★於菊稲荷にて古き絵馬と詩仏の筆跡を観たこと
行在所から、少し入ったところに於菊稲荷神社がある。
於菊の名の由来は、宝暦の頃、於菊という娘が重病に掛り、この稲荷神社に信心を続けたところ病が癒えたそうな。
その後、夢のお告げに従って神社の巫女となり、様々な事を言い当てたとのことじゃった。
このことから、誰いうとなく於菊稲荷と呼ばれるようになったそうな。 おたすけ稲荷でありますね。
知るも知らぬも菊の名は たちまちあがる大黒屋 新町宿は名におう 中山道の宿場町
高崎市指定文化財の絵馬。「武者絵」は1820年、「遊女参詣」は幕末の頃の作らしい。
当時の宿場町の賑わいを想像してみたひとときでありました。
水鉢に刻まれた冰香(ひょうこう・・・氷の香り? 中国には香冰という名のパンダがいるらしいがどういう意味かしら)の文字。
筆跡は、寛政の四大詩人といわれる大窪詩仏のものであると説明にあった。
水鉢の下の狛犬も見事なものでした。
★宝勝寺で六地蔵ならぬ七菩薩を観たこと
一、二、三・・・あれ?、こちらにおわすは六地蔵ならぬ七地蔵様でありますよ。
むむっ、どうやら左端の立て膝でお座りになっている方が七人目であるようですな。如意輪観音かしらね。
ということは、七菩薩と言った方が正解か。
★湯井川沿いにある弁財天にて御供えドロボウを目撃したこと
こちらの社は1783年に建立された石の祠で、当時この場所は湯井川の中の島だったようですな(12:45/28.7km)。
この島には清冽な清水が湧いていて旅人の喉を潤していたらしい・・・今は見る影もありませなんだ。
境内には、御供え物をちょろまかす、茶色の頬かむりをした可愛いらしいドロボウ共がおりました。
★カネボウ赤レンガを探して地獄ラーメンを食べ、リーンなパンを購ったこと
弁財天との反対側の道端に新町ガイドブックの看板が立っていた。見るとカネボウ赤レンガなる表示があった。
場所も近いようだし探し始めたのだが、それらしき場所に行きあたらない。
歩いている方々にも何回か尋ねたが、どうにもさっぱりしない。
ようやく塀の向こうにそれらしき建物(結局は違っていたみたい)が見えたが、ここはクラシエフーズの工場だし・・・。
ちょっと腹ごしらえを致しましょう。
17号線沿いにあった大勝園というお店で地獄ラーメンを食べることにした。
辛さが一丁目(無門地獄:天に登る適当な辛さ)から八丁目(大叫喚地獄:地獄につかりきって2度死んだ辛さ)まで選べる。
辛さの説明の表現が面白い。
ヘタレな自分は二丁目(焦熱地獄:天に浮いている少々の辛さ)にしました。美味しくスープまで頂きましたよ。
お腹が一杯になった後は、隣にある「パン処 健」という、パン屋としては一風変わった店名の店に入ってみた。
厚さ7㎝直径23㎝のリーンなパンを買いました。
こういうパンを焼いてくれる店が増えてきたのは嬉しいことです。
パンを焼いていた若い男性の名前が健さんなのかしらね?店名の由来を聞くのを忘れてしましました。
パンを買ってから17号線沿いに赤レンガを探してみる・・と工場の敷地奥の方に、それらしき建物が見えました。
多分これがそうなのだろうと自分を納得させて引き上げることに致しました(13:45/32.0km)。
★帰り道で
新町宿には、旅篭高瀬屋と小林本陣の跡を示す表示がありましたが当時の建物を偲ばせるものは残っておりませんでした。
本庄宿まで戻って、本庄西幼稚園の姫コブシが綺麗に咲いていたのでパチリ!
日の出町辺りから、利根川CRを通って帰ることにした。
途中、牛をパチリ!盛んに自転車の匂いを嗅いでおりましたよ。
坂東大橋のちょっと川下に出ました。下りながら桜と深谷ネギをパチリ!
新上武大橋の手前で自転車と菜の花をパチリ! 黄色と赤色と青色の組み合わせは相性が良い気がします。
今年はまだ、つくしを観ていないことを思い出し、深谷市東方の畔に探しにいった。
子供の頃は、あちらこちらの畔や野原に出たものと記憶しているが、場所柄のせいか、段々と見つけるのも難しくなっている。
それにあっても大概は糞害に憤慨することが多い。
帰りは途中から中山道を逸れたが、走行距離67.2kmの中山道ポタリングでありました。
以上