池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

責任を負う

2006-04-26 22:49:26 | つぶやき
今日の愛媛新聞の記事「ヤンキー先生のきょういく論」
「親や教師は、子どもたちの○○に対して責任を持って向かい合わなければならない」この文の中の○○に何が入るか、という話。

教職課程の学生のうち、もっとも多くの支持を集めた意見が「人生」であったという。もっともらしい答えに見えるが、しかし、所詮誰かがかわりに全人生に責任を持てるほど人生は軽いものではない、とヤンキー先生は述べている。
大人が子ども達に対して持たなければならない最も重要で明確な責任は、「成長」に対する責任であるとみごとに言い切っている。(・・・同感!)

成長に対して大人には責任があるからこそ、優しさと甘えをすり替えたり、転ぶ前に杖をあたえるようなことをするべきではない、と。

子どもたちが変わってきている。それは世の中が変わったからという単純な理由だけではなく、親のありようや教師の姿が変わってきているからだと思うことがしばしばある。

生まれた子どもを、「社会で生きることができる一人前の人間」に育てていくことは、社会の文化や価値観がいかに変化しようと、古代から続く「大人」に与えられた使命である。その責任を放棄している大人たちのいかに多いことか・・・。

・・・とすれば、この善家先生の言葉は、親だけでなく、教師だけでもなく、社会に生きる全ての大人たちが心に刻まなければならない重い言葉であると思うのだ。

更に今の我が身に思いを寄せてみる。

善家先生のこの言葉を、「介護に携わる人たちは、介護される側の○○に責任を持たなければならない」と置き換えてみると・・・

もちろん「人生」などという大それた答えはあてはまらない。子どもではないから、「成長」でもないだろう。

私が思うのは・・・「暮らしの質」
残存している身体機能を維持したり、より身体的な状況がベターになるように、いろいろと援助すること、は確かに大切ではあるけれど、人間はそうした身体的なレベルでのみ判断されるべきものではない。
毎日の暮らしを、少しでも豊かなものにしていくという目的で、リハビリや訓練は行われるべきものであるといつも思っている。

年老いても、穏やかで笑いの絶えない心豊かな生活を送り、充実感に溢れた日々を過ごすことができるよう、私たちは援助するべきであると考えている。

名人の池さんでの一日が、笑顔いっぱいの素敵な一日になるように、今日も楽しい一日だったと思ってもらえるような、そんな責任の持ち方をして、向かい合って共に生きていきたいと思う。

もし、これを読んでくれているあなたが、同じ仕事に就いている人ならば、あなたは何と答えますか?





コメント
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