ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

映画のサムが西へ行かないと思う理由

2004年03月23日 | 旧指輪日記
映画の中では「サムも西へ行く番が来る」ということは言われていません。フロドたちが乗った船も「最後のエルフの船」らしいし。そして、サムは、原作では、フロドのとの辛い別れを家族に癒されているような感じを受けるのですが、映画では、フロドとの辛い別れをふっきって家族との幸せな暮らしに戻って行く、という感じを受けます。でも、最大の理由は実はサムではなくフロドにあったりします。大分前、リンクさせていただいている「躍る小兎亭」さんで、サムが西へ渡った理由について「フロドの呪縛だったのではないか」という説が書かれていました。ホビット庄での暮らしで満ち足りていて、一時期指輪を持ったとは言え、ほとんど指輪に蝕まれてないはずのサムが、なぜ西へ行く必要があったのか。それはフロドの最後の言葉のせいなのではないか、という説だったのですが、それを読んで、ああ、サムが西へ行くことは実はフロドの望みだったのか、と思ってかなりショックでした。素朴なサムは、きっとフロドがいなくても生きていけたのだと思います。サムを必要としていたのはむしろフロドだったのではないでしょうか。だからサムは、自分が癒されるためではなく、フロドのために旅立って行ったのではないでしょうか・・・映画では、指輪棄却後のフロドからは喪失感、虚脱感よりも「達成感」を感じます。指輪を棄てた直後も、むしろサムを励ますフロドです。そして、灰色港でのフロドの笑顔。映画のフロドは、本当に心からサムの幸せを願っていて、自分のために故郷を捨てて来て欲しいなんてことは決して思わないだろうと思えます。原作のフロドももちろんサムの幸せを願っていると思うのですが、それでもサムに来て欲しいと願わずにいられない程に辛いのだなあ、なんて思ってしまいました。でも、むしろ映画のフロドの方が悲しく思えたりもします。映画のフロドは、最初からあまりにも素直で優しい子でした。純粋で心優しいフロドが傷つき、苦しみ、使命を達成した後は、残された故郷と仲間たちのことを祝福して自分は去って行く・・・原作のように自分のワガママ?を漏らしてしまわずに、物分り良く去って行くフロド、そしてサムとは再会できないかもしれないフロド。映画の灰色港は、原作よりも悲壮感がなく、救われるような気持ちがしていたのですが、実は原作よりも辛いかもしれない・・・そんな風に最近は思っています。
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