漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

Doroady達が行く③

2012-02-29 06:32:02 | 近場のポタリング

【ドーロバイクを駆るドローディー達】

梯子乗りを観賞した後は、石原から秩父往還の旧道を辿って小前田まで向かい鎌倉街道探索をすることに。

鎌倉街道の古道ってどこ?

小川町方面の街道はよく知らないけれど、チームVリーダーに付いてきゃなんとかなるでしょ^^

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高城神社からは中山道を通り、秩父往還の分岐のある石原へ向かい、道標の前で記念撮影であります。

ドブ状の用水路になってしまった場所は迂回した(ちょっと迷った)が道跡をトレース可能な場所は容赦なく道連れ。

一人じゃ不審者みたいだけど三人なら学術調査みたいで平気かも。次はドブも自転車担いで道連れかしら^^

山王宮付近で既にドーロバイク(泥付き自転車)乗りになりつつあるドローディー達であります。

 

 

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花園から荒川対岸に渡って川越岩から鎌倉街道古街道を探索することにしたのであります。

古街道といえば当然のことながら藪漕ぎは必須でしょうねえ^^

 

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昼飯は「のこのこ」。店内はローディーやポタガールで混雑しておりました。

実は待つのが苦手でポタ帰りの17時過ぎに寄るばかりで、ランチタイムに入店するのは初めてなのであります。

で、かねてから憧れのピザとパスタのランチセットにグラタンを喰らったのだ。

あきらかにこの日の走行状況からすると摂取過剰であります。でも美味いからいいのだ。
  

 

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行け!行け!鎌倉古街道探検隊! チームVリーダーと逝く探索ポタはまだまだ続くのだ!

ちなみに走っている未舗装路の右手の掘割状のところがきっと鎌倉街道古道でありますね。

 

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「うふふっ・・・私をつかまえてご覧なさい^^」。『あははっ!待てぇ~^^』。嗚呼・・・春はすぐそこであるなあ。

 

もはや鎌倉街道かどうかも判らない。しかしドローディー達はドロドロの道を憑かれたように疾走するのだ!

結局、八和田の近辺で古道は影も形もなくなってしまったみたいであります。

さて、そろそろ三時のおやつを喰らいに寄居の「ちゃがま」に向かいませう。

お二人に小川の街中を色々と教えて頂きながらプラプラと舗装路を走る。舗装路ってちょっと物足りないかも^^

竹沢から折原へと抜けていく。途中、泥跳ねのないローディーの集団とスライドしました。あっ!くーまー様だ^^

挨拶をするZERO様が自分のドロードバイクのタイヤを隠そうとポジション取りしたような気がしたのは錯覚かしら^^

ところでハンドメイドのクロモリロードに泥跳ね・・・きっと似合うと思うな。うん!

 

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寄居では白梅がちらほらと咲き始めておりました。春を感じた後は、本日最後の目的地の「ちゃがま」へ。

拙は草餅を食べて春の気分を味わったのであります(ピンボケしちゃって画像はなし)。

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土産に購ったエース絶賛の「くるみ(餡子が入っていないのであります)」は拙宅の豚児達にも好評でありました。

 

この後は流れ解散で更に荒川沿いの 砂利というか土砂道を通ったりしながら帰宅であります。

走行距離:87.1km・・・舗装路走行比率の少ないポタの終わりです。

 

tomochan様 ZERO様  おつきあい有難うございました。


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Doroady達が行く②

2012-02-28 06:52:27 | 近場のポタリング

【梯子乗りスゲェ~】

高城神社の参道に到着。既に鳶職の方々が準備されていました。

この日は熊谷近隣各地の鳶職の方々が一堂に会して梯子乗りの技や木遣り唄を披露してくれるのであります^^

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纏を振りながら高城神社へ向かって行進していく行列の姿がなんとも凛々しく見事でありました。

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暫く纏を振り神社へ向かう方々の姿に見惚れていたのですが、御一緒した方々はどこにいったのかしら?

エースはなにやら滅多に見れない情景を前にしているにもかかわらずクリート掃除にご執心な様子。

ひょっとして運が着いてきたのかしら^^

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やがて梯子乗りの技が惜しげもなく、あちらこちらで披露されていくのです。

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それぞれに技と呼べばいいのか型と呼べばいいのか判りませんが、名称が付いているのよねえ。

説明がなかったのが残念といえば残念ですが、それはそれは見事なものでありました。

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どれだけ練習を積めば流れるように出来るのだろう・・・びびりぃな拙には決して到達出来ない世界な気がします。

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実は一番凄いと感じたのが梯子を支える方達なのであります。

身長の四倍前後の高さに勢い付けて動く重量物が載った梯子を地面から生えているように支持する力加減が素晴らしい。

誰か力学的に解析してくれないかしら。

 

つづく


Doroady達が行く①

2012-02-27 06:41:39 | 近場のポタリング

ドローディー(Doroady)はお洒落なド・ローディーではありません。ドは怒とか弩とかの意味でもありません。

泥だらけのローディーを略して泥ローディー⇒泥ーディー⇒ドローディーと勝手に呼ぶことにしたのであります。

何故泥だらけなのかですって?それはおいおい判ると思います^^

 

【待合わせ時間までプラプラ】

日曜日はtomochan様、Zero様とポタリングに行って参りました。

待合わせ場所にだいぶ早く到着してので、ちょっとだけプラプラとしてみたのであります。

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そろそろ菜の花が咲き始めているかと思い鹿島古墳群へ行ってみましたが、まだまだでありました。

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荒川にはコハクチョウの姿を見受けるし、民家の紅梅も咲き始めといった感じでありました。

春を視覚で実感できる日は、まだ少し先になりそうですね。

 

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押切橋近くの鳥居が刻まれた石仏は「波乗り弁才天」ということをmasa様の記事で知りました。

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波に乗った一面八手の弁天さまで、しかも鳥居付き。なかなか珍しいものであります。

 

【まずは熊谷の高城神社へ向かう】

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お二人とは押切橋交差点で待合わせ。チームVリーダーを先頭に熊谷市街へと向かうのであります。

この日は高城神社で鳶の方々による梯子乗りがあるとTommy様の記事で知ったので見に行くのであります。

途中、直進すると命の保障のない道を直進するリーダー。

どうなることかと看板手前で見守ってましたが、シャッターチャンスは訪れませなんだ。チェッ!

 

つづく


帝都妖怪新聞

2012-02-26 07:00:29 | 本と雑誌

 

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【帝都妖怪新聞 (湯本豪一編/角川ソフィア文庫)】

 

明治時代の怪異に関する新聞記事を当時の挿絵とともに集めたもので、なかなか面白いのであります。

狐や狸に化かされた話から、化け猫に祟られた、天狗に連れ去られた話等の昔話にあるような記事が多い。

また、巨大な鳥や蜂、山猫などに村が襲われた記事や異形の生き物が村に出現して予言をしたとかの記事もある。

こういった記事が地方紙だけでなく現代では全国紙となった新聞にも掲載されていたのでありますね。

記事の書き方もなかなか味がありますよ。

「去る十一日の夜半過ぎ、遠寺の鐘が陰に籠って物凄く・・・」って講談かい!と突っ込みをいれたくなりますわ。

記事の末尾に記者自身は「俺は信じてないんだかんな」みたいな文章が入るものも多いのであります。

「みる人、眉に唾して読みたまえ」とか「文明が開かない田舎には、こんなおかしな話があります」。

なら記事にすんな!って感じであります^^

 

明治時代はまだまだ不思議が溢れていたことを判らせてくれる資料というか本でありました。


君はもうここにいない

2012-02-25 16:45:27 | 日記・エッセイ・コラム

いつも頬笑みを絶やさなかった君。

わざわざ遠回りになるこの道をよく通ったのは、この道を通れば必ず君に会えるからだったかもしれない。

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どうして?先の震災でも倒れなかったのに。強風に煽られ落ちたのか、それとも心ない人の仕業なのか。

いずれにしても確かなことは、君はもうここにいないということだ。

『こっちを向いてよ。ハニー』などと独り言をいいながら、ここを走り抜けることももうないだろう。

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ありし日の君の写真を、せめてもの手向けにここに飾ろう。

埴輪のハニーよ永遠に。

 

えっ?どうしてこんな社会的に意義のない記事ばかり書くのかですって?

『だってなんだかだってだってなんだもん』


いい坂夢気分 第5話 秩父甲州往還を荒川の渡しへ ④

2012-02-24 06:53:43 | 秩父往還 野次馬道中記

【栃の木坂を下って栃の木の渡しへ】

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「栃の木坂」と呼ばれる砂利道の急坂を下っていくのであります。

坂の途中に「おしげ地蔵」と呼ばれる石仏があると文献にあったのだが、これがそうかしら。

「馬頭観音」もあるらしいからどっちでせう。それとも全く違うのか。風化が進んでいて判らないなあ。

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※おしげ地蔵:乳飲み子を連れたおしげという女性が当地へ来て泊まったが、夜にいなくなってしまった。

翌日、その親子が荒川に沈んでいる(何故?)のが発見され、坂の下り口にある栃の木の傍に埋めた。

その後、夜になるとそこから赤子の泣き声が聴こえるようになったので、石地蔵を建て供養したんですって。

今では夜泣きを直す神様として信仰されてるとありました。

 

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今回の目的地である「栃の木の渡し」に到着であります!(12:38/44.8km)。対岸に旧道らしき上り口が見える。

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渡っっちゃうかあ^^。でも濡れたら霜やけ確実な冷たさです。

暖かくなったら再度訪れて自転車漕いでor担いで荒川を渡ってやるのだ!と、この時は心に誓ったのであります。

その時は当然、道連れを大勢連れてくるのだ^^。

 

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ちょこっと歩いただけでクリートに泥と雪が凍りついてペダルに入らなくなってしまったのデス。

さすがのエースも引き足を使えなくなり、自転車を押して栃の木坂を上り返したのでした。

これでこの日の往還探索は終了であります。次回は贄川かあ^^

「 にゃんとも酔狂なことだにゃあ」とにゃんこの眼差しが語っておりました。

 

【昼飯は入船】

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秩父市街まで戻って、散々迷った末に落ち着いた雰囲気を醸す入船で蕎麦と洒落込みました。

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身体が冷え切っていたので熱々の天婦羅蕎麦を啜り込みました。

海老好きにはなんとも嬉しい二本付きであります!

一本は早々に食べて、もう一本は時々つついたりしながら蕎麦を手繰り、汁を啜って堪能しました^^

 

【パワースポット?】

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前回一人で来た時は気付かなかったんですが、石塔が川沿いに延々と積み上げられていたのであります。

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どこまで続いているのか自転車を置いて歩いてみました。 氷柱もありましたよ。

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ずっと先まで続いているようですが、残してきた小雪(拙の愛車)も気になるので戻る事にしませう。

でも、これだけのものを誰がなんの目的で作ったのだろうか?不思議ですわ^^

 

【いい坂夢気分ラストシーン】

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本日最後の激坂を上ってパワースポットから立ち去るのであります。

 

近場でも判らないこと色々ありますねえ。

 

総走行距離:120.6km

ZERO様へ お付き合い有難う^^


いい坂夢気分 第5話 秩父甲州往還を荒川の渡しへ ③

2012-02-23 07:10:09 | 秩父往還 野次馬道中記

 

【道の駅あらかわから白久へ】

三峰方面へ向かって荒川の左岸側を通る旧道を色々見学しながら走っていくのであります。

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進行方向左手にある「延命地蔵」と呼ばれる地蔵尊(11:32/40.2km)。

台座に「右浄光寺道 左大宮道」とある。チョークが塗られていたので、どなたかが調査していったのですね。

 

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将門橋を渡って、ちょっと行った右側の杉林にある「乳母神様」と呼ばれる石宮(11:41/40.9km)。

「風邪婆」、「ババア神様」とか「オバッコ」の別名もあるらしい。乳母神様は畠山重忠の乳母だったらしいですよ。

※大滝村の太陽寺で生まれた重忠は大蛇の化身の娘の子として大血川に流された。

それを乳母が助けて大里の畠山に送り届けた。その帰り道に乳母はここで行き倒れて亡くなった。

これを、もっと脚が達者だったら太陽寺に戻れたものをと村人が哀れんで足の神様として祀ったんですって。

拙は『エースに負けない剛脚にしてくだされ』とお願いしたかどうかは秘密であります^^

地元では風邪を治してくれる神様として今も信仰されていると聞いた。

 

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谷津川に架かる高橋を渡ってすぐに左折して秩父鉄道の踏み切を渡る(11:51/42.3km)。

 

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昔、ここらにスケート場があって子供の頃に滑りに来たものだと懐かしそうにエースが語ってくれました^^

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左上のこれがスケートリンクのなれの果てなのか?・・・いいえ、これは只の凍結した路面であります。

正解は右上の警備員さんの奥の草むらだったようですな。

 

 

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所々にある薬師堂を覗いていくのであります。

こういったお堂は昔、宿に困った旅人の夜露をしのぐ場としても利用されたみたいですね。

 

 

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双見沢を渡って右手に秩父線の線路を潜って坂を下る(12:10/43.6km)。

すぐに秩父往還道の分岐「右往還道 左大日向道」と書かれた木製の道標と石標がある。

石標には「東国高野 大日向道入口」と刻まれているらしい。大日向道は太陽寺への道のことですって。

道標のとおりに右に真っすぐ下っていくのであります。

 

 

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六所橋手前にある六所大神の祠。縄文時代に祭祀に使用された石棒が保管されていると説明にあり興味深々なり。

祠を覗いてみたが、それらしき一物はありませなんだ。どこにいったんでせうね、八本の石棒は^^

 

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「三峯山道(ニ至ル)」等と記された道標のある突き当りを右に下っていくのであります(12:24/43.9km)。

もうすぐ栃の木坂です。

 

つづく

 


いい坂夢気分 第5話 秩父甲州往還を荒川の渡しへ ②

2012-02-22 06:58:03 | 秩父往還 野次馬道中記

 

【安谷川を渡る】

さて、ここがR140号を秩父市役所支所の手前から右に入った先にある旧道であります。

『モットオエットのいい坂夢気分』のロケにお約束の未舗装路をロードバイクで逝くシーンを撮るのです^^

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翁塚を暫し見学した後は、小石と枯れ枝の散らばるコンクリート路面の急傾斜を下っていく。

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さすがのエースも安谷川に架かる木橋は自転車を降りて渡るのであります。

そのうち暖かくなって水浴び出来る季節になったら自転車に乗ったまま渡るところを撮影させてもらおっと^^

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クリートカバーを装着してても所々凍った路面で滑るのであります。でもホントの難所はこれからなのだ。

 

【いい坂夢気分シーン3】

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さすがのエースも自転車を担いで上ります。

アウター縛りを絶対に解きたくないのかインナーでも無理と考えたのかは判りません。

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「なんで・・・ゼェゼェ・・俺ばっかこんな目に・・・ハァハァ・・・きっと次は・・オエッ・・道連れを増やしてやるぅ」

とエースの背中が語っているようでありました。

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二枚構成の写真のタイトルは『やけくそなローディの背中と青い空』であります。

ちなみにこの区間は甲州方面へ向かうには注意して進めば自転車担いででもなんとかなることを実証出来ました。

しかし秩父方面に向かうには自転車担いででは急傾斜過ぎてリスク高過ぎだと思います。

 

【鳥居の彫られた石仏を見学した】

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『秩父往還いまむかし(飯野頼治著)』に荒川中学校近くの矢崎沢の手前に鳥居のある石仏があるとあった。

前回こいつを見たくて探したのだが見つけられなかった。今回は散歩中の御婦人に教わることが出来ました。

上右写真のコンクリートの小路を上っていくと下日野会館があり、そこに鳥居のある石仏(水天像)がありました。

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鳥居(神道)のある石仏(仏教)を見るのはこれで二箇所目(他は熊谷の押切橋近くにあるのです)。

本にも書かれていたが神仏混淆の貴重な資料でありますね。

 

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道の駅あらかわに着(11:18/39.9km?寄居の樋の下古道から)。やっぱり単独より速いわ^^

 

つづく


いい坂夢気分 第5話 秩父甲州往還を栃の木の渡しへ ①

2012-02-21 06:38:54 | 秩父往還 野次馬道中記

今週も飽きずに秩父甲州往還の旧道を辿るポタに出掛けた。

今回の目標は、前回の到達地点である道の駅あらかわ付近から先にある荒川の渡河地点まで辿ることだ。

具体的には白久駅を越えたところにある栃の木坂を降りたところの「栃の木の渡し」の荒川水際まで行くのだ。

当然ながら回を重ねる毎に往復距離が伸びて脚力面でキツくなっていく。単独走の空気抵抗もばかにならない。

でも今回は大丈夫。チームAのエースが同行してくれるのだ。これは激坂ロケも愉しめるぞ^^

 

エースとは道の駅はなぞのに午前8時待合わせ。

ルートは親鼻までは旧道を基本的に選択、そこから大野原手前までは往還に関係なく走ることにしました。

 

【いい坂夢気分シーン1】

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先ずは第一の難所である寄居の子持瀬の渡し跡の先にある坂であります。

「エース、今日はアウター縛りでお願いします!」と要請をしておいたのであります。

えっ?そうスイスイ上らずに、ちょっとはヨロけるとかしてくれないとネタにならないなあ。

まあ、チャンスはまだまだあるからいいか^^

 

【旧道情緒を味わう】

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矢那瀬から野上下郷までR140号と荒川を左手に見降ろしながら走る旧道はやっぱり良い雰囲気だなあ。

 

【皆野と黒谷で寄り道】

親鼻からは暫く旧往還と関係なく美の山公園上り口辺りからR140号の脇道を走る。

こっちの方が大型車とかを気にせずにのんびり走れるんですわ。

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なんと「気楽流柔術」ですと?! 説明を読むと名前に反して激しい稽古が繰り広げられたみたいであります。

この日は拙等モットオエットも気楽流ペダリング術の稽古に励むのであります^^

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和銅の内田家住宅に寄り道。もっと手を掛けてもよいのではと思うが、そう簡単にはいかんのでせうね。

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そしてオシャンクリサマ。

祠を見るなり「負けた・・・」とエースが呟いたのを拙は聞き逃さなかったのであります(と記憶している)。

あれはどういう意味だったのか。いまだに謎のままなのですが何故か問い質し難いなあ^^

 

【浦山川の渡河地点を探す】

秩父往還を辿るにあたり拙が参考にしている文献が二つある。

『秩父往還いまむかし(飯野頼治)』と『歴史の道調査報告書第六、及び十一集(埼玉県教育委員会)』であります。

浦山川の渡河地点を前者は『諸下橋で橋立川を越え、すぐに浦山川へと下って対岸へ・・』と記している。

後者は『左に光西寺があり、その少し先で橋立川を渡り、さらに浦山川を渡る・・・その橋の跡が残っている』とある。

う~ん、一体どこなんだろうか。

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この日は諸下橋を渡って一番近い川への降り口(キャンプ場かな)を見にいってみました。

どうも違うみたいな気がします。関係ないけど向こうに見える鉄橋はSLが通る季節は見ものでしょうね。

もっと上流の漁協のある近辺に木の板を渡しただけのような橋があったと聞いたがそれが渡河地点かしら。

後日もっと調査せねばであります。

 

【いい坂夢気分シーン2】

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『路面が一部凍結していますが、ここもアウター縛りで上って全国の貧脚野郎をびっくりさせて下され^^』

うわあ!ホントにアウターで登っていったわ・・・しかもリア23T。こりゃドーピング検査が必要かも^^

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にゃんとも剛脚であることであるにゃあ^^

 

つづく


銀乗の青面金剛コレクション№005

2012-02-20 06:53:38 | 青面金剛像など

ここでは日月、猿、鶏、蛇、邪鬼等を配し四臂以上の人型立像で庚申塔と判断したものを青面金剛像と記しています。

なかには正式には庚申様と呼ばれる青面金剛でないものも混じっている可能性もあります。

そこはひとつご愛嬌ということで勘弁頂きたいと思います。

吉見の長谷近辺で見つけた青面金剛像であります。

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炎のような髪形にショケラを掴み一鬼の上に乗る姿は一般的であるが、問題は鬼の下なのであります。

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こりゃ一体なんじゃほい? 邪鬼の真下にいるコイツは猿か翁か童子はたまた夜叉なのか。

なにやら御弊の付いた棒のようなものを担いでいるのであります。

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横顔から想像すると耳のない犬か兎みたいな雰囲気なのですが、こんなの初めて見ましたわ^^

※目の形は上手くトレース出来ていないデス。


ようやく読めた

2012-02-19 06:14:30 | 青面金剛像など

青面金剛像が庚申信仰に深く関わることを知って以来、庚申待ちや庚申さまって何?とずっと気になっていた。

あと青面金剛像ってどんな姿が正しいのかとかでありますね。

関連の文献を探していたのだが、やっと図書館で見つけることが出来ました^^

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【庚申信仰 (窪徳忠/山川出版社)】

 

  

庚申信仰は道教からでたという説と日本固有のものとみる説があり実のところはよく判らないとありました。

拙は庚申待ちが道教の三尸(サンシ)拙に由来すると聞いていたのでちょっとびっくりでありますわ。

☆三尸説:人の体内に三尸という虫がいて人を早死させようと庚申の日の晩に人が寝ている隙に体から抜け出す。

そして天に昇って、その人が犯した罪を天の神に告げる。

だから庚申の日に徹夜すれば三尸は天の神にチクりに行けないので長生き出来るという訳らしい。

 

いずれにしても皆で庚申の日に集まり徹夜する行事を庚申(カノエ・サルでコウシン)待、または守庚申と言うみたい。

☆庚申待:仲間内(庚申講)の一軒の家に集合し、『庚申さん』と呼ばれる掛け軸を掛け、その前で唱えごとをする。

そして食事やら酒宴やらで世間話しながら夜明かしたようであります。

そしてその庚申さんに描かれたのが青面金剛という訳でありますね。

 

☆青面金剛の姿は『陀羅尼集経の巻九』や『青面大金剛薬叉辟鬼魔法』に描写されているとありますな。

どちらも原典を見たことないですが特徴は以下の通りとありました。

(これは青面金剛像を探索観賞するうえでポイントとなりますなあ)

・一面四手である。

(でも画や像には一面六手、三面四手、または三面六手もあるみたい。拙は一面六手ばかり見掛けますね。)

・左の上手には三又叉、下手には棒(大蛇が巻きついている)を持つ

・右の上手には掌に輪、下手には羂索を持つ

・体は青色で口を大きく開き、目は血のように赤く三眼

・髪は炎のように立っていてドクロを頂いている

・胸にドクロの首飾り、首、腰、両手、及び両足に赤い大蛇を巻き付けている

・両足の下に二鬼を踏んでいる

(拙はまだ一鬼しか見たことないなあ)

・青面金剛の左右には香炉を持った青衣の童子が一人ずつ侍立

(童子は見たことあるのであります)

・右側に刀、索を持つ赤、黄の二薬叉。左側には鉾、叉を持つ白、黒の二薬叉が立っている

(薬叉って夜叉のことかしら・・・みたことないなあ)

 

六手の場合は弓とショケラと呼ばれる上半身が裸の女性を掴んでいるみたいですね。

☆ショケラ:この半裸の女性がショケラと呼ばれるようになったか理由も年代も判っていないのだそうです。

①ショケラは庚申さんの弟子で、この日に人が寝ないか監視している

②ショケラは人を病気にしたり様々な悪さをするので、暴れ出さぬよう髪の毛を掴んで押さえている

などの説があるのでありますな。

 

あとは日月や猿、鶏などが組合せられるようであります。

(翁なんてのも見たことあるなあ)

 

最後に庚申待で徹夜ぜずとも済む有難い呪文を。

『ショケラよショケラ 寝たかと思って見にきたか 寝たれど寝ぬぞ まだ目は寝ぬぞ』

『ショケラよショケラ 身体は寝たれど目は寝ぬぞ』

う~ん、苦しい言い訳みたいな呪文であるなあ^^


惜しい

2012-02-18 07:46:45 | 青面金剛像など

いつの日か御顔を青く塗られた青面金剛像に出会える日を胸に石仏を探して彷徨うのだ。

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この日は青面金剛より地蔵尊と遭遇することが多かったのであります。

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むむっ!この石仏は御顔が青く塗られた痕跡が見てとれるのであります。

しかしつくづく惜しい。青面金剛ではなく地蔵尊でありましたわ。とっても凛々しい御顔であります。

でも何故?疑問が募るばかりですわ。


秩父甲州往還を探る ④

2012-02-17 17:06:17 | 秩父往還 野次馬道中記

【荒川村から浦山川の渡河地点を探しながら引き返す】

この記事は秩父甲州往還道を探った帰り道なので往還とは直接関係ありません。

 

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R140号を走って秩父市街まで戻ることにしたが、武州中川駅を越えたところで馬頭尊がある小路に入ってみた。

これが浦山から続く旧道ではないのかなあ・・と思うのでありますが、往還ではないのでありますね。

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しばらく走るとR140号の浦山ダムが見える場所に出ました。正面に見えるぶどう園の脇道が旧道みたいで怪しい。

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ひょっとして浦山川の渡河地点じゃね?と思って行ってみたが・・・う~ん、よく判らないのであります。

自転車担いで降りてみるか・・・やっぱり止めておきませう。

※後日判ったのだがここではありませんでした^^

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R140号に戻って走り始めるとすぐに古そうな道標(左三峯山道 右二十八番道)が見えた。

ひょっとしてここが渡河地点か?性懲りもなく行ってみる^^

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う~ん、やっぱりよく判りませぬ。もっと事前に情報収集せねばですね。

※後日判ったのだがここが渡河地点でありましたよ。俺様の勘ってやっぱり鋭いぜ!(厚顔無恥^^)。

 

【秩父の街中にソバを食べたりふらふらしたりする】

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時刻は15時前。昼時の混雑を避けて穏やかな陽射しが射しこむ店内で独り静かに蕎麦を手繰る。

って独りで騒がしくだったら、かなり危ないオヤジでありますね^^

秩父市街は時代を感じる建物が現役なのが魅力の一つだと思うのであります。

 

【秩父市の北端?をうろうろ】

R140号を黒谷から招木古墳街道に入ってみる。ついにやってしまった・・・なんと、のぞきに行ってしまったのだ。

場所は下の写真のここ。和銅大橋手前のこの看板が目印であります。

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誤解がないよう付けくわえておきますが、この辺りの地名が『のぞき』と呼ばれているらしいのであります。

荒川に面した断崖からのぞく景色が素晴らしいのかな。

断崖近くに通じる道が判らないので、近所の紳士に伺うと次のような御言葉を頂いた。

『露店風呂の家に声掛けて覗かせてくれと頼んでみれば』ですって。それはちょっと言い難いなあ^^

それらしき名を冠した看板とか探して写真に収めようとしたのですが見つけられませなんだわ^^

大橋の上から荒川を覗いて撤収であります。帰り掛けに川沿いにちょっと下って河原へ降りてみる。

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『ひとつ積んでは・・・誰の為?』なかなか味のある河原でありますねえ。

あとは和銅大橋手前から荒川とR140号の間を通る小路を走ったり、ムクゲ公園から根岸道を走ったりして帰宅。

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すっかり遅くなっちまったい。

走行距離:118.6km

 


秩父甲州往還を探る ③

2012-02-16 05:59:36 | 秩父往還 野次馬道中記

【安谷川の辺りは古道情緒たっぷりなのだ】

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R140号を進み、武州中川駅を過ぎて秩父市役所支所の手前を右に入る(12:51/55.7km)。

「歴史の道 秩父甲州往還道」の標識が建てられているので、この小路が旧道で間違いないのだ^^

往年の風情を感じることが出来る良い道であります(ロードバイクで来るような道じゃないとも言える^^)。 

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急傾斜を下り始めてすぐ。ここにも「翁塚 芭蕉句碑」が(12:58/56.0km)。

句碑には『むかし幾計 秩父殿さへ すまふとり』と刻まれているらしい。秩父殿は畠山重忠公でありますね。

重忠が源頼朝の前で関八州随一の強力といわれた長居を相撲で負かした故事に因んだ句碑らしい。

 

ちなみにこの坂、一旦下ったら自転車漕いで登り返す気にならない位の体感傾斜であります。

 

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翁塚から100メートル程下って安谷川を渡る。橋下の水深は浅いけど落ちたら寒さで震え上がりそうであります。

 

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もはや自転車を漕いで上れるような斜度ではないのであります。舗装路だとしても拙には限界を越えた斜度なり。

往年の雰囲気たっぷりで嬉しいやらしんどいやらでもう大変^^

自転車担いで上っていくが、果たして先が通じているかどうか不安が募るのであります。

でも引き返しはしないのだ!漢は黙って進むのみ!!

次に来る時は『いい坂夢気分』のロケをここでするのであります^^

 

【いよいよ荒川村】

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安谷川を渡って自転車担いで歩いてから5分程で民家のある場所に出ました。前方に荒川中学校が見えます。

 

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中学校前で二又に分かれる道を右手に進む(左に進むとじきにR140号に出ます)。

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道沿いに荒川村歴史民俗資料館があったので旧道の情報を尋ねる(13:23/56.6km)。

どうやらこの道で間違いないみたい^^。色々と親切に教えて頂き有難うございました。

先へ進むとR140号に合流(㈱アルファという工場の正面)、ガードレールの間に馬頭尊がありました(13:27/57.2km)。

 

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R140号を三峰方面へ上っていく。

道の駅あらかわの表示手前の登拝碑がある場所(右上写真)で左の旧道に入る(13:30/57.5km)。

碑は道標も兼ねており「右三峰山新道 左旧道」と刻まれている。新道とは現在の国道のこおでありますね。

 

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旧道に入って直ぐ路傍に「夜泣き石」と記された石があった。由来が書かれていないので気になりますなあ。

予測よりだいぶ遅れたが、道の駅あらかわに着(13:37/58.2km)。

なんと出走から既に5時間を経過であります・・・自分でも呆れる位の遅さなり。ここから先はまた次回ですな。

 

つづく


なんと呼ぶ?

2012-02-15 07:04:04 | 食・レシピ

 

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白菜のお新香・おこうこ・漬物、白菜漬け・・・オシンコとオコウコはなんかお上品な感じがするのは拙だけかしら。

ちなみに白い肉厚の部分と緑の葉っぱの部分のどちらかしか食べてはいかんと言われれば、葉っぱと答えます。

古漬けと浅漬けは、どちらといえば浅漬けも浅漬けの一夜漬けが好きだなあ。

あっ、でも古漬けを胡麻油で炒めた奴も捨てがたいなあ・・・

いずれにしても酒の肴にもお茶うけにも、飯の菜にもぴったりな優れ物なのであります。

ちょっと前までは古漬けばかりになると春がそこまでやってきていると判る季節感ある食べ物だったのです。

ところが今は一年中浅漬けが売っているから有難味も薄くなっちまったねえ。