池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

こころの世界

2024-05-19 22:21:26 | デイサービス池さん

複雑な「こころ」の世界 という題名の宗教学者の人のコラム

河合隼雄さんのことが語られていたので心に残っていた。

コラムの内容は、複雑な「こころ」の世界を「可視化」しようとするかのような言葉の増加を憂いている。

例えば「やばい」という言葉は、①あぶない・②まずいという意味のほかに、③すばらしいという意味もあって、21世紀になって広まった言い方という解説までついて、意味は反転・逆転して使われるようになっている。

「やばい」という一言で、複雑な「こころ」を言い表そうとしていると。

2004年に開催された国際アルツハイマー病協会の国際会議で故河合隼雄さんが特別講演の中で

「患者は物語をもって病院へ行き、診断名だけをもらって帰る」と語ったそうだ。

ここで批判的に語られたのが、「可視化」された病名だ。

病名をつけるだけで、診断名を下すだけで、機械的で画一的な治療に流れる危険性が生じる。

・・・

患者も年寄りも、それぞれが様々で唯一無二の物語の人生を生きている。

だれも、その人生の中の大切な「こころ」を知る由もない。

その独自の人生を、疾患のみによって判断され、治療の対象者としてしか見られない、そんな簡単なものであるはずがない。

その「こころ」のありかとゆくえは、簡単に他の人に想像できるものではないだろう。

全てを可視化しようとすると、複雑なこころは、曖昧な解釈にたどり着いてしまうに違いない。

病気の診断を下すことと、適切な治療を行うことと、物語を生きる人を続ける「人」を知ろうとすること、その人の生きる物語の先を想像することは、決して無関係ではないはず。

人のこころは複雑。

決して簡単に可視化できるものではないと思う。

「やばい」という簡単で薄っぺらな言葉にできるはずもない。

そんなふうに感じたこのコラム。

人を人として考えてない場所があったり、どうでもいい扱いされた人がいたり、ただの利用者でしかなかったり、訳の分からん年寄り扱いだったり、そんな場面に遭遇することがいっぱいで、心が痛くなることが多い。

人のこころは複雑だし、短い言葉になんかならないはずなのに。

でも、簡単な言葉に置き換えて、数値だけにこだわって、効率だけを追いかけて、機械のように介護する、そんなもんじゃないはず・・・なのに、現実は、そんな方向へと向かっている。

5月ももうすぐ終わる。

楽しみにしていたサクランボは、気候のせいか今年全滅。

麦の借り入れのコンバインの音が毎日聞こえ、目の前の麦秋は田植えの準備に変わっていく。

温暖化の影響か、昔とは違うけれど、季節の変化は、それでも変わらずにやってくる。

どんな時も。

 

 

 

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