弁護士任官どどいつ集

弁護士から裁判官になった竹内浩史のどどいつ集

撮って「しもおか」 お見合い用も 馬車道辺りの 写真館

2011年05月31日 23時16分18秒 | 横浜
目下、全国の裁判官・検察官らが頭を悩ませているのが、顔写真をどこで撮ってもらうかだ。
数年ぶりに「司法大観」を刊行するとのことで、新しい写真を至急提出するよう求められている。
私は昼休みに馬車道まで写真館を探しに出掛けたが、無かった。あきらめて弁天通を帰る途中に見つけて、撮ってもらった。お見合い写真もいかがですかと言われた。
(写真)
馬車道にある「日本写真の開祖・写真師 下岡蓮杖」(しもおかれんじょう)の顕彰碑。上に乗っているのは昔のカメラ。

昼は暑いが 夜には寒く 悩むスーパー クールビズ

2011年05月30日 21時34分42秒 | 世相
今年は、クールビズが一ヶ月前倒しになったおかげで、今月からラウンドテーブル法廷にも上着を脱いで入っている。
来月からはスーパークールビズだとか。
それはいいのだが、こんな時間に上着を置いて帰るとまだ寒い。
(写真)
東京メトロ新御茶ノ水駅ホームの「二十四節気」から。
「処暑」は8月23日頃で、暑さがおさまるという意味なのだそうだ。
今年は節電しながら暑さにどう対処するか。先が思いやられる。

3冠2世が 4頭出馬 今日はダービー めでたいな

2011年05月29日 16時14分46秒 | スポーツ
今日の日本ダービーには、かつての3冠馬ディープインパクトの子が4頭も出走したそうだ。
やはり、そのうち1頭のオルフェーヴルが制し、皐月賞に続いて2冠馬となった。
雨中の不良馬場での決戦だったのは残念。
(写真)
気象庁のマスコット「はれるん」。
明日は天気になりますように。

妻は言うのか 脚本家にも 「私のことは 書かないで」

2011年05月28日 20時06分20秒 | 夫婦
朝日新聞に毎週連載の三谷幸喜「ありふれた生活」から。
今週は離婚に至った今の思いが書かれていた。
なぜこのエッセイに妻がほとんど登場しないのか、私も不思議に思っていたが、得心がいった。
(写真)
「国民の映画」上演を報じた神奈川県芸術劇場の情報紙。
私も大ファンなので、連休前に見に行った。

僕らも国税 払っているの 忘れてませんか? 主人様

2011年05月27日 21時52分17秒 | 世相
公僕には辛い仕打ちが続きそうだ。
(写真)
国立新美術館(本文と関係ありません)

千羽鶴より センイチバでも ハマの夜風が 身に染みる

2011年05月26日 21時33分40秒 | スポーツ
横浜○2-1●東北楽天(試合終了)
今年は1試合だけの横浜スタジアムでの東北楽天の公式戦。
しかし、田中の好投が報われず、寒さが身に染む夜だった。

梅田・足利・布川と「無期」が なんで生じたかを問う

2011年05月25日 19時57分12秒 | 判決どどいつ
昨日の水戸地裁土浦支部判決から。
戦後の事件で無期懲役から再審無罪となったのは、3件目なのだそうだ。
ある意味、既に4件あった死刑囚からの生還よりも、狭き門になっているかも知れない。
なんでこういった冤罪が生じたかを、反省する必要がある。
(写真)
映画「ショージとタカオ」のチラシ。
私は横浜の映画館で見た。

勝負は「慎重 かつ大胆に」 大事な大事な 御遺言

2011年05月24日 00時04分22秒 | テレビ
児玉清さん追悼どどいつ(完)

19日の朝日「天声人語」でも引用されていた名セリフを、胸に留めて生きて行きたい。

お医者嫌いも なぜ、かど取って 胃カメラ飲まない? 児玉さん

2011年05月23日 19時02分42秒 | テレビ
昨日の「アタック25」の児玉清さんの追悼番組は、なかなか見応えがあった。
中でも、石坂浩二さんの「どうして自分の胃がんは見ない」「僕たちで無理矢理にでも病院に連れて行って胃カメラを飲ませるべきだった」との涙ながらの言葉にはもらい泣きした。
そういえば児玉さんもかつて出演した「白い巨搭」の財前教授も、自分の癌には気付かず、手遅れになった。運命の皮肉が恨めしい。
(写真)
石坂さんも末永く番組を続けられますように。

アタックチャンスを 活かしたものの 2問お立ちで 終わるのか?

2011年05月22日 09時25分12秒 | テレビ
私の任官は、「アタック25」に例えると、アタックチャンスを活かしたようなものかも知れない。これより前でも後でもいけなかった。前だと弁護士会の推薦制度がなく、後だと厳しい指名諮問委員会が待っていたから、任官できたかどうか疑問だ。
しかし、憲法上の任期10年の9年目に入っても、左臀部の神経痛は癒えず、座るよりも立っている方が楽な時もあるくらいだ。昨年12月の発症から半年。これ以上長引くと、お手つきで2年お立ちのまま任期が終わってしまうかも知れない。
(写真)
児玉清さんの死去を1面トッブで報じたスポーツ紙もあった。やはり「アタック25」は代名詞だった。俳優として司会者を名演していたという説もある。今日は追悼番組が放映されるそうだ。

「父と長くは 生きられない」と 「龍馬伝」にも 身を重ね

2011年05月21日 12時38分25秒 | テレビ
児玉清さん追悼どどいつ(4)「龍馬伝」編
最近の児玉さんの演技で印象深いのは、昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」での龍馬の父のセリフ。
確か、当時としては高齢で龍馬をもうけたため、お前とは長く一緒に生きられないが…という内容だった。
児玉さんは、実生活では娘さんに胃がんで先立たれている。私が2002年4月に「アタック25」に出場させていただいた約2か月後のことだったと知った。その悲しみはいかばかりだったろう。
(写真)
今日は護国寺で葬儀。
「ファンの皆様」の受付もあったので焼香をさせていただいた。
天国でお嬢様と再会を果たされますように。合掌。

弁護士めざした 原点だった 「白い巨搭」の 児玉さん

2011年05月20日 08時59分17秒 | テレビ
児玉清さん追悼どどいつ(3)弁護士編
かつてのテレビドラマ「白い巨搭」で、田宮二郎の財前教授に果敢に法廷闘争を挑む、児玉さんが演じた弁護士に憧れて、私も弁護士になった。
(写真)
東大病院のクリアファイル。
各国語で「ありがとう」と書いてある。
大学病院のイメージも随分変わった。

児玉清が 上司であれば 検察不正も 無かろうに

2011年05月19日 00時02分08秒 | テレビ
児玉清さん追悼どどいつ(2)検察官編
ドラマ「HERO」から。

5年ルールで ご無沙汰をして 「ごめん」会えずに 児玉さん

2011年05月18日 00時24分11秒 | テレビ
児玉清さん追悼どどいつ(1)裁判官編
訃報に接して、申し訳ない気持ちになった。
私の任官時の公約に「裁判官としてテレビのクイズ番組に出る」というのがあった。任官する約1年前に弁護士として「アタック25」に出ていたので。
では、なぜ任官してすぐにチャレンジしなかったのかというと、この番組には「5年ルール」というのがあって、一度出ると5年間は再出場できないからだ。
そこで、任官して4年経った頃、番組携帯サイトから応募したのだが、何も音沙汰が無かったので、忙しさに紛れてそのままになってしまった。
「今度は裁判官として来ました」とご挨拶するのが夢だったのに、残念。
児玉さんの口癖で私が好きなのは、不正解の解答者に「ごめん」と謝ること。何も悪いことをしてないのに、人徳が偲ばれる。

ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
(写真)
出場記念写真(右端が私)

遅刻寸前! その意味わかる 「歩行者支援 信号」の

2011年05月17日 19時15分24秒 | その他
今朝は、京浜東北線が大幅に遅れ、危うく法廷に遅刻しそうになった。
関内駅から横浜地裁に向かう途中の横浜スタジアム前が、スクランブル交差点でかつ青信号だったおかげで間に合って、私の任官以来の法廷無遅刻記録(通勤電車が止まった日も含む。)が途切れずに済んだ。
(写真)
この交差点には「歩行者支援信号」と表示がしてあって、不思議に思っていたが、そういう意味かと一人合点した。
と思って調べたら、全然違った。
専用ステッカーを貼った白杖を持った視覚障害者が近付くと、センサーが感知してスピーカーで信号の色などの案内をする機能があるようだ。