する思い方


私たちが亡くなったお方に対してどういう思い方をするかですね。
これをよく思い違いをするのです。
もう年も九十、百近くになって、
「もう、あんた、ええかげんに死んどくなはれな」
「いやあ、そんなこと言うても、わしゃ、まだ死なれんわ」と言える、
そんなところまで生きた人は別ですけれども、
まだ所帯盛りの連れ添う方の亡くなった場合、特に女の方、まあ男の方も一緒ですけれども、
「お父ちゃん、私らに付いて下さい。そして、私らを守っといて下さい。
どこも行かんとこの仏壇の中におって下さい」と言って、よく拝まれるのですね。

これはとんでもない間違いです。
そのように祈っていたいのは人情ですけれど、そういう祈りをしますと、
亡くなった人の邪魔をすることになるのです。
私らは亡くなったら、物質の世界(仏教では「色の世界」といっています)、
この現れた世界から、今度は目に見えない世界へ帰らなければなりません。
実在の世界、あの世の世界へ帰らなければなりません。

ところが、あの世へ帰ろうと思って旅立とうとするのですけれども、
生き残った者が、「おって欲しいんや。付いていて欲しいんや。私ら守って欲しいんや」
というような願いをしますと、
行こうと思っている人の足を引っ張る結果になっているのです。
旅立ちの邪魔をしているのですね。
側に居て欲しいのは人情ですけれども、言ってみれば自分の我欲です。
守って欲しい。付いていて欲しい。寂しいから側に居て欲しい。しかし、
自分の我欲のために、亡くなった方が迷ってもいいということは言えません。
自分のために大事な人を迷わしたら大変です。


            ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする