漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

南畝の見た芭蕉塚はどこかいな

2013-02-27 06:57:36 | 中山道 野次馬道中記

紀行文を読むのが好き。それも古いやつが良い。

そこに出てくる場所が今はどうなっているのか、あれこれ想像するのが楽しいのです。

そして自転車で行ける範囲であれば、それを目的にルートを決めたりしている。

埼北地域を題材にした紀行文では、幸田露伴の知々父紀行や田山花袋の秩父の山裾等が有名だろう。

熊谷から寄居、長瀞、秩父。または小川町辺りの昔(明治、大正)の雰囲気が味わえるので面白いと思う。

 

今回は、もっと古い時代に中山道を旅した大田南畝(なんぽ)の壬戊(じんぼ)紀行を読む機会があった。

特に、馴染みの本庄から熊谷辺りの記述を興味深く読んだのだが、ぱっと頭に浮かばない場所もあった。

牧西⇒小山川⇒榛澤郡総社島護大明神⇒岡部忠澄の墓⇒普済寺⇒宿根村⇒深谷の驛。ここまでは判った。

次に、左に観音堂⇒左右に松杉檜⇒左に芭蕉塚⇒東方村⇒かご原村⇒にゐほり村⇒のきぐゐ村⇒新島村とある。

はて?観音堂と芭蕉塚、のきぐゐ村って何処だろう?

もっとも享和二年(1802年)の話なので、その場所が無くなっていても不思議はないのだが、見に行ってみたのです。

 

今回は観音堂と芭蕉塚を探しに、深谷駅方向から、深谷の常盤町から国済寺辺りの中山道を走った。

観音堂は全く判らないまま、R17号を交差した。

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見返りの松から幡羅中学校の辺りは、昔は松の並木が見事だったと地元の方に聞いていた。

今も松の木が何本か生えており、南畝が記した「左右に松杉檜」は、この辺りじゃないかしら。

「塚」というと、土が盛り上がった地形を思い浮かべてしまうが、「芭蕉塚」は芭蕉の句碑も含まれるらしい。

左手にそれらしき場所を探しながら、ゆっくり走っていたら、愛宕神社に芭蕉の句碑がありました。

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「冬枯や 世は一色の風のおと」

ようやく芭蕉塚を見つけたぞ・・・と思ったのですが、この句碑は昭和12年建立と刻まれていた。

少なくともこの句碑は南畝が見たはずがないものでありました。

南畝が歩いた時代に、ここに別の句碑があったのか、それとも全く違う場所なのか謎は深まるばかりなり。

 

次は十返舎一九の続膝栗毛を真似て、本庄から熊谷辺りを、特殊なボトルを持ってポタってみようかな^^

 


ほろほろと花に酔う

2013-02-26 07:08:02 | 酔いどれ

これからの季節、花見にぴったりの酒かも^^

 

吟醸香が強いのは苦手で、燗酒が好み(冷やした旨酒はグイグイ?めちゃうので財布が痛いのもある^^)。

そんな訳で吟醸酒を購うことは少ないのだが、今回は「花酵母仕込み」の文字に惹かれて買ったのだ。

 

冷たくして、茶碗に注いでくいっと?めば口内に、あら不思議!ほのかに苺の香りがして、すっと消えたのであります^^

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【天吹 純米吟醸 美山錦 / 天吹酒造合資会社(佐賀県三養基郡みやき町)】

 

なでしこ酵母を用いた花酵母仕込みの生酒なのだ。

良い意味で日本酒嫌いも?めそうな、なんとも不思議な酒であります。こういう酒も佳いものだな^^


春告げ花見物ポタ

2013-02-25 07:11:09 | 近場のポタリング

吉田町石間の沢口に福寿草と節分草の花見に自転車を走らせた。

坂好きの自転車乗りには、龍勢HCのコースの序盤となる川沿いの集落といえば判り易いかもしれない。

春の訪れを感じることが出来る花が咲いていると思えば、寒風も坂道もなんのそのであります^^

 

路面に雪は残っておらず、ルンルン気分でHCコースをヨタヨタと上った。

沢口地区に入って川を渡れば目的地であります。

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こちらは個人が所有する土地に福寿草と節分草が自生しており、その方の好意で見学させて頂くことが出来るのだ。

 

今年は、どちらの花も咲き始めが遅いようで、福寿草は、ようやく咲き出したところだった。

節分草は可憐な花を咲かせておりました^^

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斜面に沿って、ところどころで顔を出す花々。まだまだ寒い日が続くが、春は確実に来ているのだねえ^^

 

里山に鬼も見惚れる節分草   銀乗      

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節分草は花を咲かせるまでに多くの年月が掛かるらしい。

右上の写真にいくつも見える一枚の小さな葉(ギザギザじゃない)が発芽した一年ものと伺った。

二年目にようやく節分草らしいギザギザの団扇状の葉になるんですって。

写真の花が咲いているやつは10年もの。踏んだりしないように気をつけて大事にしたいものですな。

 

平成25年3月9日(土)10~15時に、この場所で「沢口福寿草祭り」が開催されるようだ。

その頃には石間の斜面を彩る花々を見ることが出来るだろうか。愉しみであります^^

 

走行距離:97.7km


銀乗の青面金剛像コレクション№28 群馬県五料茶屋本陣の掛け軸

2013-02-24 06:46:18 | 青面金剛像など

ここでは日月、猿、鶏、蛇、邪鬼等を配し四臂以上の人型立像で庚申塔と判断したものを青面金剛像と記しています。

なかには正式には庚申様と呼ばれる青面金剛でないものも混じっている可能性もあります。

そこはひとつご愛嬌ということで勘弁頂きたいと思います。

 

【№28 群馬県五料の茶屋本陣 青面金剛の掛け軸】

 

ようやく実物を見ることが出来た^^ 一面六手の青面金剛の掛け軸であります。

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髑髏を頂き・・・きっと髪に飾られた白いハート型の顔に見えなくもないのがそうなのだろう。

肌の色は青色・・・拙が想像していた青は、お召し物の色で、肌は深緑色と感じたが、こっちの青なのですな。

額に第三の目。そして下顎から上に向かって伸びる二本の牙。首には髑髏の首飾りが見て取れる。

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左手に吊るしているのはショケラ。 両脇に二人の童子(雅な着衣であります)「を従えている。

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踏みつけられた邪鬼(困ったような表情で、なにやら愛嬌があるのだ)は虎皮の腰巻を着けているのです。

そして、その下には三猿(聞か猿が上だ)、二夜叉(赤と青)、そして二鶏。

 

ここで幾つか気が付いたことがある。

どこを見ても蛇が描かれていないようなのだ。

それに、聞いていた程、青面金剛さまは赤色が好きという訳ではないんじゃないかな。どちらかというと青好きか?

あと、お召し物の柄から察するに案外、地味派手好きだったのかもですよ^^

 

 


板鼻から五料まで 3

2013-02-22 06:36:28 | 中山道 野次馬道中記

五料の茶屋本陣見学の続きからです。

 

本陣の中は貴重な民俗資料がいっぱい^^

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なんと!!青面金剛の掛け軸であります。実物をこの目で拝める日がこようとは。

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感無量であります^^ その他エースが指差す例の御神体など展示物は必見でありますよ。

 

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妙義山が見える縁側に坐して、軒から氷柱を伝わり滴り落ちる雪解け水を独り静かに眺めるエース。

その胸に去来する想いは何か?

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ひょっとして、さっき見た人相覚の顔(拙の高杉晋作のイメージと違った)を思い出して、思い出し笑いかな?

そういう訳ではなくて、ヘルメットに装着する氷柱が落ちてくるのを待っていたのでありますね。

 

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拙に所縁があるのは左上の宿。エースに所縁があるのは右上の宿。隣り合った宿でも結構、雰囲気が違ったのね。

 

 

茶屋本陣を出て、「夜泣き地蔵」と「茶釜石」を見物に行った。

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榎踏切を渡って右上に上っていく道が旧中山道。

青面金剛などの文字塔を横目に見ながら短い坂を上ると、頂上付近にそれはあった。

 

 

五両では あんまり高い茶釜石 値打ちを聞いて 通る旅人   蜀山人(太田 南畝)

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エースが叩いているのが「茶釜石」。

叩くと空の茶釜のような音がするようで、五料七不思議の一つなんですって。
その他の不思議が何なのか気になったが、先ずは拙も叩いてたのであります。その結果は・・・

空の茶釜を叩いたことないから、判らないや^^

 

そして茶釜石の後ろ立つ地蔵尊で一番背が高いのが「夜泣き地蔵」みたい。

この地蔵様、ある日通り掛かった馬方に、荷物のバランス取に首を取られた挙句、深谷宿に捨てられてしまう。

その首が、夜な夜な『五料恋しや』と首が泣くので、深谷の人が戻してあげたんですと。

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ん?・・・地蔵さまの足元に首(キン肉マンのマスクみたい^^)が一つ転がっているではないですか。

胴体二つに首三つ。一体、どの首が深谷宿から戻ってきたものなんだろうか?不思議は募るばかりなり。

さて、この日はここで引き返すことにしました。

梅や桜の咲く頃、この旧中山道界隈は見事な景色を見せてくれそうです。坂本宿を目指すのはその頃ですな。

 

昼メシ代わりに松井田宿内の、のんきやで、おでんを喰った。

 

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熱いお茶を出してもらったり、おむすびを御馳走してくれてありがとう。御馳走様でした^^

 

 

戻りは下り基調の追い風で楽ちんでありました。

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郷原の常夜燈と国道を挟んだ辺りにある「逢坂の神明」を見物。

広重が、ここからの眺めを「木曾街道六十九次 松井田」に描いたところらしいが、往年を偲ぶのは難しいな。

最後は板鼻方面に戻り、寒念仏橋供養塔(寒熱橋じゃないのね)を探して無事見つけ、今回の目的達成^^

 

ZERO様 寒い中、お付き合いありがとうございました。

 

 

 

 

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銀乗の青面金剛像コレクション№27

2013-02-21 06:44:40 | 青面金剛像など

ここでは日月、猿、鶏、蛇、邪鬼等を配し四臂以上の人型立像で庚申塔と判断したものを青面金剛像と記しています。

なかには正式には庚申様と呼ばれる青面金剛でないものも混じっている可能性もあります。

そこはひとつご愛嬌ということで勘弁頂きたいと思います。

 

【№27 群馬県板鼻 鷹巣神社石橋脇の青面金剛像】

 

ようやく八手の像を見ることが出来た^^

旧中山道板鼻宿のはずれ、国道と合流する手前にある鷹巣神社の石橋脇にあった庚申塔。 

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八手であることは間違いないと思う^^  でも青面金剛像かどうかは拙にはよく解らない。

 

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側面には猿らしきもの(木から滑り落ちているところみたいに見えた^^)と、なにやら奇妙なものが彫られていた。

とりあえず赤線でなぞってみたのであるが・・・なんじゃこりゃ???

 

風化が進んで、細部が解らんので、なんとも珍妙に見えるのであります。

 


板鼻から五料まで 2

2013-02-20 06:46:08 | 中山道 野次馬道中記

群馬県道216号(長久保 郷原線)を走って松井田へ向かった。

 

国道18号線と合流した場所にある、文化五年(1808)に建立された「郷原の妙義道常夜燈」。

台座に「是より妙義道」と刻まれてあって妙義神社への参詣者の道標を兼ねていたようだ。

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常夜燈脇の小路を川へ向かって下れば、あの新島襄先生の祖先の墓があるらしいが、寒いからパス。

旧中山道を国道を交差するような形で松井田宿へ向かう。ここまで来ると妙義山がとても近くに見えるのです。

 

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松井田宿道路元標のある交差点に立つ歴史感ある家や松井田城跡の看板など眺めつつ宿を走った。

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安中警察署松井田分庁舎の手前を左に分岐した道が旧中山道。

この先、右手に溜池がある場所の左手が一里塚跡だったようだが気付かなかった。

旧中山道は、溜池の先にある線路を越えて碓井川の近くを通って五料へと向かっていたらしい。

しかし今は、河川浸食や農地化で消失しているようだで、線路伝いに行くのが無難なようだ。

そして、再び国道と交差して上信越自動車道を潜り、五料へと入る。

 

ところどころ雪の残る風景を愉しみながら走った・・・と言いたいが、実際は寒くて仕方なかったのデス^^

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五料の茶屋本陣を見物。見学料金210円なり(個人的趣味からは十分に元が取れたと感じた次第です)。 

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季節がら雛飾りが展示されておりました。

歴史ある静かな薄暗い部屋に飾られた沢山の雛人形達。綺麗だけど、ちょっと独特の雰囲気を感じるのであります。

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HNG48のチームHの皆さんです。             そして、こちらがチームN。皆さん綺麗ですねえ。

 

『くすっ^^』 『お聞きなされ。あの御仁、怖さを誤魔化す為に独り言をつぶやいてますぞ。』 

『あれ 情けなや。』 『震えておるわいなあ。』

ひそひそ声や、しのび笑いが聴こえたような、どこかから見つめられているような。そんな不思議な感覚。

 

つづく

 

 


板鼻から五料まで 1

2013-02-19 07:18:48 | 中山道 野次馬道中記

寒い寒い日曜日。チームAのエースを誘って、中山道を板鼻から五料までポタってきたのです。

今回は、「寒熱橋供養塔」、「弁慶が書いた額」、「ちゃんころりん石」、「夜泣き地蔵」、「茶釜石」を見物するのが目的です。

 

先ずは板鼻宿の、ちょっと手前(高崎側)にある八幡八幡宮に立ち寄った。

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参道入り口の鳥居に掛けられた弁慶が書いたとされる額や、境内の唐銅燈籠を見物した。

 

 

板鼻宿へ向かう県道に入ってすぐ。板鼻堰用水路脇にある双体道祖神を観察。

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台座に刻まれているという各地への距離を読み取ろうとしたが、この碑(日)もお手上げでありました^^

 

安中宿へ向かい、大泉寺で伝説の「ちゃんころりん石」を見物。

300年近く前の話じゃ。

夜な夜な丑満時に宿内を「チャンコロリン」と奇怪な鳴声を立て転がり廻る石があったそうな。

その面妖さに宿の人々は、早くから雨戸を閉ざし、恐ろしさに震えあがっていたそうな。

腕に覚えのある若侍達が刀や槍、鉄砲をもって立ち向かったが、とんと効果がなかったんじゃ。

そこで困り果てた人々は相談の末、大泉寺の獅絃(しげん)和尚の法力にすがることにしたそうな。

そして、さしもの妖石も和尚の唱える念仏に調伏され、寺の台座の上に封じ込まれたんじゃと。

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エースが撫でさすっているのが件の「ちゃんころりん石」であります。

『夜な夜な繁華街を暴れまわっていたなんて、親近感を覚えるな。』と言ったとか言わなかったとか^^

お寺の庭は、チャリンコロン状態になる程に雪が残っておりました。

こちらには井伊直政の正室のお墓もあるようなので、暖かくなったら再訪したいものであります。

 

 

安中宿を出て原市へと走った。

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昔は700本以上あったといわれる杉並木も、すっかり減っておりました。でも当時の面影を感じることが出来た^^

原市の高札場跡と明治天皇御小休所。火災にあったとニュースで知っていたが、修復はされるのかしら。

 

 

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左に八本木旧立場茶屋、右に延命地蔵尊の御堂を眺め、坂を下って松井田宿へ向かったのです。

 

つづく

 

 


続膝剃り毛ロケ

2013-02-18 07:53:03 | 旧ブログ記事

事前の打ち合わせでは、旧中山道を本庄宿から五料まで自転車で走る予定だった。

でも、あまりの寒さに「せめて気温が0℃を超えるとこまで車で行きませう。」と大人の選択をした。

結局、板鼻宿に着いた時点の気温が1℃。ようやく自走を始めた訳であります。

 

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五料の近辺は、なんとも風情ある場所でした。

あの御方も、ようやく氷柱をヘルメットに装着することが出来てご満悦の様子でありました^^

 

 

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既に、農地化で旧道消失していると聞いた場所を走ってみた。

雪道を走るのが三度もメシより好きな御方(だろうと拙は想像している)の背中が喜んでいるように見えた^^

 

 

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50×23Tで激坂を上る御方。「チェーンが切れてしまえ!」心の中で何度も念じましたが、トラブルは起きなかった。

これも日頃の行いの違いというやつなのでせうか。

 

帰りは例幣使街道を車で走った。

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伊勢崎で焼きまんじゅうを喰いました。なかなか趣のある店内で喰らう焼き立てのまんじゅうが美味かった。

 

走行距離:39.6km

 

詳細は後日。


玉村町上新田の獅子舞

2013-02-17 06:30:23 | まつり等

群馬県玉村町上新田の獅子舞

 

元禄年間から伝わる氏子安泰、五穀豊穣と悪魔祓いを祈願した舞であると聞いた。

 

稲荷神社で剣の舞を奉納した後、現在の国道354号を往来し、町内両端で四方固めの舞が行われる。

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舞はオトウカ(稲荷)、カンカチ(稚児)、前(牡)中(牝)後(牡)獅子と笛数人で構成されるようだ。

ここの花笠は男性でありますね^^

 

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稲荷神社で奉納された舞は少年達でありました。

午後の公民館で行なわれる舞は、運が良ければ大人の舞も見ることが出来ると聞いた。

 

 

国道を四方固めに向かう一向をパチリ。

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ボンテンが生憎の氷雨混じりの強風に飛ばされそうでありました。

 

見事な舞でありました^^ オトウカの少年が皆に指示を出すのですな。

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凍えるような強風の中、皆様ご功労さまであります。

縁起の良い舞を拝見させて頂きありがとうございました^^


玉村町上福島のすみつけ祭り

2013-02-16 06:55:52 | まつり等

群馬県玉村町上福島の、すみつけ祭りを2月11日に見学に行った。

 

なんとも奇妙な祭りであることよ^^

天狗面を着けた人を先頭に御神体と住民が、地域の家々を廻りながら、人々の顔に墨を塗る。

墨を塗ってもらった人は、その一年間は風邪や病気に掛からないと言われている元禄年間から続く祭り。

起源は、地域に悪病が流行った時、鍋を持って転び顔に煤が付いた人が病に罹らずに済んだとの言い伝えによるらしい。

 

なんでも天狗面と御神体は、祭りの前に埼玉県騎西町の玉敷神社から借り受ける習わしとのことだ。

御神体は、お獅子様と呼ばれる箱であり、中には獅子頭が納められているらしい。

春に農村各地に迎えられ、祓祭をする風習が残っているのですな。

 

場所も利根川CRを玉村町の福島橋を渡ったすぐの所だし、これは是非見学せねばと出掛けたのであります。

余裕をみて家を出たのだが、強烈な向かい風に遅刻してシマッタ。

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おお!やってる やってる^^ 頬に墨を付けた集団が家々を廻っておりました。

 

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この黒装束の御方の面が件の天狗面なのかな?面は、赤くて鼻が長いのを想像してたけど違った。

墨を付け合う子供達が微笑ましい。カメラマンの集団に囲まれ、何度も墨を付けるポーズの依頼に応えてました^^

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警備の警察官の方々も頬に墨を塗られてましたよ。

 

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顔じゅう墨だらけで真っ黒になった御方達。なんともこりゃ愉快な奇祭であるなあ^^

 

祭り当日はあいにくの空模様であったが、穏やかで賑やかな祭りの情景にほっこりさせてもらいました。

見学させて頂いてありがとうございます。

 


安中宿まで(3)

2013-02-15 06:46:47 | 中山道 野次馬道中記

Fujiyaというお菓子屋さんで「遠足ポテト」というお菓子をリーダーに買ってもらった^^

それを非常食としてポッケに入れて、今流行の新島襄先生関連の史跡を見物に向かった。

 

 

これがかの有名な「新島襄先生の旧宅駐車場」か。現地でこの目で見れて感無量であります。

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う~ん・・・さすが敷石の砕石もいいもののようだ。きっと名のある石に違いない^^

 

 

「これが有名な八重の桜か」  

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新島襄先生の旧宅入り口の桜の樹を眺め、おもむろにリーダー仰ったのだ^^

 

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この後は本陣跡である安中郵便局など見物したり、有田屋のレンガ造りの煙突など鑑賞して板鼻宿へ戻った。

 

 

板鼻宿内で中仙道沿いの家の裏を流れる板鼻堰用水。用水沿いに往年の雰囲気を感じながら自転車を漕いだ。

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昼メシは板鼻宿内の「板鼻館」の「カラシタルタルカツ丼(ロース)」。

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カツ丼が出来上るまでの間、小さなすり鉢に入った茹で卵をマヨネーズとカラシで和えて自分でソースを作るのです^^

タルタルソースをつけながら食べるカツの味はオツなものでありました。

 

帰りは追い風に乗って一気に高崎宿まで戻った。やっぱり人生、追い風に乗るに限るな^^

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高崎で土産に「オリタ」の焼きまんじゅうを購った。

餡子入りの焼きまんじゅうがあることを初めて知りました。

この驚きを誰かに伝えたくて、その頃勤労に励んでいるであろうチームAのエースにメールを入れたのであります。

やーい!やーい!羨ましいダロ^^と心のうちで囁きながら発信するメールは蜜の味でありました。

 

その後も順調に本庄宿まで戻って、リーダーとお別れ。愉しい中山道ポタでありました。

tomochan様、ありがとうございました。次回は松井田宿から坂本宿。そしてその次は碓井峠の熊野神社ですね^^

 

走行距離:110.2km

 


安中宿まで(2)

2013-02-14 07:00:52 | 中山道 野次馬道中記

板鼻宿にあると聞いた「かねつ橋供養塔」を見損ねたことに帰ってから気付いた。

かねつは寒熱であるとの伝説があるらしい。

由来は、強盗が出るほどの寂しい道で旅人は自然と早足になり、寒い中でも熱い汗をかいたからですって。

 

裏に寛政四年の文字が刻まれた双体道祖神の前でリーダーが立ち止まり、なにやら考え込んでいる様子。

台座に刻まれているという色々な場所への距離を見ているのかしら。でもすぐに違うことが判った^^

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道祖神の後ろに回りしゃがみ込んだと思ったら「こうすると手の生えたダルマに見えないかい?」ですって^^

 

板鼻二丁目交差点にある「やはたみち」と刻まれた板鼻榛名道の道標を眺めた。

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側面に「はるな くさつ 河原湯 かねこ 沢たり 志ぶ川 みち」と刻まれているらしいが、拙は判読出来なかった。

板鼻宿の本陣跡は、安中市板鼻公民館となっておりました。

 

板鼻宿に行ったら、是非見たかったのが、この「てうちん屋」という土蔵造りの建物。

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屋根の部分が家から浮いており、火災時の飛び火を防ぐ工夫がされているのだ。

 

旧本陣書院(幕末に皇女和宮が十四代将軍家茂に輿入に江戸へ向かう途中、泊まった)などを見て宿内をうろうろした。

途中、チェーン切れが発生したが、宿内の三沢輪店で工具をお借りして事なきを得た。どうもありがとうございました。

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鷹巣神社へ続いていたであろう石橋(神社は正面崖上に鳥居と石宮があった)を右手に眺め、安中宿へ向かった。

板鼻付近は、義経伝説が多いのだけど、今回はスルーでありました。また日が長くなった頃に再訪であります。

 

今回の折り返し地点である安中宿に到着。ここまでの距離:55.9km。

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旧碓井郡役所や武家屋敷を眺めながら宿内をうろうろ。

 

 

安中市役所の駐車場脇の「安政遠足」と刻まれた記念碑を見物しにいった。

安政二年、藩士の体力を競わせる為に、藩邸から碓氷峠の熊野神社まで武具を装備して走らせたらしい。

その距離、22km強・・・う~ん、遠足って厳しいものだったのだなあ。

 

リーダーの覗きのポーズは、堂々として年季が感じられるのだ^^

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記念碑の脇にある石に開けられた穴を覗くと、碓氷峠が見えるらしい。

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う~ん・・・よく解らない^^

 

 

つづく


安中宿まで(1)

2013-02-13 06:43:21 | 中山道 野次馬道中記

いつの日か、ジッテンシャ一九と名乗って中山道を自転車で辿る物語を語ってみたい。

物語の題名は、中山道中膝剃り毛^^

なんて夢がある訳ではないが、中山道近くに住む拙にとって中山道を辿るのはサイクリングに適当な路なのです。

昨年は倉賀野まで辿っていたので、今回は高崎、板鼻、安中を目的地とした。

 

 

旅は道連れ。今回は、チームVリーダーのtomochan様にご一緒頂いたのであります。

これで道案内と故障時の対応はバッチリだ^^

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本庄宿の金鑚神社に8:30待ち合わせ。指先が凍えそうな寒さの中を出発であります。

新町宿で燃料補給。「とみや」でたいこ焼き(小豆、クリーム、うぐいす餡がある)を喰った^^

 

順調に倉賀野宿を過ぎて、ちょっと佐野道に寄り道。

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常世神社(世阿弥の謡曲「鉢の木」の舞台となったところで、『いざ鎌倉』という言葉の発祥地らしい)を見学した。

高崎方面に走ると「船橋歌碑」があった。船橋って船を繋いで渡した橋のことだったのね。

かみつけの佐野の船はしとりはなし 親はさくれどわはさかるがへ

烏川を挟んでいがみ合う、朝日の長者の息子と夕日の長者の娘が恋仲となり、親に反対されて・・・

こちらには、悲しい伝説があったのですな。

 

新町、連雀町、田町。江戸時代から残る町名を辿って高崎宿を抜けた。 

高崎の街中も色々見所ありそうで、後日再訪して自転車でぶらぶらしたい場所でありました。

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君が代橋を渡って、R406号に入り、暫く走って安中方面に分岐する道を進む。

分岐には「右 はるなみち くさつみち」と刻まれた道標があった。

 

 

高崎といえばダルマ^^ 通り沿いの松本商店さんでダルマの色付けを暫し見学させて頂いた。

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上豊岡の茶屋本陣で、ちょっと休憩。

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19世紀初頭に建てられた別棟の縁側に腰掛け、お茶を飲むリーダー。気分は殿様だったのかしら^^

 

旧中山道はR18号に合流。

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左手に藤塚の一里塚(日本橋から28里目の塚)を眺めながら、暫くR18号を走った。

八幡宮(鳥居に掛けられた額の文字は弁慶の書らしい^^)を見学するの忘れてシマッタ。

やがて右手に見える県道137号に入れば板鼻宿はすぐであります。

 

つづく