函館発「団塊オヤジの独り言」

団塊世代の心意気をブログから情報発信。
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江戸時代の更迭(その1)

2024年02月19日 05時58分50秒 | 政治

劇団「自民党」の政治屋による政治資金の不正。

これがバレて大臣や政務官らの更迭が相次ぐ。

ところが戦国時代も同じことがあったらしい。

とりわけ豊臣秀吉は、失態を晒した武将の更迭。

失態で職務の更迭は、たびたびだったようだ。

webでは、以下の3人を取り上げて記事・話題になっていた。

1人目は、木村吉清(?〜1598)

明智光秀に仕えていたが、光秀の死後は豊臣秀吉に従った。

天正18(1490)、小田原(神奈川県小田原市)の北条氏が滅亡。

すると、秀吉は引き続き奥州仕置を行った。

その直後に吉清は、旧大崎・葛西領から約30万石を与えられた。

そして登米城(寺池城とも。宮城県登米市)に本拠を定めた。

ところが奥州には、秀吉の刀狩や検地に反対する勢力がいた。

また吉清の家臣は、領内で濫妨狼藉を働いていた。

そうした不満が爆発し、ついに葛西大崎一揆が勃発。

吉清は、子の清久と一揆勢に対峙したが手に負えなかった。

やがて蒲生氏郷の軍勢が応援に駆け付け、この一揆は鎮圧。

だが吉清と清久は、改易されたのである。

改易とは、江戸時代の士人に対する刑の一つ。

罪により領地、家祿、屋敷などを没収し平民とする。

蟄居(ちっきょ)より重く、切腹より軽いらしい。

所領や所職等を取り上げることらしい。

二人は改易後、蒲生氏郷に仕え最終的に秀吉に帰参したとか(続く)。


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