きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

責任「野党」とは

2014-04-12 11:48:10 | Weblog
責任「野党」とは      (2014-04.12.)

政党には、与党と野党が有る、政権を執って国の政治を受け持つ政党を与党と言うが、そもそも国の政治とは、その国に留まって、安心安全で幸福な生活が保障される国に住んでいる事が、国民の理想とする所である。

「民主主義政党」と言うのもは、その国に住む国民皆が安心、安全、幸福度、を満喫して生活に浸る様な、政治を実行してくれる政党を言うのである。

しかし、近代人間社会となれば、住む人間の趣向も多様化し、其れに伴って変化する文化・文明等々の発展は、複雑多岐に及び、100%、国民に満足を与えられると言うわけには行かなくなる。

金持ちもあれば、貧乏人もいる、経営者もおれば、労働者もいる、女性もおれば、男性もいる、と言うわけで、少なくとも、生活の基本とも言われる、衣・食・住だけでも不満の無い生活が出来る事を、国の行政、政策として、各党は掲げている。だから、どの政党も其れ以外の政策の違いを出して、選挙を戦っている。

此処で、話を元に戻そう、与党と野党は、どの様に違うのかを考えてみることにする。

先日、民主党の海江田万里代表が訪米し、ワシントンで講演を行った、安倍政権が取り組む「集団的自衛権の行使容認問題で、海江田氏は講演の中で、憲法解釈の変更という方法に否定的な見解を示した。ところが、海江田氏と別に訪米した、同じ民主党の長島昭久元防衛副大臣は、行使容認には「党派を超えた支持がある」と言う考えを米議会関係者に伝えたという。

同じ党内で、党首と元党員との意見の違いは、頂けない見解だ。国内では政権批判や論争は幾ら違っても良いが、国を代表して訪米した野党党首の発言としてはお粗末と言わざるをえない。

他国へ行って発言する政党人は、少なくとも、国を代表した政党人として、一線を画した発言をわきまえるべきだと思う。 外交は、国益のためのもので、党益であってはならないと思う。
(えびなたろう)