漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

春遠からじ

2017-01-29 21:42:08 | 植物
40+10肩が増長して、自転車に乗るにも支障をきたし、溜息をついている。
その痛さ、ケンシロウに経絡秘孔を突かれたか、エイリアンが出てくるかって感じデス。


折角の休日だ。自転車漕ぐのが辛いなら自動車で出掛ければいいじゃない^^

秩父華厳の滝の近く、ほんの数メートルの範囲だけれど、毎年のように天然氷柱が出来る。
滝に氷瀑は出来ていなかったが、川沿いの氷柱は成長していた。
観光案内には載らぬ小さな氷柱を静かに眺めるひととき、なんとも贅沢じゃあないか^^


道の駅・龍勢会館の裏手斜面に咲く福寿草のご機嫌伺い。
風裏となる樹の下では黄色の花が輝くように咲いていた。


独特な紅色の花を咲かせる秩父紅、今年最初の一輪を見つけた^^
この陽気が続けば次々と紅色の花が枯草色の斜面を彩るだろうか。
その時は自転車漕いで春の兆しを全身で感じたいものであります。



鳥の生る木

2017-01-27 22:28:45 | 日記・エッセイ・コラム
夜蝶観察に出掛けた訳ではない事を先に明言しておきたい。
これは酔い醒ましを兼ねた野鳥観察、紳士の嗜みというべきものなのであります^^


街路樹をねぐらにする鳥達を眺めながら、街中を千鳥足で散歩した週末の夜。


ネオンの明りに照らされ浮かぶ鳥達のシルエット、なかなか味があって面白いものだと思う。


知々歩奇行ポタ(皆野から帰路)

2017-01-25 20:25:15 | 埼玉を走る
道や土地の流行り廃り、それは今後益々加速していくだろう。
しかし、自分の知る道や町は絶えることなく在り続けて欲しい。その気持ちは傲慢だろうか。


ヒトボシ(火燈)峠はどこだ?
『旧鎌倉街道探索の旅(1976年発行)』を読んだ時のこと。
ヒトボシの名の由来は次の伝説があると知り、是非その峠を見たくなったのです。。
①地名は『一ト星』、歌詠みの一人の法師が児玉の方から峠に上った時に一つ星が輝いた。
「一人法師」か「一つ星」から地名となった。
②山の頂に日時計的な施設があり、その「陽通し」から地名となった。
③高松城落城の際、逃げ出した夫人達は、ここで追手に襲われた。
助け人を求め「人欲しい」と叫んだことが変化して地名となった。
④『風土記稿』には「火燈峠」とあり高松城と連絡を取るかがり火を炊く場所だった。


この路の先にヒトボシ峠があるのだ!
国神から根古屋、金沢にかけて「ヒトボシ峠を御存じですか?」と訪ねつつ走った。
往きつ戻りつして、ようやく入り口が判った。柴岡の常夜燈が置かれた路が鎌倉街道^^


柴岡の常夜燈、以前は県道沿いに設置されていた。
側には宿屋もあり、峠越えを控えた旅人が体を休めたようだ、と近所の紳士に教えて頂いた。
残念ながら旧街道はゴルフ場が出来て途切れてしまったようだ。
でも、古道の雰囲気を味わいたかったので行けるところまで行ってみよう!


と、走ること数分。さすがの泥ディーもツルツルの斜面に今回は断念デス。
余談だが「根古屋」は不便な山城から降りて普段寝泊りする場所の寝小屋の事。
ニャンコ派の拙としては猫谷でないのが、つくづく惜しい^^



だったら金沢側からの路を探してみようか。
訪ねてみれば、写真の個人宅の脇を抜けて金沢川を渡る路が鎌倉街道であったとのこと。
でも今は通る者とてなく、路の様相を呈していないことを教えて頂いた。
自転車停めて、暫く藪漕ぎしてみたが、たしかにこりゃ自転車乗りの恰好じゃ無理だわ・・・
川を渡った先には馬頭様がおわすようで、ヒトボシ峠への憧れはつのるばかりなり^^


昼メシは熱々の鍋焼きうどん
出牛の「花矢蔵」で手打うどんの鍋焼き(800円)を喰った。ほんのり立ちのぼる柚子の匂いが素敵^^


この季節にしては暖かい日だったが、やはり少しずつ末端から冷えてくる訳で。
熱々の食べ物がなによりの御馳走であります^^


煮込んでもコシのある拙好みのウドンを啜りながら、店の方から色々伺った。
出牛の浄瑠璃人形芝居は5月5日に金沢小学校前の萩神社で見物出来ること。
1月28日に店前の寺で不動様の縁日が開かれ、芝居で使われる人形が飾られること。
ひと昔前までは往年の宿場としての賑わいを感じられる町並みだったこと。
隠れキリシタンの話などなど。美味しく愉しい時間が過ごせました^^



皆野町 出牛の隠れキリシタンの墓
出牛は隠れキリシタンに関係あったと言われている。
出牛(ジュウシ)という読み方が、ゼウス、または十字(架)に似ているからだそうな。


西福寺、不動堂は火災でちと焦げてしまったが、本堂の中は壮麗で一見の価値があると聞いた。
都合良い事に今年の正月28日は土曜日。縁日見物と合わせて是非再訪してみたい^^


戒名や年号など文字が一切刻まれていない御宮のような屋根のついた石塔。
寺の墓地に散在する十三基のそれが隠れキリシタン墓ではないかといわれているようだ。
古い文献で見た写真と変わらぬ姿がそこに在り、感慨深いものがありました。


古道らしき小路の誘惑^^

さて、どうやって戻ろうか?
この路、宝登山から長瀞駅へと通じているらしいが・・・
これ以上、押し歩きしたら、クリートがペダルに嵌まらなくなりそうだったので断念デス。
次回はMTBペダルと靴に換装して本格泥ディー解禁かしら。


寄居町 田山花袋が見上げた榎はどの木?
何か昔のままで、残つてゐるようなものはありませんか?
あの木がさうだ。
かう言って、そこからさう遠くない小高いところに大きな傘を張つたやうな樹を指した。
ふむ、あれがその時分からある木かね。・・・かう私は言って此方を見て、
何の木だね?
榎だんべぇ。


花袋が「秩父の山裾」に記し、その樹の下に腰を下ろし、浪漫を感じた榎はどこだんべ?

齢を重ねていそうな樹を探しては下まで行って、仰いで見、撫でて見して問う。
御身がその樹かぁ?!
結局この日も樹達からの返答はなく、手掛かりは掴めなかった。
榎どこの木気になる木・・・拙はそう呟きつつ鉢形城址を後にした。

おしまい


追記 出牛は西福寺、不動様の縁日に飾られる出牛文楽人形

毎年1月28日におこなわれている不動様の縁日。
山門を潜って左手に本堂、右手奥の斜面にある不動堂でおこなわれる縁日に飾られる人形。
頭が大きく衣装が豊富な事を特徴とする人形芝居の主役達であります。
その人形芝居は、江戸時代末期から明治時代が爛熟期で大正3年から約50間断絶した。
そして昭和41年に復活して今に至るとのこと。


人形の衣装に挿された針は、針供養であるのだとか。
地域の各家庭に2本ずつ配られる?ような話を聴いたのだが、詳しく訊きそびれてシマッタ。
また機会を伺って訊きにいかなくちゃあだ。


道中各所で情報を下さった皆様へ
おかげさまで有意義な一日を過ごす事が出来ましたことを御礼申し上げます。
ありがとうございました。







知々歩奇行ポタ(長瀞から皆野)

2017-01-24 07:17:43 | 埼玉を走る
願わくば不審者だと思われませんように。
旧道古道や旧跡を探してウロウロしている時は、いつもそう願っている。


長瀞町 初めて見た道標

左 金沢 出牛道  右 山道
時代を感じる石材の道標。どのように記されているか確認したくなる魅力がある^^
山道、どこに通じていたのだろうか。今もその路は在るのだろうか。いつか行ってみよう。


長瀞町 犬塚

たぶんあれがそうだろう。県道から見えていたのだけれど・・・
人様の庭を通らずにどうやって行くのか悩んで意外と手間取りました。
でも、こういうのがまた愉しいのです。


柿の木の下に小さな板碑を祀った小さな祠があった。これが犬塚。

鉢形城が落城した後、主人を探し続けた軍用犬達がこの地で力尽きて死んだ。
それを葬ったのがこの塚であり、12月には犬の念仏供養が行われるという。
人の心の優しさを感じる話だと思うと共に、ちょっとしんみりした。


長瀞町 猫地蔵(個人所有)

由来は拙が知る限りでは以下のような感じだが確証はありません。
昔、主人である女性を蛇から守ろうとした猫がいたが、勘違いした亭主に斬られてしまう。
それでも猫は女性を守り、蛇を退治した後に息絶えた。
そのあっぱれな猫を供養する為に祀ったのが、この猫地蔵なのだとか。


養蚕が盛んな時代は鼠退治の猫という意味で多く参拝者が訪れた。
また、飼い猫が迷った時や病気になった時など願を掛ける人が今も時折訪れるという。


皆野町 国神の大銀杏
皆野を通っていた鎌倉街道の名残を求め、あっちこっちにふらふらと。


幹の周長8m強、樹齢700年以上。
木の下に、知知夫国造を葬った古墳があったと伝えられている。
鎌倉時代後期に、行き交う旅人は、この木に気付いただろうか。なんとも気になるなあ^^

つづく



知々歩奇行ポタ(寄居から長瀞)

2017-01-22 19:50:41 | 埼玉を走る
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と申します。
判らないことに限らず、行きたい場所に行く事も含め積極的に行動すべきでありますね。


1月22日、寄居から皆野にかけて気になっていた場所を巡ってポタリングに立出ず。

寄居町 花園屋酒店脇のトンガリ頭


これって砲弾じゃあないの?と思っていたが爆弾(500kg?)だった。
爆弾の外殻を1メートル位の長さに切ってストーブとして使っていたものとのこと。
その後、辻を曲がり損ねた車が倉庫に衝突するのを避ける為、それを車止めに埋めたという。
資源循環型社会の魁であった訳ですな^^


寄居町 正龍寺の玉垂楓


根元の周長3m、幹は屈曲し枝先は垂下り優雅な樹形を誇り、天然の盆栽の様な様相。
玉飾りの付いた簾のように美しい楓・・・

残念ながら人々を魅了した初代の玉垂楓は昭和60年に枯れてしまっていた。
でも2本の二代目玉垂楓が本堂裏の斜面に根を張っていた^^
紅葉の頃は見事な眺めなのであろうな。その頃に再訪したいと思う。
また、この寺には
「左衛門なる者が正覚坊(亀の怪物)を一閃した、竜宮の乙姫から授かりし名剣水切丸」
が納められているという。名剣水切丸、いつか拝見したいものであります^^


長瀞 福田家の青石塔婆
鎌倉時代から戦国時代にかけて仏を供養する卒塔婆の性格を持つ石材の板碑が造られた。
武蔵武士の本拠地であった埼玉県内には板碑の典型である武蔵型版碑が3万基弱現存する。
武蔵型板碑、薄い石材の頭部が山形で、首部に平行二条線が刻まれているのが特徴。
いやはや、久しぶりに本棚で埃被っていた文献をひっくり返しましたわ^^


自転車停めて1分ほど山道を歩いて見学。
新編武蔵風土紀稿にも記述があるという福田家の青石板碑、間違いなく武蔵型だった。
そういえばこの辺りは、板碑の材料の石材採掘と板状への加工場があったのだったな。

つづく



おっ散歩(深谷宿)

2017-01-21 16:40:03 | 日記・エッセイ・コラム
風が強い日だったので自転車活動は止めて深谷宿を散歩であります。

数年ぶりに、街中に点在するふっかちゃんが描かれたボックスを見物して歩いてみようか。

    
    
途中で12ヶ月全て巡ったかどうか判らなくなってシマッタ。
帰ってから確認したら、6月の姿が足りない。こりゃあ意識して青魚を沢山喰わねばかしら。



昔はムサシノ館という映画館があった通り。今は色褪せた看板に名残を留めているだけ。


駄菓子屋で深谷もんじゃを喰っていこうかな・・・
素敵なプランが閃いたが硬貨を持ち合わせていなかったので断念なり。
拙は駄菓子屋で買い物する時に御札をつかうのは無粋だと思う偏屈者なのであります^^



イーエスパー! 高速エスパーに憧れていた少年時代を思い出した。
あの強化服、叶うことなら今でも欲しい。



そういえば昔ながらの銭湯もめっきり減ったものだなあ。
銭湯の煙突を見上げて、知らずのうちに♪神田川を口遊んでいた自分に気付き赤面デス。



明治創業の糸屋製菓店の餡どーなつ(150円)を歩き食い。
行儀悪だけれど、これがまた美味いのだ^^





宿内に三本ある造り酒屋の煙突を巡って路地をあっちにこっちにふらふらと。
白い雲が浮かぶ澄んだ青空が爽快だ。上を向いて歩くっていいものだ^^




煉瓦造りの建物や、憧れのうだつの上がった建物を眺めながら散歩^^
おっ?こんなところに模型屋さんがあったとは知らなんだ。
こういう発見がなんとも愉しいのです。



ちょいと小腹が空いたので伊勢屋食堂に入った。
うんと寒い日だったならタンメン確定なのだけれど、今日はそれほど寒くなかったので・・・


さて、なにを喰おうかな?
そういえば最近喰った記憶がないワンタンメン(600円)、キミに決めた!


懐かしのピロピロな食感を味わった後、本日のおっ散歩終了。


陽当たりの良い場所では白梅が咲き始めていた。
寒いばかりではなく、季節は春へ向かって少しずつ動いているのだなあ^^



寒さに負けた、いいえ愉しんだ日

2017-01-15 18:51:23 | 近場のポタリング
1月15日、昨日舞い降りた風花が薄らと残る朝だった。
日陰となるような山道は凍結していそうで剣呑だ。こんな日は平地をのんびり漕ぐに限る。


農道を走って利根川CRへ向かった。
上沼の景観、氷が張った上に風花が載り、雪化粧していて面白かった。


ゆっくりとペダルを踏みながら利根川CRを上流に向かって走った。
今季一番の冷え込み。風を切って走ると鼻や耳が凍えそうだ。


しばらく走ると、真冬用のグローブを装着していても、中の指先がじんじん痺れてきた。
ときおり停まって指先に息を吹きかけながら風景を眺める。
今も雪が降り続いているのだろう。遠くに見える山々が霞んでみえた。


それにしても寒い。視界が狭まり、動いているのに震えが止まらなくなってきた。
この辺り、右を見ても左を見てもネギ畑。
冬枯れの中に見える緑色した面は全てネギだと言っても過言ではない。


そういえば、その昔、土地の古老からこんな話を聞いた事があったようななかったような。
この辺りではネギ以外の作物を植えると奇妙な事が起こるのだとか。
なにかが、せっかく植えた苗や蒔いた種を夜な夜な抜いてしまうのだ。
そして苗を抜いた場所に新たにネギを植えていく。そしてそのネギは格別の美味さらしい。
では、そのなにかとはなにか?
ある者によると、しんしんと降り積もる雪のように真っ白いケモノのような姿だったという。
また、ある者によると、春の大地に芽吹いた若草のような緑色だったという。
いずれにしても共通しているのは頭部にネギのような2本の角が生えているという事。
そのふっかふっかした愛くるしい姿から「あれはネギの神のお使いだんべ。」
と崇める者さえいたという。
だから、いつの頃からか辺り一面ネギ畑、風邪菌も裸足で逃げ出す土地になった。

・・・長くなるので続きは4月1日にしとうございます。

上流でキグナス氷河がオーロラエクスキューションの練習をしているのだろうか。
それくらい風が冷たかったので上武大橋で折り返し、下流に向かってアウタートップで走った。


風に乗って走ると、寒さが和らぐのでついつい調子に乗ってしまう。
そして後で苦労するのはいつもの事デス。この日は利根大堰で過ちに気付き引き返した。
♪No boy no cry 進まなきゃ 勢いを増した向かい風の中を~
この歌を口ずさむと向い風でも結構頑張れる。刀水橋まで延々とリピートしてました^^


冷え切ってしまったので、妻沼の縁結び通り沿いにある大福茶屋に立ち寄って一服。


熱々の汁粉と蒸かしたての酒饅頭(合わせて658円なり)に指先も喜んでいた^^
寒い日に格別となる美味さを愉しんだ後は、温もりが消えないうちに帰宅。
3時間弱のポタリングの終了であります。


走行距離:51 km


鎌倉街道を辿るポタ(花園~美里)

2017-01-14 18:11:10 | 近場のポタリング
むかしむかし、荒川に沿って通る鎌倉街道沿いに一軒の茶屋があった。
そこには於茶々という名のたいそう見目麗しい娘がいて茶の接待をしていた。
そして多くの旅人がその娘目当てに立ち寄るので繁盛したという。


1月7日、花園から美里まで鎌倉街道を辿ってポタリング。

今回のポタリングの起点は、深谷市(花園町)小前田に残る於茶々が井戸にしよう。

朝の間は風もなく陽があたる場所は冬のポタリング日和といった感じだった。
先ずは冒頭に記した茶屋跡まで、赤浜から旧街道っぽい荒川沿いをのんびり走った。


草むらの中に見える円形のコンクリート枠が茶屋脇にあった於茶々が井戸。
茶屋には「於茶々」ではなく「ちょう」という名の美しく且つ客あしらいの上手な娘がいた。
だから「於茶々の井戸」は「お茶屋の井戸」だという話もあるとのこと。
いずれにしても超美しい娘がいたのは間違いないようだ。タイムマシンがあればなあ。


深谷市と寄居町の境に沿って用土方面へ向かう。これが鎌倉街道のはず。
日蓮が佐渡に配流された時に、この道を通ったという。


R140号バイパスも旧R140号も突っ切って真っ直ぐ進む。

遠くに赤城山や男体山など山々の連なりが見える静かな美しい農村風景の中を走る・・・
と書きたい。
が、そんな風景は今の御時世、心の眼で見る(拙は妄想は得意です)しかないのデス。
そして深谷市武蔵野からは県道175号(ここも鎌倉街道)で用土を越えて進む。
そしてR254号の天神橋交差点を突っ切りコンビニ裏を通る小路で美里町中を走った。


美里町内を東西に通る鎌倉街道、舗装未舗装どころか、ここが?って路もあり面白い^^
道中、土地の方々に丁寧に路を教えて頂きました事、御礼申し上げます。


野中から広木に向かってR254号左側を通る鎌倉街道を辿った。
走ったではなく辿ったと書いた理由は、


               

旧道や古道好きにはたまらない趣のある路だったからであります。

久しぶりに泥ディーの本領発揮であります^^

この日のポタリング、折り返し地点は万葉の里、曝井遺跡。
陽が翳ったうえに雪が舞い降りてきました。

広木で街道を沿れ、ねり木川沿いの曝井遺跡見物。

みつ栗の那珂の国なる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
万葉集に詠まれる井戸跡。
千数百年の昔から湧水がさらさらと流れ、御婦人達の共同作業場であった。
また、悩みを訴え愛を語る社交場であったと説明板に記載されいていた。
・・・見目麗しいご婦人達が集う女子会の場だったってこと? タイムマシンがあればなあ。
なんて妄想に耽っている内に雪も止まず寒さも増してきたので引き返す事にしたのデス。


昼喰ライムin深谷 むむっ!このカツは鉄砲仕掛けであるな^^
こんなに寒い日は、鍋焼き?タンメン?グラタン?それともネギ?
帰路は風花の舞う深谷経由。甘味の乗ったネギと脂の熱々なハーモニーで暖まりたくなった。
 


深谷郵便局近く、旬ごはん やまだ屋で、深谷ねぎカツ(定食で1000円)を喰った。
本来なら要予約料理のねぎカツ、柔らかくて甘い長ネギに肉を巻いてカツになっていて美味い。
ネギの青い部分で作ったソースと合わせて喰うと更に美味かった^^

   

お腹も満ちて体も温まったので、旧中山道を走って一気に帰宅。

走行距離:60km




もはやこれまで

2017-01-10 21:35:42 | 日記・エッセイ・コラム
ちを気に病む事はない。ただ認めて次への糧とすればいい。それが大人の特権だ。
かの高名なフルフロンタル氏の言葉。


2017年酉年の記事連続更新10日目。新年の抱負である日々更新、もはやこれまで。
最初は「猫は7より先が数えられない」を題材として7日目でオチを付けようと思っていた。


こうなったら干支の酉に因んでなんとかトリ繕うしかあるまい。
ええっとですね、一概にトリといっても色々な意味がある訳で。
とり 【tori】   3を表すギリシア語の接頭辞
とり 【鳥】   脊椎動物の一種で鳥類に属する生物全般を指す。
とり 【酉】   十二支の10番目
とり 【取り】  落語などで最後を締めくくる演目
・・・・
土産にもらったケーキを喰いつつ言い訳を考えているが、上手いオチが付かず困ってる。
ブログの主旨、日々の血圧を綴るとかにしときゃよかった。なんちゃって^^

お茶の木様探し

2017-01-09 18:00:58 | 近場のポタリング
昭和15年発行の「大樹名木抄(坂庭清一郎著)」を読んだ時のこと。
熊谷は石原上植木の中山道北側に、お茶の木様と呼ばれる大木があった事を知った。
その辺りは何度も走っているのだが、とんと覚えがない。その木は今もあるのだろうか。


1月9日、
昨晩から降り続けた雨が上がり道路が乾き始めた午後、お茶の木様探しにポタリング。


久保島から石原間の旧中山道、短い区間だけれど昔を偲ばせる路だと思う。

忍領石標や一里塚を眺めたりしながら左右をキョロキョロ行ったり来たり。
そして地元の方に、お茶の木様は知らないが「茶の木屋」なる店はあると教わった。
取り敢えずその店を探して、そこで訊いてみよう。
R17号沿いの雑貨屋さんだと聞いたのだが、はて、そんなお店あったかしら・・・


お茶の木様とご対面^^
茶の木屋さんはデイリーストアだった。勝手な先入感で目が曇って解らなかったわ。
そして下の画像の左半分に写る木が、お茶の木様であります。


それにしても何故、お茶の木様と呼ばれたのじゃろうか?
それはな、むかしむかし眼病を患った人がおったそうな。
その人が、この木の葉で目を撫ぜて川に流すと、不思議なことにその病が癒えたそうな。
そして御礼に酒を入れた竹筒を木に吊るし、畏敬の念を込め、お茶の木様と呼んだのじゃと。
ピントがままならなくなった拙の眼にも効くかしら。

この木、葉が普通の茶の木よりだいぶ大きい。
正式にはトウチャの木といい、緑茶にするには苦すぎるが紅茶にはなるのだとか。
以上、お店の方に丁寧に教えて頂きました。どうもありがとうございます。


少し寄り道して帰ろう。

先ずは、熊谷は三ケ尻にある、熊谷の酒「直実」を醸す権田酒造。
店の佇まいが好みだし看板猫もいるしで、拙のお気に入りの場所の一つです。
晩酌(ぬる燗)用にジャージのポケットに入る300mlの特別純米酒(540円)を購った。


次は、同じく三ケ尻にある龍泉寺。
この日開かれた達磨市を外から眺め、縁日の雰囲気を感じてから帰宅。
好いポタリングになりました^^


走行距離:30 km



目的地と目的路

2017-01-08 16:18:59 | 自転車
四十肩(五十肩)が辛い時には、漢字から片仮名に変換して意識してみる。
愛嬌ある小鳥が肩に巣を掛けたみたいで、少し痛みが和らぎ現実逃避出来る。


これから春にかけての時期、まだ日暮れが早いから遠出は躊躇してしまう。
また、長い下り坂が続くようなルートは凍えて体の節々がアレで険呑なので避けたい。
かといって練習が主目的ではないので、近場をただ漕ぐのは面白くない。
冬場のコース選定って、あれこれ言い出すと難しい。さて、どこに走りに行こうか。


なにをテーマにしてどこに走りに行こうかな?
物見遊山ライド、色々調べて景観を想像したりしながら企画している時点から愉しい。


先ずは図書館に行き、地元の郷土資料などを漁ってコースを決めるのも一興。
拙は昭和の頃に発行された資料を読んで興味が湧いた事を主軸にすることが多い。
それも、現存するかどうかも判らないところを判らないままに出掛けるのが好きです。
そんな訳で本日は図書館に行き、自前のレンズに鞭打ってマイリました。
以下はそんな中で興味を惹かれたものの一部なのです。
熊谷は石原の「御茶の木様」、寄居は正龍寺の「玉垂楓」、と呼ばれる木、
深谷は屋敷合の「首切地蔵」、皆野は出牛の「隠れキリシタンの碑」、
藤岡から皆野、広木から用土辺りの鎌倉街道の古道や旧跡などなど。
さて、あとはいつ走り出すのか決めるだけだ^^



両神方面花追いポタリング

2017-01-07 17:38:25 | 埼玉を走る
2017年はブログを日々更新するのだ!
その抱負、三日坊主は免れたが、7日目にして早くも崩れ去ろうとしている。


1月7日、新春初の福寿草を探しに四阿屋山を目的地としたポタリングに出掛けた。

福寿草園地へと続く上り坂を、まったりと雅な速度で上った。

この坂の上に福寿草が咲いていると思うと急勾配も上り甲斐があるってものであります。

枯野色の斜面にぽつりぽつりと支子色の花が顔を出していた。
初福寿草を見つけた^^ まだこれから大寒が控えている事を忘れてしまいそうだ。



柔らかな冬の日差しで染める事が出来たら、こういう色になるだろうか。
福寿草、元日草の別名があるように春の妖精達の中でも真っ先に目を愉しませてくれる。


せっかく両神まで来たのだから四阿屋山の麓をポタリング。


縁日を翌日に控えた法養寺薬師堂で奉納された古い絵馬を見物したり、


神怡館で狛犬が咥えた玉をコロコロ転がしながら異国気分を味わったりした。

昼喰ライムin両神 薬師茶屋の岩たけずし。


薬師堂の道路挟んで向かいにある薬師茶屋で昼メシ。
岩たけすし(単品は350円)とカレーうどんのセット(900円)を喰った。
岩茸、甘酢と佃煮風の味付けで食感がクニクニプルプルして面白いし美味かった^^


そして来た道を引き返す。金崎からは、ところどころ旧秩父往還を通って帰宅。

秩父線とR140号を潜ってみたり、


旧道を大勢が往来した時代を偲ばせる景観に脚を止めたりしながら、ゆるゆると帰宅。
冷え込みがそれほどではなく風も穏やかな佳いポタリング日和でありました。


走行距離:111 km

さて、次回は三十槌か尾の内に初氷柱見物と参ろうか。


にゃん辞苑 新春特別版

2017-01-06 21:36:48 | 
あうん 【阿吽】
阿は口を開き最初に出す音、吽は口を閉じ最後に出す音で、宇宙の始まりと終わりを表す。
転じて、対を成すように気持ち(呼吸)がぴったり合う様のこと。


ミーの名前は阿形!ミーの名前は吽形!二匹併せて金剛力士だにゃ!

がいしゅういっしょく 【鎧袖一触】
袖が僅かに触れただけで敵が即座に倒れる意から、相手を容易く倒す事の例え。


なんとなく恰好良い四字熟語なので、使いどころを得た場合は、ためらわずに使ってみよう。
きっと豪傑気分が味わえるはず^^


ぐうぜん を よそおう 【偶然を装う】
意図的に仕組んだのに、まるで偶然であるかのようにふるまう様。


ここで鉢合わせして軽く転べば、きっと恋愛フラグが立つはずにゃあ。ドキドキ!

ざんぞう 【残像】
なにかを見た後に、それが短い間残って見える感覚。
平均的な速さより3倍速く動けば相手に残像を見せられるらしいが定かではない。


オッサンの鈍った反射神経ではニャンコの動きについて行けない事が多いので哀しい。
視覚に頼るのではにゃい。フォースで感じるのにゃ。そうか!やってみせるさ!!


たから の ちず 【宝の地図】
冒険物語の必須アイテム。複数を合わせると1枚の地図になり宝の在り処を示す例が多い。


その昔、綺麗なビー玉を入れた空き缶を神社の境内に埋め、地図を描いた事を思い出した。
あの地図、結局どうしたんだっけ。その地図を隠した場所の地図を描いたような。


てんぶほうりん 【天舞宝輪】
黄金聖闘士である乙女座のシャカの最大奥義。
奥義が発動すると、曼荼羅と梵字がバァ~ン!の相手は『ぐはぁ~!』で、とにかく凄い。


シャカの奥義名、四字熟語だらけ。彼も四字熟語の恰好良さに気付いていたに違いない。

なんじゃ こりゃ 【なんじゃ こりゃ?!】
『一体これはどうしたというのでしょうか?』又は『これは何でしょうか?』という意味の方言。
Gパン刑事の末期の言葉として有名。


昭和の一時期、図工の時間に赤い絵具を小道具に男子達の間でやたら流行った言葉。

ふゆ きたりなば はる とおからじ 【冬来たりなば春遠からじ】
イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節。
厳しい冬の後に春が訪れるように、人生の辛い時期もそう長く続くわけではないという諺。


冬来たりなば春唐辛子ではないにゃん。冬来たり菜花咲く春遠からじだにゃあ。
いえいえ、それも違います。

諦めずに一歩一歩漕ぎ続ければ必ずゴールに辿り着くと信じて足掻いている。


にゃん辞苑 新春特別版
2017年1月6日 初版刊行
編纂者 銀にゃん堂文庫変臭部
発酵所 銀にゃん堂書店


適材適所

2017-01-05 20:40:14 | 食・レシピ
ここ最近、自前のレンズの単焦点化が進行して長時間の読書が疲れるので困っている。
でも、花を愛でる際など好いボケ味が出るので悪い事ばかりではないと思ったりもする。


ミケのニャアを持て。このニャアは鉄砲仕掛けであるな!と葱鮪の殿様は仰った。
迂闊に葱を噛むと、熱々の芯の部分が喉の奥に飛び出してあちちっってなるのよね。


葱鮪鍋(ねぎまなべ)、長ネギとマグロのブツ切りをさっと煮た庶民(丁髷の頃)の料理。
魚特有の匂いが苦手な人は生姜のしぼり汁を加えるが、拙は昆布を敷いて煮るだけ。
ネギはシャキシャキした歯応えが残るくらいの煮えばなが好き。
汁に味は付けず、すくい取った後に生醤油を垂らし、針生姜を添えたりで愉しんでいる。
これを喰う度に、いつも思うのは葱の美味さもさることながら鮪のこと。
鍋にすると、刺身では噛み切れす不味いような筋ばった部分の方が美味くなる事です。
適材適所とはこのことか。そう素直に納得出来る風味を今冬も愉しんでいる。



コトヲカウ

2017-01-04 20:44:56 | 日記・エッセイ・コラム
見える・・・ワタシには見える!!
UFOキャッチャーの前に立つと狙った景品を三手で獲得するクレーンの軌跡が脳裏に閃く。
クレーンゲームのドキドキ感、デパ地下や屋上でラムネやアメを狙った昔と変わっていない。


拙が下手なのか。否!クレーンの奴が拙の反応速度についてこれんのだ。

UFOキャッチャー(クレーンゲーム)って知ってますか。
クレーンを操作して景品(ぬいぐるみ等)を獲得する業務用ゲーム機です。
あれって始める時は簡単に落とせそう(景品をダクトに落として獲得する)な気がします。
ところがなかなか思い通りにならない。けれどあと少しで落とせそうでつい深入りしちゃう。
で、ほんの遊び心で始めたのに、気付けば引くに引けない状態になっている訳です。
もうあの景品なしに終れない・・・こうなったらスッカラカンになっても落してみせるぜ!
ん?なんか違う話と混同してきたかな。でも紳士な拙はそれが何か今は思い出せない。
えっと、何が言いたいかというとですね、
写真の景品を獲得するのに拙の軍資金が大打撃を受けた訳です。
リサイクルショップに行けば同じ品を2個買えたかも。でも解っていたけれど愉しかった。
これが今流行りのモノではなくてコトを買うという事なのだろうか。