裁判官に毎日のように配点される新しい事件は「社会から出題される問題集」というのが私の持論である。
ただし、この問題集には、正解の頁は付いていない。
誰かが正解を知っているのではないかと聞きたくなってしまうのは、「正解志向」の人が陥りがちの誤りである。
そもそも、一件一件が違う裁判では、最初からの「正解」など存在しないのではないだろうか。
担当裁判官が独りで考えて、正解を見つけ出すしかないのである。
ただし、この問題集には、正解の頁は付いていない。
誰かが正解を知っているのではないかと聞きたくなってしまうのは、「正解志向」の人が陥りがちの誤りである。
そもそも、一件一件が違う裁判では、最初からの「正解」など存在しないのではないだろうか。
担当裁判官が独りで考えて、正解を見つけ出すしかないのである。