光合成を行える植物は別として、人も動物も誰もかれも生きている限り何かを食べなければならない。
しかも生きている何らかの命を食することで、生物はその命を繋いでいくことができる。
米・魚・野菜・果実・肉・・・もともとそれらどれもが、誰かに食べられるために生まれてきたわけではなくて(長い長い歴史の中で人が食べるために育てたり増やしたり変化させたりしてきた命はあるけれど)人が「食物」として位置づけてきた気がする「命」の数々。
だからこそ私たちは食べ物を前にして「命を頂きます」と謙虚に手を合わせる。
食べ物に対して、命を繋ぐということを日々意識しているわけではないけれど、何かの時にふと心に浮かぶこうした習慣や意識を大切に忘れないで生きてゆきたいと思う。
で、先日の池さん本店の会。農業関係の会。
食材や食べるということに真摯に向き合う人たちが集まった会。
講演は大ちゃんの「池さんのことや老いや死についての話」
「農業と介護」、異質な気がするかもしれないけれど実は考え方の原点はとても良く似ている。
重なり合う想いを感じつつ、出会った人たちも大切に想える縁を感じる人たちばかり。
私たちが池さんを始めた頃、時期を同じくして有機農業に取りくんだ人たちや、みかちゃんを通じて知り合った人たちや池さんを応援してくれている方々ばかり。
講演の後は「池さんのごはん」の時間。
ほとんどが知産知消。
池さんに頂いたお野菜やお肉、果物でいつもの池さんのご飯。
切干大根・高菜・大根・かぼちゃ・文旦・黒豆・チシャや新玉ネギ・・・いつも頂く季節のお野菜がテーブルに並び放題。
恒例のテーブルバイキングで、お子様含む合計36人の胃袋満杯。
残菜ゼロ。
「大切に丁寧に作ったお野菜たちを、食べる人たちの事を想いながら手間暇かけて料理して、想いを込めて食卓に並べる」私が大事に想う料理のあり方。池さんのご飯の原点。
命あるものを食さなければ生きてゆけないのが人間だとしたら、食さなければならない命に対して、その命がよりよくあるべくよりよく働くべく、命自体の持つ力を最大限に頂くことを考えてみたいと思う。
農薬や化学に頼らず自然が本来持っている力を大切にした農業の方法を選んだ人たちと、薬や医療を過信することなく人が生きる力を信じて老いや死を受け止める介護のあり方は重なり合う部分を多く持つ。
食は命に直結している。
人の命も、野菜の命も、ものの命も、この世の中のすべての命は、「よりよくある」ことを願っている。
よりよくあるために、よりよく生きるために、今日も一生懸命ご飯づくりに精を出したいと思う。
美味しいご飯を届けたいと思う。
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