漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

中山道 野次馬道中記 (倉賀野へ参る 1/2)

2011-06-30 06:16:39 | 中山道 野次馬道中記

ここのところ、日本橋方面へ向かって走ることが続いていた。

そこで土曜日は、倉賀野へ向かって以前見逃したところ等を訪ねつつ行ってみることにしたのです。

◆本庄宿までパチリしつつ走る

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「深谷宿の常夜燈」や「深谷市道路原標」、「呑龍院の子守地蔵」などを眺めつつノンビリと走る。

「田所町の常夜燈(天保11)」は、高さ4mで中山道筋で最大級の大きさらしい。

深谷宿は客引き(宿引きと呼ばれた)がもの凄く、一時は隣の熊谷宿や本庄宿まで出向いて問題を起こしていたらしい。

それで、客引きの境界を岡部から東方までとしたお触れ書きが出たと何かの本で読んだことがある。

今は当時の面影はなく静かなものでありました。

この先の17号線沿いの岡部辺りで幕末の砲術家である「高島秋帆が幽囚された史跡」があるらしいが、今回はパスした。

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滝岡橋を渡って暫く走ると藤田という所だろうか、右手に「子育て地蔵尊と庚申塔群」があった。

日の出町で17号を交差すると坂左手に「庚申塔と石仏」が見える(8:12/16.7km左)。

既に出発してから1時間近く過ぎてしまった。

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本庄宿を通過して金讃神社を過ぎて千代田三丁目交差点を右折する(8:28/20.1km)。

ここから高尾歩道橋手前を左折するまでが、この辺の中山道で赤城山が唯一左手に見えた場所らしいが、今はさっぱりでありますねぇ。

  

◆新町宿までパチリしつつ走る

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右手にある八幡神社のちょっと先に「史跡 金窪館阯入口」の石標があったので脇道を入ってみる(8:52/24.5km右)。

この道は、ものの本によると伊香保街道とも三国街道とも呼ばれた道で、江戸時代前は、中山道はこの道だったらしい。

しかし、この後、道沿いで会った方々に尋ねてみたが一人として古中山道のことを知る人はおらず、只の農道だとの答え。

灯台もと暗しとはこのことか・・・

幼稚園だか保育園だかの側に「館阯入と刻まれた石標」があった(8:57/24.9km左)。

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少し先へ進んで左手に木が茂った場所(ゲートボール場があった)があり、そこの側が「金窪城跡」だった(9:03/25.3km左)。

寛正年間から斉藤家が居城したが、天正十年に滝川一益と北条氏邦の神流川の合戦で焼失したと説明にあった。

ここも戦場だったのだなぁ・・・

  

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中山道に戻って進み「陽雲寺」に寄り道(9:10/26.3km左)。

こちらに「いかほ道道しるべ地蔵」が移設されているとの情報を得たので観たかったのだ。

おそらく背の高い地蔵様がそれなのだろうが、文字は風化して判読できなかった。

  

「正四位 畑時能公首塚」と刻まれた石碑があった(9:17/26.7km)。

長瀞の生まれであり、合戦で犬を使った最初の武将で、愛犬の名は犬獅子だったらしいと帰ってから調べて判った。

福井県で戦死した時能の首級を携えて長瀞へ向かう途中の家臣がこの地で病死、主従を弔った塚らしい。

  

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勅使河原の17号と合流する手前に「庚申塔や石仏群」と「一里塚跡と刻まれた碑のある祠」があった(9:27/27.4km右)。

そういえば石原の「欅の一里塚」からここまで一里塚見てないことに気付いたが見逃しだろうか。

  

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17号に合流して一つ目の信号を左折し、高崎線を潜ると「大光寺」がある(9:37/28.1km)。

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こちらには、昔は神流川の渡し場にあり、英泉の描いた旅人が座っている常夜燈があるのだ。

「見透灯籠」と呼ばれるこれがその常夜燈。良く見ると側面に「詩佛老」と彫られているが、「大窪詩佛」のこと?

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つい、灯籠から覗いてしまうが・・・あれ?何か置いてありますね。誰がここに置いたのかしら?

  

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本堂の裏の方に廻り、創建者である勅使河原有直と息子の直重を祀った「石憧」と「不背碑(親子地蔵)」を観た。

左の石が「石憧」、後ろから見ると地蔵様の後姿?が良く判るのであります。

 

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こっそりとカッパが出てきそうな池に何故か惹かれたのであります。変な趣味かしらね?

  

つづく

 

  


第2回 赤城山怯(む)位夢 2/2

2011-06-29 06:46:06 | 旧ブログ記事

《前回までのあらすじ》

9.11のコースを走り始めたが、計測開始地点(10:02)で既に我が貧脚は売り切れていた。

目立つのは今しかないと考え、猛ダッシュ(自分基準)してトップに立ったが、直ぐに終わった。

 

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アシストとしての俺の役割は、ここで終わりだ・・などと言い訳しつつ登っていく。

赤鳥居を通過(10:15)。しばらくすると右手に一里塚跡が見えた。

まさに『くたびれた奴がみつける一里塚』であります。トホホッ・・・

  

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畜産試験場(10:25)を過ぎて、右手に道標を見つけてパチリ(10:31)。

単独だったら、ここから右に進んでしまったかもしれない。

  

第一円筒分水工をパチリ(10:37)。赤城大沼用水と円筒分水工に関する説明板を隅々まで、じっくり読んだ。

先に通過した第二円筒分水工の場合は、さほど見学せねばとは思わなかった。

だが、この第一円筒分水工は、遠くから左手に見えた瞬間から是非寄らねばと思ったのだ。

何故そう思ったのかは未だに判らないのであります。

  

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コース途中には1キロ毎に距離を標示する看板が立てられていた。

スタート地点からここまでの間では、特にこの12㎞地点の看板が素晴らしいと思われたので、停車してじっくり眺めた。

ちなみに12㎞地点で時刻は既に11:02、丁度1時間でありますね。それにしても霧が凄いのであります。

  

更に挫けそうになりながらもヘロヘロと進むと、途中右手の蕎麦屋の自販機の所で皆様が待っていてくれた(11:27)。

なんて紳士な方々であります。11:47に再スタート!!

でも・・・また皆様すぐに見えなくなったのであります(霧も晴れて来たというのに不思議なことなり)。

何故、『濃霧で危険だから今回は、ここまでにしませう』と先程言わなかったのだろうか?

あれが最後のチャンスだったのかもしれないのに・・・山は引き際が難しい、とはこういうことなのか?

この後、つづら折れになった場所で、再び皆様が待って下さっているのが目に入った(こういうところは目ざといと自分でも思う)。

それまでヘロヘロ走って来たくせに、急いで参りましたと擬態を装い、全壊じゃなくて全開(何を?・・口を)で走った。

  

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そんなこんなで目出度く12:50に総合観光案内所にゴール出来たのでありました。

体重を前回より2㎏減量して、言い訳パチリも可能な限り減らし(前回13回、今回9回)、赤城山に挑んだ。

その割にはタイムは+9分・・・まぁ・・自分はアスリート班じゃないですから・・・それに霧のせいで視界がちょっとね・・・

次回は頑張りたいと思う次第で御座います。

  

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昼飯は、大沼に降りて自転車ラックがある店で頂いた(ラックがあると自転車乗り歓迎って感じでポイント高いですよね)。

走りの速さでは負けたが、麺を啜る速さでは自分が断トツだったと思う(14:53)。

  

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いつか機会があれば白鳥脚漕ぎボートで大沼周回レースを皆様に挑みたいと思う。

来た道を引き返すが、下りで、弾丸?はたまた稲妻か?な走りをなさる御方がいらして着いていけない。

ツール!6の主人公気分(下り怖えぇ~!!)を味わいました。

  

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高原やきもろこしで、焼とうもろこしを喰う(15:40)。霧に煙る赤城山にて国定忠治ポーズでパチリ!

  

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追い風を受けつつ順調に帰路を辿って、緑地公園で小休止(16:53)。

若い?お二人が先程から仁王立ちしている・・・脇を通過する人を睨みつける山門の仁王様のようだ。

でも、ちょっと場所がマズいのでは?と思ったが面白いので黙ってパチリ!

 

坂東大橋近くのコンビニでアイスタイム(17:37)。ポタ途中のアイスが旨い季節であります。

この後は深谷市役所近くで皆様と別れて帰宅なり。

愉しい一日を過ごさせて頂きました。有難う御座いました。

この遅さに懲りずにまた、お付き合い頂ければ幸いです。

  

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今日は標高も稼いだし、走行距離も148㎞とロングライドの部類でありました。

第3回に備えて何をすべきか・・・更なる減量は必須の条件となるであろうな。

ハーフ&ハーフを調合しながら一人反省会の夜が更けていく。

以上

  

お付き合い頂いた皆様に感謝であります。また、お願い致しますね。

山の麓をグルリ一周が良いかな・・・でもそれじゃ練習になりませんね。


第2回 赤城山怯(む)位夢 1/2

2011-06-28 02:33:00 | 旧ブログ記事

日曜日のこと、ブログでお付き合いさせて頂いている方々と赤城山に御一緒させて頂いた。

雨がちょっと心配だったが、朝の時点では降っていなかったので予定通りに深谷駅に向かった。

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先ずは、はる様が登場!想像通りにスラリとした体型でローディといった感じの知的な紳士でありますね。

実は、ひょっとしたら異性ではないかと淡い期待もあったのだが残念なり(嘘です)。

ついで、hayazu様が来られた。なになに?前日は釜伏ですって・・

ププッ、今日遅れた場合の言い訳を仕込んできたのですか?等と憎まれ口を叩いてみた。

これが心理戦というものであります。戦いは既に始まっているのだ!なんちゃって。

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最期に、夜ふかし朝寝坊(拙の偏見?)のZERO様が到着!なんでも慌ててサドルバッグを忘れたのだとか。

まさか・・・本番仕様の軽量モードなんじゃないでしょうね?

本当ならハンデとして拙との体重差分の10㎏弱のウエイトを搭載して頂きたいと素直に思った。

一通りの挨拶を済ませた後、予定通り赤城に向けて、いざ出陣であります。

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上武大橋から利根川CRで前橋へ向かう。CRに入ると、すぐに雨が降って来た。

これぞ天の助けであります、休憩じゃなくて雨宿りを致しませう。

しばし自転車談義をしている内に呼吸が整った雨が小降りになったのでCRに戻った。

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それにしても泥はねが凄い。20分程走った後には皆様、漢の背中?になっておりました。

今日の昼飯は入店を断られるのではないかと本気で思いましたね。

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9.11の出発地点となる合同庁舎に着(9:51/51.4km)、御手洗いを拝借しました。

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計測開始地点でパチリ!(10:02)。ここからは各自のペースで逝きましょうということにしてもらった。

どうせ置いていかれるのだからと、直後から猛ダッシュしてみた。

一応、皆様を引き離せたと思った時点(既に心肺と脚力の限界なり)で道脇に自転車を隠してカメラを取り出す。

皆様の焦る御顔をパチリしたかったのだ。

でもカメラを構える前に、はる様が通過していく・・・・早過ぎであります。

なんとかZERO様とhayazu様の通過に間に合ってパチリ!

さぁ、ぼちぼち参りますかな。

  

つづく

※ボカシが掛った登場人物の写真を見ると想像力が鍛えられる気がするのは私だけだろうか?


包丁人侍事件帖

2011-06-27 06:11:37 | 本と雑誌

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包丁人侍事件帖シリーズ「料理番 春の絆(小早川 涼/学研M文庫)」を読んだ。

  

江戸城台所人の鮎川惣介が、幼馴染の添番である片桐隼人と事件を解決していく物語。

料理は凄腕だが剣術のほうは、からっきし。

食い意地が張ってて、愚痴を吐くこともしばしばで、外見も狸侍等と評される主人公に親近感を感じてしまう。

実は、このシリーズは本作で5作目なのだが、購入順がバラバラで、しかも間隔が開き過ぎており、どれを読んだか判らなくなってしまった。

多分、どれか一冊抜けているはずなのだ。雨降りで外出出来ない休日に本棚引っくり返さなくちゃですわ。


日がのびたので夕涼みポタ

2011-06-26 05:14:30 | 近場のポタリング

すっかり暑くなって、うっとおしい陽気が続いている。

でも日がのびたので、雨さえ降らなければ夕涼みを兼ねた近場のポタ位出来たりする。

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別府沼公園のホタル祭り(6月25日)もいよいよ。雨が降らなければ良いのだけれど。

※後記:なんとか出来たみたいですね、子供に聞くと賑わっていたようです。

刀水橋を渡って354号を牛沢町へ向かう。

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9.11へ向けて体重落としたいのだけれど、自販機のハンバーガーを喰いたくなってしまった。

でも売り切れなり・・・残念だけど、これで良かったのだ。

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利根川沿いに戻って医王寺の脇の地蔵堂を覗く・・・小さな地蔵さまがわんさかおわした。

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「思った通りにはならないが やった通りにはなる」含蓄がある御言葉ですが、たまには思った通りになって欲しいです。

にゃんこに逃げられずにパチリ出来た。思った通りだぜ!!

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刀水橋を再び渡って妻沼へ向かう。この時間帯は参拝客も途切れて静かなものであります。

にゃんこを探したが見つからない・・・やっぱり思った通りにならない。

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結局ミケはいなかったがトラがいたのでパチリ! 龍亀もいましたわ。

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街中の路地に入って寺社町らしい趣を愉しむ。

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えんむちゃんの髪形はいつ見てもセクシー。

愛嬌もあるし、これなら頭に長葱を挿したアイツと並んで埼北の野菜アピールユニットにもなれそうであります。

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ようやく涼しくなってきた。明日もあるし、そろそろ帰ろう。

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夜遊びに出掛ける地蔵さまはおらんかね?

自分も夜遊びにならぬ内に急いで帰りましたとさ(43.5km)。


王子狐火殺人事件でちょっと感傷

2011-06-25 05:25:23 | 本と雑誌

  

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耳袋秘帖シリーズの王子狐火殺人事件(風野 真知雄/文春文庫)を読んだ。

だいわ文庫から文春文庫に移ってから、根岸肥前守の部下だった栗田と坂巻が出てこないのが気になっていた。

代わりに宮尾と椀田という部下が出ていたので、現実の大人の事情というやつかとも思っていたのだが違ったみたい。

このシリーズは怪異譚の影に人の思惑が絡んでおり、その解釈が面白く、作者の仮説にいつも感心している。

今回は狐の嫁入りに関することが事件解決のキーとなるのだが、ちと哀しく切ない幕切れでありました。

  

それにしても「花嫁さんになるのが夢」なんて、現実ではとんと聞かなくなったことであるなぁ。

花婿さんに・・・が増えてたりしてね。


鍾馗さまと紅花を観に行く (北本 桶川 上尾宿) 3

2011-06-24 06:37:59 | 中山道 野次馬道中記

◆上尾宿の鍾馗様に会いに行く  

上尾宿には飯盛り女が大勢いて、それを目当てに川越から若侍が毎晩のように通ってきたのだとか。

今は無き常夜燈の傍では、若侍と遊女が名残を惜しみ「さよなら横町」と異名がついていたらしい。

私も遥々熊谷からやって来た訳だが、あくまでも目当ては飯盛り女ではなく鍾馗様に逢うことだ。

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「上尾宿の案内板」(12:55/38.2km左)。上に鍾馗様がいらっしゃった。鍾馗様も良いが左後ろのメイドさんも捨てがたい。

時間もだいぶ過ぎた。早くメイドさんじゃなくて、鍾馗様に逢いに行かねば・・・

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街角の「青面金剛像」(13:00/38.6km左)。延享二(1745)のもの。

ずっとここで通りを眺め色々見て来たのだろうな。小林一茶もこの像を見たかしらね。

この辺から滅茶苦茶に道路が混んでいる。こういう時に自転車って便利、だけど巻き込まれ注意ですな。

「氷川鍬神社」(13:07/39.2km右)に着。中山道をはさんで反対側が本陣があった場所のはずだが・・

開発が進んで面影はどこにもなかったのであります。

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「おしゃれ工房新井屋さんの鍾馗様」(13:23/40.8km右)。看板の下でポーズを取ってました。

何故鍾馗様がいるのか?

鬼瓦は魔を払うものだが、追い払われた魔は向かいの家に行って災いを起こすと信じられていたらしい。

鬼瓦の鬼に対抗するものが鍾馗様だと考えられた。それが風習化し、上尾宿には昔は多く見られたと読んだことがある。

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辺りを探してみたが、他に見つけたのは線路沿いにある民家の一体のみだった。

風習も廃れたのですな、寒い時代でありますね。

  

◆再び桶川  紅花を観に行く

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中山道を桶川宿まで戻る。ようやく「境橋の石柱」を見つけた。もっと大きいのを想像してたので見つからなかった訳ですね。

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中山道から12号で菖蒲方面へ向かい「べに花ふるさと館」 に行った(13:56/47.8km)。

桶川は昔から紅花栽培が盛んで潤っていたのだと聞いた。出羽最上のものより武州ものの方が質は上だったとか。

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腹が減っていたので、紅花観賞より先に何か喰うことにした。

ところ天を喰うのも久しぶり。9.11に向けてダイエットしてみますかね。でもアイスキャンデー喰っちゃった。

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ちょっと離れた紅花畑で、紅花観賞なり。花摘みの娘さん達の姿はありませんでした。残念であります。

ここでも花の咲き具合が今年は遅いらしい。

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近くで見るとなにやら面白い花の付き方でありますな。この花が米の倍以上の価格で取引されたのだ。

再びふるさと館に戻って、紅花の花束を購い土産にする。

その昔は、紅花を摘んで臼で搗き、餅のように成形乾燥して「紅餅」として中山道で京都に運ばれたのだ。

紅花商人気分で紅餅ではないが、花を散らさないよう苦心して持ち帰ったのだが、家人達にはウケなかった(喰えないから?)。

  

紅花を購入の後は、桶川宿へ戻り中山道を熊谷方面へ引き返した。

帰り際にちょっと寄りたい場所があったので久下橋から箕田へ向かう。

  

◆番外編 箕田の保安寺へ紫陽花観賞に向かう  そして熊谷へ

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久下橋から大里へ入ったはよいが、肝心な保安寺近くへの道筋がさっぱりで迷走なり。

途中気になる看板を見つけてこっそり覗いてみたくなったが、時間も圧しているので泣く泣くパスした。

ようやく「保安寺」に着(16:07/75.8km)。

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境内に散在する石仏と紫陽花の組み合わせが趣あって佳いものであります。

  

  

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帰り際に「とうかん山古墳」を見つけて寄り道(16:31/76.2km)。

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墳頂に稲荷社があることから、とうかん塚と呼ばれたらしい。

狐のことを、オトカとかオトウカとか呼ぶので、とうかん塚は狐の塚という意味かしら。

昔は狐達が巣食っていたのだろうか。登ってみると今は白狐がちょこんと祠の前に座していた。

 

 

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その後は、うちわ祭りの準備が進む熊谷の雰囲気を星川沿いに眺めつつ帰宅なり(17:23/91.6km)。


鍾馗さまと紅花を観に行く (北本 桶川 上尾宿) 2

2011-06-23 06:07:59 | 中山道 野次馬道中記

◆北本から桶川へ

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北本の「東間浅間神社」(11:00/26.4km右)。6/30から2日間行われる大祭の準備中のようであった。

邪魔になりそうなので道路からパチリだけして退散。

「多聞寺」(11:12/27.4km)。「天然記念物の無患子の大木」が見事なものだった。

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隣の「本宿天神社」からお囃子の音が流れていた。

北本宿囃子連の獅子舞は有名らしい。機会があれば一度観てみたいものであります。

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「観音堂」(11:30/28.1km右)を通り過ぎ、暫く走ればいよいよ「桶川宿」の始まり(11:43/31.3km)。

◆桶川宿を行ったり来たり

桶川で観たいものは主に二つあった。一つは桶川臙脂と呼ばれた紅の原料となる「紅花」。

そしてもう一つは「女郎買い地蔵」である。この地蔵さまは「大雲寺」におわすらしい。

それ以外にも色々あるので順番に観て行きませう。

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先ずは桶川北小学校にある「松山道 道標(天保七)」(11:53/31.5km右)。

「松山 いなり道 (まる印に魚) 本小田原町」と刻まれている。本小田原町は日本橋の魚市場があった所。

この市場の人が、東松山の箭弓稲荷神社参りの講を組織して標としたのがこれとの説明があった。

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「大雲寺」 (11:58/32.0km右)。さて、地蔵さまはいずこにおわす?

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いたいた。三体の地蔵のうち、とんでもない地蔵さまが一体おわすのであります。

伝説では、夜な夜な宿内の女郎を買いに出掛けるので、住職がその背中にかすがいを打ち込み鎖で縛ったのだとか。

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真ん中の地蔵さまが怪しいと踏んだが、調べると濡れ衣でありました。

裏に回って背中を見ると犯人女郎買い地蔵は右端の地蔵でありました。

鎖は無かったので、今度夜遊びする時は後学の為に誘ってくださいねとお願いしておいた。

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中山道に戻って「上の木戸跡」(12:04/32.3km左)、「本陣遺構」(12:14/32.8km左)を眺めつつ進む。

途中に一里塚跡があるはずなのだが・・・結局この後3回往復したが、とんと判らなかった。

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趣のある建物を眺めながら進むと「桶川町道路元標」(12:18/33.0km)があった。

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歴史を感じるなぁ・・・

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「下の木戸跡」(12:23/33.3km左)に来てしまった。観光案内では他にも見所あるはずなのに・・・

もう一度、戻って観光案内板を見ると、境橋の石柱や棟瓦の鍾馗様、庚申様などがあり是非パチリしたい。

鍾馗様は上尾宿だとばかり思っていたが桶川宿にもおわすのですな。

下の木戸跡の手前を左にちょっと入ったところで「庚申様」(12:36/35.1km)を見つけた。

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鍾馗様が見つからずに中山道を行ったり来たりする。

あっ!民家の屋根にちんまりと乗ったあの影は・・・ようやく「鍾馗様」にお会いできました(12:44/35.6km)。

残るは、境橋の石柱だが・・・先に上尾宿まで行った帰りに探すことに致しませう。

つづく


鍾馗さまと紅花を観に行く (北本 桶川 上尾宿) 1

2011-06-22 07:00:00 | 中山道 野次馬道中記

土曜の夜更けの丑三つ時少し前に豚足を題材に思索に耽っていると携帯電話が光った。

身から出た錆ではあるが、仕事を終えて押切橋を渡る頃には空が白んでいた。

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この日曜は本気で峠攻め(水探しのことです)をしようと予定していたのだが・・・こんな日は無理は禁物であります。

一旦床に着いたものの、悲しいかな通常の起床時間に眼が覚めてしまうともう眠ることが出来ない。

折角の休日なので中山道道中のポテリングに出掛けることにしたのは9時前のことでした。

 

◆前回行った鴻巣宿まで迷わず中山道を辿る

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石原の「忍領石標」(9:07/3.9km左)、熊谷の誇る百貨店である八木橋前の「旧中山道跡」(9:17/6.7km左)をパチリ!

石原の「ケヤキの一里塚(左)」を忘れてしまったことに気付いた・・・ちょっとボケてるみたい。

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近くの「熊谷市道路元標(左)」をパチリする側を、佳い香りをさせた綺麗な女性達がぞくぞくと八木橋に吸い込まれていった。

八丁の一里塚跡を通過する(9:25/8.4km左)。

寝不足が結構心臓に堪えるみたい・・・もはや若くはないことを実感するのであります。

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久下神社の前で「久下村道路元標」を見つけた(9:34/11.3km左)。

久下一丁目と二丁目の境にある「堤下の一里塚跡」を堤の上からパチリ(9:38/12.7km左)。

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「荊原権八延命地蔵」(9:43/14.0km右)、「前砂村の池田英泉が吹上富士を描いた地」(9:53/17.5km右)を順調?に進む。

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苗木と書かれたバス停の側で、ちょっと奥に祠の載った塚のようなものが見えた(9:58/18.3km左)。

自転車を停め行ってみると、おわすは「一つの石に横3列縦2列に彫られた六地蔵」。

近所の方に伺うと徳川初期の頃の古いものと言われているらしい。

道路右手には「青面金剛像(正徳二)」が置かれていた。

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「箕田の追分」にある地蔵堂(10:06/18.5km右)。近所では「いぼ地蔵」と呼ばれていると伺った。

「庚申塔(享和三)」は風化が進み、既に年号が読みにくくなっている。

隣接する物置の裏には無造作に「武蔵國 箕田郷と刻まれた石標」が転がっていた。こりゃ通りから見えませんわ。

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暫く進むとJA直売所と歯医者の間に、草に隠れ気味な「小さな石標」のようなものがあった(10:14/19.6km右)。

正面に彫られた菩薩像?は風化進んでいるが、側面に彫られた「まつ山二り ひきへ四り」の文字はよく見えた。

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「箕田観音堂」に寄り道(10:25/20.4km)。渡辺綱が開祖であり馬頭観音が祀られているらしい。

観音は、源なにがし(漢字変換出なかったので省略)が戦の折に兜に頂いた一寸八分の尊像と説明にあった。

境内には「敷石供養塔などの石仏群」があった。

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鴻神社に着(10:43/22.8km)。卵を模した御守りが面白い。

中山道沿いの要所だけ押さえてきたつもりだが、結構時間を喰っちゃったな。

さて、これからが前回からの続きの区間となる。時間足りるかしらね。

  

つづく


ちょっとだけ退屈な時間のポタリング

2011-06-21 05:45:03 | 近場のポタリング

遠出するには時間も気力も足りず、かといって部屋でじっとしているにはちょっと退屈な時がある。

そんな時には自転車で近場の裏通りなどをプラプラしてみるのも一興。

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西別府から東方に向かって細い路を進んでいく。

何気なく道端に置かれたような風化が進んだ石も、よく見ると観世音菩薩など刻まれていたりする。

よく見掛ける庚申塔も、刻まれた年号を見ると寛政十二年(1800年)のものであったりして歴史の重みを感じる。

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芒に埋もれそうな石にも馬頭尊の文字が見える。

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天から蜘蛛の糸が降りて来たかと思ってしまったのであります。

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仲間町だか南川足だか北川足付近にある薬師如来堂にある夜泣き石。

由来など知りたいものだが、説明らしき文字が薄れてしまって判読できないのであります。

夜な夜な石が泣くのか、泣く赤子を泣き止ませてくれるのか、どちらかしらね。

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東方の熊野神社、社殿は上野台領主であった秋元家が造ったものだそうで、桁に家紋が彫られていた。

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神社の境内には寛政の文字が読める道祖神があった。

木之本の交差点近くにある地蔵堂。享保十一年と刻まれていた。紀伊国屋文左衛門が生きた年代であります。

どうやらこの地蔵堂の脇の小路は古道のような気がするので入ってみませう。

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嘉永の文字が読める石仏群がありました。地震やら黒船やらで大変だった時代のものですな。

中山道沿いの床屋さんの横に出ました。青面金剛像があったが、赤く塗られてはおりませんね。

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中山道深谷宿の常夜燈の近くにある文化年製の庚申塔。今回初めて存在に気付きました。

15年以上通っていて、未だに感知していないものがあったとは・・・ちょっと驚きました。

深谷商業高校近くの歯医者さんの門柱にあるこれは繭玉を模したものだろうか、なんだか良いものだと思った。

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常盤町の「せんべい ときわ」で、おやつを買い込んで帰宅。所要時間2時間弱の暇潰し。

身体能力の向上には全く縁がなく、ちょっと抹香臭いような走りでありました。


無患子(ムクロジ)発芽

2011-06-20 06:12:00 | 植物

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冬に拾って撒いておいた無患子の種から、ようやく芽が出て参りました(発芽率1/7)。

駄目だったかな?と諦めていた矢先だったので、嬉しさ倍増でした。

さて、どうやって仕立てようかな・・・直根を切って植え換えするかどうか決断できずに日が過ぎそうであります。

実を生らせて石鹸遊びをするには自分の寿命が保たないだろうな。

芽の抜けた硬い外殻を立てて置いてみると、ちょっと鳥っぽいような雰囲気でした。


美脚? いいえブ脚

2011-06-19 02:10:31 | 食・レシピ

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飲食店で縦半分に割られたやつは見慣れているが、こうしてそのままに皿に載せると・・・

なにやら異様な雰囲気を醸すように感じるのは加工された食材に慣れてしまったからなのだろう。

部屋の電気を薄暗くして、丸のままを鷲掴みにして齧りついてみる猟奇的な瞬間であります。

白い肌に歯を立て、油まみれになった指をしゃぶる官能的な豚足と共に過ごす夜。

  

そういえば昔、焼き肉店で、後脚それも右脚をくれと注文する客がいて、拘りのある方だなと思ったことがあった。

あれは今にして思えば、一本単位で値段が決まる豚足は、前脚より後脚の方が大きいから得だったからだろうか。

でも何故右脚なのか? 豚は右利きなので左脚より筋肉が発達していてとかあって右が旨いのだろうか?

謎は深まるばかり。官能に始まりミステリーへと続くコラーゲンな夜が更けていく。


ツール! 6巻だ!!

2011-06-18 06:22:40 | 本と雑誌

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全4ステージで戦うジュニオール大会の第3ステージでアシストに奮闘中の主人公ヒイロ。

本巻は激しい上りと下りを繰り返すハァハァ クハッ  ジャッ ゴッ グオォ キュ ドキャな展開なのだ!

時速100㎞のダウンヒルは想像しただけで怖ェ~!!

ブレーキミスしたヒイロが・・・いいところで終わってます。7巻早く見たいですわ。

  

今回、ちょっとだけレジに、この本出すのが恥ずかしくて表紙を裏にしてそっと店員さんに渡しました。

感受性が強過ぎでありますかね・・・


秩父往還を辿るポタ番外編(平通り道2/2)

2011-06-17 06:03:36 | 秩父往還 野次馬道中記

◆「右 大ミヤ道の標」が見つからずに遂に金山に登る

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結局、いつもの道に出てきてしまいました。峠まで行ってはみたものの標が見つかりません(11:40/28.2km)。

ひょっとして道の流れからして、古道の峠の頂きは金山山頂なのか?こうなれば意地であります。

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道標はどこかいな・・・

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SPD-SLの限界の挑戦であります。 さっきクリートの裏の赤い部分が両足取れてしまいました。

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山頂付近の「愛宕神社」のまわりにも標らしきものはなし・・・ 山頂展望台からの眺めは気持ちが良いなぁ。

眺めを観ていたら都合よく細かいことは気にするなという気になって、道標探しは中断したのであります。

 

◆長瀞方面へ向かって140号で帰宅

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右に左に石仏石標をパチリしながら走る。

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白鳥神社の前には「白鳥村道路元標」があった(12:38/32.3km)。

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さらに進んで大手桜の手前辺りに「大正八年製の道標」があった(12:44/32.6km)。

左・岩田金尾  右・井戸下田? 、 秩父町へ四里 小鹿野町へ六里 寄居町へ二里半 熊ヶ谷町へ七里

と刻まれていた。 

雲ゆきも怪しくなってきたし、熊ヶ谷まで七里もあるので、そろそろ引き返すかな。

  

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少し戻って対岸へ渡り、にゃんこをパチリしつつ岩畳の方へ走る。

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「金石の渡し跡」があることを、何度も通っているのに今まで気が付かなかった(13:06/35.2km)。

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遮断機のない踏切を渡って「うめだ屋」へ行った(13:23/36.3km)。

豆腐二種類と、とうふプリン4個、おから茶を購い、保冷容器に詰めてもらったのだが・・・

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ムムッ・・・容器がリュックに入り切らないのでありました。容器を傾けるとプリンが崩れてしまうとの注意も受けていた。

仕方がないですな、常時下ハンポジションで、しかし速度トロロ走りで140号を戻ります。

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慣れないポジションで首が痛くなったのであります。

ちと遅い昼飯も兼ねて「うさぎ屋」で、焦がししょうゆラーメンを喰らう(13:53)。

その後は140号をひたすら走って帰宅なり(15:18/67.4km)。

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なんとかプリンも豆腐も崩さずにお供えすることが出来ました。めでたしめでたしであります。

 

 

  

  

 

  


秩父往還を辿るポタ番外編(平通り道1/2)

2011-06-16 06:29:17 | 秩父往還 野次馬道中記

「秩父往還熊谷通り」を辿っている。

寄居の子持瀬を渡って釜伏、三沢を通る「山通り道」をポタリングで走っている途中である。

この道の他に波久礼から金尾へ渡り金尾峠を越える「平通り道」や「川通り道」もあったとの記録を読んだ。

おそらく以前に「tomochan」様が紹介した「殿倉の渡し跡」が平通り道なのだろうな。

金尾峠付近には道標も二つばかり現存していると「秩父往還いまむかし」に記載されていた。

そこで道標を観に行ってみることにした6月5日のことだった。

◆殿倉の渡し跡とその付近をぷらぷら

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彩甲斐街道(140号)を通って寄居橋までやって来た(10:47/23.6km)。

はて、殿倉の渡し跡は橋を渡った右左のどちらと書かれてたっけ?

分からなければ手っ取り早くは知る人に聞けの鉄則に従って、橋の袂の町田屋さんに伺った。

ついでに古道のことも御存じか聞いておこう。

店の前にダンボールが積まれた先に今の寄居橋が出来る前の橋があり、渡し跡は寄居橋の下辺りにあったこと、

もう少し下流にも渡しがあったこと等を伺った。

古い道標等についてはご存じないとのことだった。こりゃキツい一日になりそうだ・・・

店先に自転車を置かせて頂き、歩いて渡し跡観にいく。

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水が引いた日には渡し場の石組等が今も見えるそうだが、この日の水位では見えるはずないですね。

一旦戻って自転車に乗り、更に下流の渡し場跡が観れるかどうか行ってみたが辿りつくことが出来なかった。

近所の古老の話では、殿倉は針金を川の両岸に渡してそれに沿って進む船場であったらしく、

鉢形の殿さまの蔵屋敷があったので殿倉となったらしい。

下流の渡しもあったが、跡としては整備されていないことを伺った。

確か御歳九十以上と聞いたと記憶しているが、色々教えて下さって有難うございました。

 

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寄居橋まで戻って「白髭神社」に立ち寄った。境内の隅に「水速女命 獅子舞の名泉」の標示を見つけた。

「みずはや おんないのち?」・・・近寄ってみると「みずはやめのみこと」とかながふられてました。

獅子は「しじん」と読むのですね。

ところで名泉はどこにあるのかしら。標示の前は草ぼうぼうの断崖みたいです。矢印の示し方が難解なり。

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結局、それらしき崖に沿った道を歩いてみたが泉の場所は判りませんでした。tomochan様なら知っているかしら。

  

◆道標を探して迷走す

「秩父往還いまむかし」によると、

『金尾には「左ちちぶ道」と刻まれた古い道標や、・・・峠の頂きにも「右大ミヤ道」の道標がある』らしい。

先ずは麓から長瀞に向かって脇道含めて探していくのであります。

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「藤井戸」に着(11:17/26.4km)。

その場でゴクゴク飲んだし、ボトルに詰めて以降の水分としました。旨い水でありました。

帰ってから、あの御方のブログを再読したら、な、なんと上流には人家もあるし生はちょっと・・・と書かれてあった。

えっ?そういえば民家がありましたね・・・病は気からと申します。念の為、御酒で体内消毒と記憶削除を実行した。

結局この道と次のお墓の脇も道を登っても道標は見つからず、ここまで何人かの地元の方に伺っても知らないとのこと。

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これは困ったことになったぞ・・・と思いつつ通りに戻るとカーブミラーの後ろの方になにやら石標が目に留った。

ようやく見つけた「左 ちちぶ道(文政五年)」の道標でありました。感無量なり(11:25/27.0km)。

地元の方も知らないとのことで、まさかこんな大通りにはないだろうとの先入観が発見を邪魔したようだ。

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さて道標に従って進むのであります・・・えっ?道細っ!それに激坂ぽくなりそうな雰囲気じゃないですか。

暫し考えた後、ほら道標って道路拡張の都合で場所をずらしたりする場合があるじゃないですか。

きっとこの道標ももう一つ長瀞側にあったに違いない・・・と根拠のない推論に従い一つ上の道を昇ったのであります。

つづく