ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

原作読書:セオデンの癒し

2005年06月20日 | 指輪物語&トールキン
原作はセオデンが癒され、角笛城に到着したところまで行きました。
セオデンがガンダルフに癒される場面、原作の「二つの塔」ではベスト3に入る好きな場面なんですよね。初読時からとても印象的でした。
黄金館を出て、広がるローハンの平原を眺める、その情景描写の美しさにまず惚れ惚れしてしまいます。美しいローハンの平原の光景と共に、セオデンの心から闇が去る様が見事に表現されていると思います。
そして、「ここはそう暗くはない」というセオデンの気持ちにもどこかシンクロするものがあったりするのでしょうか。とにかくセオデンの癒しの場面はとても好きです。
そんな風に思い入れがあったものですから、映画で「ガンダルフがサルマンに取り憑かれたセオデンを救う」というなんだかマンガチックな展開になってしまったのがどうにも解せなくて、ずっと怒ってましたね(汗)
今回原作を読み直してみて、ガンダルフがグリマを脅す?場面なんか、そのまんま映像にしたらかなりマンガチックだったなあ、と思いました(汗)映画の「ガンダルフの悪魔祓い」といい勝負かも(汗)
でもやっぱり、セオデンには魔法で助けてもらうんじゃなくて、自分から目覚めて欲しかったなあと思います。
だいたい、原作ではセオデン、映画みたいにわけわかなんなくなるまでボケてはいませんよねえ(汗)あのよぼよぼセオデンの画像を初めて見た時も「やりすぎ・・・」と思いましたが・・・
ただ、映画のセオデンの、とりあえず助けてもらったけどその後もずっと苦悩し続ける、という設定も悪くはないなあと思います。
原作のセオデンは、エオウィンやデネソールと違い、ガンダルフに癒されただけであっさりと心の闇を抜け出してしまいます。特にデネソールと比べて、あっさり抜け出しすぎているような気もします。これは何度か読んでいて思うようになったことなのですが。
デネソールはパランティアで直接サウロンと接触していたのですから、より心の闇も深かったのでしょう。それに、セオデンよりもより高貴な存在で、より誇り高かった故に救われなかった、とも考えられると思います。
映画の苦悩し続けるセオデンは、原作よりもよりデネソールに近い、対比され得る存在になっているようにも思えるんですよね。もっとも、デネソールが原作どおりでなかったので、むしろセオデンに比べて落とされる存在になってしまったのが「ありゃりゃ」でしたが・・・(汗)映画のセオデンと原作のデネソールくらいで丁度いいかも!?
と言っても、原作のセオデンももちろんとても好きなんですが。って、次回のキャラ語りのネタがなくなってしまうような気がするので(笑)この辺にしときます。
原作のエオウィン、まだ出番は少しですがカッコイイです。鎖帷子を着て剣を捧げ持って見送る姿なんて、カッコイイ! 映画のエオウィンてやっぱり随分女らしいよなあ、と思いました。こういう凛々しいエオウィンも見てみたかったです。映画の、汚れた顔で戦うエオウィンも好きですけど。
それから、ヘルム峡谷に向かうことになるくだりを読んでいて、やはり映画に疑問・・・アイゼンガルドから敵がやってくるというのに、なんでわざわざアイゼンガルドの近くに避難するんだ??? 西の谷からエドラスまでせっかく逃げてきたのにまたヘルム峡谷に避難させるのってとっても変・・・
映画でも馬鍬砦はエドラスから近いようなので、なんで馬鍬砦に避難させなかったのか全くもって謎です。どう見ても馬鍬砦の方が守りやすそうだし・・・
いや、映画ではヘルム峡谷に避難するのセオデンの失策みたいに言われていたのがずっと不満でしたが、こう考えると確かに失策は失策かも・・・(笑)誰か指摘してやれよ!
やっぱり原作を改変すると色々と矛盾が出てくるなあと思いました。
そうそう、前に指輪サイトでやった「映画に出て来て欲しかった登場人物」アンケートにエルケンブランドを入れ忘れたことに気がつかました・・・(汗)入れたらどの程度票が入ったでしょうか。
エルケンブランドも、グロールフィンデルと同じように出番を奪われた人ですよね(汗)
なんか映画との比較でばっかり読んでいるなあ、今回(汗)まあ映画が終わってから初めて読むから仕方ないかな。
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