ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

14回目のLOTR鑑賞

2002年08月23日 | 旧指輪日記

三軒茶屋シネマで14回目のLOTR鑑賞。前の方の席に座ったら、さすがに近すぎて、首は痛いわ、見にくいわで、ちょっと大変でした3時間(笑)まあ、「大画面」の迫力だけは味わえたかな、と(笑)
ハマってない人には10回以上も同じ映画を見に行くということは信じられないことのようですが、この映画に関しては何回も見に行くことで新たに発見することがたくさんあったりするので、止まらなくなってしまうんですよね・・・まあ、これで見納めだと思いますが・・・
私にとって、この映画を10回以上見たことでの一番の収穫は、原作を知っているが故の先入観をようやく捨てることができたというか、原作と違う部分の良さを理解することができたこと、かもしれません。
たとえば、最初に見た時は、最後のサムがフロドを追って湖に入るシーンも、原作の方がインパクトがあったので、あまり感動できなかったものでした。(「フロドの旦那! 今行きますだよ!」ボッチャーン、の印象が強烈でしたから・・・)何度も見るうちに、あのシーン自体の良さがわかるようになりましたが。
最後まで原作との違いで納得できなかったのが、フロドがモルドールに一人で旅立つことを皆が知っていて、それでも行かせてしまう、という点でした。
原作では、知らないうちに行ってしまったからこそ一人で(サムも一緒ですが)行けたのであって、もし他の仲間たちが知っていたら、絶対に追いかけていたはずだ、というのがあったもので、この部分がどうしても納得行かなかったんです。
が、ここ数回見ているうちに、この部分の変更の意図が伝わって来た気がします。
フロドは、裂け谷に着いた時点ですでに帰りたがっています。でも、エルロンドの会議で自分がやらなければと決意して、自ら「僕が行きます」と名乗り出ます。
この時点で、フロドは自分一人で行かなければならないことを覚悟していたはずです。けれど、ガンダルフが、アラゴルンが、レゴラスとギムリが自ら一緒に行くと名乗り出てくれます。そしてサムも、メリーとピピンも。(あ、ボロミアもか(汗))
皆が名乗り出るこのシーン、フロドが深く感動していることが表情から分かります。特に、メリーとピピンが名乗り出た時の表情がいいんですよね。泣き笑いのような、「君たちまで来てくれるのか」みたいな表情で。
原作では、旅の仲間は、ホビットたち以外は会議で選ばれたことになっていました。それを全員が自らの意思で名乗り出たことに変更したことによって、映画ではフロドにとって旅の仲間たちの存在が大きな心の支えになっていることにしたのだと思います。
最近になって、そんな風に仲間たちを心の支えにしていたフロドなのだから、誰も知らないうちにひっそり旅立つよりも、最後に仲間たちに別れを告げて、見送られながら旅立った方が救われたのでは、と思うようになりました。
アラゴルンの「君と一緒に最後まで行きたかった」という言葉も、何も言わずに分かってくれて「行け」と言ってくれたメリーも、そして「ダメだ」と言って飛び出してしまったピピンも、きっとそのフロドを想う気持ちで勇気を与えてくれたのではないでしょうか。そう思ったら、この映画の設定もいいなあ、とようやく思えるようになったんです。
仲間たちに見送られ、ガンダルフの言葉を思い出して舟に飛び乗るフロド。そこを追ってくるサム・・・。いい終わり方ですよね、なんて今さら思ったりして。
しかし、こういうことは2.3回観ただけではわからなかっただろうなあ、と思うに、すごい映画だなあ、と思いますね・・・
そして、映画前に1回読んでいただけなのに、ここまで先入観を植え付けられてしまうとは。やはり映画を観る前に原作を読むのはやめた方が良いなあ、と思いました。私の場合は・・・。(「指輪」はもう読んでいたから仕方ないんですが)
さて、DVD発売まで1ヶ月半。もうそのくらいは見ないで我慢していられそうです。と行っても、どこかでやってたら観に行っちゃいそうですがね(汗)
コメント
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