つれづれの記

日々の生活での印象

旬の香りと味  タケノコ

2010年04月27日 09時11分55秒 | 日記
4月27日(火) 旬の香りと味 タケノコ


 奈良県に近い、京都府の山城住の人から、先日、タケノコを沢山送って貰った。奈良まで採りに行き、直ぐ送ってくれたようで、送りましたよ、と、夕方に電話があったと思ったら、もう、次の日の昼前には届いている、便利な世の中になったものだ。24時間以内の、掘りたてである。
 知人に、早速、お礼の電話をして聞いたら、刺し身も美味しいですよ、と言うので、写真の小さい方で、早速、試してみた。タケノコの刺し身は、初めてである。先端に近い柔らかい部分を、縦切り、横切りにして、色んなタレで食べてみた。普通の醤油、芥子醤油、わさび醤油、ピーナッツバターのタレ、酢醤油、などである。いずれも、コリコリ、さくさくとした歯ざわりは、申し分無いのだが、食べた後の口の中に、辛味のある、えぐ味が、かなり残る。たまたま、釜揚げうどんを食べていたので、しゃぶしゃぶのようにして、暫くお湯の中に入れてから食べてみたら、だいぶソフトになったものの、独特のえぐ味は、まだかなり残った。
 頂いた、他のタケノコは、米ぬかが無かったので、米のとぎ汁を使って、伝統的な方法で湯がいた。風味がどのように変化するのか調べるために、写真にある大きい方の一本を、生のまま残し、数日経ってから調理してみることとしている。


 ネットで調べた情報では、タケノコのえぐ味(いがらっぽいような渋味)は、タケノコが地上に出て、光に当たると生成されるようだ。地下茎から切り取られた後も、時間が経つにつれて、タケノコのえぐ味は、増えていくと言う。タケノコを刺し身で食べるには、理想的には、1時間以内が美味しいようで、一昼夜近く経過した後では、遅すぎたようだ。

 舌で感じる人間の味覚は、基本的に
    塩辛い(Salty)――塩辛さ
    酸っぱい(Sour) ――酸っぱさ
    甘い(Sweet) ――甘さ
    苦い(Bitter) ――苦さ
の4種と言う。(最近は、これに、旨みを加えて、5種になっているという。)
 塩辛い(Salty)は、塩っぱいとも言うが、生きる上で、最も大切な塩分を感じる味覚である。塩は、味噌や醤油などの元ともなる、調味料の基本だ。日本語の用法としては、塩辛いを、単に、辛い、とも言うので曖昧になるがーー。
 酸っぱい(Sour)は、食品では、梅干の酸っぱさが代表的で、調味料には食酢がある。酒が悪くなると酢になってしまうように、食品の品質が落ちると、酸っぱくなるものもあり、酸っぱさの感覚は、劣化度をチェックして、自分の身を守る味覚でもあろうか。
 甘い(Sweet)は、砂糖に代表される味覚で、万人が好むものだ。人生経験が豊富なことを、酸いも甘いも知っている、と言うが、人生の厳しい側面を、辛いや、苦いでなく、酸い、と言っている所が面白い。
 これら3種の味覚は、誰にでも区別できる、分かりやすい、味覚であろう。

 4つ目の苦い(Bitter)は、狭義には、
    ニガウリの苦さ
    栃の実の苦味・渋味、
等が代表的だが、広義には、
    お茶、コーヒー、セロリ などの苦味、
    山菜、タケノコ などのえぐ味、
    柿、栗皮 などの渋味
などが、この範疇に入るようだ。このカテゴリーは多様で、区別しにくい、表現しにくい味覚だが、それだけに、この味覚は、料理や、食品の味わいに変化をもたらしてくれる大切な味、とも言える。
 えぐい、という言葉は、一般的ではない、方言か俗語かと思っていたが、広辞苑には、
    刳い・蘞い:のどを刺激していらいらする味がある
と、ちゃんと載っていることを発見した。
 動物は、うっかり、毒のあるものを食べてしまったら、大変なことになるので、本能的に、苦味には敏感だという。 
 又、唐辛子に代表される、辛い(Hot)という味覚は、舌で感じ取る、上記4種の味覚とは、生理的な仕組みが異なるようで、直接神経に作用するというが、良く分からない。でも、このグループには、
    唐辛子(とうがらし)、山葵(わさび)、生姜(しょうが)、
    芥子(からし)、山椒(さんしょう)、胡椒(こしょう) 
など、日本人には欠かせない、各種の辛味が含まれている。

 先日(4/22)、NHKの昼のTVで、京都府長岡京のタケノコ堀りの様子が紹介された。僅かに地面に頭を出しているものを、梃子(てこ)の原理を利用した専用の道具を使って、女性や高齢者でも掘り出せるようになっている。地上部は僅かでも、地下には、以外に大きなタケノコが育っていることに、改めて驚かされる。
 通常、竹薮というが、この農家では、積極的に栽培していると言うことで、「たけのこ畑」と呼んでいた。自然に任せて放置するのでなく、きちんと、竹の間引きをしたり、土に肥料を入れたりと、大変な手をかけて、タケノコ作りを行っている。
 この、たけのこ畑、親竹の間隔が広く、疎らになっており、生えているタケノコの数もかなり少ない。次に親株になるものを残しながら、タケノコも採っていると言う。継続的に収穫できるようにとの、京都らしい長年の知恵に、裏付けられているようだ。
 このようにして育てられた、京たけのこ、高級料亭などに行けば、値段もいいだろうが、さぞかし美味しい料理になるだろう、と思われる。
 いつぞや、千葉の房総方面(大多喜町)に、観光バスで、タケノコ堀りに行ったことがある。山の斜面一面に、あちこちに、タケノコが出ていた光景が、思い浮かぶ。食べることもさることながら、掘り出す作業そのものを楽しむという、一般大衆向けには、あれはあれで、いいのだと思われる。

 一般に、あく(灰汁)を取る方法としては、単に、湯がくだけでも効果はあるが、タケノコは、米ぬかや米の研ぎ汁を、ワラビやゼンマイは、草木灰を加えて、湯がくのが伝統的な方法となっている。重曹などを使ってもいいようだ。植物性のあくの主成分であるシュウ酸が、除去されるという。
 余談だが、タケノコ用の米ぬか、通常はタケノコと一緒に添付されているものだが、先だってのスーパーでは、米ぬかの小さい袋が、タケノコの隣に、別の籠に入れられ、なんと、38円也もの値段が付いて売られていた。足元を見透かされているようで、いい気分ではなかったが、玄米を白米にする精米機が、近くに見られなくなった昨今、米ぬかを仕入れるのも大変な時代、ということだろうか。

 春といえば、ワラビ、ゼンマイ、コゴミ、ミズ、コシアブラ、アケビの芽、タラの芽、などの山菜の季節だが、一方、タケノコは、山菜ではないが、春を感じさせる、旬の短い、代表的な食材であろう。
 店頭に出てきて暫くして、漸く値が下がってきた、と思ったら、あっという間に姿を消してしまう。タケノコと言えば、通常は、孟宗竹だが、東北方面には、笹の一種だが、ネマガリタケというのがある。指くらいの太さで、結構食べやすい。
 タケノコは、春の和料理の重要な食材の一つであり、ワカメと一緒に煮る若竹煮が、定番である。タケノコの炊き込みご飯もいいし、貝柱や、竹輪などと煮るのも美味しい。
 中華料理では、タケノコの歯ざわりがなんともいえない、酢豚が思い浮かぶ。又、ラーメンには、シナチク(メンマ)が欠かせない。
 水煮のタケノコは、保存食としていつでも使えるが、歯ざわりは残るものの、物足りない。やはり、新タケノコの香りや、仄かなえぐ味こそ、タケノコの命なのである。

 家人の、関西出身の或る知人の話だが、終戦前後の頃、食料難で食べるものが少なく、タケノコが、毎日のように食卓に出たそうな。生のタケノコだけでなく、茹でて干したものを沢山作って置き、来る日も来る日も、色んな料理に入れて食べさせられた、と言う。ほぼ同世代の自分達にも、同じ頃の、食べ物に関する、あまり楽しくはない、多くの記憶がある。
 幼い頃のこのような体験からか、以来、知人は、タケノコを見ることで、淋しく悲しかった思い出が蘇るのが辛くて、タケノコは見るのも嫌になり、食べたことが無いそうな。一種のトラウマなのだろう。

 食材の世界でも、年々、季節感がなくなっていて、大抵の野菜や魚などは、いつでも店頭に出ており、殆ど、旬が感じられなくなっている。先日、TVの料理番組で、アサリにも旬があると聞き、すっかり鈍感になっている自分に、驚いた位だ。
 生活が便利になったことを喜ぶ一方で、自然の恵みに感謝しながら、四季の移り変わりを楽しむ食生活も、失くしたくはない、と思うこの頃である。
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