2012年6月21日(木) コーヒーの楽しみ お茶とコーヒーと
我が家のコーヒーに関して、これまで、当ブログに、下記の記事、
コーヒーの楽しみ サイフォン (2012/6/6)
コーヒーの楽しみ サイフォン その2 (2012/6/9)
コーヒーの楽しみ コーヒータイム (2012/6/19)
を投稿したが、今回は、その続編で、4稿目になる。
○長く親しんできた伝統的な日本茶には、茶葉を煎じて飲む煎茶と、粉末状になった高級茶葉を、そのまま飲んでしまう抹茶、等がある。手持ちの漢和辞典を見ると、
煎 火部 九画 セン いる 火でにつめる
抹 手部 五画 マツ ぬる こする けす
等とあり、煎茶の煎は、火でにつめる、から、抹茶の抹は、茶葉を臼で粉末状にするということで、こする、からきているだろうか。
又、茶を、立てる、入れる(煎れる、淹れる とも)、沸かす という。 茶を立てる、とは、慣れないと使えない、品のある言い方になろうか。
一方、コーヒーは、淹れる(入れる、とも)という。 淹という字は、見慣れない漢字だが、漢和辞典には、
淹 水部 八画 エン とどまる ひたす つかる
等とある。滞留する、滞る(とどこおる)などの意の熟語が多いようだが、淹れる は、ひたす から来ているのだろうか。
又、国語辞典には、いれる(淹れる)(煎れる)という字義は出ていない。
日本茶・紅茶やコーヒーの楽しみ方(喫茶法)として、材料をどのように扱うかによって、以下の様な分類も出来ようか。
・材料を湯に浸し煎じた汁を飲むーーーーーーーーー煎茶・紅茶
・材料を粉末にして、湯に浸し濾して飲むーーーーーコーヒー
・材料を粉末にして、湯と混ぜてそのまま飲むーーー抹茶
このような分類では、コーヒーは、煎茶と抹茶の中間に位置することとなる。
煎茶の茶葉を、コーヒー用の電動ミルで粉末にしたものを、サイフォンで淹れたら、どんな具合になるだろうか、機会を見て、試してみたいものだ。
と思っていたが、つい昨日、近隣の行きつけの回転寿司屋に行った。いつも、緑色の粉茶に湯を注いで、無意識に飲んでいる、「あがり」だが、レジの近くで、袋入りの緑茶(粉茶)を、40g 630円で売っていたのである。 一皿126円の寿司に比べると、高価な あがりを飲んだんだ、と驚いた。ネットでも、寿司屋等で使われる業務用粉茶が、各種出ているが、それらよりも、良い値段である。
このような粉茶と、茶道で使われる抹茶との違いは、どこにあるのだろうか。
煎茶 抹茶 (写真は、ネット内の画像から)
○コーヒーで思い出すのは、少し以前になるが、国連の電気通信関係(ITU)の国際会議(CCITT)に出席するために、数回にわたり泊まった、スイスジュネーブのホテルのことだ。毎回、勝手の知った、行きつけのホテルにした。
朝食で、ホテルのレストランに入ると、近づいてきたウエイトレスが、判で押したように、
「カフェ オア テ?」(café or thé)
と、フランス語で、訊いてくる。 朝食は、飲み物以外は何も付かない、いわゆる、コンチネンタルスタイルとあって、気分に応じてどちらかを注文すると、それで全てである。 大半は、café だったが、それを飲みながら、テーブルに置いてあるパンに、バターやジャムをつけて、超ゆっくりで食べる。
当初は、物足りなく、淋しい思いもしたのだが、3日、1週間、10日と慣れてくると、もうそれで十分になった。慣れとは、恐ろしくもあり、有難くもある。ジュネーブでの、この朝食の体験は、
健康で空腹なら、どんなご馳走でも、感謝の気持ちで美味しくいただける
という、やや大げさだが、我が家の食事の原点に通じるもの。諺にも、
Hunger is the best sauce.(空腹に不味いものなし)
とある。
一時は、栄養過多を気にして、パンとコーヒーだけの、コンチネンタルスタイルもやってみたが、何処か、淋しいので、この所の、通常の我が家の朝食には、殆ど、何らかの料理がつく。代表的なのは、「もやし」を、塩・コショウだけで、フライパンで炒めたものの上に、目玉焼き風に生卵を載せ、蓋をして蒸し炒める玉子料理だ。 網目状の白い もやし を、鳥の巣に見立てて、ワイフKが、「巣籠り(すごもり)」と名付け、伝授してくれた技である。
もやし の他に、冷蔵庫の在庫状況に応じて、きのこ、ワカメ、人参、ホウレンソウ、ソーセージ、ピーマン、キャベツ、ナスなど、何でも入る。 蒸し炒める時間を少し長くすると、香ばしさが増した、焦がし巣籠り となる。 このような、野菜を十分に摂れる料理を、朝にしっかり食べるのが、最近の傾向だ。
朝食に、この巣籠りなどを作るのは、殆ど、自分の担当となっているが、これは、現役の頃には、家内任せだった事への、感謝の気持ち、があるだろうか。
○嗜好品の飲み物の中では、日本では、コーヒーは、日本茶、紅茶等よりも多く飲まれているようで、これらの、王様格になるだろうか。 国際的にも、今や、coffeeがメジャーで、teaは、マイナーになっている。
有料で日本茶を飲ませてくれる店は、今や、殆ど無く(京都などには、まだ多い?)、紅茶の専門喫茶も数少ない。コーヒーと紅茶を出す店や、コーヒーだけの店が殆どだ。
以前は、純喫茶などで、コーヒーを飲みながら、じっくり音楽を聞いたりしたものだが、この所は、一寸した時間を過ごす場として、 廉価なコーヒーショップが多い他、ファストフード店や、コンビニでも、コーヒーが飲める時代で、選択の幅が、大巾に広がっている。
我が国では、
お茶はどう? お茶にしない? お茶に行かない?
なとど使われ、「お茶」は、飲料の代名詞になっていて、大抵は、茶でなく、コーヒーだったり、コーヒーショップに行く。
コーヒーやお茶の準備が出来ると、家族等に、
コーヒー(お茶)が入りましたよ!
と、自動詞的な表現で声を掛け、
コーヒー(お茶)を入れましたよ!
と、他動詞的には余り言わないのが、奥ゆかしい。
前述の国際会議で、議論がもつれた時等に、議長が、
Let's take a short coffee break. (コーヒーブレイクにしよう)
と、よく声を掛けたが、上手い時間の使い方であろう。
そして、不思議な事に、この間に、見事に妥協が成立するのだから、coffee の威力は素晴らしいのだ。