つれづれの記

日々の生活での印象

アシタバに春の香り

2010年04月19日 15時02分57秒 | 日記
4月19日(月) アシタバに春の香り



 先日、伊豆の伊東に実家がある、家内の知人が、アシタバを、トロ箱一杯に送って呉れた。仕事を兼ねて実家に行った時に、裏庭に、一面に自生している中から、一番採りで摘んでくれたようだ。紫がかった太い茎で、葉の色艶もよく、見事なものである。我が屋上庭園でも、物置の後ろで、プランターに植えてあるが、普段は、そんなに食べないが、背もあまり伸びていない。
 
  頂いた見事なアシタバ 

         
我が家のプランターのアシタバ 
 
 調べたら、アシタバは、セリ科の植物である。通常のセリ以上に、かなり癖のある臭いがあり、独特の味がするため、嫌いな人も多いだろう。今回、沢山頂いたアシタバ、料理法にも工夫がいる。茹でて、おひたし、で頂くのが一般的だが、臭いを弱めるため、ゴマ入りのドレッシングを掛けたり、ピーナッツバター和えにしたら、かなり食べやすくなった。勿論、他の春の山菜と同様に、天婦羅にして食べるのも格別。
 また、我が家の朝食で作る定番の、モヤシと玉子の巣篭もり(モヤシの巣に玉子の卵、という見立ての愛称。野菜入り目玉焼き)に、アシタバの葉先を入れ、蓋をして蒸し炒めにしたら、結構いけた。

  モヤシ・玉子+アシタバの葉入り巣篭もり(蒸し炒め前)

 アシタバは、伊豆諸島や、伊豆半島一帯等で自生しているが、日本原産という。 “夕べに摘んでも、明日には又芽が出る”、と言われる程に勢いが強いことから、明日葉、の名が付いたそうな。ネット情報によれば、健康食品として、アシタバの青汁などもあるようだ。又、アシタバの根は、救荒植物(飢饉などの時に食べるもの)でもあるという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大相撲 その3  これからの土俵

2010年04月18日 17時36分40秒 | 日記
4月18日(日) 大相撲 その3  これからの土俵


 大相撲について、本ブログでこれまで、以下のように、2回に亘って、
10/03/01 大相撲 その1 横綱の品格
10/04/10 大相撲 その2 最近の話題と競技の特長
所感を述べてきたが、今回は、その3として、今後への期待を記して、まとめとしたい。

○大相撲は、歌舞伎や能と並ぶ、伝統文化である、という意見もあるほど、日本の精神的風土に大きく関わっている、と言える。その例をあげれば、相撲用語から一般語化した、有用な言葉が多いことに気づく。
    同じ土俵  土俵際  四つに組む 
    寄り切り いなす うっちゃり 勇み足 押しが強い 白星 黒星
    水入り(水入らず) 仕切り直し 行司役 三役
    八百長 露払い
    横綱相撲
などである。
 日本には、伝統的な武芸や文化があり、それらは、○○道と、「道」という言葉が使われることが多い。
   武芸では  (道具) 剣道 弓道
           (素手) 柔道 合気道 相撲道
   文化では        書道 茶道 香道  などである。
 道の意味するところは、奥が深いと思われるが、技や作法だけでなく、その背景となる心を、精神面を強調する点であろう。相撲道という言葉だが、先のブログでも触れたように、心・技・体のバランスを重んじ、心では、勝負にこだわる前に、ルールを尊重する姿勢や、相手を大事にする心構えが重要となろう。礼に始まり礼に終わる、とも言われる。
 でも、道を、特別なものとして強調するのではなく、一般的な、マナーや、スポーツマンシップと同義語と考えていいのでは、と考える。どの競技やスポーツにも、マナーや、スポーツマンシップがあり、それらは、世界中、皆同じであろう。先ずルールを守り、相手に感謝し尊重する姿勢であり、相撲だけが特別ではないのだ。マナーとしては、選手の競技上のマナーは当然だが、選手の日常生活でのマナーがあり、更に、選手を指導する指導者のマナーもある。勿論、ファンとしてのマナーもある。

 わが国には、国歌、国旗、国花などがある。何時から言われるようになったかは知らないが、大相撲を、国技と呼んでいて、場所が開かれる中心、両国国技館の呼称は、まさにそうだ。国際大会ではないのに、千秋楽には、国歌が歌われる。国技などというと、右翼的な臭いも無いわけではなく、国技と呼ぶのが妥当か否かは、此処では問わない。いずれにしても、大相撲は、日本の風土に根ざし、文化的伝統をもつ、日本を代表するスポーツの一つ、と、素直に、思っていい。
 日本の大相撲は、アメリカの、野球のような位置づけだが、さらに、韓国やカナダでは、テコンドーや、アイスホッケーを、それぞれ、国の、National Sportsとして、正式に決めている、という。

○先の朝青龍事件は、相撲界全体の悪い体質が、氷山の一角として表面化したものか、たまたま彼一人が問題だったのか、と思い返す時、氷山の一角というより、彼が、大きく飛び出していた、と見える。今回、把瑠都関が、大関になったから言うわけではないが、彼のような力士が育っている、ということ自体が、相撲界の空気は、まだ健全である事を、証明しているように思う。
 でも、朝青龍関が居なくなったから、何の心配もない、ということにはならない。逆に、その穴を埋めるためにも、今後の大相撲人気を盛り上げる方策として、相撲の裾野を、国内的・国際的に広げる努力が重要だ。野球やサッカーでは、高校や大学レベルでの、目標となる大会があり、更に、プロへの道が開けているように、相撲でも、学生相撲との連携強化や、地方巡業の改善などがポイントとなろう。学生相撲出身では、以前は、輪島関や久島海関などが、現役では、琴光喜関等が、大相撲でも活躍した。新弟子として若手を採用することも重要であるが、通常の体格ではやりにくいスポーツ、という壁はあろうか。

 野球やサッカーは、チーム同士が勝負する、団体戦だが、大相撲は、あくまでも、個人戦が基本だ。このため、ファンも、個々の力士を応援する事となる。もう少し、団体戦的な要素を、取り入れることが出来ないだろうか。たとえば、部屋別対抗戦や、一門対抗戦、東西対抗戦、日本人対外国人対抗戦、などが考えられるのだがーー。
 国際化では、柔道が成功事例となろう。大相撲を、国際的に広げるには大変なハードルがあると思われるが、世界各地の相撲愛好者を集め、プロ・アマを分けない、世界選手権大会を、開催しても面白いのでは。ゆくゆくは、オリンピックの種目にもなれるだろうか。
 業界の構成は、各相撲部屋(この2月で52部屋)からなっており、部屋ごとに親方がいて、力士を、育成・鍛えるシステムがある。住んでいる足立区内に、玉の井部屋があり、たまに、北千住の駅前などで、浴衣姿の若い力士衆を見かけたりする。現玉の井親方である元大関栃東を、応援したものだ。残念ながら、横綱にはなれなかったがーーー。
 部屋の上には、一門があり、一門単位に理事を選んで、日本相撲協会が運営されているようだ。

 以下は、思いつきに過ぎないが、幾つかの提言等を述べてみたい。
 ・年寄り名について
  往年の名力士を、年寄り名で言われても、ピンと来ず、現役名に直して納得するケース が多い。年寄株の売買も、なんとなくすっきりしないし、年寄り名は、いっその事、止め てしまって、現役時の四股名で通したらどうか。年寄り名は部屋名にもなっており、、歴 史と伝統があるようだが、喩えは悪いが、あの世へ行って付けて貰う戒名が馴染めず、俗 名が分かりやすいのと似ている。歌舞伎や落語界での襲名と同じだろうか。
 ・協会の運営法について
  閉鎖的に見える、日本相撲協会の運営を、出来るだけガラス張りにする。このため、  理事会に外部の有識者やフアン代表を入れる、理事会の議事を公開する、などが有効だろ う。又、横綱審議会の権限を強化することも必要だ。
  一方、成績の評価や番付編成(給金)のルールや、取組みの決め方などを、より明確に し、予め公表しておくことも、有効であろう
 ・横綱、大関の扱い
  朝青龍事件の反省を踏まえ、横綱、大関については、部屋の親方だけでなく、協会とし ても、指導・監督する体制を作る。協会側は、横綱は横綱経験のある理事、大関は大関以 上の経験のある理事を、指導・監督者として指名し、親方との連帯責任とする。 
 ・ルールの改善等 
  立会いの改善については、常々言われて来た。だが、呼吸を合せるというが、実際の立 会いでは、往々にして、微妙な時間差がある場合が見受けられる。相手の出方を窺い、呼 吸を合わせるやり方より、軍配を少し大きくし、透明にして、両力士の間に入れて、行司 がサッと上に上げる、のが分かりやすいのだが、どうだろうか。スキーや競馬のスタート で、ゲートが開くのに似ている。
  土俵際の微妙な勝負の判定に付いては、現在の審判制は良く出来ている。行司の他に、 4人の審判が見ていて、物言いが出来、ビデオを参考に協議し判定するのはいいし、協議 結果を、場内放送で伝えるのも良い。
  行司は、華やかな衣装と声で、雰囲気を盛り上げる、重要な競技の演出係でもある。

○先の、朝青龍騒動だけでなく、最近の某親方の裁判沙汰は、悲しいニュースだし、先だっての、薬物疑惑問題もある。又、八百長という言葉は、八百長相撲から来たといわれるように、週刊誌では、八百長疑惑が取り沙汰されることもある。でも、相撲界が、これらを乗り越えて、元気を取り戻して欲しいし、ファンを楽しませて欲しいのだ。特に、以下の二つが、希望の星である。

①先だっての、理事選挙に、貴乃花親方が、伝統ある慣例を破って立候補した時は、多分、ダメだろうと思った。が、予想に反して当選となり、自分としては、ほっと安心した次第。若し、落選していたら、相撲協会の今後の方向には、希望が持てない、と思っていたからだ。
 投票に当たって、一門などからの、がんじがらめの縛りが無かったのか、非公表ながら、氏に投票する親方が何人か居たということは、生意気な言い方を許してもらえば、今後の希望の光を見た思いである。新理事の、今後の活躍に期待したい。
②もう一つは、冒頭述べた、把瑠都関の躍進である。彼に引っ張られて、他の、外国人、日本人の力士も、奮起するかもしれない。大相撲が、東西に横綱を擁し、日本文化の良さを残しながら、人気を盛り上げ、より国際化する契機に、なってくれればと思う。
 5月9日から始まる、大相撲五月場所(両国)を、テレビで観戦するのを、楽しみに待つこととしよう。BSテレビ放送も駆使して、番付下位からの殆どの取組みを伝えている、NHKの御苦労を多としたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スカイツリー君の横顔

2010年04月15日 11時53分04秒 | 日記
4月15日(木) スカイツリー君の横顔


 先日、北千住まで、自転車で出かけた時、国道4号線を都心へ向かう途中、荒川に架かる千住新橋の上で、建設中のスカイツリー君を発見した! スカイツリーについては、過日、ブログにも報告(10/04/02 スカイツリー君の成長)したが、手前の建物の陰になって、なかなか見えない。見通しの良い橋の上で、ひょっとしたら、と、想定方向を探し、建物の間から、見つけたの時の嬉しかった事。
 同じ日に、自宅から写したものと比較すると、反時計回りに、角度が少し回った方向になるが、距離が近いので、より、くっきりと見える。
 現在で半分位とすると、完成時は、かなり上に伸びて、あちこちで、見られるようになるだろう。その内、北千住から出ている半蔵門線に乗って、押上駅まで出かけ、ご本尊を拝みに行ってみよう!
 
   
 自宅からの遠望 ○印      千住新橋の上から ○印

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域の統合と発展  その2 平成の大合併

2010年04月14日 14時55分42秒 | 日記
4月14日(水) 地域の統合と発展 その2 平成の大合併


平成の大合併と言われ、市町村の合併統合が促進されて、この所、新しい市町村が、続々
と誕生して来た。全国の市町村数をみると、以下のように、この10年位で、ほぼ半減し
ているようだ。
    1999.4  3229
    2005.3  2688
    2010.2  1747
    2010.3  1730
 合併後の自治体の名前では、各自治体の面子をかけて、色々な工夫が見られるのは面白
いが、葛藤も多いようだ。ここ20年程の間に行われた合併の中で、市部について、特に、
ネーミング面を中心に調べてみた。全国的には、よく知らない地域も多いので、対象を、
比較的馴染みのある首都圏(一都六県+山梨県+伊豆)に限定してある。

○大きな市町を中心にして、周辺の自治体が、統合編入されるケースが最も多く、この場
合は、大きな方の市町名が継承される。 例えば、
  相模原市への統合←神奈川県 津久井郡(城山町、津久井町、相模湖町、藤野町)
  土浦市への統合←茨城県 新治郡新治村  
  神栖市でスタート←茨城県 鹿島郡(神栖町+波崎町)
  上野原市でスタート←山梨県 北都留郡上野原町+南都留郡秋山村 などである。

○これに対し、互いの面子を立て、争いを避けるために、統合後は、新たな自治体名でス
タートするケースも多く、新しい市のネーミングについて、色々な工夫が見られる。
・上位の県名や旧国名を付ける
 埼玉県 さいたま市   大宮市+浦和市+与野市+岩槻市(後で統合)
 栃木県 下野市     河内郡南河内町+下都賀郡(石橋町+国分寺町)
 山梨県 甲州市     塩山市+東山梨郡(勝沼町+大和村)
     甲斐市     中巨摩郡(竜王町+敷島町)+北巨摩郡双原町 
・所属した郡名を付ける
 千葉県 匝瑳市(そうさ) 八日市場市+匝瑳郡野栄町
       八日市場市は、旧匝瑳郡八日市場町であった。難解な郡名の匝瑳と
       は、一説では、“美しい麻布”の意味という。
     香取市     佐原市+香取郡(小見川町+山田町+栗源町)
       佐原市は、旧香取郡佐原町であった。
     山武市(さんむ) 山武郡(城東町+山武町(さんぶ)+蓮沼村+松尾町)
       郡名の山武郡(さんぶ)の古名が、さんむ だったようである。統
       合する山武町とも区別する狙いもあったかも。
     いすみ市    夷隅郡(いすみ)(夷隅町+大原町+岬町)
       竜馬伝で話題の攘夷の夷。難解さを避けるとともに、統合する夷隅
       町とも区別するため、ひらがなにした?
 茨城県 行方市(なめかた) 行方郡(麻生町+北浦町+玉造町)
     稲敷市     稲敷郡(江戸崎町+新利根町+東町+桜川村)
・大きな地域名を付ける
 東京都 西東京市    田無市+保谷市
     あきる野市   秋川市+西多磨郡五日市町
       あきる、とは、秋留、阿伎留など、古い地域の名前のようだ。
 千葉県 南房総市    安房郡(富浦町+富山町+三芳町+白浜町+千倉町+丸山町+
             和田町)
       房総半島の南部
 埼玉県 ふじみ野市   上福岡市+入間郡大井町
       東武線のふじみ野駅は、今回の合併から外れた、富士見市にある!
 茨城県 常総市     水海道市+結城郡石下町
       常総とは、旧国名の常陸+下総の意。旧下総国に属する水海道市が、
       旧常陸国内の自治体との統合を目論んだが失敗。旧下総国内同士の
       統合になったが、より広域の地名をつけた?       
     ひたちなか市  勝田市+那珂湊市
       勝田市も、那珂湊市も、以前は、那珂郡勝田町、那珂郡那珂湊町で
       ある。他と区別するために、旧国名を冠したようだ。
     坂東市     岩井市+猿島郡遠島町
       古来、坂東は、関東一円を意味する地名で、坂東太郎は、利根川の異称。
     筑西市     下館市+真壁郡(関城町+明野町+協和町)
       名山筑波山の西     
     桜川市     西茨城郡岩瀬町+真壁郡(真壁町+大和町)
       地域を流れる、由緒ある桜川
 山梨県 南アルプス市  中巨摩郡(八田村+白根町+芦安村+若草町+櫛形町
                 +甲西町)
       南アルプス連邦が近い
     中央市     東八代郡豊富村+中巨摩郡(玉穂町+田富町)
 静岡県 伊豆市     田方郡(修善寺町+土肥町+天城湯ヶ島町+中伊豆町)
       伊豆の国市と紛らわしい
     伊豆の国市   田方郡(伊豆長岡町+韮山町+大仁町)
       伊豆市と紛らわしい
・それぞれの頭字を取る
 栃木県 那須塩原市   黒磯市+那須郡(西那須野町+塩原町)
       観光地名を優先している。
 茨城県 小美玉市    東茨城郡(小川町+美野里町)+新治郡玉里村
・親しみのある名・夢のある名を付ける
 栃木県  さくら市  塩谷郡(氏家町+喜連川町)
 群馬県  みどり市  勢多郡東村+新田郡笠野町+山田郡大間々町
 茨城県  つくばみらい市 筑波郡(伊奈町+谷和原村)  
 こうして見ると、茨城県と千葉県に、ニューフェイスが多いようだ。また、さいたま市、
をはじめ、ひらがな名も、増えてきている。ひらがな名といえば、古くは、福島県の、い
わき市などが、元祖だろうか。カタカナが入るのは、全国でも、南アルプス市だけだろう
か?

○郡制について調べてみると、明治以降、色んな経緯があり、一時は、立派な行政単位と
して、軍長や、郡議会が設置された時もあるようだ。その後、行政単位としての郡は廃止
され、現在は、単なる、地域識別用の名称程度にしかなっていない。今回の合併統合によ
り、郡に所属する町村が無くなった地域では、郡の名称も消滅している。
 上述のように、合併後の新しい市の名称として、郡の名前が、何とか生き残ったところも
あり、又、旧郡内の市町村共同で、公立病院等を設立しているところもある。
 一方、神奈川県津久井郡の城山町、津久井町、相模湖町、藤野町が集まり、一時的に、津
久井郡行政組合が結成され、郡としての行政が行われたようだが、相模原市への編入で、
この組合は解散している。

○合併で規模が大きくなり、財政基盤が強化されるなど、よくなる面が多いと思われるが、
行政サービスが、却って悪くなる懸念は、無いのだろうか。いくつもの町村が合併して、
待望の市制は敷いたものの、どんぐりの背比べで、中心が無いような地域もありそうで、
今後が懸念されるのだがーーー。
 新しい自治体の名前が定着し、行政が軌道に乗るには、少なくとも、10年程度はかかる
だろうか。企業の合併や吸収でも、悲喜こもごもがあるが、市町村の編入や合併でも、旧
 地域同士や、旧行政担当者間の、見えないところでの葛藤は、当分は続くのだろうか。
行政の単位や組織は、時代に合わせて、変化していくものであろう。







1

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タバコ その2 タバコとの付き合い

2010年04月12日 13時52分42秒 | 日記
4月11日(月)   タバコ その2  タバコとの付き合い


 自分のタバコとの付き合いには、長い歴史がある。子供の頃の親父のことだが、タバコが手に入らず、イタドリの葉や、松の葉を紙で巻いて、紙巻タバコを作っている姿を見たりした。又、親父に頼まれて、近くのタバコ屋に買い行ったものだ。
 高校生までは、真面目な生徒で、タバコには手を出さなかったが、高校の同級生などが吸っている、という話は、よく聞こえてきた。
青少年にとって、禁止されている酒とタバコは、あこがれの的で、そのため、早く大人になりたい、という欲求が強い。高校生の頃は、背伸びをして、酒も飲みたがり、タバコも吸いたがる。禁止されているからこそ、俺は平気だぞ、と自慢して見せたいのだ。

 大学生になって、まだ二十歳前なのに、親元から離れて自由になり、なんとなく大人になった気分になって、生れて初めて、自分用のタバコを買い求めた時は、流石に緊張した。金を払う時、手元が震えたのを思い出す。買ったタバコは、当時の憧れのタバコだった10本入りの「Peace ピース」である。鳩がオリーブの枝を咥えたデザインで、濃い青色が印象的。当時は、勿論、フィルターなどは付いていない。火をつけて一口吸ったら、ふらふらして、気持ちが悪くなり、暫く、下宿部屋の畳の上で横になっていた。後になって分かったことだが、あのピースは、他の、「新生」や「憩」などに較べて、かなり強い銘柄で、入門用には適さなかったのである。
 以来、自分の喫煙生活は始まった。日に二十本程度の、ごく普通の喫煙だった。学生時代は、金が無かったこともあり、仕送り直前などは、灰皿を漁って吸う、しけもく、となったことも多い。

 上京して社会人になってからも、タバコとの付き合いは続いた。仕事が一段落した時の一服、山登りで、山頂に上がった時の一服、などは、格別の美味しさだ。又、客先などで、徐にタバコを取り出し、火をつける作業が、間を持たせる上で、どれ程役に立ったことか。何時頃からか、フィルター付きタバコが主流になり、銘柄も、セブンスターから、マイルドセブンへと、ソフト化していった。
 喉が、いがらっぽくなったり、タンが出たりすることから、禁煙を考え始めたのは、40歳台になってからだろうか。でも、禁煙期間が少し長くなると、禁断症状が出て苦しくなり、ついつい吸ってしまう。帰宅している間は、子供や女房の手前吸わないが、飲みに行った時に、人が見ていない所で、つい吸ってみたりした。酒を飲んだ時は、タバコが美味しいのである。酒席が、禁煙解除のきっかけとなったことは多い。

 タバコを吸わないでいると、つい、口淋しくなる。子供用のマーブルチョコレートを買ってきて、何と、自分でしゃぶってみたり、「□□こんぶ」と言う銘柄の、酢昆布を食べたりした。酢昆布は、食べる時は甘酸っぱくて美味しいのだが、後になり、食べ過ぎで腹の中で膨れてしまい、腹が張って張って、困ったこともある。
 禁煙をしては又吸い始め、又禁煙しては又吸う、という繰り返しが、かなりの間続いた。正確に数えたわけではないが、禁煙は、都合7回位やっている。禁煙期間も、3日坊主から、1週間、2週間、1ヶ月、2年、5年、11年など、色々である。
 そんなある時、第一次世界大戦頃の、有名なフランスの政治家、クレマンソー首相の禁煙に纏わる逸話を知った。彼は、執務机の上に、吸いたいタバコを置き、毎日、それを見ながら禁煙した、と言う話である。彼の意志の強さをPRした話と思うが、自分は、こんな無茶なことはしまい、と思った。絶対に止める、とは言わずに、吸いたくなったらいつでも吸う、という考え方であった。

 時期は定かではないが、三人の男が出てくる、有名なTVコマーシャルがあった。
  私は、○○でタバコを止めました(○○ 禁煙用具の商品名)
  私も、○○でタバコを止めました
  私は、これで(小指を立てる)会社を辞めました
この、禁煙用具は、自分で試したことは無いが、口寂しさを紛らす、パイプのような道具で、今もあるようだ。それよりも、小指を立てて、これで会社を辞めました、と言うセリフは、成る程とニヤニヤしながらも、女性蔑視ではないか、と妙に気になった。ギリギリの際どさ、を売り物にした、傑作といえよう。

 あるツアーで米国に行った時の体験が、最後の禁煙に繋がった。当時の米国では、次第に禁煙の空気が広まり、航空機内での喫煙も厳しくなって、終に、喫煙者は、飛行機内で最後尾のトイレの前にある、数少ない喫煙席に回されてしまい、惨めな思いをした。
 又、街の中のレストランで食事を取った時、喫煙席と表示のある席に座って、タバコを吸っていたのに、隣の禁煙席の中年のおばさんから、甲高い英語で、“煙が嫌だから吸わないでくれ”、と強く抗議され、オー怖いと思いながらも腹が立った。が、その剣幕に押されて、吸うのを止めざるを得なかった。当時のアメリカは、既に大勢が、禁煙になっている、と実感。飛行機内や、街の中で、惨めな思いをしてまで、吸いたくはない、と思った。でも、何処でも自由に吸える様にと、シカゴで、携帯用の灰皿を仕入れたりもしたがーー。

 そのツアーから帰って間もなく、タバコを止める決意をした。理由は、喉の健康のためと、吸うことで、却って落ち着かずイライラするのが嫌になった、と言おうか。でも、自分が苦しくなるので、これまで同様、絶対吸わない、とは決めなかった。そういう、逃げ道を残しておいたことが、却って良かったのか、以来、多分8回目の禁煙期間が、15年以上もの間継続しており、これまでで、最も長い禁煙期間になっている。この間、タバコは口にしていない。
 多分、今後も、吸うことは無いだろう。現在の自分は、吸いたいとも思わないし、吸いたいのを我慢しているという、感覚も全く無い。時間を掛けて、やっと綺麗にした肺を、あっという間に汚すような愚行は、もう、したく無い、と言う気持ちも強い。
 世の中は、この所、受動喫煙防止だ、嫌煙権だと、騒々しいが、レストランなどで、禁煙席が満席で、喫煙席を割り当てられても、平気である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする