きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

安全度合いによる決断が必要

2011-06-30 10:58:25 | Weblog
安全度合いによる決断が必要       (2011.06.30.)

事故についての安全度の判断は、当事者のリーダーとして一番苦慮するところだ。
機械を使って安全に仕事をこなして行くには、安全な機械の使い方を習得する必要がある。自動車学校へ行って免許証を取るにも、交通事故を起こさないために間違の無い手順で運転する事が教えられている。また、道路交通法にも運転者として心得なくてはならないことを習得する事が大切である。事故を起こさない最も安全な方法は、運転しない事である。昔自動車の無かった時代は、今日ほど交通事故は生じなかったが、従って、自動車が出来た当時は自動車は殺人機械扱いであったと言う。

原子力発電による安全性の問題で、世界は大きく揺れている。今までは現代の科学技術をもってすれば「安全である」と言う“神話”が通説になって居たからで、私も神話を信じていたのであるが、福島原発事故により、全世界の人が、神話の崩壊を認め安全度合に疑問を持つようになったからである。

「脱原発か」「原発稼働容認か」対立する議論の中では、現状の姿は、今まで原発に依存していた度合いから全廃する事も出来ないし、だからと言って今まで通りの稼働をさせる事も出来ないと言う状況に置かれている。
この様な状況の中で、九州佐賀県の「玄海原発の稼働に対し、古川知事と海江田万里経済産業相との話し合いで夏の電力不足に対応するために、「稼働する」事に意見が纏まったと言う事である。

古川知事は、県を預かる当事者リーダーとして夏の電力不足に県民の事を思えば、簡単に「脱原発」を主張出来ない立場にある。しかし原発は100%安全とは言えない事は十分わかっている。海江田経産相も十分わかっている中で話し合われた事は、両者の当事者リーダーとして尊重すべきことであったと思う。

「事故に対する責任」と言う面からだけで言へば、「脱原発」を叫んで停止している事が一番安全である。だけど最も無責任な事で、そこに住民の停電による苦悩を考えると、ある程度の危険性は抱えても、稼働に踏み切ると言う事は勇気のいる事である。事故の可能性はゼロではありません、若し事故になれば、当然、海江田経産相も古川知事も責任を覚悟の上です。

話し合いの中で、古川知事から「なぜ、浜岡原発は停止に決定したのか」の質問があったと言う事で、海江田氏は「太平洋に面しており、地震・津波・被害の大きさ等々から安全度合を考え、停止に踏み切った」と言う事で真に当を得た判断であると言うことであった。
(えびなたろう)