今日の朝ドラ「虎に翼」から。
ヒロインが新設された東京家裁の特例判事補となった。これは、裁判官不足に対処するためだった。
今日の朝ドラ「虎に翼」から。
ヒロインが新設された東京家裁の特例判事補となった。これは、裁判官不足に対処するためだった。
内閣不信任案が衆議院で否決され、国会が閉幕した。
(参照条文)日本国憲法
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
(写真)三淵忠彦初代最高裁長官のWikipedia記事から抜粋。
結局、事務総長は、裁判官の身分を離れながら、裁判官である局長・課長・局付を配下に「俗的な人事行政」等に従事することになってしまった。
私の著書からの連載第5回が掲載された。
“裁判官の会議”は「見られたら、とても恥ずかしい」… 現職の敏腕判事の“勇気ある発言”を待ち受けていた「運命」とは(弁護士JPニュース)
https://www.ben54.jp/news/1258
私の著書の中では珍しく司法研修所だけは褒めた。実際に最高裁の下の「裁判をしない裁判官」の中で、最もよく働いているのは、研修所教官(司法修習生を指導する教官だけではなく、裁判官・書記官・調査官の研修を担当する教官もいる)と、最高裁調査官だと思う。
したがって、高裁長官→最高裁判事→最高裁長官と出世するのに適任な高官は、事務総長(在任中は裁判官ですらない)などよりも、まずは司法研修所長・裁判所職員総合研修所長及び最高裁首席調査官であろう。特に後者は、調査官として最高裁判決に関与して来たのだから、最高裁判事になってからも論客が多い。
しかし、現実の人事は必ずしもそうなっていない。事務総長(戸倉・今崎)・人事局長(安浪)及び法務省民事局長(深山)等の経験者が裁判官出身の最高裁判事6名の過半数を占めている。
今日の最高裁判決から。
破棄された東京高裁判決(木納敏和裁判長)に「喝!」だ。
(写真)尾島明裁判官の補足意見から抜粋
自身の精子で子らを産ませた父が、男だった当時に生まれた長子は認知ができるのに、女に性別変更した後に生まれた次子は認知できないなどという「行き別れ」の結論は、いかにもおかしいと思わなかったのだろうか。これでは、父を長子は相続できるのに、次子は相続できないことになる。新たな「非嫡出子」差別を生むようなものだ。
法律論以前に、非常識極まりないと思う。
女性カップルの子に「父子関係」、最高裁が認める 性別変更後に出生(朝日新聞デジタル)
https://www.asahi.com/articles/ASS6N26F1S6NUTIL00BM.html
前者が増えないことを逆手に取った新提案を思い付いた。
前年度の弁護士任官の採用人数を、当年度の訟務検事への派遣人数の上限とするのだ。
根拠は最高裁が標榜して来た裁判所の「公平らしさ」。
必死で弁護士任官者を増やそうとする事は請け合いだ。
私の著書は、出版が当初の予定よりも数か月遅れたため、執筆当時と認識が変わった点も少なくない。
特に、名古屋地裁豊橋支部をはじめとして、令状当番の際のホテル代を自己負担させられている地方の裁判官がおり、そのような理不尽な待遇に憤って依願退官した弁護士任官者さえ現れたと知ったことは、私にも衝撃的だった。不明を詫びたい。
(写真)あとがきの中で、裁判所は決して「ブラック官庁」ではないと断じてしまった点は、次の版では訂正しなければならないだろう。このような惨状は、知っていれば本文にも加筆すべきであった。
宿直の際のホテル代を自己負担させる官庁や民間企業が、他にあるとは到底思えない。非常識極まりないと思う。
権限さえあれば、人事院や労働基準監督署から厳しい指導を受けるのは必至であろう。
弁護士JPニュース連載4回目が掲載された。
https://www.ben54.jp/news/1239
このような地方の裁判官の待遇の惨状に、なぜ中央の「司法官僚」(最高裁事務総局)たちは全く対処しないのだろうか。
「裁判をする裁判官」(地家裁所長を除く)として地方に勤務した経験がほとんど無い人たちだから、このような酷い不払を知らなかった可能性もあるが、もしも知っていながら何とかしようとして来なかったのなら、司法行政官としても失格である。
裁判官の身分を持ちながら司法行政に専従している以上は「職務を甚だしく怠った」ものと言われても仕方がないだろう。
私が二十年余り前に弁護士任官してから認識を改めたのは、当時はよく新聞に掲載されていた「判決要旨」は、新聞記者ではなく、裁判官自身が作成しているということだった。
公害裁判のような長文の判決の場合は、原告弁護団員として裁判所から判決要旨を受け取った経験もあるので、そうであろうと知っていたが、それほど長いわけではないが報道対象になる判決についてもそうだとは思っていなかった。てっきり、記事を執筆する各紙の記者が掲載までのごく短時間で要約しているものと思い込んでいたのだ。冷静に考えてみれば、記者にそんな芸当ができる訳が無いのだが。
(写真)任官して最初に「判決要旨」を作成したのは、東京高裁で判決した、旧日本軍の爆雷が廃棄物処理中に爆発して工場ごと吹っ飛んだという裁判だったと記憶している。この事案で国家賠償を認める場合に、時効と除斥期間の起算点はいつになるのか。私たちは当然に爆発時であるとして請求を認容した。実は同様の事案が中国で起きた場合に熾烈に争われていたこともあって、報道された。
かなりの分量の判決書を完成させた後に短期間で「判決要旨」を作成するのは大変だった。そもそも、判決理由は多かれ少なかれ裁判官3名の妥協の産物なので、どの部分を要旨として抜粋するかで、意外に議論が紛糾するのだ。
最近は、裁判官にとって余計な仕事を増やすだけだと事務方が忖度しているのか、判決要旨の求めをなるべく記者にさせなくなったという。確かに、法律上の位置付けの無い文書を裁判所が「便宜供与」として出す事には、批判もあり得るところだ。
そこで、私は、判決文の中に「判決要旨」に当たる部分を取り込んではどうかと考えている。
その実践例が、遅まきながら、裁判所ホームページに掲載された。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=93020
この判決の21〜29頁当たりも、そのつもりで書いたもので、言渡しの際はその前後を全部読み上げた。
聞いていても分かりやすかったと、傍聴者の評判は上々だったと感じている。
他方で、名古屋高裁部総括になったのは、吉田彩判事。
(写真)名古屋地裁部総括を3年余り務めて「上席」となった後、富山地家裁所長を2年余り務めてきた。通例の昇進ルートと見ることができる。むしろ、所長として3年目に入り、地域手当の異動保障期間が切れて富山市の3%に下がってしまっていたので「お待たせし過ぎたかも知れません」。
横浜地裁民事第6部(交通集中部)では同じ右陪席としてご一緒した。
私が問題にしたいのは、このような「通例の昇進ルート」自体の是非である。高裁部総括は、原則的に地家裁所長を経ないとなれないポストと見られている。実際にも、地家裁所長経験なくして就任した高裁部総括は極めて少ない。
高裁部総括の定年退官に伴う後任人事となるので、地家裁部総括の定期異動に合わせるのは難しく、地家裁所長と同様に不定期人事と位置付けた方がやりやすいという事情はあろうが、例外はいくらでもあり得るのは昨日も具体的な事例を示したとおり。
現在の地家裁所長は、基本的には裁判を担当せずに、司法行政官として、最高裁事務総局からの上位下達を徹底させる仕事に成り下がっている。逆に最高裁に物を申したのは、最近亡くなった、日本裁判官ネットワーク創設メンバーの安原浩松山家裁所長がおそらく最後であろう。私はそのような仕事ならばやりたくない。
地家裁所長として最高裁の方針への従順さを確認されてからでないと、高裁部総括として高裁判決を出させないという仕組みになっているのではないか、とさえ思わされる。
しばらく空席になっていた仙台高裁民事部総括と名古屋高裁民事部総括のポストが、相次いで埋まった。
私も以前から希望ポストとして挙げて来たのだが、異動の打診は一切なかった。
特に前者は、実質的には在職死亡した小林久起裁判長の後任であるから、人事当局も予定していなかったはずだ。適任者を誰でも選ぶことが可能であった。
そこで、先月末に仙台高裁民事部総括となった倉澤守春判事(写真)と私の経歴等を比較してみよう。
竹内 倉澤
司法修習 39期 45期
誕生日 1962/10/29 1961/10/8
直前任地 津地裁部総括 相模原支部長
在任年数 3年2か月 0年11か月
これだけのデータからしても、かなり露骨な差別的人事と私には見えるのだが、いかがだろうか。
ちなみに、横浜地家裁相模原支部は、最も新しく設置された支部であるが、合議事件を行わないことになっているので、日弁連や地元市町村から問題視されている。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/228384
したがって、相模原支部長は合議事件の裁判長すら行っていない。
他方、津地裁の唯一の民事部総括である私は、本庁でしか担当しない行政事件や簡裁控訴事件を含めて、常時百件前後の合議事件の裁判長を3年以上も務めている。
その一事をもってしても、全件が合議事件である高裁の裁判長として、どちらが適任なのかは一目瞭然だと思うのだが。