きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

スポーツと暴力

2013-02-01 11:55:19 | Weblog
スポーツと暴力        (2013-02.01.)

スポーツの世界では、昔から、選手に“喝”を入れると言われ暴力とまでは言われなくとも、其れに近い苦行を強いられた物である。それが、五輪に向けた強化合宿で、暴力事案が相次いで表面化し、今朝の新聞にも大きく取り上げられている。

スポーツの世界では、幾ら選手がスゴ技を持っていても、その技の限界近くでは、選手の持つ“気力”“闘争心”“気概”等が思わぬ力を発揮するもので、監督もその辺を喚起するべく各選手に働きかける事は当然で、其れが行き過ぎると“暴力”でなくても選手から見れば“暴力”と受け取られてしまうし、監督から見れば、“愛のむち”と言いたいところではないでしょうか。

その行為が、“暴力”なのか、“愛のむち”なのかの違いは、選手と監督の気持ちが通じ合っているか、通じ合わず、むしろ憎しみに近くなると、その境が決壊して、選手と監督の間が反発しあう事態となる。

監督はその辺の気合を十分にわきまえてコントロールする事が必要であります。
其のためには、監督と選手は、将に切っても切れない相互信頼の関係が必要で、合宿強化練習も、寝食を共にして、練習するのもそのせいであります。

今回の選手は、国際的なアスリートで、まだスポーツの「ス」の字も解らない選手では無く、其の訓練方法に、なぜ“竹刀”での殴打や”暴言“が飛び出すのか、詳しい事情は分からないが行き過ぎの面もあったのかもしれない。特に相手は20代の女性であるから、監督はその辺も考慮出来る人材でなければ成らないのではないでしょうか。

今朝のテレビでも、監督はまだ30代だと言う事で、真面目そうな、仕事熱心な「イケメン」男性であるが、オリンピックの女性柔道選手の監督にはもう少し年配の方が良いのではないかと思います。

其れよりも、記者会見の席上に出て来たのは、その若い監督だけで、全柔連の関係者は誰一人出て居ないのが、如何も気にかかる。責任を全部若い監督一人に追わせ、全柔連の組織としての責任者は誰もでていないのが、今の日本全柔連の実態を象徴している様におもえる。
(えびなたろう)