「どんな人生を送ってきたのだろう。若い頃、どんなふうに生きていたのだろう。」と思うことがたびたびある。
1人のおばあさんがいる。
身体が不自由なおばあさんは、自分のことを「こんな不具者」と小さくなって生きている。
デイを利用し始めた頃は、遠慮して遠慮して、大きな声で笑うこともなく、いつもひっそりとほほ笑むだけだった。
いつもバカな冗談ばかり言っているスタッフを前に、「こんなことを言っても誰も怒らんのん?」と不思議そうな顔で聞いたおばあさん。
「だ~れも怒ったりせんよ」と答えると、「ええねえ。みんな仲良くて」とやっぱりほほ笑むだけだったおばあさん。
しばらく時間が過ぎた頃、おばあさんがある日大きな声で、「ウハッ!ウハッ!ウハッ!」と大きな声で笑った。ハッハッハでもなく、ガッハッハでもなく・・・ウハッウハッウハッと。
私はその笑いの壺をしっかり理解したので、次の利用日から、同じようにやってみた。
おばあさんは、そのたびいつも大きな声で笑ってくれた。ウハッウハッウハッと。
「こんなことを言うてもかまわんのん?」と聞くおばあさん。
おばあさんは若い頃、農作業中に機械で事故にあったため身体が不自由になった。
小さな身体には大きな傷跡がはっきりと残っている。
お風呂に入るのもトイレに行くのも、全てに手助けが必要な上に、おばあさんは年をとり自分の事を自分でできなくなってしまったのだ。
おばあさんは、ひっそりと生きている。自らのことを不具者と呼び、自らで自らを傷つけながら。
不自由な身体は、どれほどの大きな事故だったかを今でも物語っている。そして昔の医療のすさまじさをはっきりと示しているのだ。
どんな暮らしをしてきたのだろう。リハビリなどなかった時代。
どんな生活をしてきたのだろう。不自由な身体で。
だから、私はいつもお風呂で念入りに背中を流し、不自由な右手をゆっくりと(洗身タオルではなく)手で洗ってあげる。
「もうええ。もうええ。申し訳ないけん。もうやめて」と必ずおばあさんは私に言う。
でも「背中を洗いたいんよ。洗わしてね。」と私は必ずおばあさんに言う。
「こんな私に優しくしてくれてありがとう」とおばあさんはいつも涙を浮かべてくれる。
「ここはほんとにええとこじゃねえ。皆が仲良しで、ええ人ばっかりじゃねえ。」とおばあさんは言ってくれる。
だから私は、おばあさんの笑いの壺に突っ込みを入れて、おばあさんに笑ってもらうのだ。
おばあさんは今日も一杯笑ってくれた。
ウハッウハッウハッと。
ひきつるような笑い声で。
おばあさんを家に送っていく。
気分転換に、近くの神社の早咲きの梅を見てから送っていく。
おばあさんの部屋の戸には、こんなでっかい紙が貼ってある。「戸をしめる」
おばあさんは度々戸を閉め忘れるらしい。
身体が不自由でズボンが上げにくいので、おばあさんは冬なのに下着とパンツだけで過ごすことが多い。
おばあさんは、いつも一人でご飯を食べる。自分の部屋で椅子にも座らず立ったままで。
お茶の用意をしに台所へ行って、おばあさんの部屋にコップを持って入った時・・・私の目に映ったのは、おばあさんが立ったままで、手づかみでご飯を食べている姿だった。
私は見てはいけないものを見てしまったような、心をナイフで刺されるような気持ちになった。
何も言えなかった。何も。
「さようなら。またね。」と、ひきつった顔で言うのがやっとだった。
心が重い。
心が痛い。
周囲を気にせずに、大きな声で笑うことができるおばあさんが、息をひそめるように部屋で暮らしている事実は、余りにも心に重い。
どうやって生きてきたのだろう。
どうやって暮らしてきたのだろう。
想像しても想像しようとしても、私にはおばあさんの暮らしが想像できない。
涙を拭きながら、
それでも、おばあさんの人生を想っている私がいる。