劇団「自民党」の政治屋による政治資金の不正。
これがバレて大臣や政務官らの更迭が相次ぐ。
ところが戦国時代も同じことがあったらしい。
とりわけ豊臣秀吉は、失態を晒した武将の更迭。
失態で職務の更迭は、たびたびだったようだ。
webでは、以下の3人を取り上げて記事・話題になっていた。
1人目は、木村吉清(?〜1598)。
明智光秀に仕えていたが、光秀の死後は豊臣秀吉に従った。
天正18年(1490)、小田原(神奈川県小田原市)の北条氏が滅亡。
すると、秀吉は引き続き奥州仕置を行った。
その直後に吉清は、旧大崎・葛西領から約30万石を与えられた。
そして登米城(寺池城とも。宮城県登米市)に本拠を定めた。
ところが奥州には、秀吉の刀狩や検地に反対する勢力がいた。
また吉清の家臣は、領内で濫妨狼藉を働いていた。
そうした不満が爆発し、ついに葛西大崎一揆が勃発。
吉清は、子の清久と一揆勢に対峙したが手に負えなかった。
やがて蒲生氏郷の軍勢が応援に駆け付け、この一揆は鎮圧。
だが吉清と清久は、改易されたのである。
改易とは、江戸時代の士人に対する刑の一つ。
罪により領地、家祿、屋敷などを没収し平民とする。
蟄居(ちっきょ)より重く、切腹より軽いらしい。
所領や所職等を取り上げることらしい。
二人は改易後、蒲生氏郷に仕え最終的に秀吉に帰参したとか(続く)。