漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

鍾馗さまと紅花を観に行く (北本 桶川 上尾宿) 1

2011-06-22 07:00:00 | 中山道 野次馬道中記

土曜の夜更けの丑三つ時少し前に豚足を題材に思索に耽っていると携帯電話が光った。

身から出た錆ではあるが、仕事を終えて押切橋を渡る頃には空が白んでいた。

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この日曜は本気で峠攻め(水探しのことです)をしようと予定していたのだが・・・こんな日は無理は禁物であります。

一旦床に着いたものの、悲しいかな通常の起床時間に眼が覚めてしまうともう眠ることが出来ない。

折角の休日なので中山道道中のポテリングに出掛けることにしたのは9時前のことでした。

 

◆前回行った鴻巣宿まで迷わず中山道を辿る

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石原の「忍領石標」(9:07/3.9km左)、熊谷の誇る百貨店である八木橋前の「旧中山道跡」(9:17/6.7km左)をパチリ!

石原の「ケヤキの一里塚(左)」を忘れてしまったことに気付いた・・・ちょっとボケてるみたい。

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近くの「熊谷市道路元標(左)」をパチリする側を、佳い香りをさせた綺麗な女性達がぞくぞくと八木橋に吸い込まれていった。

八丁の一里塚跡を通過する(9:25/8.4km左)。

寝不足が結構心臓に堪えるみたい・・・もはや若くはないことを実感するのであります。

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久下神社の前で「久下村道路元標」を見つけた(9:34/11.3km左)。

久下一丁目と二丁目の境にある「堤下の一里塚跡」を堤の上からパチリ(9:38/12.7km左)。

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「荊原権八延命地蔵」(9:43/14.0km右)、「前砂村の池田英泉が吹上富士を描いた地」(9:53/17.5km右)を順調?に進む。

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苗木と書かれたバス停の側で、ちょっと奥に祠の載った塚のようなものが見えた(9:58/18.3km左)。

自転車を停め行ってみると、おわすは「一つの石に横3列縦2列に彫られた六地蔵」。

近所の方に伺うと徳川初期の頃の古いものと言われているらしい。

道路右手には「青面金剛像(正徳二)」が置かれていた。

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「箕田の追分」にある地蔵堂(10:06/18.5km右)。近所では「いぼ地蔵」と呼ばれていると伺った。

「庚申塔(享和三)」は風化が進み、既に年号が読みにくくなっている。

隣接する物置の裏には無造作に「武蔵國 箕田郷と刻まれた石標」が転がっていた。こりゃ通りから見えませんわ。

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暫く進むとJA直売所と歯医者の間に、草に隠れ気味な「小さな石標」のようなものがあった(10:14/19.6km右)。

正面に彫られた菩薩像?は風化進んでいるが、側面に彫られた「まつ山二り ひきへ四り」の文字はよく見えた。

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「箕田観音堂」に寄り道(10:25/20.4km)。渡辺綱が開祖であり馬頭観音が祀られているらしい。

観音は、源なにがし(漢字変換出なかったので省略)が戦の折に兜に頂いた一寸八分の尊像と説明にあった。

境内には「敷石供養塔などの石仏群」があった。

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鴻神社に着(10:43/22.8km)。卵を模した御守りが面白い。

中山道沿いの要所だけ押さえてきたつもりだが、結構時間を喰っちゃったな。

さて、これからが前回からの続きの区間となる。時間足りるかしらね。

  

つづく