漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

秩父往還を辿るポタ2(武川~三沢②)

2011-06-07 06:03:35 | 秩父往還 野次馬道中記

◆小前田から秩父往還を走らず鎌倉街道に浮気する  だって於茶々に逢いたかったんだ

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道の駅はなぞのの脇を通って140号を荒川側へ渡って、川沿いの道を上流へ向かった。

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この道が鎌倉街道だと分かるような表示は一切無く、ここぞと思う道を迷走した。

なんでも美しい娘がいてお茶を接待してくれるらしい・・・私ともあろうものが今まで知りませんでしたわ。

140号から離れて歴史浪漫ある鎌倉街道沿いに店を出しているとはなんて粋なんだ!

いくら迷ったとて諦める訳にはいかんよ!!

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ようやく着いたその場所は、鎌倉時代に於茶々という美人の娘がお茶の接待をしたという茶店の井戸の跡でありました。

そこで「於茶々が井戸」と呼ばれているそうな。

また一説には、「ちょう」という客あしらいの上手い美しい娘がいたそうな。

茶店は街道筋で大評判となり大繁盛したので「お茶屋の井戸」と呼ばれた記録もあるとか。

えっ?昔の話だったのですね・・・なんの為に秩父往還を辿るポタを中断してここまで来たのだろう(9:51/19.7km)。

教訓:行動を起こす前に状況をもう一度良く考えよう!

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いずれにしても美人の娘がいて、その娘目当ての野郎共がわんさかやって来たということですな。

いつの時代も漢って奴は・・・

店の跡は今は草むらとなり、茶店を想像させるものも、於茶々ちゃんも、ちょうちゃんもいませんでした。

でも傍の電柱にチュチュちゃんがおりましたわ。

ちなみに井戸の中の水は澄んでいましたが手が届きませんでした。

  

◆再び秩父往還へ  古道はどこかいな  ついでに寄居の町をちょっと見物   

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140号の玉淀大橋(北)の少し手前に直ぐ出たので、140号を中小前田交差点まで進み玉淀方面に左折した。

右手に富嶽大神の小山を見ながら道なりに進むと右手に「岩崎延命地蔵尊」のお堂があった(10:06/21.2km)。

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由来が書かれた説明板があった。

通りから見える地蔵さまは「子守地蔵尊」で、「延命地蔵尊」はお堂の中におわすことが分かった。

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Y字路を左に道なりに進んですぐの左に見える小路に入る。これが「樋の下古道」と呼ばれるらしい。

が、小路沿いの岩崎公園でゲートボールをされてた方々に聞くと誰も知らないとのことで真相は解らなかった。

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小路の左手には「稲荷神社」と「八坂神社」があり右手には「馬頭尊(嘉永三年)」や「大黒天(元治?年)」などがあった。

160年近く前の石塔があるのだから、呼び名は別としても古道で間違いないようですね。

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小路は再び大通りに合流、踏切を渡って、Y字路を左手の玉淀駅の方に入る。

右手の大通りは昔は無かったと先程教わったので、とにかく川沿いに進んでみようと考えたのであります。

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線路を潜って細い路地を降っていく。

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なにやら刻まれた石標を眺めつつ降っていくと、道は砂利道となり下流へ向かっていく・・・間違っていたようですな。

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結局無難に「玉淀水天宮」 へ向かう道を辿りました(10:38/23.0km)。

水天宮は「漁師に信仰されていた水神さまを祀った石の宮」を昭和六年に神社として祀ったものと説明板に書かれていた。

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「宮澤賢治の短歌が刻まれた石碑」などを眺めつつ進むと、正喜橋のたもとに出ました。

そのまま小路を直進して川沿いに進みます。

 

そういえば露伴は寄居の氷を売る店に入り、氷で喉の渇きを癒したとあるが、その店は今もあるのかしら?

そのうち調べてみませう。

  

◆子持瀬の渡し跡に先ずは行かなくちゃ

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「京亭」、池波先生のエッセイを読んでから一度でいいから入ってみたいと思いつつ、はや何十年が過ぎました。

今回気付いたのだが、この町はやたら石碑が多い。石碑ガイドマップでもその内作ってみようかしらね。

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近所の方から「聖天様」と呼ばれている「一石御厨子」を見つけた(10:57/24.1km)。

「像頭山聖天院 極楽寺 明治二十一年」と刻まれていた。なんでこんな場所にあるのだろうか?

理由はこの後に極楽寺で分かることとなった。

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先に進んでT字路を左折して川の方へ降っていく。

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しばらく走ると、おとり鮎を扱う店が河原沿いにある。ここが「子持瀬の渡し」の跡となる(11:02/24.1km)。

こりゃ対岸まで自転車担いで渡るのは無謀でありますね。

「宗像神社」や「極楽寺」を見物しつつ折原から対岸へ渡って、向こうに見える河原に行ってみませう。

  

つづく