漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

赤城山で怯(む)位夢 2/2

2011-06-15 06:41:10 | 旧ブログ記事

◆重力に逆らわない走りこそ我が人生

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来た道を降っていく。降りこそ我が人生!降りこそが全て!

素晴らしきダウンヒルを満喫であります。この為に遥々昇ってきたのだ!

一杯清水を汲みに、あの御方を誘って自転車を道端に停めて林の中に入って行く・・・

「分かるか ここに誘いこんだワケを!」 

「激坂自転車好きでも体を使うことは普通の人と同じだと思ったからだ!!」

・・・疲労が限界を越えると人は幻覚を見るという。

とにかく一杯清水は冷たくて旨い水でありました。でも大会途中でここを給水ポイントにするつわものはいないでしょうね。

 

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これからの時期、赤城山といったらこれであります。冷凍もんじゃないですよ、旨い!!

大会当日も営業しているんですって、出場出来たら寄っちゃおうかな。

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◆メロディーライン・・・チューリップは咲かないのであります

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畜産試験場のところを左折して、赤城神社方面へ向かう。

メロディーラインだぁ!曲はチューリップですね。聞くには時速40キロで走ることが必要条件であります。

あの御方が加速して突入した(ええぃ あの御方の脚力は化け物か?!)けど全く聴こえなかったのであります。

速度は満足しても質量が軽過ぎですね。

拙は質量はいけるかもしれないけど・・・もう無理ですわ。

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ぐりーんふらわー牧場に行ってみた(13:39/91.0km)。

もう一人の激坂好きの御方が、この日は赤城山に来ていたはずなのだが・・・なかなか偶然を頼るのは難しいものであります。

  

◆蕎麦を手繰るのもまた愉し   一人より二人がいいね(決してそっち方面じゃないですよ)。

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昼飯は牧場を過ぎて直ぐ左手にある、いろり庵で蕎麦を手繰った。

ここんちの蕎麦は噛んで食べる蕎麦といえばようだろうか、粒状の実を噛むと口内に甘味を感じてなんとも面白い。

蕎麦湯を固めて頂く一見蒟蒻?大根?のような付け合わせも良かったですわ。

  

◆赤城神社に行ってみた

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言い訳にゃんこパチリ!タ~イム・・・赤城神社寄ってきます?なんて言わなきゃよかった^^。

それにしても激坂大好きなあの御方の健脚が、恨めしいじゃなくて羨ましいのであります。

赤城神社に着(14:49/98.0km)。結局、もう一人の激坂好き&スクワットなあの御方には会えなかったなぁ。

ここからは華蔵寺の方へ降っていきます。

  

◆ひたすら降りで気分は上々

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鼻毛石?(15:05/102.8km)。

こういった地名のところにはなにかしら伝説のようなものがあるケースが多いのでありますよ。

この地蔵さまの鼻毛が伸びるのだろうか?なんとなく鼻の周りが白くなっているのが怪しい・・

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それとも、この小さい御堂の・・・うぉっ!!一瞬オオマラサマがおわすのかと思った。

熱々の道祖神であります。

傍の標には「寛永地蔵」と「おかえり双体道祖神」と記されておりました。

ははぁ~ん、お堂に戻って、おかえりの抱擁を覗き見してしまったようですな、タイホされないうちに撤収であります。

  

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女堀?(15:33/112.8km)。国指定史跡であり、12世紀のもので幅20m越深さ3m越の掘削工法による堀とのこと。

それはそれで凄いのだが、何故女堀なのか説明がないのが残念なり。

  

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コンビニでガリガリくんを頬張るローディを見つけ、ポーズを強要してパチリ!

後日、写真を送ってわらしべ長者を目指したいと思う次第であります。

  

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ジロリストなあの御方が「おじさんは分からない」と仰っていた幟と同種のものを見つけて寄り道。

(1)ぶっ!  (2)ぷっ!  (3)ふっ!  こちらは左の3パターンがありました。

(1)と(2)は(3)をベースに濁点と半濁点を後から手書きしているようでありました。

う~ん・・・でもなんでそんなことを・・・・  おじさんも分からないのでありました。

  

この後、深谷市役所前であの御方と別れたのでありますが、まだ走り足らないからもう少し走るのだとか・・・

その底抜けの体力・・・おじさんには分からない ふっ!

機会あればまた付きあってくださいませ。

17時27分帰宅 走行距離144.4kmの愉しい一日でありました。

  

追記

「ZERO様 「tomochan様 「はる様 「hayazou様

一度、赤城山に皆様で御一緒出来ませんでしょうか?

ゴール地点だけを決めておけば、あとは各々のペースで登ればいい訳ですから。

(私はバラエティ班に参加希望^^)

日も長くなりましたし、焼きとうもろこしや、清水も旨い季節です。

 

 

  

 


赤城山で怯(む)位夢 1/2

2011-06-14 06:16:38 | 旧ブログ記事

◆梅雨の晴れ間に僕らは出会った  そして赤城山ヒルクライムの出発点を目指す

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忘れもしない12日の日曜日のこと、

深谷駅の前で僕はあの御方と出会った(7:23/9.8km)。これは決して偶然なんかだと思いたくない。だって・・・

前日に赤城山に一緒に行ってくれるようお願いしてたから・・・当然でありますね。

14号で上武大橋まで行き、そこから利根川CRで前橋へ向かうのであります。

拙としては初めてのノンストップで大利根緑地公園に着きました(8:41/42.1km)。

  

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南部大橋で利根川CRを降りて、前橋刑務所の門の前でパチリ(8:57/46.1km)。

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街中で最近導入されたと噂の白ロードバイクを見つけて、自分の自転車を並べて記念撮影した・・・なんちゃって。

ヒルクライム大会の計測開始ポイント近くの上細井町交差点に着(9:26/51.5km)。

ここからは、ひたすら4号で総合観光案内所を目指すのであります。・・・が、この時点で既に拙の貧脚はゆとりが無い。

  

◆赤城山怯(む)位夢なり

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いきなりのプチ傾斜が結構キテる・・・むむっ!是非記録しておきたい看板があったので仕方なく止まってパチリだんべ。

赤鳥居はいつ見ても大きいなぁ(9:46/54.8km)。

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ゼェ・・ゼェ・・・ようやく標高500メートルであります(10:04/59.7km)。既に激坂好きのあの御方の影も形も見えん。

ヒィ・・オエッ・・・標高600メートルなり(10:16/61.4km)。ひたすら真っすぐ基調の登りは嫌いだぁ。

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ウッ・・・標高700メートル(10:26/62.7km)。既に何台抜かれたろう、覚えているのが難題な程だ。

森の声なんか聞こえません・・・自分の気管から出る喘ぎ音とバクバクの心臓音で一杯一杯であります。

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標高800メートル(10:37/64.1km)、900メートル(10:51/65.3km)。我が心、既に空なり。

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ちょっと先(主観的には遥か彼方)の蕎麦屋であの御方が待ってくれているのでありました。申し訳ないです。

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標高1000メートル(11:16/66.5km)、1100メートル(11:26/67.9km)。彼方にあの御方がみえる。

37番カーブに一杯清水入口の標識が見えたな、今は一杯一杯だから帰りに寄りませう。

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標高1200メートル(11:36/69.2km)、1300メートル(11:47/70.5km)。

我が自転車生活は抜かれることと見つけたり・・・

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道端のつつじが綺麗だなぁ・・・どんな時も花を愛でる余裕を忘れちゃいけないな、うん!

標高1400メートル(11:57/72.0km)。こうなったら1500でも2000メートルでも結構な気になった気がした。

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総合観光案内所に着(12:03/72.7km)。やはり1時間30分を切るのは難しいですな(嘘じゃないでしょ)。

美しい御嬢さんが出迎えてくれたが、ちょっと寒そうであります。

気温は、いつも麓より10℃は低いと案内所のお姉さまが仰っていた。

なにやら真剣な表情で撮影をするあの御方の後姿をパチリ!何を写してたのかしらね?

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ここまではあの御方に逆立ちしても勝てなかったので、せめて自転車の掛け方で目立ってみた。今はこれが精一杯。

ぐんまちゃんが、そんなところで目立っても・・・と呆れ顔でありました。

  

現時点では休憩せずに昇り切ることが怯む位の夢なり

抽選・・・通って欲しいような漏れて欲しいような微妙な気分であります。

 

  

つづく

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赤観音と石臼稲荷

2011-06-13 06:25:43 | 近場のポタリング

通り慣れた街道も、そこから一歩入ると何があるのか案外知らないものだ。

近場であっても、そんな場所を小回りの利く自転車などでプラプラすると発見があったりするものです。

まだまだ知らないものを見つけることが出来ることが単純に嬉しいお年頃なのであります。

さあ、自転車に乗ってプチ冒険の旅に出掛けよう! なんちゃって。

  

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新旧140号の間を古道を探してぷらぷらと走っていた時のこと。

個人宅の生け垣の隅になにやら道標のようなものが目に留ったので、引き返して観察した。

「赤観音入口」と刻まれた昭和二年製の標でありました。

方向的には道の駅かわもと辺りのようであり、あんな所に観音様がおわしたかな?行ってみませう。

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確かに「龍化身 安産仏の赤観音」とかるた標示のあるお堂があり、赤観音という額が掛けられておりました。

近所の御老人に、昔は毎月十五日に縁日があって子供心にそれは楽しかったものだと伺った。

今は廃れてしまっているようであり、お堂の中も覗けないのですが、真っ赤な観音様がおわすのかしらね。

龍の化身というのも、なにやら民話伝承のようなものありそうだが尋ねる機会がなかったのです。

帰宅後、ネットで調べようと試みたが、該当するものがありませんでした。またフィールドワークに行かねば。

  

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元の道に戻って直ぐに「石臼稲荷神社」がありました。

参道に石臼が敷かれており、約三百五十個程であるとの説明板があった。

約?程?・・・曖昧な表現でありますね。今度暇な時にまた来て、正確な数を数えてやりましょうね。

春祭りは「豆腐まつり」と呼ばれているらしい。

この臼を掘り起こして豆を擦って作った豆腐を互いにぶつけ合って奉納する激しい伝統行事なのだろうか?

神社なだけに阿鼻叫喚ということは無いだろうが、

奇声をあげて豆腐を投げ、豆腐まみれで日頃のストレスを発散する人の群れを妄想してしまった。

それとも稲荷神社なので、願いが叶ったあかつきには、この豆腐を油で揚げて進ぜますとかの、おごそかな行事かしら。

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境内には子狐をあやす温和なお顔の狛狐と芭蕉の句碑(1861年)がありました。

「春の夜や 篭り人ゆかし堂の隅」

旅の途中で春の夜にお堂の隅でぼっとしてたら、引きこもっていた頃が懐かしくなっちゃった・・・

そんな訳ありませんね、知識不足であります。

  

梅雨の境内 藪蚊に追われ 退散をする 乗士かな   銀乗


アジサイトショウブ

2011-06-12 05:49:08 | 植物

6月11日(土)の午後にちょっとだけ紫陽花と花菖蒲の咲き具合を観にいって参りました。

本当は雨がしとしと降る中でひっそり咲く花をパチリしたかったが、すっかり上がってしまったのが残念なり。

  

◆別府沼公園の花菖蒲

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全体的には7分咲き位といった感じでしょうか、でも充分見応えありました。

 

花菖蒲 梅雨の晴間の涼味かな   銀乗

  

鴨も観賞に来ておりました。

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梅雨明け前に、傘さしてもう一度観に来たいものです。

  

◆能護寺の紫陽花

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紫陽花が一斉に咲き始めた。それにしても色々な品種があるのですな、知らなんだわ。

品種名があったりなかったりでよく分からないのが残念といえば残念なり。

  

境内にところ狭しと咲く紫陽花   銀乗

  

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来週あたりが一番の見頃になりそうですね。

やたらとパチリ!してみたものの紫陽花との勝負に負けたようであります。


秩父往還を辿るポタ2(武川~三沢⑤)

2011-06-11 05:39:14 | 秩父往還 野次馬道中記

《まえがき》

6月11日、昨夜から降り始めた雨がしとしとと降り続いている。

今日はちょっと自転車では気持ち好く走れそうにはありません。

アジサイにハナショウブ、そしてカタツムリでも探して歩いて散歩でもしましょうか。

梅雨を愉しめる今年最期のチャンスかもしれないですからね。

 

丁度一週間前のポタリング記録も今日が最後となりました。

休憩パチリが多すぎるのも記録に残すには記事が長くなって書く方も読む方も大変ですね。

でも、あとちょっとだけお付き合いください。 

  

◆平草の一里塚を観て旧熊谷道を辿って三沢を目指すのだ!

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釜山神社前から、まっすぐ平草方面(民宿きりしま方面)へ降って行く。

途中左手に「一里塚跡」がある(15:27/47.7km)。三又路にあるのだが気を付けないと見逃して通り過ぎそう。

「二十三夜待の石塔」「庚申塔」「大黒天の石塔」があり、庚申塔は「書家 野沢禽斉」の書と彫りだとか。

どちらの道が旧街道でどちらが村道だったのか疑問が残るがまあいいや。

(実は釜山神社から登谷山の方に少し登ってから右に降る道があり、それもここに繋がっていたはずなのだ。)

さあ、どんどん降りませう。重力に逆らわない走りは気持ちが良いものであります。

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民宿きりしまの脇にある皆野町指定天然記念物の「平草のキリシマツツジとイヌツゲ」をパチリ!

ここからはまっすぐ県道方面へ向かい暫く走ると道が二つに分かれる場所に出る(15:47/48.9km)。

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分岐には「旧中山道通り熊谷通」の半分折れた標識がある。

恐らく折れた方が三沢方面だろうと、ちょっと荒れ気味の細い道に迷わず入っていった。

道幅からして間違いなくこちらが古道でせうと独断で確定であります。

ここからは降り基調となるが路面が荒れていて速度は出せない。でも25Cなら大丈夫。

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脇見をするとちと危ない・・・

暫く降っていくとT字路となる(16:05/49.5km)。先ずは右方向に行ってみたが道が途切れていた。

未舗装路跡のようなものがあったが昭和に出来た道跡であり、古道ではないと畑作業されていた方に教えて頂いた。

T字路まで戻って降っていく。

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写真の右から降ってきた(16:06/50.2km)。

ここから左奥に降って行く。合流地点傍に「白い頭巾と腹掛けの地蔵様」がおわした。

これが361号(三沢坂本線?)なのでしょうね。

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道の脇を通る沢からカジカの鳴き声が聞こえてくる。涼味たっぷりでなんとも贅沢な気分であります。

すぐに道は立派な広い道となり気持ち良く降ることが出来る。

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右手に「馬頭観音塔と三面六臂の石仏」を見つけてパチリ(16:12/サイコン接触不良で止まってた)。

またちょっと降って右手に「薬師免の自然石板碑」を見つけてパチリ(16:14)。

文保元年の作で普通の河原石(通常は緑泥変岩)で作られており、大日如来(普通は阿弥陀如来)と刻まれているらしい。

昔ここに、よほどへそ曲がりな方がいらしたのでありましょうか。

この一枚を収めたところで遂にデジカメのバッテリーが尽きました。

日も陰って来たことだしこの日はここまでとし82号に降りて荒川沿いに金尾峠を抜けて帰宅致しました。

18:13帰着、多分87kmは走ったと思う。

次回はまず芳ノ入りの一里塚跡ですな。

  

◆お供え物

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桜沢を過ぎたところで、御供えが買い足りないことを思い出した。

道の駅はなぞのの「ジェラード工房 福島」でイチゴソルベ500mlをお持ち帰りなり。

オープンガーデンで分けて頂いたパン(練り込まれたチーズの塩梅が旨い)と併せて難を逃れたのでありました。

ドライアイスがあると、ついやっちゃうのよね・・・


秩父往還を辿るポタ2(武川~三沢④)

2011-06-10 06:10:47 | 秩父往還 野次馬道中記

◆渡し跡から釜伏山参道へ向かう   はっきり言ってどこを通ってよいやら不安であります

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通りに出て折原橋の方に数十メートル程戻る。

「庚申塔や青面金剛像などの石群」と「折原村道路原標」をパチリ!

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この石群脇の小路に入って線路を潜り、大通り(織姫まんじゅうのとこから運動公園へ向かう道でした)を左折する。

この間に他の脇道探したが見つからなかった。

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曲がってすぐの登り坂の途中にある「馬頭尊などの石群」をパチリ(12:24/28.2km)。

この後は運動公園の周りを行ったり来たり、「大昔栄えた住居跡」だという上平下小路公民館の前など通りつつ迷走。

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いつもの294号の釜伏山参道に着(12:47/31.8km)。

まずいな・・・ガーデンフェスタに間に合わなくなっちゃうであります。一旦ここで秩父往還巡りを中断します。

あの方達に会いに行くのです。これもいわゆるオフ会ってやつですかね。

膨らむ妄想抱えて走る レディかはたまたオジさんか   銅乗

 

◆西ノ入から車山沿いに釜伏山参道に戻る    この項目は秩父往還熊谷通りとは関係なしね

西ノ入への行きは道に迷うのも嫌なので294号を降って岩根洞の横を通って八高線沿いのルートを取った。

ガーデンフェスタの記事は既にアップ済みなので、ここでは省略します。

戻りのルートは、あの御方より先に出発したものの抜かれるのは時間の問題・・・

敵を知り己を知れば百戦危うからずというより、三十六計逃げるに如かずであります。

抜かれる前に道を逸れて面子を保ったのであります。

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暫く走ると右手に「まごころ白髭神社 三品 鉢形城跡 四十八釜と書かれた標のようなもの」が(14:02/38.9km)。

一瞬プラカードを持った鼠男が立っているように見えたが錯覚でありました。

この草むらを入って行けば深沢川の深淵に辿りつけるのかしらね?でも今日はパスであります。

更に進んで右手に「山の神」の石碑(14:06/39.1km)。

先程お二人にも言われたが、お供え物を忘れないようにしなくちゃね。

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石碑の横には「地蔵尊などの石郡」があった。それにしても地蔵様、着込み過ぎではないですか?

  

◆釜伏山参道を登って釜伏峠へ    登りはひたすら我慢の時なのよね

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再び参道入り口(14:16/41.5km)。さて、これからどこまで行けるかな。

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走り始めてすぐ「地蔵尊」と「石塔(享保十六年)」があるが、ここはお寺の境内らしい。久々享保の文字を見た。

享保十六年は年末から天候不順で翌年は西筋で大飢饉が起きたのでありますね。

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サンショウウオ研究所前の「(たぶん)馬頭尊(天明三年?)」をパチリ!(14:26/42.7km)。

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登り途中の水、500ml程飲んでみた(現在のところ体調に変化なし)。ヘビイチゴかな、ちょっとシブかった。

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中間平を経て(14:46/45.1km)、関所跡に着(14:57/45.4km?サイコンの接触悪いみたい)。

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ヘロヘロと「釜山神社」前に着(15:04/46.1km)。「一里塚 御旅所跡」の案内に従って、ちょっと歩いて林に入る。

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10メートルも行かずに「大山積?大神」と「雷電大神」の石塔があった。

今回初めて気付いたが観光案内板の脇に「従是四南埼・・・大正八・・」と刻まれた石標があった。

これなんなのかしら?

  

つづく


秩父往還を辿るポタ2(武川~三沢③)

2011-06-09 05:57:07 | 秩父往還 野次馬道中記

◆宗像神社と極楽寺を見物しにいく

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子持瀬の渡し跡に来た道をそのまま進んで登っていきます。

上の通りに出て左方向(折原の方ね)に進むと踏切手前の道路右手に「宗像神社」がありました(11:08/24.1km)。

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こちらには「後藤功祐(靖国神社の御鏡の台を造った方だとか)作の高さ約1.2mの社殿」が納められている。

この時は丁度神主さんがいらしたのでお願いして拝見させて頂きました。写真はなしね。

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宗像神社から踏切を越えてすぐ右手に見えるのが「極楽寺」だ(11:35/24.2km)。

正式な名称は、「象頭山聖天院極楽寺」。

弘法大師がこの地の荒川岸壁の岩が象に見えたことから霊地として定めたことが開山の始まりだとか。

明治の末に「象が鼻」から現地に遷座されたとあるので、来る途中で見た「一石御厨子」のところが象が鼻だったのかしら。

露伴も、象が鼻の風景を「絵を見るごとくおもしろし。」と書いているし、また今度行ってみませう。

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二股大根の紋は、いつ見てもニヤリとしてしまうのであります。

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「狛犬(天保七年)」さんと「弁天」さまに『不謹慎ですよ!』と叱られそうなので退散であります。

◆折原橋を渡って対岸の渡し跡へ行く

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今日の放水は5番でありますね。

露伴は荒川を渡らずに末野、矢那瀬の方を通っているので「川通り道」を使ったのかな?

いずれにしても今回は露伴とはここでお別れであります。

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橋を渡って左折して、踏切を越えて少し走る。

左手に「折原村青年団が設置した道標(昭和六年)」があり「左子持瀬渡場ヲ経テ寄居方面」等彫られている。

ここから砂利道を川の方に降っていく。

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皆さんがお世話になった渡し跡に着きました(12:12/27.2km)。

さて、また通りまで戻らなくちゃ。

  

つづく


初物は・・・ちょっと喰えない

2011-06-08 05:56:06 | 日記・エッセイ・コラム

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この休みで見た今年初ものの生きもの達。

日が暮れるのも忘れて追いかけまわした子供の頃が、ちょっとだけ懐かく想い出された。

代かきが始まると蛙の声が夜の闇に響いていたっけ。

梅雨時には既に夏休みのことばかり考えていたような・・・。

梅雨が終わる頃には街灯の明かりが、かぶと虫やくわがたで覆われてしまうような時もあった。

 

最近はこんな生き物達を身近に見れることが贅沢な環境に暮らしているといえるのかもしれませんね。

  

初もの喰いは寿命が延びると言うが、こいつらはちょっと・・・でありますね。

今年の夏は暑くなりそうな予感です。


秩父往還を辿るポタ2(武川~三沢②)

2011-06-07 06:03:35 | 秩父往還 野次馬道中記

◆小前田から秩父往還を走らず鎌倉街道に浮気する  だって於茶々に逢いたかったんだ

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道の駅はなぞのの脇を通って140号を荒川側へ渡って、川沿いの道を上流へ向かった。

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この道が鎌倉街道だと分かるような表示は一切無く、ここぞと思う道を迷走した。

なんでも美しい娘がいてお茶を接待してくれるらしい・・・私ともあろうものが今まで知りませんでしたわ。

140号から離れて歴史浪漫ある鎌倉街道沿いに店を出しているとはなんて粋なんだ!

いくら迷ったとて諦める訳にはいかんよ!!

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ようやく着いたその場所は、鎌倉時代に於茶々という美人の娘がお茶の接待をしたという茶店の井戸の跡でありました。

そこで「於茶々が井戸」と呼ばれているそうな。

また一説には、「ちょう」という客あしらいの上手い美しい娘がいたそうな。

茶店は街道筋で大評判となり大繁盛したので「お茶屋の井戸」と呼ばれた記録もあるとか。

えっ?昔の話だったのですね・・・なんの為に秩父往還を辿るポタを中断してここまで来たのだろう(9:51/19.7km)。

教訓:行動を起こす前に状況をもう一度良く考えよう!

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いずれにしても美人の娘がいて、その娘目当ての野郎共がわんさかやって来たということですな。

いつの時代も漢って奴は・・・

店の跡は今は草むらとなり、茶店を想像させるものも、於茶々ちゃんも、ちょうちゃんもいませんでした。

でも傍の電柱にチュチュちゃんがおりましたわ。

ちなみに井戸の中の水は澄んでいましたが手が届きませんでした。

  

◆再び秩父往還へ  古道はどこかいな  ついでに寄居の町をちょっと見物   

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140号の玉淀大橋(北)の少し手前に直ぐ出たので、140号を中小前田交差点まで進み玉淀方面に左折した。

右手に富嶽大神の小山を見ながら道なりに進むと右手に「岩崎延命地蔵尊」のお堂があった(10:06/21.2km)。

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由来が書かれた説明板があった。

通りから見える地蔵さまは「子守地蔵尊」で、「延命地蔵尊」はお堂の中におわすことが分かった。

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Y字路を左に道なりに進んですぐの左に見える小路に入る。これが「樋の下古道」と呼ばれるらしい。

が、小路沿いの岩崎公園でゲートボールをされてた方々に聞くと誰も知らないとのことで真相は解らなかった。

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小路の左手には「稲荷神社」と「八坂神社」があり右手には「馬頭尊(嘉永三年)」や「大黒天(元治?年)」などがあった。

160年近く前の石塔があるのだから、呼び名は別としても古道で間違いないようですね。

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小路は再び大通りに合流、踏切を渡って、Y字路を左手の玉淀駅の方に入る。

右手の大通りは昔は無かったと先程教わったので、とにかく川沿いに進んでみようと考えたのであります。

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線路を潜って細い路地を降っていく。

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なにやら刻まれた石標を眺めつつ降っていくと、道は砂利道となり下流へ向かっていく・・・間違っていたようですな。

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結局無難に「玉淀水天宮」 へ向かう道を辿りました(10:38/23.0km)。

水天宮は「漁師に信仰されていた水神さまを祀った石の宮」を昭和六年に神社として祀ったものと説明板に書かれていた。

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「宮澤賢治の短歌が刻まれた石碑」などを眺めつつ進むと、正喜橋のたもとに出ました。

そのまま小路を直進して川沿いに進みます。

 

そういえば露伴は寄居の氷を売る店に入り、氷で喉の渇きを癒したとあるが、その店は今もあるのかしら?

そのうち調べてみませう。

  

◆子持瀬の渡し跡に先ずは行かなくちゃ

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「京亭」、池波先生のエッセイを読んでから一度でいいから入ってみたいと思いつつ、はや何十年が過ぎました。

今回気付いたのだが、この町はやたら石碑が多い。石碑ガイドマップでもその内作ってみようかしらね。

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近所の方から「聖天様」と呼ばれている「一石御厨子」を見つけた(10:57/24.1km)。

「像頭山聖天院 極楽寺 明治二十一年」と刻まれていた。なんでこんな場所にあるのだろうか?

理由はこの後に極楽寺で分かることとなった。

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先に進んでT字路を左折して川の方へ降っていく。

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しばらく走ると、おとり鮎を扱う店が河原沿いにある。ここが「子持瀬の渡し」の跡となる(11:02/24.1km)。

こりゃ対岸まで自転車担いで渡るのは無謀でありますね。

「宗像神社」や「極楽寺」を見物しつつ折原から対岸へ渡って、向こうに見える河原に行ってみませう。

  

つづく


秩父往還を辿るポタ2(武川~三沢①)

2011-06-06 06:07:08 | 秩父往還 野次馬道中記

『知々夫紀行(幸田露伴)』と『秩父往還いまむかし(飯野頼治)』を参考に、今回のポタに出掛けた。

前回のポタリングの終点であった武川までは往還に拘らずに走って、その後も適当に見物も織り交ぜる趣向であります。

  

◆武川へ向かう

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籠原駅近くにある道路標識に従って先ずは秩父方面へ走り、太平洋セメント熊谷工場の手前に来た。

こちらの標識では川越・秩父の文字がなくなってしまうのだが、今やGPSナビ全盛の時代だから不都合ないのかしらね。

御稜威ヶ原方面に進めば秩父往還の『おとう坂』に出るのであります。

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御稜威ヶ原付近の路傍の何箇所かにある『随縁』と刻まれた標。仏用語が源だろうか、敷地境界線かしら。

気が変わって、秩父鉄道三ヶ尻線に沿って走ってみることにした。

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道中、目にとまる祠や地蔵などをパチリしつつ、前回終点とした武川の『秩父往還跡と刻まれた石板』に着(7:43/8.9km)。

さて秩父往還熊谷通りのポタリングに参りませう。

◆武川から旧140号と脇道をぐにゃぐにゃキョロキョロと走り小前田に向かう

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旧140号を走って200メートルも進まないうちに『武川村道路原票』をみつけてパチリ!

こういうのは歩きか自転車じゃないとなかなか見つけられないですね。

  

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69号との合流手前にある『旅舎島田屋』の跡。

露伴は汽車で熊谷まで来て熊谷通りを歩き、こちらに泊って荒川の鮎で一杯呑んで、いい気分になっているのです。

  

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深谷市田中歩道橋の手前を右斜めに登る側道に入る。こちらの方が旧道だと以前から聞いていた。

ちょっと走ると右手に「聖?皇太子」「馬頭尊」「二十二夜塔」「大黒天」「奉納御神燈」と彫られた石群があった(7:54/9.2km)。

以前は石郡の側に沼地があり魚釣りが出来たはずだが、今は空き地状態になっておりました。

  

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毎度のことだが、はやくもパチリ頻発であります。側道は直ぐに旧140号に合流するので、また旧140号を走る。

  

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日本高圧コンクリートの工場を越えた先の左手の見目墓地内にある「見目堂」(8:04/9.9km)。

草木が繁茂して荒れた墓地であったのを昭和53年に改修したものと説明があった。

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見目堂の隣には「宗念堂」があり脇に享保九年と読める「青面金剛像」と「猿田彦大神」がおわした。

享保といえば暴れん坊将軍の時代で287年前ですわ・・・浪漫を感じるなぁ。

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重忠橋(北)交差点を越えて進む。

永田駅入り口のT字路の手前右手に「岩に彫られた馬頭尊」と「大黒天」が見えた(8:15/10.7km)。

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小路を覗くと馬頭尊の裏に「庚申塔」があり、そこから旧140号と並行して通る小路を走った。

近所の方に伺うと、この小道が「馬入り」と一般に呼ばれる古道であると昔から言われていたと教えて頂いた。

有難うございました。

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小路は直ぐに永田駅の前に出る。

駅と旧140号の間を流れる蟹沢排水路に架かる橋の袂に「かにさわはし」と刻まれた石が転がっていた。

カミさんが子供の頃は蟹がいたらしいが、今もいるのかしらね?でも降りてみる気はしませんでした。

小路を更に小前田方面へ進む。

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140号の黒田交差点手前を潜りぬけて進むと旧140号の上を関越自動車道が通るところに出ました。

ここから旧140号を走ります。

  

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荒川交差点を越えて、アオイ化学工業の工場が見えたあたりの左手に小山があり祠が見えた(8:54/15.7km)。

「富士山」と呼ばれており、富士山の北口を信仰していたのだと、先の地震で崩れた箇所を修復している方に教わった。

有難うございました。

また旧140号が通る前は、ここのちょっと手前を右斜めに入り花園小学校の方へ向かう道が旧道だったと伺った。

その道を行くかどうか迷ったが、先ずは「長善寺」に寄ることにした。

  

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「長善寺」に着(9:03/16.4km)。

露伴が『路のほとりにやや大なる寺ありて、如何にやしけむ鐘楼はなく、山門に鐘を懸けたれば二人相見ておぼえず笑う』と書いた寺はこちらであります。

鐘楼が山門と一体化した鍾門というものを露伴は知らなかったのかしら。

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道標となった「四国西国供養塔」を見つけたのだが、哀しいかな、なんと書かれているのか解らない。

本堂を掃除されてた御婦人にお願いして教えて頂いた。この御婦人、博識でただものじゃなかったであります。

「右 小川川越ちちぶ   左久まがや」と読んで頂いた。

本来は他の場所にあったものが、いつのころからかこちらに移されてきたらしい。また、露伴が観た鍾門の跡も教えて頂いた。

お忙しいところ、本当に有難うございました。

  

ご近所の方に、荒川沿いを「鎌倉街道」が通っており、「オチャチャの井戸」なるものがあると伺った。

ちと予定を変更して荒川に向かってみませう

  

つづく

  

◆小前田から中小前田交差点までの石塔など

実はこの日は「お茶々が井戸」を観てから140号で中小前田交差点に行ってしまい途中の観察をしなかった。

なので翌日、その空白区間を走った結果を示します。

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小前田から寄居に向かって旧140号を走ると、いずれも右手に三箇所の石仏郡があった。

二つ目までは、風化が進んでいつの時代のものか解らなかった。

三つ目の中小前田交差点手前にある「石仏(文化六年)・大黒天(文久四年)・弁財天(文化六年?)・庚申塔」が作られた年代が解った。

約150年から200年前のものでありますね。

また、この石郡が「テンノウサマ」と呼ばれていることを土地の持ち主の方から教えて頂いた。

有難うございました。

  

  

  


チャリティオープンガーデンにチャリで行く

2011-06-05 06:27:50 | 日記・エッセイ・コラム

寄居の西ノ入の「かんばんや中嶋」様宅で東日本大震災からの復興等を祈念してチャリティオープンガーデンがあると知った。

ジロリストの先輩であるあの御方と愛山羊も関係されており、また激坂好きのあの御方も峠詣での帰りに寄られるらしい。

その上、庭を彩る約200種の薔薇と聞いては、拙の大好きなあのバラが飾られているかどうかを現地確認せねばなるまい。

正式名称は「ローズガーデンフェスタinYORII」で開催地は西ノ入2874。

オープンガーデンは6月12日までだがチャリティは4、5日とのことで、早速4日に行って参りました。

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場所は寄居町商工会ブログにも出ていたが、八高線折原駅から竹沢駅に向かう線路沿いに進めば案内も出ていて迷わなかった。

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あるある・・・あの御方達のやつでありますね。隠し撮りであります。

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メイちゃんは見事な食べっぷりでありました。なかなか顔を上げてくれませんでしたが可愛いから許す!

バラの花より青い草でありますな。

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見てたらこちらもお腹が減ってきました。手打ち饂飩を頂きます。

むむっ、地粉饂飩とみた! 麺のコシと汁の相性も拙好みでウメェ~!

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鳥の巣コロッケも出店してたり(4日だけらしい)で、賑わっておりました。

さて、バラの品種チェックをさせて頂きましょうかな。

といっても薔薇愛好家ではないので名称と花を観るだけなのですが・・・

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「マチルダ」さん発見!いつ見ても美しい。

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「上海ガール」 であります。

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「エンプレスミチコ」、女帝?いやいや美智子様かしらね。

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「ジュディーガーランド」。虹の彼方にかオズの魔法使いを思い出しますな。

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「しのぶれど」色に出にけりわが恋は・・・雅でありますねぇ。

それに比べて我の場合は、しのぶれど腹が出にけり我が体形 物入れてるやと人のとふまで ですわ。

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「ラブ&ピース」。いまどきの若者に言ってもなんのことやら判らんのでしょうね。

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そして・・・レディとキャットですわ。 

えっ?薔薇じゃないって? えぇ、花もそうですが美しいものが大好きなのですよ。

  

結局こちらには拙の大好きな鉄板な名称のあの品種はござりませなんだ。

笑いは取れるが復興支援チャリティーという性格には向かないからかしらね。

ちなみに本記事に載せた品種は、個人的嗜好であるジャンルに偏ったものだけをパチリしたものです。

決して開催者の方が、そっち方面の品種だけを育成しているのはないことを付け加えさせて頂きます。

えっ?そんなこと分かってるって? 失礼しました。

   

出会い・旨い・綺麗と愉しいひとときを過ごせました。有難うございました。

  

追記

ブログ等の直接本人が見えない世界では、相手が女性だと思っていたら実は男性だったり、その逆だったりすることがあるらしい。

年齢などもまた然り。アップされている本人の写真だって確証は無いですものね。

あの御方達も実はうら若きレディだったりして・・・

と淡い期待を胸にいそいそと出掛けて行ったのだが見事に妄想は裏切られた(なんちゃって)。

始めてお会いした訳だが

お二人とも、想像通りの人あたりの良い知的な紳士で良かった(淑女だったらもっと良かったけど)。

またお会いできる日を愉しみにしています。


アオリイカのスルメ

2011-06-04 05:22:17 | 酔いどれ

  

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アオリイカのするめをアメ横で見つけて買ってみた。

真イカや剣先イカのやつは知っていたが、アオリイカのスルメを見たのは初めてでありました。

  

肴は炙った~イカでいいっ?   さて次男坊に気付かれぬようこっそり晩酌・・・でも嗅ぎつけられた。

軽く炙って味わうと、剣先イカのそれに似たすっきりとしたクセの少ないそれでいて濃厚な旨みの味わいでした。

マヨネーズをつけるのも良いけど、今回はそのまま素材の味を愉しみましょ。

   

こういうシンプルな肴は酒が進むってもんでありますね。お蔭で今宵は酔いが好い具合に廻って気持ち佳い。

「そんなのアタリメェだ!なんたってアオリイカはイカの貴族様だぁ、べらんめぇ!」と足元から声が聞こえた気がした。

スルメ専門家でもある次男坊に叱られたでげそ。

  

するめのような奴と言われたら、薄っぺらい(それとも臭い)と解釈するか味があると解釈するか・・・

心理状態や性格のアタリメをつける簡易判定になりそうじゃなイカ?

呼ばれたい 噛めば噛むほど味がある 肴するめで漢は銀乗    銅乗


ツール!5巻を読んで速く走れる気になった

2011-06-03 06:11:17 | 本と雑誌

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購読している自転車レース漫画のツール!(大谷アキラ/小学館コミックス)。

5巻をようやく購入であります(3月末に発売されてたのね)。

ライバルチームの裏工作やドーピングをにおわすような展開で、ますます物語としては面白くなってきた。

レースの説明なども登場人物達の会話に盛り込まれていて結構勉強になったりしてます。

こいつを読んだ後の週末の走行は気をつけないと自分も走れる気になって、つい踏んでしまう。

中学生の頃、カンフー映画を観た後に強くなった気がしたのと一緒であります・・・進歩がないのです。

6巻の発売はツール・ド・フランス開始直前か、これなら忘れないですわ。


秩父往還を辿るポタ1(石原~武川 2/2)

2011-06-02 06:20:09 | 秩父往還 野次馬道中記

  

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大榮神社からは旧140号を進んだ。押切橋を潜る手前の右手にあった地蔵尊をパチリ!(16:00/13.1km)。

もう少し先まで行ってみよう。暫く走って玉井堰橋を渡り、丸樋橋の手前の小路を右斜めに入って瀬山に向かった。

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暫く走って右手の畑の遠くむこうへ龍泉寺が見える辺りの道の左に「石の小さな祠」と右に「馬頭尊」がおわす。

近所の方に伺うと祠は「ドウロクジン」と呼ばれており、ちちぶ道と深谷へ向かう道との分岐であったらしい。

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「右ふかや左よりい 道」と刻まれていたらしいが今はかろうじて「道」という字が見えるばかりだった。

ここから古道は旧140号の「オト坂」の手前で秩父線の向こう側へと続いていたと教えて頂いた。

親切丁寧に教えて頂きましてお礼申し上げます。

よりいへの道は祠の先で途切れていたので、一旦ふかやへ進み回り込んで、麦客庵の側を通り旧140号へ向かう。

そういえばカミさんの婆様が「オトウ坂」と言っていたが「オト坂」が正しいのかな?漢字ではどう書くのかしらね。

※以下1~3は後に追加記述した。

1.オトウ坂は幸田露伴の知々夫紀行では「おとう坂」と記載されていた。

2.近所の方に伺ったところ、「おと坂」または「おとう坂」と呼ばれる前は「うたい坂」と呼んでいたらしい。

 なんでも昔は追い剥ぎが出そうな、うっそうとした寂しい所で唄いでもしなきゃ通れなかったので、そう呼ばれたらしい。

3.「中山道山あり谷あり二人旅」という旅行記をネットでみつけた。

そこには「唄い坂」と記述されており、「前田利家が鉢形城攻めの際に唄を歌って登ったから」と記載されていた。

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明戸駅からは線路沿いの道を進む。駅にいらした方にも伺ったが、これが旧街道で間違いないらしい。

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和光食堂の近くで旧140号に合流して、その先が解らなくなってしまった。

畑作業をされてた方に伺うと、旧140号がそのまま古道らしかったので不本意だが旧140号を走る。

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「もくせい館」で畠山重忠公と記念撮影(16:57/20.3km)。もくせい館は中学校の跡地だったのですな。

「あんたの馬も凄いけど俺の自転車の方が速いぜ! 嘘だと思うなら抜いてみな!」と捨て台詞を吐いてみた。

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武川駅近くの旧140号沿いの「秩父往還跡」の石碑をパチリしたところで雨が大粒に変わった(17:01/20.6km)。

3時間掛けて、たったの20.61km。今日はここまでにしておきませう。

 

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三ヶ尻の「幸安寺」でちょっとだけ雨宿り。

こちらの熊谷草も今年は咲かなかったことを「関東平野の片すみで」というブログを書かれているmasa様から教えて頂いた。

今年はホントに桃や桜の開花が遅れたり、山菜が早くに出たり、梅雨が早く来たり、なにやら変であります。

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いっこうに止む気配のない空模様の中、濡れ鼠になりながらも晩酌の肴は購って帰宅なり。

走行距離30.6kmのカメポタでありました。


秩父往還を辿るポタ1(石原~武川 1/2)

2011-06-01 05:55:16 | 秩父往還 野次馬道中記

江戸時代には秩父へ入る道として「熊ヶ谷通り」、「河越通り」などがあり「秩父往還」と総称されていた。

また秩父は忍藩の所領であり、熊谷道りは忍藩と秩父を結ぶ重要な街道であった。

後に熊谷から秩父を経て雁坂峠を越え甲州街道へ通ずる熊谷通りのみを秩父往還と呼ぶようになった。

以前、石原のかめに道でみた「ちちぶ道」の石標は中山道との分岐を示す「秩父往還」の起点のようなものらしい。

なんとなく古道跡を辿ることに浪漫を感じているので行ってみることに決めた日曜日のこと。

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国道17号線の石原一丁目の交差点から広瀬へ向かって直ぐ左手のかめの道沿いに石標がある。

蛇足ではあるが、ちなみに秩父祭り会館の看板は現代の標といったところか。

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「ちちぶ道」、「秩父観音巡礼道」、「宝登山道」の三基の石標をパチリ(14:28/距離記録忘れなり)。

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大通りを広瀬へ向かって進み、新幹線の高架に沿って裏通りを山王宮の方へ進む。

左手に「広瀬郷の不動様」のお堂があった。こちらは明治12年に成田山の分院として建立されたものらしい。

しかし、このお堂の前の道が秩父往還に間違いないらしいことを伺うことが出来た(14:40/7.4km)。

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新幹線高架と国道17号バイパスの山王宮交差点との間の畑のなかに宮塚古墳がある(14:58/9.4km)。

墳形は上円下方墳で、ほぼ完全な形で残されている貴重なものらしい。登ってみると小さな祠が置かれてた。

宮塚古墳は「山王塚」とも「お供え塚」とも呼ばれていたらしい。

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宮塚古墳の向かいにある塚のような神社? 安産守護神と刻まれた昭和29年の石碑があったが神社の名前は解らなかった。

畔を通って140号バイパスへ抜ける。

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山王宮から旧140号へ入らずに、少しバイパスに沿って進むと左手に「庚申地蔵尊」がおわす(15:13/9.9km)。

かつては南秩父往還南十八メートルにありき、との説明が書かれていた。ここから旧140号に向かって小路を進む。

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旧140号へ出る手前にお堂があった(15:19/10.1km)。

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お堂の両脇に石が吊るされている。いわれやお堂の名称を近所の方に伺ったが判らないとのことだった。

一般的に穴のあいた石を供えるのは眼に関することだとは思うのだが・・・はて知る術なしであります。

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旧140号沿いの「赤城神社」の境内に「左ちちぶ道と彫られた庚申塔」がある(15:26/10.3km)。

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大麻生の中郷で大里幹線用水路に沿って大麻生駅の方へ向かって小路へ入った。

右手に「旧駒形神社跡」があり、そこに地蔵尊がおわした(15:35/11.5km)。

かつて「大麻生洞木」と称す空洞化した巨大な欅があり伝承では日本武尊が駒を繋いだ等の説明が記されていた。

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左へ曲がれば大麻生駅となる橋のたもとに二基の石標らしきものがあった。

一つは何が刻まれていたかは解らないが、もう一つは「左よりい道」と読める。

よりい道イコールちちぶ道? まあこの小路が古道には違いなさそうなのでこのまま進みませう。

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六地蔵尊等眺めながら進むと旧140号沿いの「大榮神社」の前に出ました(15:53/12.5km)。

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社の裏手に見える御神木の欅が見事でありました。

 

それにしてもちっとも距離が伸びないのであります。雨もポチポチ降り始めて参りました。 

つづく