※ 不思議写真の一枚。
このお写真の裏面にコメントが書かれてありましたので原文のまま下記しました。
“愛の光”の不思議
福岡市内のお寺のご住職の叔母さん(アメリカ在住)が由緒ある
ご本尊様(室町時代作阿弥陀如来像)の写真を持参しました。
長尾先生が浄心庵から“愛の光”を送り、尋ねたところ電話に出た姪の方がビックリして
「大変!!ご本尊様がお風呂からあがり、光輝いています・・・!!」
“愛の光”の後(右) “愛の光”の前(左)
前後の“輝き”の差をご検証ください。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
私たちは反省をするのに、姿勢などは関係がないと思うかもしれませんが、
背中を丸くしますと、重りがかかってきて長時間坐っているのは困難です。
専門のお坊さんは坐禅の時、必ずお尻に円座といって座布団を入れます。
お尻を高くして結跏趺坐、或いは半跏不座をしますと、背中が真っ直ぐになりますが、
お尻を高くしないと背骨が曲がります。
以前、NHKでやっておりましたが、起きている時も寝ている時も、脳波が出ているのです。
ところが普段は絶対に出てこない脳波が坐禅をすると出てきます。
また催眠術をかけても、その脳波が出てくるそうです。
アルファー波といって、坐禅をしていてもお尻の座布団をのけたら出てこないそうですから、
坐禅をする時は必ずお尻を高くしないと効果がないのですね。
正座しますと、踵の上にお尻が乗りますから、真っ直ぐになります。
しかしこの形は踵も膝も痛いです。
慣れない者は長時間坐っていると痛くなってきます。
お話会の場所によっては四時間、五時間坐っていても痛いと感じないのは、慣れることによるのです。
心がある状態になりますと、科学的に脳波を調べた時、アルファー波が出てくるのですが、
それは一つの姿勢によるのですね。
ですから、凭れて丸っこい背中をしていましたら、長い時間坐ることはできません。
座禅の時は結跏趺坐でも半跏不座でも、背中を真っ直ぐにすることです。
その証拠にお釈迦様の仏像は、背中を真っ直ぐにしておられます。
お釈迦様は修行の時も、自分の坐る場所は長く坐っていても痛くないように草を敷き、
菩提樹の木に沿って真っ直ぐに半跏不座の格好でお坐りになりました。
反省するというのは、私たちの心の奥底のもっと奥底に、すばらしい宝物がしまわれていて、
その宝物を掘り起こすことですで、その時反省の功徳が与えられます。
~ 感謝・合掌 ~