◆北本から桶川へ
北本の「東間浅間神社」(11:00/26.4km右)。6/30から2日間行われる大祭の準備中のようであった。
邪魔になりそうなので道路からパチリだけして退散。
「多聞寺」(11:12/27.4km)。「天然記念物の無患子の大木」が見事なものだった。
隣の「本宿天神社」からお囃子の音が流れていた。
北本宿囃子連の獅子舞は有名らしい。機会があれば一度観てみたいものであります。
「観音堂」(11:30/28.1km右)を通り過ぎ、暫く走ればいよいよ「桶川宿」の始まり(11:43/31.3km)。
◆桶川宿を行ったり来たり
桶川で観たいものは主に二つあった。一つは桶川臙脂と呼ばれた紅の原料となる「紅花」。
そしてもう一つは「女郎買い地蔵」である。この地蔵さまは「大雲寺」におわすらしい。
それ以外にも色々あるので順番に観て行きませう。
先ずは桶川北小学校にある「松山道 道標(天保七)」(11:53/31.5km右)。
「松山 いなり道 (まる印に魚) 本小田原町」と刻まれている。本小田原町は日本橋の魚市場があった所。
この市場の人が、東松山の箭弓稲荷神社参りの講を組織して標としたのがこれとの説明があった。
「大雲寺」 (11:58/32.0km右)。さて、地蔵さまはいずこにおわす?
いたいた。三体の地蔵のうち、とんでもない地蔵さまが一体おわすのであります。
伝説では、夜な夜な宿内の女郎を買いに出掛けるので、住職がその背中にかすがいを打ち込み鎖で縛ったのだとか。
真ん中の地蔵さまが怪しいと踏んだが、調べると濡れ衣でありました。
裏に回って背中を見ると犯人女郎買い地蔵は右端の地蔵でありました。
鎖は無かったので、今度夜遊びする時は後学の為に誘ってくださいねとお願いしておいた。
中山道に戻って「上の木戸跡」(12:04/32.3km左)、「本陣遺構」(12:14/32.8km左)を眺めつつ進む。
途中に一里塚跡があるはずなのだが・・・結局この後3回往復したが、とんと判らなかった。
趣のある建物を眺めながら進むと「桶川町道路元標」(12:18/33.0km)があった。
歴史を感じるなぁ・・・
「下の木戸跡」(12:23/33.3km左)に来てしまった。観光案内では他にも見所あるはずなのに・・・
もう一度、戻って観光案内板を見ると、境橋の石柱や棟瓦の鍾馗様、庚申様などがあり是非パチリしたい。
鍾馗様は上尾宿だとばかり思っていたが桶川宿にもおわすのですな。
下の木戸跡の手前を左にちょっと入ったところで「庚申様」(12:36/35.1km)を見つけた。
鍾馗様が見つからずに中山道を行ったり来たりする。
あっ!民家の屋根にちんまりと乗ったあの影は・・・ようやく「鍾馗様」にお会いできました(12:44/35.6km)。
残るは、境橋の石柱だが・・・先に上尾宿まで行った帰りに探すことに致しませう。
つづく
私もやはり真ん中のお地蔵さんが遊び人っぽいと思いましたがお地蔵様も
見かけで判断してはいけませんね。
いけないお地蔵様は青面金剛様に踏みつけてもらいましょう。
言い伝えの真相は、女郎買いを見咎められた坊主頭な誰かが、あれは地蔵が自分に化けたのだとか、地蔵のせいにしたのかもですな。
青面金剛が手に持つ羂索で縛ってもらうのも癖になる・・じゃなくて良いかもです。
今度夜遊びに行く時には私も誘ってくださいな~
旧道沿いは良い感じの建物がありますね。
写真の旅館は現役のようですね。
拙が坊主頭のかつらを被って御誘いしましょうかな、伊勢崎辺りに^^。
でも寄居か桐生で鮎と昼遊びというのもいいですね。
この旅館は明治に山岡鉄舟も宿泊したりした江戸から続く旅館だとか。